※(注)―今話題の演歌歌手ジェロとは特に関係ありません。
スペイン・ポルトガルを主体とする、香辛料、金銀を求めた新航路開拓時代、いわゆる「大航海時代」。それは、西欧の物質文明が、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の霊性主体の文明を蹂躙し、それらの地に「暗黒の時代」をもたらした始まりでもあります。その後の、オランダ、イギリス、フランス等の欧米列強による“植民地主義”、“帝国主義”は第二次世界大戦が終焉するまで続きました。未だ、その後遺症とも言える貧困問題に苦しんでいる国は多いです。
かといって、欧米人が総てその様な人たちばかりであったかというと、もちろんそうではありません。
動物文学者であり博物学者、そして、画家でもあったアーネスト・シートン。日本では、『オオカミ王ロボ』等の『シートン動物記』で知られている。彼はまた、北米インディアンの研究家でもあり、『真実の北米インディアン』『レッドマンの心』等、数多くの著作を残しています。
晩年には「ウッドクラフト・インディアンズ」という少年団を創設し、シートンの提唱した“ウッドクラフト”(森林生活法)、つまり、「アメリカ先住民」の生活を理想とした素朴な“エコロジー”と“自然主義”を実践した。後のボーイスカウトの創始者ロバート・ベーデン・パウエルとも親交を重ね、ボーイスカウト発足に多大なる影響を与えた。
●ジェロニモの戦い
ジェロニモとは、ネイティブ・アメリカンのアパッチ族の酋長で、優れたシャーマンでもあり、何よりも戦略家として勇名を馳せた実在の人物の名です。
いわゆる「ジエロニモの戦い」と呼ばれる戦闘では、インディアンの勇士わずか35名で、多くの婦女子をかかえながら、当時のアメリカ合衆国政府軍兵員総数の 4分の1に相当する正規兵5,000人、外人部隊500人、それに国境警備隊を加えた大軍を相手に、実に一年半も戦い抜いたという。
〈正確には、1867年から10年間に、ジェロニモと彼の仲間たちは居留地から4回逃走したらしい。最終的にジェロニモが合衆国軍の軍門に下ったのは、1886年9月4日。ジェロニモも、当時60歳を越えていた。〉
この「ジェロニモの戦い」は、一個人の心の中でも常に起こっているようにも考えられます。“物質・利便性に対する欲求”と“精神性・霊性・自然を重んずる心”とのせめぎ合いです。
さらに、この「戦い」は、人類の存亡に関わる大問題となりつつある「地球環境問題」においても、“国家ごとの取り組み方の違い”(ブッシュ政権とEU諸国の取り組み方の相違のように)とか、“一個人の考え方、意識の違い”といった形で、今後とも繰り広げられ続けることにもなるのでしょう。
将来的に、どういった形で折り合いを付けて行くのか、今後、さらなる“叡智”が必要となりそうです。
この度、メイン・メニューの並びを新しく整理しました。メニュー「よもやま知識」の中の
「21世紀へのヒント 大和民族(日本人)とインディアン」
のところを御参照下さい。
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