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[91] ●“憑霊”の様々な形態 Name:道開き Date:2010/09/06(月) 17:35 
「何となく、霊に憑依されている気がしてならないという人」もいれば、「ドッシリと背中に何かを背負い込んだような重みを感じ、凄まじい吐き気をもよおす人」、「憑依霊の思いや痛みを感じたり、話しかけられたりすることもあるという人」、「顔の形相が他者(憑依霊)のものに変貌してしまっている人」、さらには、「本人の人格がどこかに消え去って、憑依霊と完全に入れ替わってしまっている人」、「憑依霊に自分の口を貸して話をさせたり、押さえ込んだりと、ある程度まで自分でコントロールのできる人」等が見受けられます。

お祓いの祈祷を受けた場合でも、祝詞の奏上が始まると、「身体の痛みを感じていた場所が、“ジョンワ、ジョンワ”と微細な電気が流れているような、温風を浴びているような状態になったりする人」、「痛みを感じていない人でも、合掌している手がそういった状態になる人」、さらには、「身体が前後に動き出したり、クルクルと円を描くように揺れ出したりして、自分で止めることができなくなったりする人」等がいます。

憑依体質の人というのは、ある種の「霊媒型シャーマン」の資質を持った方ということにもなるのでしょうから、憑依の形態というものを考える際には、文化人類学上の〈シャーマニズムの分類〉が非常に参考になります。以下の通りです。



※シャ−マニズムやシャ−マンの定義は学者の数だけあるということがいわれます。これは、それだけシャ−マニズムやシャ−マンの特質や性格、役割などがわかりにくいという事実を現しています。まず、現在における定義の大筋は次の通りとなります。

「シャ−マンの通常の意識がその働きを鈍らせ、弱らせた“トランス(心的分離状態)”の時に、“エクスタシ−(脱魂)”か、“ポゼッション(憑霊)”といった現象が起こるのである。」


◆佐々木宏幹
・シャーマニズムを「通常トランスのような異常心理状態において、超自然的存在(神・精霊・死霊など)と直接接触・交流し、この過程で予言・卜占・治病行為などの役割を果たす人物(シャーマン)を中心とする呪術―宗教形態」と定義する。

・エリアーデが、「魂の旅行」であるエクスタシ−を重要視したのに対し、佐々木は、脱魂も憑霊もシャーマンの超自然的な存在への直接接触・交流の型として理解する。

・現在において、「脱魂型」に比して「憑霊型」が圧倒的に多く、日本のシャーマニックな職能者は、「憑入型」と「霊感型」を併有していると言える。

・華人社会のタンキーが、老齢その他の理由で「憑入型」の神憑かりができなくなると、その地位を保てなくなるのに対し、日本のシャーマニックな職能者は「憑霊の幅が広い」と考えられ、「憑入型」から「霊感型」まで、経験と年齢に応じて移行することが可能である。
つまり、日本のシャーマニズムの特質は、「著しい多様性」にある。


●憑霊における「三つの型」  
現在のところ「憑霊=神がかり」と見られる現象について、ほぼ次のような見通しを得るに至っている。

@神・精霊が当該人物の身体の中に入り、人格転換が行われ、シャ−マンは霊的存在として振る舞い「吾は某々の神であるぞ!」のように第一人称で語る。

A神・精霊が当該人物の身体の中には入らないが、リアルに姿を見せ、直接身体に接触して、胸部を圧迫したり、手足をつかんで振り回したりし、神意を伝える。シャ−マンは、「神さま、しかじかのことについて、何とぞ教えて下さい」と願い、霊的存在の答えを「はい、はい、わかりました」などといって受け、これを依頼者に伝える。この場合、当人には人格転換は起こらないので、霊的存在との直接交通も、第二、第三人称を用いて行われる。

B神・精霊が当該人物の身体に入ることもなく、またその身体に直接接触することもないが、シャ−マンの眼、耳、心を通じてその意志を伝える。「神さまに悟らせられる」とか「神さまにしゃべらせられる」という状況である。遠くから身体の悪い人が訪ねてくるとして、もしもその人が霊の影響を受けているとすると、悪いところの痛みが自分に現れるという。霊との交渉は第三人称で表現されることが多い。

@は人格が“神格化”または“霊化”している状態であり、Aは人格が神・精霊によって大きく“統御”されている境位、Bは人格が霊的存在の“影響”を受けている状況である。@を“憑入型”とでも表現でき、ABは“霊感型”とでも表現できる。

わが国のシャ−マニックな職能者は、奄美・沖縄に展開するユタやカンカカリヤ−を含めて、“憑入型”と“霊感型”を併有しており、通常の役割をはたすときには、霊感に頼る者の方が多いという。


◆小野泰博はこれを、以下のように分類する。

@人格変換型
A復話型
B取次型 

@は、意識がすっかり別個の人格に専有されている状況で、「継続的二重人格」の場合であり、完全な“憑霊”である。

Aは憑依霊と本人とが同時に意識されることで、“神が私の腹の中にいる”などと表現されるものであり、「同時的二重人格」ともいえる。

Bは人格変換がなく、意識面が強くなり、目を閉じたまま神意を伝えるもので、普通の「直感」、「インスピレ−ション」ないし「連想」に近い。

「人格変換型」は、多く“シャ−マン化過程”や突発的な“憑霊体験”に見られるもので、“職業化”すると「取次型」が多くなるとしている。


◆ファースは、「精霊の主人=統御者」をシャーマンと呼び、「霊媒」、「予言者」に対比している。が、日本のシャーマン的人物、職能者には三つの型が存在し、互いに混合している。

     @霊的存在の乗り物 (霊媒型)
     A霊感の伝達者   (予言者型)
     B精霊の統御者   (シャーマン型)




◆◆◆エリアーデや堀一郎にみられる、「脱魂型」シャーマニズムが真正で、「憑依型」は擬制であるという見解は否定され、型の相違は、地域・社会によるシャーマンの超自然への関わり方の差異とされている。シャーマニズムは、人類に普遍的な現象であるが、その様式を構成する諸要素は、諸民族の接触・交流によって伝播・普及しあい、各地のシャーマニズムは相互に影響を被り合うという。


※参考
駒沢大学教授・佐々木宏幹。文化人類学、宗教人類学者。宮城県気仙沼市出身。日本におけるシャ−マニズム研究の第一人者。
 著書に『シャ−マニズム −エクスタシ−憑霊の文化−』、『シャ−マニズムの人類学』、『聖と呪力−日本宗教の人類学序説』、『仏と霊の人類学―仏教文化の深層構造―』、『現代と仏教』、『シャ−マニズムの世界』、『宗教人類学』等がある。


[90] ●ここ最近のいい話 Name:道開き Date:2010/07/31(土) 19:37 
サッカー日本代表“サムライ・ジャパン”のワールド・カップでの戦いぶりが、ここ最近では非常に喜ばしい出来事でした。

キャプテン長谷部選手の、後日のテレビ・インタビューが印象に残りました。

「勝負の神は細部に宿るものと考えられる。もう数センチ、もう数ミリといった所でのジャンプ、スライディング、溜め、当たりの強さ・・・・で勝負が決まってしまう」といったもの。

自らの経験知による言葉なのか、先輩指導者からの教えによるものなのかは解りかねますが、これは全くもって真理を突いている言葉のように思えます。
仕事でも、学業でも、オシャレでも、恋愛でも、・・・政治・経済、芸術の分野でも、ここぞといった勝負の時というのは、ちょっとした、何でもないようなことで勝敗が決してしまうということは多々ありますので。


更に、サッカー・ワールドカップに関連したもう一つのいい話になります。
サッカー・ワールドカップ開幕に先だって、海外の映画関連のある団体が、英語以外の外国語映画のランキングを決めるために、映画関係者を対象にしてだったか、一般人対象だったかで、アンケート調査を行ったそうです。その結果、日本の黒澤明監督の『七人の侍』が1位で、ベスト100の中には、『用心棒』、『羅生門』も入っていたとのこと。
つまり、映画『七人の侍』というのは、サッカーでいったならば、欧州サッカー界からみた王者ブラジルのような作品ということにもなるのでしょう。

『七人の侍』を筆頭とした黒澤映画は、まさに日本の誇りです。黒沢監督は完全主義者としても有名でした。『羅生門』での雨のシーンを強調するために、墨汁を混ぜた黒い雨を降らせたという話や、『デルス・ウザーラ』での雪の中のシーンを撮るのに、雪溜まりの形が気に入らなくてスタッフに変えさせたという話などは、非常に有名です。
まさに、「勝負の神は細部に宿る」ことを知り尽くしていた方だったのでしょう。


もう一つ、数日前のこと、これは国内の日本人を対象にしたアンケート結果だったのでしょうが、“最も世の中に影響力を持つと思われる日本人は”というもので、名だたる政財界の著名人を抑え、タレントで、映画監督の北野たけしさんが1位ということでした。今後とも、世の中を良くして下さるように、強大な影響力を発揮していただきたいものです。


更にもう一つのいい話。連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』のヒロイン役の松下奈緒さんが、今年のNHK『思い出のメロディー』の司会をお務めになられるとのこと。

松下さんの目が、大学時代に一緒にアパート暮らしをした、少林寺拳法部仲間のK晴彦さんに似ていると思いながら、毎朝テレビを見ています。Kさんは、自分では高倉健さんに似ていると思っていたようで、いつも健さんのタバコの吸い方を真似ていました。よく誤って、タバコのフィルター側に火を点けては、ゲホゲホしたりもしていました。今では彼も、某栃木県警のNO.?という高い地位に就かれておられるようです。そのKさんから突然電話が入り、近々、当地にて再会する運びとなりました。

話を元に戻しますが、大晦日の『紅白歌合戦』、お盆の頃の『思い出のメロディー』は、年ごとに、グレードがアップし、歌好き、エンターテイメント好きの私にとりましては、本当に楽しみな番組です。


[89] ●家の祖先に関わる“因縁霊” Name:道開き Date:2010/07/10(土) 11:22 
霊能者のTさんから電話が入り、Aさんという若い女性に、その家に因縁のある江戸時代頃の古い女性の霊が憑いているので、お祓いしてやってほしいとの連絡を受けました。その霊は、A家の先祖の女性と恋敵だった方らしく、恋に破れて、自分の首を小刀で突いて自殺され後は、何代にも渡ってその家の女性に取り憑いて今日に至っているということでした。
Aさんにお話を伺ってみると、やはり、七、八年前頃から首のあたりの調子が悪く、医者に診てもらっても、原因不明と言われるばかりだったということです。

神社でお祓いを受ける直前までは、凄まじい吐き気がしていてどう仕様もなかったらしく、ご神前での祝詞奏上が始まった途端、その吐き気が収まって、首のあたりに微弱な電気が走ったような、暖気を浴びたような不思議な感じを覚えて、楽になったとのことでした。

ご祈祷が終了した後、いろいろと話を伺いましたところ、その霊は、Aさんの弟さんの縁談の邪魔もしていたみたいで、どう考えてみても、そうとしか思われない節が多々あったということでした。

Aさんの霊感が目覚めだしたのは、十年ほど前の学生の頃で、大学付属病院に入院していたお祖父さんのお見舞いに行った時に、人の形をした水面のような物(おそらくは霊)が動いているのを見たのが最初であったということです。


★「業(カルマ)」「輪廻転生」「因果応報」の思想
『易経』に「積善の家には必ず余慶(よけい)あり、不積善の家には必ず余殃(よおう)あり」とありますが、「先祖の残した因縁を、どうして子孫が担わされなければいけないのか」、更には「何の因果で、生まれながらにして不幸な星の下に苦しみ続けなければならないのか」といった疑問を抱く人は非常に多いものと思われます。

しかし、その人が、その家に生まれて、先祖の因縁を負って苦しまなければならない理由も、生まれながらにして不遇な人生を送らなければならない人がいるという理由も、総てはその人が生きた前世の行いに起因するとしているのが、「業(カルマ)」「輪廻転生」「因果応報」の思想です。つまり、人の今生を、時空を超えた「自業自得」の結果であると捉えます。

こういった物の考え方は、仏教独自の教えというよりも、古代インドの「ヴェーダ」時代からの“ウパニシャド哲学”の根本思想ということになります。さらには、数学者ピュタゴラス、哲学者ソクラテス、プラトン等に多大なる影響を与えた「オルペウスの教え」といった古文書にも見られる古代ギリシアの一部に見られた思想でもあり、それらを融合した形の「神智学」「ニュー・エイジ」、そして「スピリチャリズム」などの近代思想の根本思想にもなっています。

新思想では特に、人生を「前世の所業を償い、悪しき業(カルマ)を刈り取り、借銭返しをする場」であるとすると共に、「御魂を向上させ、来世に向かって徳を積む場」、「修行の場」としても捉えます。この世に生を受けたからには、因縁に対して消極的にならず、前向きに立ち向かって、乗り越えていくことこそが大事なのだと説きます。
例えば、ヘレン・ケラー女史の様な、三重苦を背負って生まれながら、世界的な教育者、社会福祉事業家となった、壮絶で、崇高なる人生もあるのです。

哲学者の梅原猛氏によると、「未だ文字を持っていなかった日本の縄文時代の埋葬遺跡などにも“生まれ変わり”の思想が見て取れ、だからこそ、仏教の“輪廻転生”思想は受け入れやすかったのではなかろうか」ということを、『日本人の死生観』という著書の中で指摘しています。


※参考
●スピリッチャリズムにおける「浄霊」
 世間で言う「供養」と似ている。諭された霊は己の進むべき道を理解し、高級霊の力を借りて、永遠の進化向上の旅に出る。
私たちは実は人間ばかりでなく、日本、そして地球人類全体の進化・向上も担っているから、地球のカルマ(業)は日本のカルマでもあり、それはまた私たち個人のカルマだから。
私たちはこの宇宙を、地球という星を、浄化させるために生きている。私たちの究極の目的は、この星を浄化させ神の国とし、神の光の粒子となっていくことです。そのためには、この現世と幽世のすべての魂を浄化させなければならない。
程度の差があっても、私たちはみな憑依を受けている霊媒なのです。霊は、同じ執着を持っている人の波長に感応し、憑依する。そのようにして憑依した霊は、同じ苦しみにあえぐ人と共に悩みながら、その苦しみを克服していく人の姿に諭され、反省し、自覚を持ち浄化していくわけです。
しかし、ときには負うには重すぎる霊が憑依することがある。憑依されている人間が、このまま現世の修行を成し遂げられない恐れが出てきた場合、その時こそ除霊、もしくは浄霊の必要が出てくるのです。


●スピリッチャリズムにおける「霊症」
@先祖、または水子の供養をおろそかにしている場合。
A私たちの一族に縁があり、守っていただいていた神仏の眷属(けんぞく・天狗や稲荷など)を粗末に扱ったり、汚してしまい、その霊の怒りをかった場合。
B自縛霊の宿る場所等に住んでしまった場合。
C生霊、死霊を含み人霊、または動物霊の恨みを受けた場合。
D私たちの波長が低下し、同じように低い波長の未浄化霊を呼び込んだ場合。
E因縁霊。これは本人自身には原因がないのに、自分の血筋の祖先が原因となる問題を起こしてしまい、それを子孫が担ってしまうという場合。これは自縛霊や浮遊霊とは違い、短期間の解除は難しい。

           『自分のための「霊学」のすすめ』(江原啓之著)より


[88] ●姫金神(ひめこんじん) Name:道開き Date:2010/06/16(水) 13:28 
家の方位のことでご相談にいらしたOさん。詳細について伺ったところ、かなり複雑な内容のお話でした。

夫を交通事故で失ってから三年になるというOさんの友人が、今でも夫がいつも身の回りにいて、何かを訴えようとしている気がして仕方がないということで、彼女に霊感が非常に強いというOさんのもう一人の友人を紹介した際の出来事だったということです。

亡くなられた友人の夫は、「交通事故ではなく事件だった」ということをしきりに訴えてきたのだそうです。「今後、保険の事などで有利に物事が運ぶように家族を守り続けたい」と語ったそうです。

さらに、Oさんの家のことに関して意外な話もして行ったらしく、
「自分が亡くなってからすぐ、Oさんの夫の兄弟だという水子霊からコンタクトを受けて知らされたのだが、家を建て替える際には、姫金神の方位だけは決して触れてはいけない。さもなければOさんの幼い娘さんの命を取られてしまう」ということを繰り返し語ったということです。

「ヒ・メ・コ・ン・ジ・ン」という言葉を聞いても、そこに居合わせた年代の人たちにとっては、全く何のことなのかが理解できず、両親たちに聞いても解らなかったらしく、インターネットで調べて、ようやく、暦(こよみ)の中の方位神であることを知ったそうです。

Oさんの旦那さんの実家では、ちょうど家の建て替え工事が始まっているとのことでしたが、山形県という距離的に遠い場所でもあり、その家族も信仰心の薄い方たちばかりで、これまでの経緯をいくら説明しても一向にらちが明かないということもあって、後日、当神社の方で「方除け祈祷」を受けていただきました。


※「金神」とは、もともとは陰陽道が生み出した暦の中の方位神ですが、時代が下るに連れて、その神格にもかなりの変化が見られるようになります。例えば、以下のような例があります。


●金光教
金神と一体化し、後に「生き神・金光大神(こんこうだいじん)」と呼ばれるようになったのが金光教の創始者・川手(赤沢)文治郎です。

初めは、「金神七殺(こんじんななさつ)」の祟りにより、身内に不幸が相次いだという。やがて、四十二歳の厄年を迎え、ノドケ(扁桃腺炎)を患い、医者にもさじを投げられ明日をも知れぬ重態となった時、身内の者が寄祈祷(よりぎとう)を行った。その時に石槌(いしづち)の神が憑り、その原因が金神の祟りである事と、どうすれば助かることができるのかを語ったという。

その後、金神自身が文治郎に憑かるようになり、さまざまに不思議な体験をさせ、ピタリピタリと当たる数々の予言を与えたりもした。そして、金神の命に従って書き上げたという『金光大神覚(おぼえ)』(これが金光教の第一の教典となる)の安政五年九月二十三日のくだりに、金神と天照大御神との間の、文治郎をめぐる興味深いやり取りが記されている。

この日、金神が天照大神に、「戌(いぬ)の年の氏子(文治郎のこと)を私にくださいませ」と頼んだ。天照大御神は、一度は、「はい、あげましょう」と答えたので、金神は文治郎に向かい、「戌の年よ、金乃神(かねのかみ)がお前をもらったから、金乃神の一の弟子にいたすぞ」と語った。ところがそれを聞いた天照大神は、「文治のような氏子は他にはいません。やっぱりさしあげることはできません」と申された。そこで金神は、「一度やるといったものを、やらないというのは偽りになりましょう。是非もらいうけます。それほど惜しいとおっしゃるのなら、かわりに文治郎の倅(せがれ)の巳(み)の年(浅吉のこと)が成長したら、皇大神様の御広前(おひろまえ)に参らせますから文治郎を下さい」と重ねて天照大御神に頼み込み、やっとお許しを得、これで文治郎は晴れて金神の一の弟子になったという。

以来、帰幽(きゆう)するまで二十四年間を自宅の神殿の六畳一間に座り続け、ひたすら金神と人との取り次ぎによる人助け、いわゆる「御広前の勤め(おひろまえのつとめ)」を行った。

ちなみに「天地金乃神(てんちかねのかみ)」とは、「金神」(文治郎は地に満つ多数の金神の意味で「八百八金神(はっぴゃくやこんじん)」とも呼ぶ)に「太陽神(日天子・にってんし)」と「月神(月天子・がってんし)」を加えての総称であり、あらゆる神々の中でも最も根源に位置する最古不滅の祖神(おやがみ)であるという。

金神を、祟り神=悪神として恐れてはならず、逆に一心に祈りを捧げてこそ、本当のお陰がいただけるとし、日柄方位等の俗信の一切を否定した。


●大本教
明治25年の元旦の夜、京都の綾部で極貧生活の中にあった文盲の老女・出口なおの腹中に、突如ズーンと何らかの大きな力が宿り、
「三千世界一度に開く梅の花  艮(うしとら)の金神の世と成りたぞよ」

という言葉と共に神憑かりが始まり、「世の建てかえ、建て直し」を訴え始めた。その状態は13日間も続き、全くの断食状態であったという。
(映画『八墓村』に、「八墓明神の祟りじゃ」と叫びながら村中を歩き回る、老婆の巫女〈シャーマン〉が登場していましたが、ああいった感じです。)

周囲の人々からは発狂したと思われ、座敷牢に押し込まれるが、入牢中に落ちていた釘で神からの言葉を文字に刻むようになり、これが後に「お筆先」(或る種の自動書記)と呼ばれるものとなります。生涯にわたって半紙20万枚のお筆先を書いたという。

後に、艮(うしとら)の金神の正体が『古事記』、『日本書紀』に出てくる国常立命(くにのとこたちのみこと)であることが判明する。
この「大本教」からは、「崇教真光」、「世界真光文明教団」、「生長の家」、「世界救世教」、「白光真宏会」・・・等、数多くの教団が分派して行きます。


★人々が、「神憑かり」、「神障り」が起こることを恐れる傾向にあるのは、ある程度までは理解できます。しかし、「シャーマニズム」的にみると、その人(又は、世の中)を救わんが為の「神憑かり」、「神障り」ということになるようです。
溜まりに溜まった地殻プレートの歪み、緊張状態が、地震の一揺れによって解消されるのと非常に似ているようにも思われます。


[87] ●センスは“バランス” Name:道開き Date:2010/06/04(金) 17:22 
「バランス学」とも言えるであろう『陰陽五行説』を学んでいる者にとっては、テレビやラジオで「バランス」という言葉を耳にしたり、書中で「バランス」という文字を目にしたりすると、即座に感応してしまうところがあります。

だいぶ以前になりますが、テレビで、服飾研究家だったか、デザイナーの方だったかが、「ファッション・センスの善し悪しというのは、とどのつまり、バランス感覚の善し悪しなんです」と語っておられました。「目から鱗」の一言でした。

これはそのまま、スポーツや芸術、政治、経済にも当てはまるようにも思われます。
もう少しでサッカーのワールドカップが開幕しますが、「攻守のバランス」の取れているチームは強豪チームということになるのでしょうし、監督の「センス」が問われるのもこの辺になるのでしょう。


[86] ●あの世からもたらされる情報A  《意外な氏神様のお使い》 Name:道開き Date:2010/04/29(木) 18:06 
21日の朝、S町のKさんという方から、当方宛に下記内容のメールが届きました。

「御祓いの依頼なのですが、昨晩(4月20日)霊感の強い娘に二人の人霊が憑依し、その一人が申しますには、我が屋敷裏の柿の木付近に三本の尾を持った白狐のような、犬のような悪霊がおり、日々成長しているのでその内に禍が起きるとの事でした。(すでに私は、5年前から病気治療中で、三年前に父も柿取りをしていて倒れ,急逝。娘も2年前より病気がちな状態でいます。)それで、憑依霊が強調して申しますには、1週間以内に御祓いをしていただくようにと、御神職様をご指名でありました。何卒お引き受け賜りますようお願い申し上げます。」

その後すぐに連絡を取り、電話で事の詳細について伺い、翌々日の23日にお祓いに出向する運びとなりました。


当社から車で40分ほどの距離の所に在るそのお宅近くまで来たとき、ふと、「あれ、ちょうど1年前に他家の地鎮祭に向かう途中、この家の前を通ったな」ということが思い出されました。そして、神事を執り行う前に、その家の方たちから事の次第を聞いてみるや、更に驚かされることとなりました。

20日の夕刻、父親と娘さんが居間でくつろいでいると、突然、娘さんに憑依現象が起こり始めたというのです。憑ってきたその霊は、初めのうちはうまく話せないようでしたが、いくらかの信仰的知識を持っていた父親が話を少しずつ誘導してみると、次第にシッカリと普通に話せるようになったと言います。

その霊は男の霊で、2年ほど前に病で亡くなった自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんという方でした。「この娘さんは、この辺りで一番の霊能を持っている生まれなのだが、今の状態は非常に心配される。屋敷裏の柿の木付近に、三本の尾を持った白狐のようなモノが住みついており、日々成長しているのでその内に禍が起きる。この娘にも見えるはずだ。決して側に近づいては行けない。とにかく1週間以内に御祓いをしていただくように」と語り、そのモノの絵まで描いて見せました。
「お寺に頼めばいいのですか、神社ですか、それとも祈祷師さんですか」と尋ねると、そのTさんの霊は「この鳴瀬川の下流、河口地域の野蒜にある神社の神主さんに連絡を取りなさい」とハッキリと語ったということでした。(※注意―当方の宣伝用にホラ話を創作しているのでは決してありません。)

そして、自分の生前の頃の話をしたり、少しだけお酒を飲ましてくれなどと語ったりし、その時点で家に不在だったKさんのお母さんが帰宅するのを待ち、挨拶してからあの世に戻って行ったそうです。
おかしなもので、Tさんの家族の現況については全く知らない様子で、Kさんとお母さんが、ご家族の皆さんが無事に暮らしている話をしてやると、非常に喜んでいたとのことでした。

さらに、そのTさん霊の憑依の合間、合間に、幾度か娘さんに入り込んで話そうとする、もう一人の別人格の霊がいたそうです。娘さんと同じくらいの年齢の女性の霊らしく、名前は名乗りませんでしたが、「私がこの人の側に憑いているから病気がちなのではないかしら」と語ったとのこと。
その憑依現象は、時間にしてまる2時間くらいの出来事だったといいます。



さらに詳しく話を伺ってみると、Kさんの娘さんの体調がおかしくなりだしたのは、2年ほど前に車の追突事故を起こした頃からだということでした。それ程の大きな事故ではなかったのですが、精神的なショックが非常に大きく、当時は、かなりの落ち込みだったそうです。
おそらくは、精神的に弱っていた状態の時に、迷える女性の浮遊霊に憑依されてしまったのではなかろうかとも考えられました。

そして、一月ほど前に、近くの神社の神主さんにお願いして、屋敷内にある邸内社(氏神社)を新しくお祀(まつ)りしたとのこと。その頃から娘さんの方も、インターネットで自動書記などのスピリチュアルな事柄を調べ始めるようになったということでした。
おそらくは、K家の“霊系の集合体そのもの”をお祀りする邸内社を新しくしたことにより、今回のように事態が大きく動きだし、憑霊現象の準備が整えられ始めたのではなかろうかとも考えられました。
「有名な大社の神さまや、当社の白鬚神社の神さまに手を合わせる以前に、先ずはお宅の邸内社の神さまを第一にお祀りした方がよいです」と話して聞かせました。

また、その娘さん、ネットの関連サイトにアクセスした或る夜には、何者かの霊に首を絞められたこともあったということでしたので、「ネット上を移動している霊もいるようなので、あまりその種のサイトでチャットなんかしないほうが良い」とも話して聞かせました。(「ホラー映画まがいの事を語るな」と叱られそうですが、実際にそうなのです。)

それにしても、氏神さまのお使いが先祖霊などではなく、近くの車屋さんの霊であったというのは全くもって意外な展開でした。とにかく、こういった時にいつも感じられることなのですが、「“あの世の存在”(神さま、先祖霊、他の霊たち、神使の動物霊・・・・)と“この世の存在”(人、動物、植物、岩、山・・・精霊、モノ・・・・)は、別個に存在しているようでいて、まるでインターネットのように総てのものが繋がりあっている」ということです。

★西洋キリスト教社会の場合、こういったTさんのようなお使い霊は、「天使」として扱われているようです。
そういった内容を描いた映画には、不朽の名作『素晴らしき哉、人生!』や、『オールウェィズ』、『シティ・オブ・エンジェル』などがあります。


[85] ●あの世からもたらされる情報@ Name:道開き Date:2010/04/28(水) 08:57 
古えの神典、古書に見られた「帰神法」を復興させたとされる、江戸期から明治期にかけて活躍した神道家で、某諏訪神社の宮司を務めていた本田親徳(ほんだちかあつ)。
本田親徳は、和歌によって自己の神道説を展開しています。産土(うぶすな)論を歌にした『産土百首』や、『霊魂百首』等が残されている。其の内の数首をあげてみます。

○産土に 生まれ出(いで)つつ 産土に 帰るこの身と 知らずやも人

○産土の 神祈(いの)りして その後に 天地(あめつち)の神は 祈るべきなり

○霊魂(たましい)に きずつけずして 産土の 神に返すぞ 人の道ぞも

○霊魂(たましい)の 道の行末は 産土の 神の宮辺(みやべ)ぞ 初めなりける

○眼の前に 産土の神 立ちまして 魂(たま)の善し悪し 見たまふものぞ

○産土の 神の耳眼(みみめ)は 大山(おおやま)を 隔(へだ)てたりとも 見透しにます

○各々(おのおの)の 胸腹内(むねはらぬち)に 産土の 神隠れます 恐れてよ人

○ただ頼め 産土神を ただ頼め ただ今の世も ただ未来(さき)の世も

○善し悪しき 霊(たま)の審判(しらべ)を 産土の 神府(かみのみかど)は 定めたまえる

○前の世も この世も後の 世のことも 産土神ぞ 主宰(つかさど)ります

★ “産土(うぶすな)”とは、「生まれ育った土地のこと」。“産土神”とは、「その土地を守護する神霊のこと」。つまり、「その土地において、あの世(神界、霊界)を祀(まつ)っている場所こそが産土の社」。

※参考図書
『本田親徳全集』 鈴木重道編 〔八幡書店〕
『鎮魂行法論』 津城寛文著 〔春秋社〕
(注)最近、復刻された『神道百言』〈岡田米夫著 〔神道文化会〕〉にも、本田親徳の和歌が数首、紹介されています。


●古典にみられる「帰神法」と「審神者(サニワ)」
『神道事典』に載っている「審神者(サニワ)」の説明を記します。
「サニワ」は「清場(さにわ)」の訳で、本来、神を祭り託宣(たくせん)をうけたまわる為に忌み清めた場所「沙庭(さにわ)」を指す。
その斎場の意味から転じて、沙庭において神託をつかさどり、神意を判断する者、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。転じて神楽(かぐら)で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。

『古事記』中巻の仲哀(ちゅうあい)天皇の条に、天皇が御琴を弾き、神功皇后(じんぐうこうごう)を神主(かんぬし・憑代[よりしろ]、つまり、神の懸かられる台となる人)とし、武内宿禰(たけしうちのすくね)が沙庭(さにわ)で神の命を請うたとある。

『日本書紀』神功皇后(じんぐうこうごう)摂政前紀には、皇后が神主となり、武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者(サニワ)としたことが載っている。

●本田霊学における「帰神法」と「審神者(サニワ)」
本田親徳の“霊学”においては、「帰神法」を行った際に、憑ってくる神や霊の正邪を判断し、正しく教導する役目の者を「審神者(サニワ)」と定義する。
審神者は誰でもすぐになれるというものではなく、一定の修養を終え、体力気力ともに充実し、確固たる信仰心をもった霊的権威者でなければならない。
審神者(サニワ)は、記紀(古事記、日本書紀)などの日本の古典や神典はもちろん、諸仏典、さらに霊学の奥義に通暁していることが望ましいとされる。


[84] ●“コラボレーション”3 Name:道開き Date:2010/04/09(金) 13:44 
普段はごくごく一般の社会生活を送っているアマチュア音楽活動家たちのサウンドに、一人のプロのミュージシャンが加わり、プロとアマとの不思議な夢の“コラボ”によって新しいサウンドを創出するというテレビ番組『sound+1(サウンド・プラス・ワン)』。BSでこの一年間、月一回ペースで放送され、第10回目の八代亜紀さんで終了してしまいました。

トップ・ミュージシャンたちが、普段は決して口にしないような、自分の音楽人生の中で必死になって掴んだ“テクニック”や“哲学”だとかを、まるで本物の教師であるかのように、熱く、真剣に語り始める場面が良かったし、アマチュアの方たちの音楽にも、スパイスが加わるというか、一本筋が通ってくるというか、ある種の化学変化が見えてくところが面白い番組でした。

JICA(青年海外協力隊)などのボランティア支援活動といったものも、『sound+1(サウンド・プラス・ワン)』と同様の“コラボレーション”なのだろうとも考えられます。
この種の“コラボ”には、今後多くの可能性が見出されることになるのでしょう。


[83] ●ゲゲゲの神主 Name:道開き Date:2010/03/24(水) 09:20 
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」というあまりにも有名な言葉で知られる、フランスの作家、サン=テグジュペリ作の童話『星の王子さま』。結構、内容的には生々しいものがあります。
フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンの『ムーミン』などにも、共通するものが感じられます。原作は決して明るいわけではなく、不条理な内容も頻繁に登場するし、登場人物には哲学的・詩的な発言をするものも多いようです。

日本においても、近代の物質主義に抵抗するかのように、“目に見えない世界からの重要なメッセージ”を受け、描き続けてきたマンガ作家(ある種のシャーマンとして)に、水木しげるさんがいらっしゃいます。
その奥様の武良布枝さんの原作であるという『ゲゲゲの女房』が、今月の29日から、NHKの朝の連続テレビ小説で放送されるということで、非常に楽しみにしています。

『ゲゲゲの鬼太郎』も当初はかなり生々しい内容の作品でした。確か、小学2年生の頃だったか、「鬼太郎」を初めてマンガ本で見た頃の題名は『墓場の鬼太郎』であったと記憶しています。当時は、目玉親父となる以前の鬼太郎の父が売血をして生計を立てていたり、赤ん坊の鬼太郎が墓場の土塊から這い出てきたりと、「何とも汚らしい、おどろおどろしいマンガなんだ。こんな場面をマンガにしていいのだろうか」と子供ながらに感じたものでした。おそらく、いたるところから、数多くのクレームを受けたはずです。
戦争で片手を失ったり、極貧の漫画家生活を送ってきたりと、様々な生々しい体験を積み重ねてこられた水木さんだからこそ描けた内容だったのではと、最近になってようやく理解できそうな気もしています。

(これはかなりの余談となりますが、「ヘビ女」「赤んぼ少女」「ミイラ少女」などのホラー・マンガ作家だった楳図かずおさんが、突如として、ギャグ・マンガ「まことちゃん」を連載し始めたときも、かなりの衝撃でした。まさに、作風のコペルニクス的転換を見たような気がしました。ただし、登場キャラクターの一人、“ドドひこさま”にはホラー・マンガの大家としての片鱗がうかがえましたが・・・)

自分も年を重ねる内に、とにかく現実というものは生々しいものなのだということを、体験的に知るようになれたのですが、現在のおのれの神職生活を一言で言い表すとしたならば、おそらくは、“ゲゲゲの神主”ということにもなりそうです。

「理想」と「現実」、「コスモロジ−」と「イデオロギ−」、「デスク」と「現場」といったようなことに思いを馳せるとき、必ずといっていい程に思い出される一文があります。以前にも、「白鬚神社窓口」のコンテンツ・メニュー〔目安箱〕に記しましたが、再度掲示させていただきます。


●心を醸(かも)す教育を 投稿日:2003/05/08(Thu) 20:09
 
6〜7年前に、「神社新報」のコラム「主張」に載っていた、私的には非常に気に入った“日本酒と教育の話”を紹介します。

酒造りの杜氏(とうじ)の仕事と言えば、厳寒におこなわれ、しかも不規則で深夜の勤めもあり、年季のいる重労働です。自然これを受け継ぐべき若者達が敬遠し勢い機械に頼ることとなり細部にわたって近代化が進められているという。
昔、酒は醸(かも)し育てるものであったが、現在はただ造る酒となっているという。そして心ある杜氏たちは、「ここでもう一度育てる酒というものを考えてみたい」という思いをいだいて止まないのだそうだ。

そこで、この国の行末を案じつつ亡くなられた歴史作家の司馬遼太郎氏が、ユング派の深層心理学の権威・河合隼雄氏と共にその年の新春特別対談をされた新聞記事が、コラムの筆者(佐古一冽氏)には思い出されたのだという。

〈司馬〉
コスモロジ−(自分の生き方まで包み込んだ世界観)というのは、イデオロギ−(観念形態)よりも温度が低いですね。
〈河合〉
その通りです。いい言葉ですね。麹(こうじ)の発酵(はっこう)を連想しました。あれは一定温度で行きますでしょう。高くないけれども、同じ温度でずっと持続させて発酵させる。エネルギ−はかかっているけれども、燃え上がらない。
〈司馬〉
いい例えですね。温度が低い代わりに、その人の中で内面化してゆく・・・・


我が国は戦後五十年にわたって、子供に本来の人としての心を植えつけ育てることを忘れてきたのではなかろうか。そしてただ合理的に頭を使う、体を使うことのできる人間のみを造ってきたと言えよう。
戦後の男性は、自分が生きていくための確固たる道徳を持たなかったように思われる。それで家庭教育はおもに母親に任せられる。母親は、わが子がかわいくて、わが子がよい大学に入り、よい会社に入ることのみを望む。このようにして道徳についても、心についても何も教えられることなく、ただ彼らは受験戦争に勝ち抜く知恵のみを教えられたのである。・・・・・・

そういった菊や蘭(らん)作りのような特殊教育はしばらく置いて、江戸期の儒学者・細井平洲が言った、
「人間教育というものは農家が菜っ葉(なっぱ)・大根を作るように、出来のいいものも悪いものも一様に可愛がって、瓜(うり)は瓜なりに、茄子(なす)は茄子なりに作り上げることである」
  (安岡正篤著「知命と立命」より)
が筆者には思い起こされたのだという

★★★しかし、時が経ち、10年ほどが経過した今日、若者達は、日本の伝統文化といったものに非常に興味を抱くようになっているという。(最近、高校を卒業後、杜氏の仕事に就いて頑張っている県内の若い女性を取り上げたテレビニュースなども見られました)
日本人の心の振り子が、逆方向に大きく振り始めているようでもあります。★★★


[82] ◆ムジナ憑きの青年のその後 Name:道開き Date:2010/03/02(火) 08:11 
この掲示板の書き込み
[69]●“狢(ムジナ)” Date:2009/07/22(水) 10:17 
の続きとなります。

その後、一月ほど経ち、ようやく青年から電話が入りました。どうにか親にも打ち明けたということでした。家族は皆、神仏が嫌いな人たちで、なかなか話を信じてもらえず、病院に行くように言われているとのことでした。その後、本人はお寺や、祈祷師の元を巡り歩いていたそうですが、一向に問題は解決せず、また電話をしてきたということでした。

(青年)
「最近では、こいつ、私の背中に憑いた状態のままで、ケミストリーの歌なんかも覚えてしまい、夜中に歌ったりしてバカにしてくるのです。もう何日も、ぐっすりと眠ることが出来ません」「こちらもたまりかねて、バカな真似をするなと叱りつけますと、私の顔を爪で激しくひっ掻いてきます。あまりの痛さに、おそらく顔中が血まみれになっているだろうと、鏡で顔を見ても、不思議なことに何ともないのです。・・・・本当につらいです」と語る。

(私)
「それでは、夜中だけでも静かになるように、身に巻き付けて寝なさい」と、入念に御神入れした五体の御札を手渡しました。そして、「これまでに教えたことは、毎日きちんと実践し続けなさい」と話して聞かせました。

翌日、「しばらくぶりでぐっすりと眠ることが出来た」という電話があり、その後、また連絡が来なくなりました。

数ヶ月が過ぎ、「また、お祓いをお願いしたい」と青年から連絡が入りました。その後の経過について聞いてみると、以前のように、映画『エイリアン』に出てくる、エイリアンの幼虫が顔にへばり付いたときの様な、強力な背中への縛り憑きは無くなり、かなり緩く、弱くなってきているということでした。ただし、何か気に食わない事があるとすぐに、「このバカ、殺すぞ!」という言葉は、今でも吐いてくるのだそうです。

(私)
「とにかく、その憑き物が、居心地の悪いような、波長が合わないような状況をつくりだし、維持していくようにしなさい。そして、微弱になって消えていくのを、辛抱強く待ちなさい」と話して聞かせました。



※《参考》
●スピリッチャリズムにおける「高級霊と低級霊」
 一般によく“狐憑き“と言われるものがあります。これは動物霊ではなく、現世に姿を現したことのない低級自然霊、または低級自然霊と化してしまったものによることが多い。自然霊とは、この世に肉体を持って姿を現したことのない霊です。いわゆる稲荷、天狗、龍神、たぬき等です。本当に絵で見られる姿をしているわけではなく、そのような性質を持つ“エネルギ−体”と考えて下さい。

自然霊にも低俗なものから超高級なものまであります。まず頂点に立つ“神”、“高級自然霊”、“妖精(フェアリ−)”があります。自然霊には、天候など、自然界を司る働きがあります。
特に人間に良い影響を与えているのは、背後霊のなかの自然霊です。もともと人間の始祖は自然霊であり、人間の背後霊を調べてみるとよく龍神、天狗、稲荷等、神の予備軍とも言える自然霊が支配霊としてつかさどっていることが見受けられます。これらはまだ、霊界における新しい魂の自然霊であるから、まず、現世において人間をつかさどって守ることにより、神となる修行をしていくと言われています。
背後にいる霊の系統(霊系)が、人間の個性として強く現れます。龍神霊系の人、天狗霊系の人、稲荷霊系の人。

問題となるのは中級より低い自然霊です。“神の使い”である霊であることが多く、人の生業を見てくれたりもします。ところがこれらの霊は大変に俗っぽく、与えた分の見返りは必ず得ようとする性質があります。最初のうちだけ熱心に詣でていても、感謝の心を忘れたりすると、怒り狂います。霊障によって知らせようとしたりします。おろそかにされているうちに、人間の子供のようにグレて低級化していく傾向があります。
自然霊は子供を産むように分霊し、消えていきます。

このような自然霊に対する説得はなかなか難しく、人霊と違って情がありません。肉の家族を持ったことがないので情けというものがないのです。情に訴えることができないのです。だから自然霊は慎重にあつかうべきで、常に敬意を払い、簡単に呼び出そうなどとしてはいけません。
霊界について中途半端な知識を持ち、このような低級霊を呼び込んでしまい惑わされてしまう人は以外に多い。憑依状態が長く続けば続くほど、憑依霊は居心地が良くなる。憑依とは憑く霊ばかりが悪いのではなく、呼び込む自分が一番悪い。「神は人に悩みなど与えていない。神は問題のみを与えているのだ」という。

『自分のための「霊学」のすすめ』より  江原啓之 著

[81] NHKスペシャル『日本海軍 400時間の証言』 Name:道開き Date:2010/02/10(水) 15:16 
歴史作家の司馬遼太郎さんは、先の大戦中、国からの招集を受け、戦車隊に所属して戦地に赴いたのだそうです。そこで、言語に尽くせないほどの惨憺たる軍隊体験をしたとのこと。高慢で、威張り腐った職業軍人たちの実体を、目の前で散々見せられてしまったというのです。
その軍隊での生々しい体験が、氏の著作活動における大きな原動力となったらしく、「明治維新を成し遂げ、日露戦争に勝利した日本人と、太平洋戦争を遂行した日本人、同じ日本人ではあるのだが、何が大きな違いを生むことになってしまったのか」、氏の著作活動は、「その疑問を紐解いていく為の作業であった」と自著に記しています。

昨年の8月、NHK(日本国営放送)で、3回に亘って、『日本海軍 400時間の証言』という番組が放送されました。海軍のまさに中枢にいた軍令部の参謀たちが、戦後40年が過ぎた頃、都内の一所に集まって開き続けたという、400時間にも及ぶ反省会の、肉声のテープが公開されました。年末には更に、それを解析しようといったスペシャル番組も放送されました。

当時の海軍内部で起きていたことが、あまりにも、現代日本の各組織内で起こっている問題そのものであったということで、視聴者からは、かなりの反響があったということです。
我々の神社界も一つの組織であり、連日テレビ報道されている、JAL〈日本航空〉や大相撲界の抱える体質問題を見るにつけ、当事者たち自らが語ったこれ程までに貴重な肉声資料を“他山の石”とし、今後の参考として活かさない手はなく、要点のみを書き記してみます。


第一回 開戦“海軍あって国家なし”
第二回 特攻“やましき沈黙”
第三回 戦犯裁判“第二の戦争”


●陸軍は暴力犯、海軍は知能犯
・「皇族の権威を利用した」
・「予算獲得のために、つまり、組織の利益を最優先させた結果、陸軍に歩み寄り、対米強硬論を主張し、開戦が避けられなくなった」
・「トップは長期的計画がないまま開戦を決断した」「日常の業務に追われ、長期的な計画を冷静に研究するスタッフがいなかった」


●エリートと戦争
・「生き残りの参謀たちの内、主に将官クラスは、実践体験の少ない人たちがほとんどだった」「日露戦争を体験した者は、山本五十六長官など数名しかいなかったにもかかわらず、日露戦争の勝利体験から抜け出せずにいた」
・「陸軍もそうだが、教育する際の最初の一言が、“君らはエリートだ”」
―満州では、司令官たちが、大勢の兵士や民衆を置き去りにする光景がいたるところで見られた―


●「排除の論理」
・「対米戦に強硬に反対していた“知米派”の米内光政、山本五十六、井上成美などを排除してしまった」「日本の組織というものは不思議なくらいに、一歩飛び抜けて前を行っている人を邪魔にし、排除する」「今、仲良くやっているのだから、お前はつまらないことを言うなという風になる」


●海軍反省会の現代に伝える“教訓”
・「普通、組織というものは、失敗を教訓として伝える為に、必ず、討議が行われる。しかし、一回たりとも、それが行われなかった。勝利体験のみが語られ、失敗体験は隠された。というのも、責任問題が生じてくるため。」「失敗ほど教訓が含まれているものはないにもかかわらず」「この反省会は、そういった意味からしても希有なもの」


[80] 運 勢  2010  Name:道開き Date:2010/01/13(水) 10:37 
今年の立春は、2月4日の07:48頃が「節入り」となります。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。 立春は雑節の基準日で、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を遁甲(とんこう・・移動)します。つまり、「年回り」が変わります。

今年は《八白土星》の年です。今回もまた、「干支・九星術」の《八白土星》年生まれの方の、月ごとの特徴を少しばかり挙げてみます。



●《八白土星》年「二黒土星・寅(とら)」月生まれの男性
〔今年は2月4日の07:48〜3月6日の01:47までの生まれの男性)

・外見的には三つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】野口五郎、井上順、西郷輝彦
【Bタイプ】ヒロミ、南原清隆、桑田佳祐
【Cタイプ】新沼謙治、鳩山由紀夫、鈴木史郎、湯原昌幸
・・・・といった方たちです。

・温和で誠実な人が多く、誠意の態度で接する。記憶力に優れ、見る物、聞く物を吸収し、感受性も強く、新しいものへの改革をしたがる。
・明朗活発であるが人によっては移り気と見られる人もいる。侮辱された言葉を聞くと憤激する。用心深く慎重であり、向上心強く努力する。家族に対しては誠意を持って対処する人が多い。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「二黒土星・寅(とら)」月生まれの女性
〔今年は2月4日の07:48〜3月6日の01:47までの生まれの女性)

・奥村チヨ、弘田三枝子、中島美嘉、大地真央、浅田美代子・・・・といった方たちです。

・外見的には、顔が小さく、まつげがパッチリしていて、昔のバービー人形のような方達が多く、ファッション・センスにも共通点が見受けられます。
※注意・・・「フォーリンラブ」のバービーさんは、この生まれとは全く関係有りません。

・真面目で純良型の人が多く、堅実に働くので目上からの受けがよいという人徳を持つ。
用心深く、慎重で、向上心を持つ。
・家庭にあっては誠実に対処していくし、家計のやりくりも上手にやる。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「一白水星・卯(う)」月生まれの男性
〔今年は3月6日の01:47〜4月5日の06:31までの生まれの男性)

・三船俊郎、照英、梅宮辰夫、佐野元春、島田紳助、竹中直人、勝俣州和・・・・といった方たちです。

・堅実な行動で芯は強く、一度言い出したことは後へ引かないところを持っている。謙虚な態度を持ち合わせており、無口な方で、なかなか本心を外に出さない。
・人の選り好みをした交際をするため社交は上手な方ではない。神経質な一面があるのでよく反省し、美的感覚も鋭く、人の心を見抜くことが上手である。
・人の甘言に乗りやすい反面、家庭ではよい父親となる。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「一白水星・卯(う)」月生まれの女性
〔今年は3月6日の01:47〜4月5日の06:31までの生まれの女性)

・島倉千代子、後藤久美子、鳥居かほり、戸田菜穂、梶芽衣子、左時枝、野沢直子、ソニン・・・・といった方たちです。

・人つき合いもよく、行動的な人が多く、気にやむタイプです。神経過敏なところがあり、いい加減なことを嫌い内面はうるさく自分の言い分を押し通す人もいます。
・家庭の主婦ともなれば、部屋を綺麗に飾って雰囲気を楽しんだりする。
・分を過ぎた事に手を出すと健康を害したり、失敗することになるから十分に注意した方がよい。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「八白土星・巳(み)」月生まれの男性
〔今年は5月5日の23:44〜6月6日の03:49までの生まれの男性)

・寺尾聰、上川隆也、和泉元弥、太田光、奥田民生、錦織一清、松田龍平・・・・といった方たちです。

・愛想がよく、笑顔で如才なく人つき合いをするが、見識高く、ライバル意識も強い方なので、いつも物事を考えていないと気が落ち着かないタイプ。
・見栄張りで体裁を飾りやすい面があり、寛容の心に欠けるところもみられる。
・自分の利益になる人には心を許して話しをするが、そうでない人には冷淡である。
・信念に生きる人であるために家庭にあっても厳格ではあるが愛情の細かい所もある。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「八白土星・巳(み)」月生まれの女性
〔今年は5月5日の23:44〜6月6日の03:49までの生まれの女性)

・森光子、アン・ルイス、大桃美代子、小林聡美、吉田美和、草刈民代、長谷直美・・・・といった方たちです。

・愛嬌があって如才なく人つき合いをするが、几帳面なところが強いため物事の最後を確かめないと安心しないところがある。
・進歩的な意見や考えを持ち、相手と上手に話をまとめる徳を持っている。一本気の人であるため嘘を嫌い、情熱を傾ける。
・家庭の主婦ともなれば夫を助け、家計のやりくりを上手にやってのける。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「六白金星・未(ひつじ)」月生まれの男性
〔今年は7月7日の14:02〜8月7日の23:49までの生まれの男性)

・草薙剛、布川敏和、細野晴臣、杉本哲太、千田光雄、安岡力也、荒俣宏・・・・といった方たちです。

・よく考えて行動するタイプで、初対面の人でも如才なく話をしていくので人に好かれる。人の誘惑にも乗ることなく、地味な方で、軽挙妄動はしない。
・センスを活かして人を喜ばせることが上手で重宝がられ、義理堅く、人情にも厚い人が多いが、反対の人もいる。
・若い時代に苦労しない人は成功しにくい所がある。家庭は大切にする人が多い。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「五黄土星・申(さる)」月生まれの男性
〔今年は8月7日の23:49〜9月8日の02:45までの生まれの男性)

・外見的には三つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】吉川晃司、中村トオル
【Bタイプ】中村橋之助、益岡徹、ふかわりょう、長渕剛
【Cタイプ】国分太一、稲川淳二、松本潤
・・・・といった方たちです。

・堅実に歩む性の人が多く、理想高く、物ごと完全主義なところがあるため他人の事にまで干渉したりするところもあるので苦労する面がみられる。
・打算的ではないが、自負心強く、片意地なところもあり、独断的で自信家な面もある。
・自分に与えられたことは誠意を持ってやり、指導力もある。
・家庭を大切にする人でもある。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「五黄土星・申(さる)」月生まれの女性
〔今年は8月7日の23:49〜9月8日の02:45までの生まれの女性)

・中田久美、岡江久美子、華原朋美、成海璃子・・・・といった方たちです。

・審美的なことに富んでいる人が多く、感情を美しく表現する力を持った人が多い。
・根は剛情で自分本位な面もあり、気ままで欲深いところもみられる。
・案外かけ引きは上手な方で、金銭面の関心高く、倹約に努める。
・家庭の主婦ともなれば、夫をリードし、蓄財にも心がけ、家庭を大切にする。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「四緑木星・酉(とり)」月生まれの男性
〔今年は9月8日の02:45〜10月8日の18:27までの生まれの男性)

・小田和正、鈴木雅之、桂ざこば・・・・といった方たちです。

・誠実さがあってよく働くタイプの人が多く、片意地を張ったり、欲しい物があると無理してでも手に入れようとする面がある。
・金銭面には強い関心を持ちにぎり屋でケチなところがある。見栄っ張りでもあるので自分のことには出費を気にしないところを持っている。
・自分の気に入った職が見つかるまで転々と変える傾向があるので独立して事業主となる方が向いている。家庭では頑固な亭主の人である。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「四緑木星・酉(とり)」月生まれの女性
〔今年は9月8日の02:45〜10月8日の18:27までの生まれの女性)

・ルビー・モレノ、岡本夏生、Eriko(スピード)、ちあきなおみ、泉ピン子、柏原芳恵、伊藤由奈・・・・といった方たちです。

・如才なく人とつき合うが案外チャッカリ屋で、見栄張りで虚勢を張る面がある。
・センスがあるのでデザイナーとか評論家には適している方である。美的なものにあこがれるがケチな側面もある。美に対して必要以上に神経を使うところがある。
・金銭的関心高く、打算的でもあり、独立心も強く、貯蓄にも務め、家庭を大切にする。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「三碧木星・戌(いぬ)」月生まれの男性
〔今年は10月8日の18:27〜11月7日の21:43までの生まれの男性)

・小林旭、ケイン・コスギ、高嶋政宏、西田敏行、永島敏行、大和田伸也、大澄賢也・・・・といった方たちです。

・探求心・好奇心旺盛であるが、物事自分本位に考えるところがあるため、時には反感を買うことがある。仕事は熱心にやる。
・用心深く警戒心も強いが自慢話をしたり、安請け合いをしたり、大言を吐くところがある。気は強い方なので上司や目上に対し真正面からアタックしていくが、目下の者の面倒はよく見る。
・家庭ではよい夫、よい父親ぶりを発揮するが、外では女性に囲まれていたい方である。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「九紫火星・丑(うし)」月生まれの男性
〔来年の1月6日の01:55〜2月4日の13:33までの生まれの男性)

・外見的には二つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】二谷英明、長島一茂、千葉真一、石黒賢、あおい輝彦、段田安則、三宅久之
【Bタイプ】鈴木宗男、鶴光
・・・・といった方たちです。

・外見的特徴としては、頭髪が黒々としている方が多いのですが、一転して、逆となるケースの方も多々見受けられます。
・派手で見栄を張るところがあるが、プライド高く、体裁を考える人が多い。
・器用さとアイデア性を持っているので新しいセンスを人に見せたがるところを持っている。頭脳の働きの良さと明朗性を持っているので、この面の才能を発揮できれば成功できる。
・金銭面にも強い人であるが、無理しすぎると健康を害するから注意すること。
・恋愛より見合い結婚の方がうまくいく。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・



●《八白土星》年「九紫火星・丑(うし)」月生まれの女性
〔来年の1月6日の01:55〜2月4日の13:33までの生まれの女性)

・丘みつ子、秋野暢子、森山良子、吉村由美、中山麻里、三田寛子、財前直美、宮地真緒、
平山あや・・・・といった方たちです。

・感受性が強く気迷いする面があるが、人の気を敏感に捉えることが上手で、人つき合いも上手である。
・頭の働きはよいが積極的行動への取り組みが遅れ気味のところも見られるが、芯の強いところは持っている。
・一本気のところがあり、仕事には熱心に取り組み、蓄財にも努力する人で、家庭を大事にする。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・


[79] ●「アイドルを探せ」 Name:道開き Date:2010/01/05(火) 17:01 
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
さて、新年早々、下の書き込み[78]●「イエイエ&オタク」の続編を記せていただきます。

子供の頃、我が家には、美空ひばりさんや、マヒナスターズさん、こまどり姉妹さんなどのレコードに混じって、洋楽のレコードが一枚だけありまして、その一枚が「アイドルを探せ」でした。おそらくは、神職をしていた親父がシルビー・バルタンの隠れファンだったのでしょう。

邦題の「アイドルを探せ」というのは、実は、この歌が使われた映画の題名であって、歌そのものの原題はというと、「一番きれいになって踊りにゆくわ」なのだそうです。

だいぶ以前に、BSの番組でやっていたのですが、確か、この曲の作曲者の方でしたかが、夕刻、車に乗っていた時、街で若い女性の人集りの列に出会しました。皆が皆、思い思いに着飾っていたそうです。同乗していた人に、あれは何の集まりかと尋ねたところ、昼間は、油にまみれて働いている若い女工さん達で、ディスコが開くのを待っている列だと聞かされました。彼はその事に強く感動を覚え、家に帰ってすぐに作詞家に電話し、その時の感動を何とか歌に出来ないものかと熱く語ったのだそうです。そうして生まれたのがこの曲でした。

この作曲者、一体、ディスコに並ぶ若い女工さん達の、何に対して感動したのでしょうか、自分なりに考えてみました。おそらくは、彼女らの、統制の効いた若いエネルギー(“自制力”を有した“爆発力”)に対し、さらには、「“ハレ”(非日常、晴れ)と“ケ”(日常、労働)」の、つまりは、「よく学び、よく遊べ」の、神意に叶った“バランス”に対して感動を覚えたのではなかったのでしょうか。


[78] ●イエイエ&オタク Name:道開き Date:2009/12/28(月) 22:35 
“イエイエ”といえば、第二次大戦後のフランスで起きたオシャレでシックな若者文化の総称です。その語源はというと、戦後駐留していたアメリカ兵たちが口にしていた「イエス、イエス」に由来するのだそうです。
つまり、フランスの伝統的シックさとアメリカの新しくオシャレな文化を融合させたのがフランスの若者たちだったわけです。

その“イエイエ”文化が世界に広がっていく際のシンボル的役割を担った人物といえば、『アイドルを探せ』の大ヒットで世界的に有名になった、クールでブロンド・ヘアーが魅力の女性歌手、シルビー・ヴァルタンです。『あなたの虜(とりこ)』なんかも、今だにしょっちゅう、テレビCMやドラマのBGMに使用されているのを耳にします。
さらに日本では、『ウルトラマン』に出てきた宇宙人の名前に使用されたりもし、我々の世代にも彼女の名が知れ渡りました。レナウンのテレビCMで歌い踊る姿は、ニコリともせず非常にクールで、とにかく格好良かったことを覚えています。

それに対し、アニメ、コスプレ、フィギュアといった日本発の若者文化“オタク”を代表する人物が、森高(もりたか)人形をショルダーバックに入れて持ち歩き、振り乱したロング・ヘアーが特徴の宅八郎さんではかなり心もとなく感じていたのも事実です。しかし、最近になってアキバ系アイドル・ユニットのAKB48が世界進出を始めているようですので非常に安心しています。


[77] ●“コラボレーション” 2 Name:道開き Date:2009/12/24(木) 10:52 
素晴らしい“コラボ”の大前提となるのは、あくまでもそれぞれの“個”がしっかりと確立されているということにあると考えられます。ソロでも十分に魅了させてくれる力量を持った者でなければなりません。ソロだとごまかしが利かないからです。それが必要絶対条件のように思われます。
そこのところがしっかりしてないと、“コラボ”そのものが“野合”になったり、“烏合(うごう)の衆”のようになったり、単なる“お祭り騒ぎ”になってしまいそうだからです。


[76] スピード Name:道開き Date:2009/12/03(木) 19:21 
昨夜のFNS歌謡祭の「コラボ特集」、非常に良かったですね。やはり、コラボは祭りに通じているものなんだということを実感させていただいたような気がします。
特に、スピードのメンバーの成長が見られたのが一番良かったですね。過去40年間のコラボの歴史まで見られて、編集の方には、つくづく、ご苦労様でしたと申し上げたいです。


[75] ●“コラボレーション” Name:道開き Date:2009/11/19(木) 14:37 
“コラボ”という言葉の響きには、非常に好感が持てます。まわりが、パッと明るくなる感じがします。
或る専門分野を極めようと、日夜、ストイックなまでに一つの道を追求している者たちが、一つ所に集まり、手を携えて“コラボレーション”〈共同作業、共同製作、合作〉する。すると、通常は、「パンパン」に張り詰めていた状態だったものが、途端に、「フワーッ」と広がりを見せ始める感じがしてきます。その感じがいいのです。異なる者たちが作り出す“ハーモニー”(調和)といったものに、無限の可能性が感じられて来るところがいいのです。

大部以前になりますが、ドイツで行われたベルリンフィル交響楽団と和太鼓奏者の林英哲さんのコラボレーションをBSで見たことがあります。聴衆の方たちのみならず、奏者たちですら、「さて、何事が起こっているのであろうか、誰にも解らない」といった、不思議な空間に浸っていた様子が非常に面白かったです。
2000年に開催された九州・沖縄サミットでの各国首脳へのお持てなしの歓迎夕食会に、安室奈美恵さんが歌った、サミットのイメージ・ソング「NEVER END」などもそうでした。沖縄の伝統民俗楽器、シンセサイザー、黒人女性のバック・シンガーたち・・・

2002年に開催されたサッカー・ワールドカップの決勝戦前夜、横浜アリーナで催された
“和”を基調としたアトラクションも同様なものを感じました。和太鼓に始まり、雅楽師の東儀英樹さんの篳篥(ひちりき)と津軽三味線奏者とのアンサンブル演奏。
そして、ギリシア人のヴァンゲリス作曲による、2002 FIFAワールドカップの公式アンセムのシンセサイザー演奏をバックに繰り広げられた、歌舞伎の連獅子(れんじし)、花柳流の日本舞踊、ストリートダンス、アクロバット・・・・

よくよく考えてみると、結局のところ、“コラボ”には「お祭り」に通じるところがあるようにも思えてきます。

[74] ●邸内社のおキツネさんに関連したトラブル PartU Name:道開き Date:2009/10/22(木) 07:55 
神使のおキツネさんにとって、受難の時代が到来しているようです。
X町のEさんのケースです。東京の仏教系の女性祈祷師に依頼し、家のお祓いを受けたのだそうです。(一回のお祓いに数十万、累計すると数百万にものぼる金銭を請求されて来たらしく、ハッキリ言って、この祈祷師はペテン師)

その際には、家の中の神棚を取り下ろされて燃やされてしまったり、代々お祀りしてきた屋敷神もいじられたようで、御神体の替わりに、中にお経を入れて行かれたとのこと。
すると、突然、Eさんの肩に何かが乗っかってきたように重苦しくなったのだそうです。暫くして、幾分か楽にもなりましたが、後日、その祈祷師(ペテン師)からEさん宅に贈り物が届いた際、突然、また何かが両肩に乗っかってきたように重苦しくなり、その状態が続いていると言うことでした。

私には、間違いなく神使のおキツネさんだと思われましたので、白鬚神社の御神前での祈祷後、Eさんに、「後日、邸内社の中には、昔からお祀りしてきた神さまを必ずお祀りする事」を誓わせましたところ、急に楽になったということでした。

まさに、神使のおキツネさんにとっては受難の時代です。更には、見えない世界で起こっているこの種のトラブルが、人間の実生活にどういった事態をもたらすのか、非常に心配される時代でもあります。

[73] ●邸内社のおキツネさんに関連したトラブル Name:道開き Date:2009/10/08(木) 14:50 
今年の「お九日(おくんち)」は新暦10月26日となります。各家々でお祀りしている神さまにお供えする「御幣(ごへい)」配りの準備に忙しい今日この頃です。
これまでにも何度となく取り上げてきました、おキツネさん関連の話になります。各家々でお祀(まつ)りしている邸内社(ていないしゃ)は、その家の【祖先神】(=代々のミタマ)と【稲荷神】(=穀霊神・・「イネ」は“命の根”、つまり「生命の源」を司る神)を合わせお祀りしています。

お稲荷さんをお祀りしていると、不思議なことに、その回りには、キツネの性格を帯びた【精霊】(=エネルギー体)が棲みつくようになります。どうしてかと言われても、とにかくそのようになるのです。それらの精霊達は、自らの霊格を高める為に修行しているようでもあります。まだまだ子供っぽい者もいれば、かなり成熟した者もおり、やたら陽気な者もいれば、たいへん生真面目な者もいます。
いずれの者たちも、神さまにお仕えし、その家を守ろうとする気持ちについては全く同じで、その事についてはいささかの迷いも有りません。それを自らの第一の使命と考えているようです。
しかし、何かとトラブル事が多いのもこの眷属(けんぞく・・・神さまのお使い)たちなのです。

今年本当にあった、ある邸内社のおキツネさんに関連したトラブルのお話になります。
或るお宅の、同じ屋敷内の一角に住む親戚の叔母さんが、行きつけの拝み屋さんから誤ったアドバイスを受けてしまいました。「屋敷内にお祀りしている氏神様の土台を高くし、共にお祀りしている御使者のおキツネさんの置物を、お稲荷さんとして位の高い某稲荷神社に納めると良い事がある」と言われて、その通りにしてしまったらしいのです。
すると、その日を境に、そのお宅の氏神さまのお使いのおキツネさんが、喜ぶどころか怒りまくって、自分の気持ちを感知できそうな霊媒体質の親戚の元へと頻りに足を運び、その非を激しく訴え始めたのでした。

電話での問い合わせでしたので、「お宮の台を高くするのは構わないにしても、御使者のおキツネさんはその家の氏神様にお仕えしようと長年に渡り棲みついている精霊なのだから、同じお稲荷さんのキツネだろうからと、十把一絡げ的に考えて大きな稲荷神社に納めてしまったのなら、喜ぶどころかお怒りになるのは当たり前でしょう。人間でも、そのようにされたなら怒るでしょ!」「悪気があってしたことではなく、拝み屋の誤ったアドバイスを鵜呑みにしてしまった事によるものだから、おキツネさんも許してくれるだろうから、とにかく、新しい依代(よりしろ)となる替わりの置物を準備し、白鬚神社まで持って来るように」と伝えました。

神事の当日、そのおキツネさんは、自らの怒りを訴えるために足を運んだ参列者の一人の女性に憑いた状態で来社していたらしく、神事が行われるまでのその女性は、目がつり上がったキツネの顔になっていました。私の方からいくら話しかけても、答えようともしませんでしたが、神事が終わると普段の顔に戻っていました。どうして返答しなかったかというと、とにかく激しい怒りを感じていて、その感情を抑えるのに必死だったからだと言うことでした。
後は、“御神入れ”したばかりのおキツネさんの置物を割らないように家まで持ち帰り、しっかりと家の邸内社にお祀りするようにと話して聞かせました。

※《参考》
◆◆重陽(ちょうよう)の節句◆◆
五節句のひとつ。本来は「旧暦の九月九日」であるが、しだいに太陽暦の九月九日に祝われるようにもなりました。陰陽道で「九」は“陽の極数”であり、九月九日はそれがふたつ重なることから「重陽(ちょうよう)」といわれ、たいへんめでたい日とされました。また、この日は“菊の節供”ともいわれ、平安時代には観菊会を催し、菊の花びらを浮かせた菊酒を飲んで長寿を願い、菊の花に綿を乗せて朝露を吸わせたものを化粧に使うことも行われました。

★★「お九日」(おくんち、おくにち〈お供日〉)
九月九日の【重陽の節句】の日、庶民のあいだでは秋祭といっしょに祝うことが多く、この日を尊んで、「おくんち」、「おくにち」(お九日、お供日)と呼ぶ習慣があります。ちょうど稲の刈り入れのころなので、“刈り上げ節句”ともいわれた。また、旧暦の九月九日、十九日、二十九日を総称して「みくんち」という場合もあります。


[72] ●『オーラの泉』 Name:道開き Date:2009/09/29(火) 13:35 
毎回楽しみにしていたテレビ番組が終了しました。大黒様のような江原さんと、弁天様のような美輪さんとの名コンビのお姿が見られなくなるのは、かなり寂しいことです。

オーラ、守護霊、前世、更には、神仏や霊魂、死(=人生)だとかいった事柄をストレートに前面に押し出して扱ったテレビ番組はまさに画期的とも言えるものでした。現代の日本人の精神世界に与えたインパクトは、かなり強烈なものがあったと思われます。今後、この波がどのような形で広がり続けていくのかも楽しみです。

それにつけても、全く無くなってしまいますのも非常に惜しまれますので、さらにヴァージョン・アップさせていただいて、年に一度か二度といった形で、スペシャル番組として続けていっていただきたいものです。
江原さんにも、美輪さんにも、一度関わった事につきましては、責任が伴い続けるとも考えられますので。・・・兎にも角にも、ひとまずはご苦労様でした。


[71] ●七福神 Name:道開き Date:2009/08/16(日) 20:35 
下の書き込み[70]に続きます。
恐ろしい形相をしたシヴァ神が大黒天となり、そして、大黒天が中国を経由して日本に伝わると、日本神話における幽冥の主宰神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合し、同一神視されるようになります。

さらには、中国の道教の神様や日本古来の神様などの七柱の福神をセットにしてお祀りした“七福神”の中に取り込まれ、特に“恵比寿・大黒”と並び称されて、恵比寿様との名コンビを組んだ図柄で、まるでダヨ〜ンのおじさんや、カールおじさんの元のようなお顔で描かれたりもしました。

とにかく日本という国は昔から、異文化の「取り込み方」が独特であり、「漫画化」が得意な国柄だったみたいで、信仰面にもその特徴が如実に現れています。

[70] ●“禍神(まががみ)”転じて“福の神” Name:道開き Date:2009/08/12(水) 20:35 
どうして神田明神の御祭神の一柱に、朝廷に対して反乱を起こした平将門が祀(まつ)られていたり、疫病や天災をもたらす疫神(えきじん)の牛頭天王(ごずてんのう)が祇園社(ぎおんしゃ)にお祀りされていたりするのか。
インドのヒンドゥー教の神さまは、どうして恐ろしい形相で、シャレコウベなどを身にまとった姿で描かれたりしているのか。
こういった信仰形態は、多少の相違はあっても、日本やインドのみならず東洋全般にみられる特徴でもあります。西洋人にとっては、理解するのにかなりの困難が伴うようです。


★★★祀り上げ(まつりあげ)と祀り棄て(まつりすて)
“善と悪”、“禍と福”といった概念は特定し難く、単純に仕切りをするのはかなりの困難とも言えます。
一人の人間の人格の中にも善的な一面と悪の一面が同居していますし、自然現象においても同様で、台風などは風水害をもたらしますが、水資源の恩恵を与えてもくれます。
「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」の故事の如く、幸福だと思ったことが禍(わざわい)の引き金となっていたり、不幸と思っていたことが幸福をもたらす原因となっていたりということは結構あるものです。

日本神話でお馴染みのスサノオ神などは尊き英雄神とされながら、荒ぶる破壊神の一面も持っていますし、インドのヒンドゥ−教の最高神・シヴァ神なども「破壊の神」であると同時に「再生の神」でもあります。

どんな禍神(まががみ)、疫病神(やくびょうがみ)でも丁寧に祀ると、逆に福神に変貌するという信仰もありました。
御霊神(ごりょうしん、“祟り神”のこと)であった“天神さま”などもこの例です。全国各地にある“竜神伝説”なども、水害をもたらす竜神を村人たちが丁重にお祀りして豊饒を授かったというものがほとんどです。
民俗では、このような現象を“祀り上げ”といい、そして、その逆を“祀り棄て”といいます。

氏神や各家々の先祖霊は、普段は“祀り上げ”られた結果、守護霊(神)として働く神格ですが、“祀り棄て”られた場合(祀ることを怠った場合も含む)、祟りとまでは行かないまでも、障り(さわり)の原因になったりすることもあるのです。

●結局は、「人の心の持ち方が、祀るという行為によって、善神にさらなる善の働きをさせたり、強いては悪神に善神の働きもさせ得る」というのです。
さらに申せば、「正しき神の善なるところに感応するか、邪神の悪なるところに感応するかはその人の心次第」ということにもなります。


★★★“デ−バァ”と“アスラ(阿修羅)”・・・仏教の場合
 バラモン、ヒンドゥー教の神々を大きく二つにわけて、“デ−バァ”と“アスラ”と呼んでいます。“デ−バァ”は正統な神さまたちの集まりで、“アスラ”はいわば本流から外れた神さまたちのことをいいます。そして、アスラの中にはデ−バァに敵対する者がいたため、次第にアスラは魔神として扱われるようになっていきます。しかし、「仏教」では、デ−バァ、アスラのどちらも仏の教えにふれて荒々しい性格を捨て、仏教を守るよい神々に変身したとし、“如来”、“菩薩”より下位にこれらの“天部の神さま”を置いている。


★“デ−バァ”
◎梵天(ぼんてん)  
インドでは「宇宙の創造神」とされる。

◎帝釈天(たいしゃくてん)  
リグ・ヴェ−ダの中で活躍する英雄神「インドラ神」のこと。“神々の帝王”と呼ばれる。                                                                    

◎緯駄天(いだてん) 
シヴァ神の子。火葬された釈尊の遺骨の歯を俊足の悪魔が奪って逃げたのを、この韋駄天
が追いかけて取り戻したというのは有名な話。

◎不動明王
インドでの呼称は“アチャラ・ナ−タ−”で、「ヒンドゥ−教のシヴァ神の別名」でもあり、“動かないもの”を意味します。
日本固有の山岳信仰と密教が結びついた修験道において、修行者の“守り本尊”として最も尊崇されているのは不動明王です。
 ※5世紀頃から、インドでは「ヒンズー教」やその他の土着信仰(「タントラ教」等)と「仏教」との融合が進み、「密教」が生まれます。(「仏教」+呪術儀礼→「密教」)
日本に始めて「密教」を伝えたのは弘法大師・空海とされています。


★“アスラ”
◎鬼子母神(きしもじん) 
前世の恨みから、人の子をさらってきては食べる鬼女となっていたが、釈尊の諭しによって「子供の守護神」となる。日蓮宗では、あらゆる祈願は如来、菩薩になされるのではなく、総てこの鬼子母神に対して行われているという。

◎荼吉尼(ダーキニー)天
ヒンドゥー教に於いては、最初は農業神であったが、後に性や愛欲を司る神とされるようになった。現在のヒンドゥー教では女神カーリー(シヴァ神の妻、仏教名・大黒天女)の眷属(けんぞく)とされ、人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神となっている。
後に仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天(=シヴァ神)によって調伏され、死者の心臓であれば食べることを許可されたという説話が生まれた。
インドの後期密教においては、裸体でシャレコウベなどをもつ女神の姿で描かれるようになり、修行においては中心的な護法神となる。
元々インドではジャッカルにまたがる姿で描かれていたが、中国、日本にはキツネにまたがる姿で伝わり、神道における稲荷信仰と習合した。

※女神カーリー
全身黒色で4本の腕を持ち、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らし、シャレコウベをつないだ首飾りをつけ、切り取った手足で腰を被った姿で表される。殺戮と破壊の象徴であり、アスラを殺戮し、勝利に酔ったカーリーが踊り始めると、そのあまりの激しさに大地が粉々に砕けそうだったので、シヴァ神がその足元に横たわり、その衝撃を弱めなければならなかった程。しばしば、夫シヴァ神の腹の上で踊る姿で描かれるのはこれに由来する。


[69] ●“狢(ムジナ)” Name:道開き Date:2009/07/22(水) 10:17 
動物学上では狸(たぬき)と狢(ムジナ)は同じイヌ科の動物とされていす。西日本などでは狢(ムジナ)はアナグマの別称とされているようですが、アナグマを狸(たぬき)といったり、狸のことをムジナと呼ぶ地域もあったりと、二重三重に混同されているのが実情のようです。
“キツネ憑き”はこれまでに幾度となく見てきているのですが、最近、始めて“ムジナ憑き”を経験しました。憑き物にも地域性があるみたいで、四国などでは憑き物といえば、“狸憑き”か“犬神憑き”が主流となるようです。

よくテレビの時代劇を見ていると“ムジナの○○”と呼ばれる人物が出てきます。一度取り付いたら執拗なまでにとことん食らい付いていく気質の人物を形容する際に、この「ムジナ」の語が使われているようです。「どうして“狢(ムジナ)”という語が、執拗さをあらわすのに使われているのだろうか?」と、多少疑問に感じておりましたが、今回の経験で始めてその理由を知りました。本当にしつこい質(たち)なのです。
“キツネ憑き”の場合は、おキツネさんが怒り狂って、「どうしてあの様なことをしたのだ」と原因になった事柄を正すようにと主張してくるケースがほとんどです。“ムジナ憑き”の場合はというと、怒りといったものも感じられず、どうするようにとの主張もなく、一見、間が抜けた漫画チックな様子にも感じられるのですが、非常に質(たち)が悪いです。まるで「人に憑いて弄(もてあそ)ぶ」ことが目的であるかのようにも見受けられます。

三週間ほど前のこと、ある所からの紹介を受けたということで二十代半ばの青年が神社にやって来ました。話を聞いてみると、だいぶ以前から何者かに憑かれているようだということでした。両脇の下と両腰に、背後からしがみ付かれており、背中に手をやると憑き物に触れることが出来、特にバイクに乗っている時に、体中を舐め回されたり、からかいの言葉を浴びせかけられたりするということでした。

話を聞いただけでも、おそらくは「もののけ」の類ではなかろうかとも思えましたが、先ずは御神前にて御祈祷を執り行いました。
祈祷後、「どうか」と青年に聞いてみると、「静かにしていますがまだ背中に憑いている」といいます。やはり、死霊だったら、神さまに導かれてあの世へと向かっていくはずなのに、そのまま憑いているということは、何らかの「もののけ」の類に違いないと考えられ、これは厄介なことになりそうだということもあって、その日はある程度の指導をするにとどめ、後日、再度来社するようにと話して聞かせました。なにせ、低級な「自然霊」というのは人間としての経験もないので、「情」といったものがなく、扱い方次第ではかなりの危険を伴うからです。

後日、これまでに何度か当掲示板にも記してきました女性霊能者のTさんにお願いして加わっていただき、憑き物の正体を確かめてもらいました。すると、その青年が、親と口論になり、家を飛び出して車を運転していた際に、かなり古い時代に、狸を食していた集落の人たちがその骨を捨てた場所があって、その“塚”のような所をタイヤで踏んでしまった情景が見えたということでした。そして、青年の背中に憑いているのは尾が二本もある「もののけ化」した野狸だということでした。(これまでに他の人たちにも憑いてきたのだろうか、どうしてこの青年に感応してきたのかといった疑問も感じられました)  Tさんに害を及ぼしては申し訳がないので、当日は、そのまま帰ってもらい、後日、その青年と私の二人きりでお祓いの神事を執り行うことと致しました。

何冊かの関係書物に目を通し、様々な対応策を考えながら神事に臨みました。
「人になど憑いていないで、山に帰りなさい。故郷に帰りなさい。山の神さまの元に向かいなさい」と諭しながらお祓いを行いました。やがて、青年は「とれました」と語って嬉しそうに帰っていきました。
しかし、その夜にまた青年から電話があり、「神主さんの姿が見えなくなったら、また憑いてきました」という。「それでは毎晩、お風呂に入る際に、粗塩を身体に擦りつけて、身を清めてみなさい」と教えますと、数日後には、「その時には一端離れるのですが、またやって来て、糞のような、カエルの腐ったような悪臭を身体に付けてきます」「そして、夜中になると唄を歌ったり、神主さんのあげる祝詞の真似をしてからかったり、爪でひっ掻いたりしてきます。つらいです」と語る。
急遽、電話口でお祓いを施すと、「ヤバイ、ヤバイと言って、その時はおとなしくなりますが、時間が経つとまたからかい始めます」という。

離れてから納まる場所がない為、いつまでも青年の身体に憑こうとしているのだろうかとも考えられましたので、「それでは、祠(ほこら)を設けて祀(まつ)ってあげるから、そちらに移るように伝えてみなさい」と話す。
(東京の浅草寺の伝法堂裏には鎮護堂という祠(ほこら)があり、「鎮護大使者」の称号を与えられ、多くの崇敬者たちに、火難・盗難防止、商売繁盛をもたらしてくれる“狸神”として信仰されていますが、始めは寺の境内に住む狸の憑依からはじまったようです。徳島の青木藤太郎大明神だとか、讃岐の蓑山大明神だとか、阿波の太三郎狸だとか、“分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)”伝説で有名な群馬県館林市の守鶴和尚狸だとかも同じようなケースです。)
それでも、「絶対に離れない」と語っているという。本当に質(たち)の悪いムジナです。

これは長期戦になりそうだとも考えられ、青年の怠惰な生活に感応して憑いた節もあるので、「とにかく気持ちで負けないことが一番だから」「自分自身がしっかりすることが大事なのだから」と話して聞かせました。親に対しても、この件については全く話していないということなので、まずは一切を話しなさいと伝えるも、かなり複雑な親子関係のようでした。青年はしきりに自殺を口にするようになりました。そして、ここ数日は連絡が無くなっており、こちらで電話してもつながりません。安否が気遣われます。


[68] ●「ヒロシマ ナガサキ」―白い光 黒い雨 あの夏の記憶 Name:道開き Date:2009/07/03(金) 17:59 
アカデミー賞を受賞したこともある、日系3世のドキュメンタリー映画作家スティーヴン・オカザキ氏の作品です。昨年の7月31日に、NHKのBS-HV特集でも放送されました。
日本のテレビでは、毎年、8月に入ると必ずといっていいほどに、原爆を扱った特別番組が放送されているように思われます。アメリカの放送局が制作した“原爆もの”は、ほとんどが「アメリカは正しかった」という考えにもとづいて作られてきたそうです。

全米の高校・大学でも、原爆についてはほとんど教えられてこなかったみたいで、被爆者の実体を知ろうとしなかったのは、原爆投下の正当性ばかり議論されてきたからだということです。
氏は、「被爆者たちの証言、体験をそのまま伝えたかった」と語る。そして、アメリカの視聴者向けということだけでなく、特に被爆体験の風化が急速に進んでいる日本の若者に見てもらえる作品を目指したという。〈渋谷で50人に行った街頭インタビューで、8月6日に何があったか答えられたのは2人だけだったとのこと。〉

この作品は、2007年の8月6日、全米のケーブルテレビで4,000万世帯に向けて放送され、アメリカ中に凄まじい衝撃を与えたとされています。
オバマ大統領が、突然、「核兵器の廃絶」を世界に向けてうったえだしたのは、この作品を見てのことではなかろうかとも考えられます。

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