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[114] ●会津の魂 Name:道開き Date:2011/06/04(土) 07:24 
福島県の会津地方がかなり疲弊しているらしい。今回の震災による大津波や原発事故の直接的な被害は受けなかったにもかかわらず、二次的な風評被害に苦しんでいるようなのです。

福島原発からの距離が仙台と同じだというのに、宮城県からの小学校の修学旅行が1割以下に激減しているという。「弱い者がさらに弱い者を叩く」みたいなことはやるべきではないと思います。仙台、松島、石巻にも例年通りの観光客の来訪を望んでいる筈なのに、津波被害に苦悶している宮城県が、原発被害に苦悶する福島県を苦しめてどうするのかと言いたいです。

白虎隊終焉の地・飯盛山、鶴ヶ城、野口英世記念館、磐梯山・・・、小学校の修学旅行を皮切りに、人生の節目、節目に幾度となく会津に足を運んでいる会津フリークの自分にとりましては、非常に悲しい出来事です。

薩長を中心とする官軍の集中砲火を一身に浴びることとなった会津地方は、歴史的に見ても、精神文化的に見ても、非常に重要な場所です。

訳あって封印していました、偶然に始まった二年間に渡って行われた白鬚神社内での神事の、会津に関わる一部のみの封印を解きたいと思います。




◆転居先アパートでの出来事
Aさんの妹さんがアパート暮らしを始めることになり、新居となるアパートの部屋のお祓いと、神棚をお祀りする神事を執り行うこととなった。その三日前に、Aさんから別件で電話があった。

(Aさん)
「Tさんが、子ども連れの夏休みということで会津に行った際に、白虎隊のような方達の霊からコンタクトを受けたらしいです。どうやら、神社で、三人で行っているお祓いの事を知っているようで、神社に行ってみたいと憑いてきたそうです。その後、電話している内に私の所にも来てしまいました。亀廼井さんに非常に興味を持たれているご様子です。」

(私)
「会津藩士の皆さんは、立派な方々で、藩を守るために壮絶な戦いをなされて亡くなられた方たちです。しっかりとした道徳教育も受け、厚い道義心も持たれた方々だから、先日のようなチンピラみたいな霊たちから、そのまま暫く守っていただけば良いかと思われます」と話す。

(Aさん)
「亀廼井さんの今のお話を聞かれて、皆さん、涙されてます。」


そして、8月23日にアパートで神事を執り行う。会津の皆さんは、当日の神事は自分たちと関係のないことと思われてか、アパートの外にいて中には入ってこられなかった。

神事が始まると、Aさんの霊眼には、神棚の前に設けられた祭壇の両脇に、お使いの男神と女神がお立ちになられているお姿が見え、何事が始まったのかと、窓やベランダの所に多くの迷える霊たちが集まってきているのも見え、土地に関係した古い邪霊たちが、神殿の上にポッカリと開いた穴のようなものの中に吸い込まれていく様子も見えたそうです。

神社に連れて行ってもらいたいと言っている霊たちは、私の後に着いていこうとしてドアに向かってバス待ちをしているように一列に並び、会津の方たちは、次回でいいと語っていたという。

神社に戻り、送霊の神事を終えた後に、Tさんに電話をしてみました。

(Tさん)
「本当は、新潟の水族館に行くのが目的の旅行で、たまたま途中の会津に一泊しただけなのに、宿泊先のホテルの風呂場でソフトでやさしい金縛りに遭い、そこから始まったんです。もしかしたら今回の旅は、この方たちに呼ばれていたのかもしれません。」




◆会津藩士のミタマを送る
Aさんが懐妊し、どうしても体調が今一つ良くないということもあって、後日、Tさんと私の二人での神事となった。今回は、いつもと異なり、Aさんの“口寄せ”がないので、始めにこれまでの経緯をTさんに詳しく話してもらい、Tさんに語られた会津藩士の霊たちの言い分を伺い、それから祈祷を行うといった形式をとった。

★これまでの経緯
「夏休みなので子ども達を連れて水族館にいこう」と旦那さんから話があった。Tさんの故郷の青森の、浅虫の水族館に行こうと希望するが、どういう訳か、旦那さんは新潟を言い張るので、そちらに決まった。8月16日と17日の二日間の予定を組む。

これも旦那さんの希望で、途中の会津に寄りたいと言うので、16日には飯盛山の白虎隊記念館などを見学し、宿泊は東山温泉の“くつろぎの宿”を取った。当日はキャンセルがあって一部屋だけが空いていたという。今になって思うと、何らかの見えない働きがあって、すっかりと段取りされていたような事ばかりであったという。

当日の夜は、温泉街の祭りがおこなわれており、各々の宿泊施設にはそれぞれに祠(ほこら)が祀(まつ)ってあったという。
夜中の12時過ぎ、Tさんが二度目の入浴に子ども達を連れて浴場に行き、自分一人は露天風呂に浸っていた。すると、湯女や、ふんどし姿の三助の姿をした霊たち、そして、血の付いた装束姿の15、6人の侍たちの霊の姿が現れた。彼らは、白鬚神社において三人で執り行っている神事のことを知っていると語った。

もう既に、かなり浄化が進んでいる霊たちのようで、会津であった戦が負け戦であったこと、家族や親族の者達が葬儀をあげて弔ってくれたことも知っていた。
侍たちの多くは成仏しているが、女、子ども、田、畑、河川などで亡くなった民百姓たちで成仏できないでいる者たちも多く、それら未浄化の霊たちを自分らが集めるので、一つのケジメとして、白鬚神社できちんとした形でもう一度、会津戦争で亡くなった者達の為の神事を執り行ってもらいたいと語ったという。
その中の、15才位に見える若者たち(白虎隊???)は、かなり、何かを語りたい様子だったらしい。

就寝し、2時30分頃、目が覚める。すると、昔風の家の中の様子が見え、刀の手入れをする侍の霊と、ひたすら夫の旅支度をする女性の霊の姿が見えた。どうやらこの侍は北の戦場に向かったらしい。その戦場で死んだ光景も見えた。

翌日、佐渡島を見て、喜多方経由で帰る。これも旦那さんが言い出したらしく、そこでも多くの侍たちの霊を拾い集めて来る事になったという。

帰宅後は、それらの会津藩士の霊たちとの共同生活みたいな状態になった。この会津の方たちの崇敬心の篤さには驚かされたという。Tさんが神棚を拝むと一緒になって手を合わせた。
すると、それを不思議に思ってか、多くの迷える霊たちも集まりだし、霊的にかなり苦しかったという。家の中が煤けだし、やたらとホコリが溜まり始めた。

Tさん、苦しくなって、「近々、お寺に足を運ぶので、仏式でおこなってはどうか」と伝えると、「もっとよく勉強しろ」と勿(しゃく)の様な物で強く叩かれ、激しく叱責されたという。

そこで仕方なく、「Aさん抜きで神事を執り行い、ひとまずあの世へと赴いていただき、Aさんの体調が整ったら、“口寄せ”の為に降りて来てもらい、自らの言葉で語ってはいかがか」と私の方から申し出たところ、納得していただいた。

神事が始まると、会津藩士の霊たちは、他の集まってきていた行儀の悪い迷える霊たちにも正座をさせ、自分たちは前列の方に来て整然と並び、お祓いと祈祷を受けた。そして、神事が終わるや否や、あの世へと赴いて行った。


「どうして宮城県にある神社の神主のところに会津藩士のミタマからコンタクトがあったのか」と疑問を持たれる方がほとんどだと思います。自分なりには以下の通りに考えています。
似非(えせ)科学に入り込んでいる神職がいるなどと、すぐに批判の対象にされてしまいそうなのですが、再度、その当時の書き込みも記します。




★映画『コンタクト』と“言霊(ことだま)”
自分なりにこの一年を振り返ってみて、どうして、沖縄戦の犠牲者たち、中国ウイグル自治区の弾圧で亡くなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、当神社にやってこられたのかをよくよく考えてみました。

SF映画に『コンタクト』という作品があります。宇宙の生命体からの通信を得ようと研究に取り組むジョディー・フォスター演じる女性科学者が、ある日突然、宇宙からの通信をキャッチします。それは人類初となったテレビ放映電波、つまり、ヒットラーが国威宣伝(プロパガンダ)の為に行ったベルリン・オリンピック開会式のテレビ映像でした。ここから映画のストーリーは展開していくのですが、私が興味を引かれたのは、この「様々な電波は宇宙の果てまでも伝わって行くのだ」という事でした。

“言葉”を「光透波(ことば)」と解釈なされている古神道家、言霊研究者も居られるようです。
この「言霊」信仰は日本だけのものではありません。『聖書』のヨハネ伝には「大初にコトバあり、コトバは神とともにあり。コトバは即ち神なりき、万のものこれよりてなる」と書かれています。インドのヒンズ―教の教典『リグ・ベェ―ダ』においても、創造主は“言葉の主”となっています。

今年の1月の20日は、暦の二十四節気の「大寒」でした。今年も例年通り、大寒禊(みそぎ)に参加しました。褌(フンドシ)一つになって、気温が氷点下6、7度以下にまで下がった日の出直前の海に入ります。「神事」の時間は20分〜30分ほどです。

今年はどういうわけか、最後まで「斎場」に残っていたからなのか、4社のテレビ局からのインタビューを受けることとなってしまいました。それも1社ずつ個別に。
各テレビ局とも、「どういった気持ちで禊をされましたか?」といったものでした。
こちらは、寒さで意識を失う寸前の朦朧(もうろう)とした状態なので、それどころではなかったのですが、あまり深く考えずに思いつくままに答えました。
「おのれのミタマを清め、世の中を清め、世界中が平和であることを願って禊を行いました」と。
後でテレビを見ましたら、かなりでっかい事を口にしてしまったとも思えました。

しかし、この出来事以外に、白鬚神社で行われた“口寄せ”神事に、沖縄戦の犠牲者たち、中国のウイグル自治区の拷問でなくなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、“コンタクト”してきた理由が思いつかないのです。


人は一本の「アンテナ」だというのが私の持論ですが、禊(みそぎ)によってアンテナの感度が高まると、“受信”のみならず“発信”の性能も高まるものなのかとも思われました。
禊をしたことにより増幅した“言葉”「光透波(ことば)」が、テレビ電波に乗って発信されたことによって起こった出来事なのではなかろうかと。


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「行(ぎょう)」というものは必要ないものだと語られる宗教者もおられます。(ここ数年、よくテレビでお見かけする“青森の神さま”こと、木村藤子さんの本なんかにもそのように書かれていました)
しかし、人々の願い事を神さまにお伝えする「祝詞(のりと)」を奏する(発信する)ことを生業(なりわい)としている私ども神職にとりましては、“禊”や“鎮魂”といった「行」は大切なもののようにも思えるのです。
そういった、意味のあるものだからこそ歴史的にも伝わって、現在に至っているとも考えられるのです。しかし、必要としない方は、それはそれで良いのだとも思います。それで、十分に間に合っているということなのでしょうから。

それに、今から12年前になりますが、今をときめく『オーラの泉』の江原さんと、東京は目黒駅のすぐ側の某M会館でたまたまお会いする機会を得、二人きりでお話をすることができたのですが(これも今思うと、かなり不思議な異人との“コンタクト”だったのだとも考えられます)、私の守護霊である行者さんからのメッセージを伝えていただきました。

「これまでも、たびたび繋がってきてはいるのだけれども、もっと、しっかりとした繋がりを得たいので、“行”を積んでくれるように伝えてくれ」というものでした。

そういった経緯もあってのことか、特に大寒禊の前夜から当日の朝にかけて、私の守護霊の行者さんからも“コンタクト”を受けているようなのです。
数年前、危うく寝過ごしてしまいそうになった際には、太股の辺りを揺すられ、「はい、わかりました」と、誰かと会話している自分の言葉で目を覚ましました。「あれ、私は今、誰と話をしていたのだろうか?」と。
今年も、前夜、明かりを消して布団に入ると、枕元でしばらくの間、“きぬづれ”の様な音がしていました。「はい、わかりました」と、心の中で返答しましたところ直ぐに静まりました。




◆◆◆参考◆◆◆

★★四書五経(ししょごきょう)
【儒教】の経書(政治経済等、世の中の仕組みに関する書)の中で、特に重要とされる「四書」と「五経」の総称。君子が国家や政治に対する志を述べる大説として、日常の出来事に関する意見・主張や噂話など虚構・空想の話を書く小説とは区別される。

     ●四書―「論語」「大学」「中庸」「孟子」
     ●五経―「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」


★★朱子学(しゅしがく)
南宋の朱熹(しゅき)によって再構築された【儒教】の新しい学問体系。これは日本で使われる用語であり、当時は、聖人の道を標榜する学派から派生した学の一つとして《道学》とも呼ばれた。
人間や物に先天的に存在するという“理(り)”に依拠して学説が作られているため《理学》(宋明理学)と呼ばれ、また、《宋学》とも呼ばれた。


●朱熹は、それまでばらばらで矛盾を含んでいた北宋の学説を、程頤(ていい)による「性即理説」(人間の持って生まれた本性がすなわち“理”であるとする)や「天理説」(天が理であるとする)をもとに、【仏教】思想の論理体系性、【道教】の「生成論」および静坐という「行法」を取り込みつつも、それを代替する儒教独自の理論にもとづく壮大な学問体系に仕立て上げた。

そこでは、自己と社会、自己と宇宙は、“理”という普遍的原理を通して結ばれており、「自己修養」による“理”の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする。
なお朱子の“理”とは形而上のもので、“気”は形而下のものであってまったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。朱熹の学は、【元代】には科挙試験が準拠する経書解釈として国に認定されるに至り、「国家教学」としてその姿を変えることになった。

【明代】、国家教学となった朱子学は、「科挙」合格という世俗的な利益のためにおこなわれたり、また体制側でも郷村での共同体倫理確立に朱子学を用い、道徳的実践を重んじた聖人の学としての本質を損なうようになった。そこで明代の朱子学者たちは、陸九淵(りくきゅうえん)の《心学》を取り入れて道徳実践の学を補完するようになった。この流れのなかで王守仁(陽明)の《陽明学》が誕生することになる。

【清代】の朱子学は、理気論や心性論よりも、朱熹が晩年に力を入れていた《礼学》が重視される。壮大な世界観を有する学問よりは、体制教学として継承され、礼教にもとづく国家体制作りに利用され、「君臣倫理」などの狭い範囲でしか活用されることはなかった。



●日本への伝来
一般には正治元年(1199年)に入宋した真言宗の僧が日本へ持ち帰ったのが日本伝来の最初とされるが、異説も多く明確ではない。【鎌倉時代】後期までには、五山を中心として学僧等の基礎教養として広まった。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や楠木正成(くすのきまさしげ)は、朱子学の熱心な信奉者と思われ、「鎌倉滅亡」から「建武の新政」にかけての行動原理は、朱子学に基づいていたとも言われている。

その後は長く停滞したが、【江戸時代】に入り林羅山(はやしらざん)によって、その名分論が武家政治の基礎理念として再興され、「江戸幕府の正学」となる。そして「武士道」確立の大きな基となった。だが皮肉なことに、この朱子学の台頭によって、天皇を中心とした国づくりをするべきという「尊王論」と、それに基づく“尊王運動”が起こり、後の“倒幕運動”と“明治維新”へ繋がっていく。

朱子学の思想は、【近代日本】にも強い影響を与え、軍部の一部では特に心酔し、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたといわれている。


●●●その様なこともあって、GHQにより、儒教的、朱子学的な価値観は弱められることとなる。戦後の日本社会もその方針を引き継いだ。後は、皆が知っての通り、日本的モラルの低下は、全く歯止めが利かなくなってしまった。
朱子学の「君臣論」の部分が、現代民主主義にそぐわないからといって、長い年月を掛けて築きあげてきた“精神文化”を、いとも簡単に、まるごと捨て去ろうとしている観もある。これも『論語』の中に出てくる教えなのだが、「温故知新」こそがベストなのではなかろうか。
極端なまでの全体主義(ファシズム)も空恐ろしいものがあるが、偏った個人主義や無政府主義(アナーキズム)も同様で、社会に破滅をもたらすことになると思われる。とにかく、「バランスが取れていることこそが最良、最強で、極端な偏り(かたより)は良くない事」、それが『陰陽五行説』の根幹の教えです。しっかりと再考してみる必要があると思われます。
●●●




★★会津藩の場合
会津藩初代藩主・保科正之は、第三代将軍・徳川家光の異母兄弟で、第四代将軍家綱の後見役として幕政に参与するとともに、自国領内の支配を制度化した。宗教政策として、領内の社寺の調査整理もおこなっている。

当時は、【儒家神道説】が興隆しており、見識の高い多くの儒者たちが、我が国古来の【神道】と【儒教】とを同一のものであるとした。「排仏思想」、「陰陽五行説」、そして、「君臣論」を特徴とする。
保科正之は、吉川惟足(これたる)の一門となり、「神儒一致の神道理論」と「君臣道」を学んでいる。


[113] 余景(よけい)の松原 Name:道開き Date:2011/05/09(月) 18:23 
JR仙石線野蒜駅から野蒜海岸に向かってまっすぐ進むと、一面に松林が広がっていました。名君の誉れ高い仙台藩第4代藩主伊達綱村(だてつなむら)侯が、「松島の景観から余った松原」という意味で命名したとされる景勝の地で、奥松島の代表的景観のひとつとされてきました。その松原が今回の大津波でズタズタに薙ぎ倒されてしまい、現在では見る影もありません。

今回の、千年に一度という大津波は、当地における長い歴史の中のほんの一コマの出来事です。ですから、やたら今回の大津波による被害を強調しすぎて、復興後に、「鎮魂の松原」だとか、「鎮魂の森」などといった風に改名するようなことだけは決してしないで欲しいのです。
津波に対して、よりパワーアップした「余景の松原」でいいのです。

抽象的なモニュメントなどは立てていただく必要は全くなく、事の詳細を記した「慰霊碑」のような物を建立してもらえればいいのです。とにかく、その土地、その土地に合った復興をおこなってもらえれば良いものと考えます。

諫早(いさはや)湾干拓や八ツ場ダムのように、地元の意向を無視したやり方だけはやめて欲しいのです。中央集権的なやり方よりも、地方主権的な復興を望みます。よって“復興プラン”に関しては、地元の事をよく知り、親身になって考える、当事者意識の高い「県」に任せた方が良いように思われます。


[112] 復興プラン Name:道開き Date:2011/04/12(火) 10:52 
本県の村井知事が打ち出している復興基本方針には大賛成です。後はスピード感を持って早めに動き出すことだと思います。

官僚たちが、「細部を詰めてから云々・・・」などと、グズグズすることだけは避けてもらいたいです。現場感覚のある基本的なプランに従い、動きながら詳細を決めていけばいいのだと思います。国はそれをしっかりと下支えしてくださればいいのです。

被災者は、いち早く明確なプランが示され、それに向かって始動してもらわないことには不安で仕方ないと思われます。


[111] 希望の光 Name:道開き Date:2011/04/08(金) 11:46 
今朝の新聞に、中東オマーンの王族系企業から福島県の南相馬市の町工場に、浄水器などの大量発注があったという記事が載っていました。
町工場では、その受注により生産再開を決め、避難していた従業員を呼び寄せたほか、地元での新規雇用をも検討しているという。

「自粛」という言葉は、「復興」、「再起」といった語の反語のようにさえ思われます。日本の経済をうまく回していかないことには、被災地の復興は遅れてしまうように思われるのです。
ですから、お花見も楽しんでもらいたいし、お祭りも、イベントも、いつも通りに行ってもらいたいのです。どうぞ、被害の比較的少なかった松島や、歴史を感じさせられる仙台市街、鮪(マグロ)の街・塩釜にも、どんどん観光にいらしてください。

対処療法的な緊急支援も非常に有難いのですが、中長期的な支援となると、そういったことになるのではないでしょうか。


[110] ●第442連隊戦闘団 Name:道開き Date:2011/03/06(日) 20:26 
昨年の11月、日系アメリカ移民の三世代に渡る苦難の歴史を描いた大河ドラマが5夜連続で放映されました。ご覧になった方も多いかと思われます。

その中で、ヨーロッパ戦線に投入された、日系アメリカ人のみで編成された第442連隊戦闘団についても描かれていました。日系人部隊が存在したことは以前からおぼろげには知っていましたが、余りにも無知であったことが同胞として恥ずかしくさえ思われました。

アメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても有名で、現在のアメリカ陸軍では、第442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は必修課程となっているそうです。

なお、部隊の合言葉であった"Go for broke!"(「当たって砕けろ!」、「死力を尽くせ!」)は、後に第442連隊戦闘団を描いたアメリカ映画の題名にもなっています。

442連隊の元兵士、ハワイ州選出上院議員ダニエル・イノウエの原作を元に、邦画として、渡辺謙監督 (現在ではハリウッド・スターとも言えそうで、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』では、硫黄島守備隊司令官、栗林忠道中将役で主演しています) での映画化の話が進行しているということです。

2010年製作の「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」(監督:すずきじゅんいち)は、元兵士の証言をまとめた日米合作のドキュメンタリー映画で、2010年の「第23回東京国際映画祭 日本映画・ある視点」に正式招待作品として上映後、日本公開が決定しているらしい。




以下に、インターネットで調べた第442連隊戦闘団の略歴を記します。

アメリカ本土とハワイ出身の日系二世の志願兵から成る連隊は、編成当初、背景事情の違いから対立は深刻だったらしく、そこで上層部は、双方の対立を解消すべく、ハワイ出身者に本土の日系人強制収容所を見学させることにした。彼らは当初「自分達と同年代の女の子達に会える」と喜んでいたものの、私財を没収された上、有刺鉄線が張り巡らされ、常に監視員が銃を構えているという、刑務所同然の現状を目の当たりにして、如何に本土出身者が辛い状況に置かれているかを知り、対立は解消されることとなった。

1943年イタリアに上陸した連隊は、ドイツ軍の防衛線「グスタフ・ライン」の攻防において激戦を繰り広げた後、ローマ南方の防衛線「カエサル・ライン」の突破にも活躍している。ローマへの進撃の途上で激戦地を突破し、ローマを目指したが、軍上層部の意向によってローマを目前にして停止命令が出され、後からやってきた白人部隊が1944年7月4日に入城してローマ解放の栄誉を手にした。結局、部隊はローマに入ることを許されず、ローマを迂回しての北方への進撃を命じられた。

その後フランスに移動させられアルザス地方の山岳地帯での戦闘を行う。戦後のブリュイエールの街では、部隊の活躍を記念して、通りに「第442連隊通り」という名称がつけられた。1994年には442連隊の退役兵たちが招かれて解放50周年記念式典が執り行われている。

442連隊を最も有名にした、第34師団141連隊第1大隊(アメリカ陸軍の象徴とされた「テキサス大隊」)がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていた。第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動した。休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。

ついにテキサス大隊を救出することに成功した。しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の約800名が死傷している。救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている。この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった。

フランス戦後はドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊・ダッハウの強制収容所の解放を行った。しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはなかった。

1946年、トルーマン大統領は442連隊が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として最高の殊勲を上げたことに対して、'You fought not only the enemy, you fought prejudice---and you won.(諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。)'と言及し讃えている。

2010年(昨年)10月にオバマ大統領は、442連隊戦闘団と陸軍情報部にアメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名した。


[109] 禍神(まがかみ)系譜 A Name:道開き Date:2011/02/26(土) 21:54 
下の書き込み〔108〕に続きます。

実際に、この掲示板の書き込み〔101〕、〔102〕で取り上げた、「成巫過程」が進行中にあるように見受けられる女子高生のAさんは、迷える霊の姿が見えるだけに、話を聞いてやり、浄化する手助けをしてやっていたところ、突然、自分たちは死神だと名乗る集団が姿を現して来たといいます。大きな鎌を持った者、豚のような姿の者たちもいたそうで、いずれもムンクの描いた絵画「叫び」の中の人物のように歪んで曲った顔をしていたそうです。(Aさんにはそのように可視化されて見えたらしい)

迷える霊、奈落の底を這いずり回る霊が増えることを喜ぶ、正神に敵対する勢力が存在しているのも確かなようです。死神たちは、正神に仕えようとする巫者(シャーマン)を殺すと、自分たちの格が上がるのだと言ってうそぶいていたということです。

「あなたたちになんか負けないから」と言い返した途端、Aさんの体の中から守護神霊のような方たちが姿を現し、それらの死神たちを追い払ったということでした。


※神道ではよく、御神前で奏上する祝詞(のりと)に、「禍津日の禍事(まがごと)有らしめず」といった言い回しを使用しますが、この場合の「日」は「ヒ」で、「霊」、「神」を表します。
「禍(まが)つ日(ひ)」というのは、「曲がった、よくない、悪い神」という意味で、「マガ」は「ナホ」(直、まっすぐ)の対語に当たります。

「チ(霊)、モノ(物)、タマ(魂)、ミ、ヌシ(主)」等も「カミ」と同義語で、古代の“精霊信仰”、“アニミズム信仰”の名残りということになります。

『古事記』、『日本書紀』等の神話には、イザナギ神が黄泉(よみ)の国を訪れた際の穢(けがれ)を、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で、禊(みそぎ)祓いしたときに成った神が、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)であったとあります。

国学者の本居宣長(もとおりのりなが)などは、著書の『直毘霊(なおびのみたま)』の中で、これらの神を悪の根元神とし、その直後に禍(まが)を直さんとして成った神、神直日神(かむなおびのかみ)と大直日神(おおなおびのかみ)を善の根元神として対応させています。


[108] ●禍神(まがかみ)の系譜 @ Name:道開き Date:2011/02/26(土) 19:22 
以前、この掲示板に以下のような書き込みを致しました。

〔56〕●映画『シックスセンス』の中でのセリフ Name:道開き Date:2008/07/31(木) 07:38
久々に、この映画をDVDでジックリと観てみました。原作者はかなりのスピリッチャリストなのでしょう、映画の中のセリフが示唆に富んでいます。

(少年)
「お腹の奥がギュッと締めつけられる感じ、それが彼ら(霊)のいる証拠だ。首筋がゾクゾクすることはない? 腕の毛が逆立つようなことも? 彼らのせいだ。霊たちが出てくると寒気がする。」

※霊的感度の高い人は、このように感じるようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(少年)
「あの人たちは死んだと思ってない。そして、あの人たちは見たい物だけが見える。」

※これは迷える霊たちの“執着心”の強さを言い現しています。生きている人も、死んでいる人(霊)同様に、一つのことに執着しすぎるのは余り良くないことのように思われます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(少年)
「彼らは助けを求めている?・・・どうやって?」

(ブルース・ウィルス〈霊〉)
「話を聞いてやるんだ。」


この書き込みは間違いとは言えませんが、かなりの危険も孕んでいますので訂正させて頂きます。

迷える霊というのは、何故そうなのかは解りませんが、とにかく話を聞いてもらいたいようなのです。話を聞いてもらうと魂の浄化が進むらしく、その心の動きを神様が瞬時に察知なされてのことなのか、忽然としてお迎えの霊が姿を現します。

ところがです、救済してやろうという善意から安易に話を聞いてやってしまうと、もう3体、さらに10体・・・100体、500体・・・といったふうに、迷える霊たちが集まってきます。
まるでゾンビのように集まって来ます。彼らにはそういった場所が、天に上る一条の光のような象(かたち)で見えるらしいのです。

以前にも、ある霊媒体質の女性のお祓いをしていた際に、2時間程の間に30数体の霊が憑依してきて、次から次へと自分の恨み辛み、苦しみを語り出し、大変な思いをした経験があります。

これも以前から取り上げていることなのですが、現在の多くの神道系教団の元となる大本教では、当初、“鎮魂帰神(ちんこんきしん)法”により、「口寄せ」状態を引き起こし、未浄化霊の話を聞いてやり浄化させるといったことも行っていたらしいのですが、やはり様々なトラブルが起きてしまい、あまりにも危険極まりないということで禁止とし、以後は“鎮魂法”のみに止めるようになったとのことです。
狐狗狸(コックリ)さんを行った際の危険も同様のものと思われます。

挙げ句の果てには、地獄の底でもがき苦しんでいるような霊たちまでもが、苦しみから逃れようとして救いを求めてやって来ることがある、という話も聞いたことがあります。 


[107] ●心が洗われる番組 Name:道開き Date:2011/02/17(木) 16:43 
ニュース番組は、熱が籠もっていて、ハッキリと解りやすく報道してもらえるので、どちらかというと民放の方を見てしまうのですが、時間をかけて物事をジックリと取り扱うような特集番組となると、どうしてもNHKのBSということになってしまいます。  

NHK BS-hiの番組に『街道てくてく旅』というシリーズがあります。内容的には至ってシンプルなもので、一人の元アスリートが何日もかけて、古くから今日まで人々に使われ続けている街道(讃岐街道、東海道、日光街道、奥州街道・・・熊野古道等)を、てくてくと歩きながら旅を続けるといった内容のもの。

「同行二人」というと、四国八十八カ所巡りのお遍路さんが、霊場を開いたとされる弘法大師・空海と共に歩む修行であることを言い表した言葉とされていますが、この番組を見ていると、旅を続ける出演者と自分が、共にてくてく旅を続けているような気分になってくるから不思議です。
自分の頭の中を空っぽにしたい時(・・・ニュートラルな、オープンマインド状態にしたい時)に見る番組としては最適なものに思われます。

但し、撮影スタッフの苦労たるや並々ならぬものがあるということだけは想像するに難くありません。一人の人物が、自然豊かな歴史を感じさせる古い街道をただ歩き、土地の方たちと接するというだけの内容を、カメラワークのみで一つの番組に作り上げていっているのですから。映画『砂の器』のクライマックス・シーンとも言える、かつては業病とされたハンセン病に冒された父親と幼い息子が、日本の四季折々の風景の中を、お遍路になって巡礼の旅を続けるシーンも思い起こされます。


[106] ●ストーカーまがいの霊 Name:道開き Date:2011/02/17(木) 16:42 
車に乗って交差点で信号待ちをしていたMさんでしたが、やたらと発色のよいブルーが目に付くダッフルコートを着た男性の姿が目に止まったといいます。ところが、いくら見ようとしても顔が見えなかったそうです。それも目的地まで行く間に二度、帰路、自宅近くまで来て、もう一度その姿を見たということでした。

更に、家に帰ると、クローゼットの中にそのブルーの色が見え、サッシのガラスに映る部屋の中にもブルーの色が見えたと言います。エレベーターに乗った際には、上の階で見え、降りる途中の下の階でもブルーの色が窓越しに見えたこともあったそうです。
やがて、夢の中にまでブルーの色が現れるようになり、「小さい子供を殺せ」と言いだしてきたとのこと。  

駐車場に止めた車の中で睡魔に襲われ(おそらく、憑依されてトランスに入っている状態)、氷点下の寒さの中、暖房をつけない状態のままで寝入ってしまったこともあったりして、恐くなって神社までお祓いを受けに来たといいます。お祓い後、ブルーの色は一切見えなくなったそうです。  


[105] ●十九の春  《 流行歌アーカイブスの必要性 》 Name:道開き Date:2011/02/08(火) 17:47 
下の書き込み[104]「名曲は時代も超えるし、国境も越えていく」に続きます。 

元々は沖縄の唄ではなかったらしく、歌い継がれる内に次第に沖縄の俗謡歌になったという、この曲にまつわる特集をBS-hiで観たことがあります。
歌詞も、メロディーもシンプルで、イタリア料理、フランス料理、中華料理が混ぜ合わさったような歌謡曲が多い今日、一杯の素うどん、掛けソバのような、昔ながらの醤油ラーメンのような、アッサリしていて飽きのこない、いつ聴いても美味しい曲といった感じがしてなりません。最近、こういった曲は本当に少ないです。
神社の総代、世話人さん達と旅行に出掛けた際に、宴会の席で歌われる女子定番ソングでもあるようです。

話は変わりますが、帽子に鉢巻きをした黒人演歌歌手のジェロさん、すっかり有名になっていますが、今から35年ほど前に活躍していた頭にターバンを巻いたインド人演歌歌手のチャダさんは、今はどうしておられるのでしょう。彼は、初めて北島三郎さんの「函館の女」を聴いた際に、魂が稲妻に打たれたような衝撃を受け、すぐに弟子入りを求めたそうです。彼の歌う姿をもう一度見てみたいです。

図書、映画、クラッシック音楽といったコンテンツは、しっかりと大切に保管されているようですが、流行歌手の映像などはどうなっているのでしょう。これまでに作り続けられ、歌い続けられてきた、流行歌の豊富なコンテンツが蔑ろにされているようでは非常にもったいない気がします。

有料でも構わないので、「流行歌映像視聴サイト」のようなものがあれば、いつでも楽しめるし、アーカイブス(保管庫)の役割も果たしてくれるのではないでしょうか。つまり、カラオケの分厚い選曲書のような、曲名別、歌手別で検索できるウェブサイトです。

そうすれば、これまでに流行歌に関わった方たちの思いが成仏(これは仏教用語ですが)できるのではなかろうかとも思われます。埋没しかけていた長崎の古い唄を探し歩いた、なかにし礼さん原作の『長崎ぶらぶら節』の主人公、郷土史家の古賀十二郎さんと芸者・愛八さんのような苦労はしなくて済むかもしれません。

現代のようなデジタル社会では、技術的にはそれほど難しいことではないのでしょうが、著作権の問題には多くの難点もありそうです。

今回は、きわめて勝手な書き込みとなってしまいましたが、悪しからず。


[104] ●名曲は時代も超えるし、国境も越えていく Name:道開き Date:2011/02/01(火) 17:47 
つい数日前、チェコ共和国の親善大使に任命されているという歌手の岩崎宏美さんとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との、プラハのドボルザーク・ホールにおけるコラボレーションと異文化交流を描いた『 岩崎宏美 プラハに歌う 〜35年目の挑戦 』という番組を観る機会を得ました。BSは、こういったレアな映像を提供して下さるので本当に有り難いです。   

重厚な東ヨーロッパの音楽文化の中にあるチェコの人たちには、日本の歌謡曲は全くと言っていいほどに馴染みの薄いものらしく、アイドル時代に培った日本独自の芸能タレントの身振り、手振りなどは(岩崎さん本人は意識して押さえぎみにしていたようですが・・・)、初めて目にする不思議で魅力的なものにも映ったようです。さらには、トークの際についつい滲み出てしまう、チャキチャキの江戸っ子・下町娘ぶりなども、親しみやすい人柄として受け取られたようでした。

現在、日本独特の“アイドル文化”はアニメと一緒になって、アジアからアメリカへ、そしてヨーロッパへと広がりつつあるようですが、保守的で、伝統色の強い東ヨーロッパ方面にも次第に伝搬していくことは間違いないでしょうし、おそらく若い人たちほど飛びつくことでしょう。
戦後の日本にジャズやポップスが入ってきた際に、多くの若者たちが飛びついたように。

選曲も良かったです。オープニングに使われた小坂明子さんの名曲「あなた」も良かったし、岩崎さんの代表曲の一つになるでしょう「始まりの詩、あなたへ」も感動的でした。作者の大江千里さん、こういった曲を書ける方だとは想像もしておりませんでした。(失礼)  おそらく、高位の音楽の神様が降りてきた状態で作られた曲なのでしょう。
欲を言ったならば、「竹田の子守歌」のような日本独特の古い旋律なども披露して欲しかったです。

聴衆の中には、“東京オリンピックの華”と謳われた女子体操のチャスラフスカさんなどもいらっしゃって、涙ながらにコンサートでの感動を語られていたのも印象的でした。


年末、やはりBSで、『今夜よみがえる! 夢の紅白名歌手たち 名勝負・名対決』という特番が放映されたようです。録画して、年が明けて時間に余裕が出来た頃に観てみましたが、田端義夫さんの「島育ち」、三沢あけみさんの「島のブルース」にハマってしまい、繰り返し、古い白黒画像に見入っています。どちらも、自分が3、4才の頃に流行っていた曲のようなのですが、島唄系の曲ということもあってか、やたら懐かしさを感じます。

去年の『紅白歌合戦』も録画したものを観ましたが、ドラマ『ゲゲゲの女房』の数々の名シーンがスライドされて映し出されたのには甚く感動しました。NHKもシャレた試みをしてくださるものだと感服した次第です。


[103] ●「タイガーマスク運動」の行方 Name:道開き Date:2011/01/29(土) 12:08 
良い事が重なったり、財が集まって来たりして、自分一人のみが幸運の恩恵に浴し続けていると、次第に“厄(やく)”のようなものが溜まってきて、良くない状況を招いてしまうと昔の日本人は考えました。財は“流通”し、運も“循環”し続けている状況こそが望ましいと考え、極端な偏(かたよ)りを嫌い恐れたのでした。ですから、持てる者は周りの人たちに「お振る舞い」をしたり、「施し」をしたり、神社仏閣に「喜捨(きしゃ)」したりして、ある種の厄払い、厄落しを行ってきました。

カエサルの時代の古代ローマにおいても同様で、富裕者が公共事業に私財を投じるのは誉れとされていたようで、そういった人物は多くの人たちから尊敬を受けたといいます。その逆の人物はというと、欲をたけた守銭奴として軽蔑を受けた筈です。

戦後の日本社会はどうでしょう。高度成長期、バブル期を経て、伝統的でもなく、西洋的とも言えない、エコノミックアニマル的な“拝金主義”社会に陥っていたとも言えそうです。

人は誰でも、裸一貫で何も持たずにこの世に生まれて来て、死ぬ時には、今生で得た物の総てを残して(身体も)あの世へと旅立って行きます。「魂があの世に持って行けるものは、今生で得た経験と感動のみ」と、江原さんのスピリチャリズム関連本には書かれていました。これは非常に納得のいく記述です。


[102] ●九十九神 A  Name:道開き Date:2011/01/22(土) 08:11 
 
さらに二月ほどが経過し、娘のAさんは、高校の修学旅行で関西方面に行ってきました。以前、彼女に憑いていた男の霊が「お寺や神社が数多くあるところなので、修学旅行には絶対に参加するな」と語っていたらしく、本人は参加することを躊躇していました。「心配しないで楽しい思い出を作ってきなさい」と励まして送り出した手前もあって、確認の電話を入れてみました。

すると、旅行から帰って来て以降、食事が摂れなくなっている状態でいるとのことでしたので、すぐさま電話口でお祓いを修しました。後で聞いてみましたところ、旅行に出かける数日前に転んで足の向こう脛に大きな瘤とアザを作ってしまい、普段には張れるようになっていた霊的バリアがその部分だけ作れなくなり、宿泊先のホテルで現れた数多くの手に捕まれてしまい、その状態が続いていたのだということでした。「何で、我々が話しかけているのに聞こえないふりをしているのだ」と激しく迫ってきたそうです。
電話でお祓いを受けた後は、すっかり楽になり、普通に食べられるようになったということでした。

その後、霊能者Tさんに連絡を取ると家まで来てくれて、全九体の霊の内、六体までは連れて行ってくれたらしく、残りの三体はかなりしつこく、そのまま留っているということでした。Tさん曰く、「その内の二体は大阪のホテルで憑いた霊で、二十歳くらいの女性と五、六歳くらいの女児の霊で、残りの一体はAさんが通う高校が建っている土地に関わる霊らしく、五、六歳くらいの女児で、土地の動物霊たちと合体して“モノノケ”化している霊らしく、恐ろしいほどのパワーを持つまでになっているのでかなり危険で、ホテルで憑いてきた女児霊を気に入って押さえ込んでいる」とのこと。その夜には、「何であいつを家に呼んだりしたのだ」と、寝ているAさんの首を締め付けてきたそうです。

数日後、再度神社まで来てもらい、御神前にてお祓いを執り行いました。お祓い後にAさんに聞いてみると、「ホテルで憑いた霊二体は、神社から神様に導かれて、そのままあの世へと向かって行ったけれども、学校の女児霊だけは静かに黙ったまま未だ居る」ということでした。
「とにかく、神様にはお願いしましたので、暫くは成り行きを見守っていてください」と話して聞かせましたところ、その夜にI家にTさんから電話が入り、「学校の女児霊の名は◯◯といい、近々迎えに赴くからと、その霊の母親からコンタクトを受けました」と伝えられたそうです。

数日後、Aさんの元に昔の着物姿のとても美しい女性が現れて、その女の子をあの世へと連れて行ったそうです。女の子の霊に憑いていた動物霊たちも一緒に向かって行ったということでした。それほど執拗なモノには化していなかったようです。

とにかく、生者に害を及ぼしている霊というのは、
(1)自分が死んでいることが解らない
(2)向かうべき死後の世界があることも解らない

生前に、この事を強くしっかりと認識しているか、いないかが、死後においては非常に重要なこととなるようです。この事をしっかりと認識していないと、下手をすると何十年も、何百年も、死んだ時の思念のままの霊的盲目状態で亡くなった場所に留まっていたり、生きていた家にもどって生者と共に生活を送っていたり、職場にいたりすることにもなりかねません。

そういった状態でいるということは、お迎えの霊たち(決して、神様や仏様が直にお迎えにいらっしゃるのではなく、お使いの高級霊たち、つまり、神さまの元で学んで浄化されている、親、兄弟、夫、妻、友人等の、生前に親しく接した信頼の置ける霊たち)が来ても受け入れることが出来ないことになります。

さらに、生きている人の磁気オーラの中に入ってしまったりしたものなら(いわゆる、人に憑いている状態)、お迎えの霊たちから見ると、全くの行方不明の状態も同然となるみたいです。

とにかく、死んだ後に迷わないで済むようにする為には、
@ 自分が死んだら、“向かうべき世界”があり、“向上の道”が開けているのだということ
A 親、兄弟、夫、妻、友人等の、生前に親しく接した信頼の置ける霊たちが、必ず迎えに来るということ
この二つのことを、生前から強く心に留めておくことこそが最重要となるようです。


[101] ●九十九神 @  Name:道開き Date:2011/01/18(火) 17:16 
  
一般的に“九十九(つくも)神”とは、私たちが使う物や道具などに宿る神さまの総称とされているようです。「九十九」とは沢山の物、いろいろな物という意味。他にも、様々な捉え方をすることが出来るみたいで、数多くの霊が合体し、一つの姿を現したモノのことを“九十九(つくも)神”と呼んでいる例も見受けられます。

長く大切に使われた物には良い魂が宿り、持ち主に幸運をもたらしてくれもするが、未だ使えるのに捨てられたり、ぞんざいに扱われた物には悪い魂が宿り、持ち主に悪さをすることさえあると言うのです。他にも、手放したくないのに泣く泣く手放された物には、その持ち主の悲しみが宿るとも言う。このような神さまは時に“妖怪”とも呼ばれ、破れ提灯・唐傘おばけ・一反木綿などが有名です。つまり、典型的なアニミズム信仰ということになります。

オカルト映画に出てくる「悪魔」と呼ばれるものなどは、単体の霊ではなく、低級化した自然霊・動物霊、人霊などが重なり合って霊団化したもので、日本では「天魔」と呼ばれるそうです。江原さんのスピリチャリズム本にはそのように書かれていました。以下にそういった内容の話を記します。


ある日の朝、某神社から当社を紹介されたというR町のIさん一家が、ちょうど外出しようとしていた私の元を訪れました。よく見ると、高校生くらいの女の子がふたりの人に両腕を強く押さえ込まれた状態でいて、よっぽど強く押さえられ続けていたのか、腕にはアザがいっぱいできていて、その顔は、男の人の顔になっています。

話を伺ってみると、その少女が何者かに憑依されているらしく、普段の彼女とは別人格になって大暴れするので、やっとの思いで押さえ込んでここまで連れて来たので、お祓いをして欲しいと言うことでした。

直ちに御神前にて、お祓いの祈祷を行いましたところ、すぐに本来の少女の人格に戻りました。いろいろと詳細について話を伺ってみますと、これまでにも何度もこういったことがあったということで、霊的にも様々な物が見えているようなのです。父親の近くでキツネの尻尾のようなものが見えたということも話しますので、何か、お稲荷さんに関わる障りなども考えられましたので、大事をとって詳しく見てもらうようにと霊能者のTさんを紹介しましたが、別段悪いものではなかったということでした。
祈祷を受けた後の数日間は、読経する声のようなものが聞こえ続け、今にも発狂してしまいそうな日々を送ったそうですが、その後、少しずつ落ち着いてきたとのことでした。

その後、「家に神棚がないのでお祀りして欲しい」という依頼を受け、Iさんのお宅まで出向し、神殿奉斎(しんでんほうさい)のお祭りを執り行いました。その数日後、電話で確認しましたところ、家の中にいた霊の多くは、当社のお使いの神様たちに導かれてすぐにあの世へと向かって行ったようで、すぐに向かわなかった霊たちも何日か経つと悟りが進んで浄化されてくるらしく、その姿が少しずつ透明になり、そうすると自らが神棚まで近づいて、側に立って、あの世に赴く準備をしている姿が見受けられたとのことでした。

しかし、中には何体もの霊が合体し、まるで獅子舞の獅子のような姿になって“バケモノ化”した霊もいて、最後までしぶとく居残っていたということですが、いつの間にか姿を消したそうです。

※だいぶ以前の映画の話になりますが、確か『エルム街の悪夢2』だったかで、数多くの怨霊を合体させたバイクに乗って夢の中に現れて来た怪人フレディの姿が記憶にありますが、西洋でも似たようなモノの姿が見受けられたりもしているのでしょうか・・・・

今回の様な内容の話を記すと、「オカルトに走っている」と叩かれそうなのですが、こういった事に苦しんでいる方は非常に多いというのも現実なのです。

“神道木”の花を満開に咲かせ続けようとするならば、「土壌」は豊かな状態に保全しておかなければならないだろうし、土に直に接している「根っこ」の部分をこそ強固なものにしておかなければならないものと思われます。サラサラの砂と違って、豊かな土壌にはミミズのようなものも生息するだろうし、触れると汚れが付くのも確かです。それらを汚らしい物とのみ捉えて、何でもかんでも「オカルト」の一言で片付けてしまったのなら、結局は“神道木”そのものを弱らせることになるとも考えられます。この考えは、神職になりたての頃から、30年近く経つ現在でも全く変わることはありません。


[100] ●運 勢  2011  Name:道開き Date:2011/01/04(火) 19:14 
今年の立春は、2月4日の13:33頃が「節入り」となります。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。 立春は雑節の基準日で、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を遁甲(とんこう・・移動)します。つまり、「年回り」が変わります。

今年は《七赤金星》の年です。今回もまた、「干支・九星術」の《七赤金星》年生まれの方の、月ごとの特徴を少しばかり挙げてみます。



●《七赤金星》年「六白金星・辰(たつ)」月生まれの女性
〔今年は、4月5日の12:12〜5月6日の05:23までに生まれる女性)

・広瀬香美、本上まなみ、范文雀(はんぶんじゃく=ジュン・サンダース)、木原光知子(水泳)、岸田今日子、松本明子、Hiro (スピード・島袋寛子)・・・・といった方たちです。

・外見的特徴としては、顔の頬が平たい感じのする方が多いように思われます。
・派手で見栄を張るところもあって、おだてられたり誉められたりするとその気になりやすいところもあります。気性にむらがあって、人の好き嫌いが多いようでもあります。
・好奇心は強く持っており、どんなものにも興味を示しやすいが、飽きやすいところもあります。
・好きな人には寛大ですが、嫌いな人にはソッポを向くきらいがあり、・家庭的なことは余り好みません。



●《七赤金星》年「五黄土星・巳(み)」月生まれの男性
〔今年は、5月6日の05:23〜6月6日の09:27までに生まれる男性)

・外見的には三つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】古尾谷雅人、クリント・イーストウッド
【Bタイプ】泉谷しげる、江夏豊
【Cタイプ】森末慎二、加藤晴彦
・・・・といった方たちです。

・潔癖性が強い方であるが、呑気な面も持っている。
・自分勝手な行動もみられるが、抜け目なく、相手が上手に物事を成し遂げたりすると腹を立てて激しく怒ったりするところもある。
・片意地を張るところもあり、頼まれるとこころよく引き受けるが、義理を欠くと怒る。
・巧言令色な人に欺されやすい傾向もあるので注意が必要です。金銭面には恵まれた方で、蓄財にも心がけ家庭内を明るくします。



●《七赤金星》年「五黄土星・巳(み)」月生まれの女性
〔今年は、5月6日の05:23〜6月6日の09:27までに生まれる女性)

・黛ジュン、志田未来、平原綾香、若槻千夏、だいたひかる、遠山景織子、吉川十和子、かたせ梨乃、益子直美(バレーボール)・・・・といった方たちです。
(特に、黛ジュンさんと平原綾香さんなどは声もそっくりです)

・物ごとのケジメをつけ、真偽を確かめ、その日を楽しく暮らすのを理想とする。
熱しやすく冷めやすいところがあり、体裁を飾る面もあるがケチるところもある。
・温和なところはあるが自分の我意を通すところもある。
・自分の気に入った人とは進んで交際するが気に入らない人には案外不親切なところがある。本音と建て前をはっきりさせる人です。



●《七赤金星》年「三碧木星・未(ひつじ)」月生まれの男性
〔今年は、7月7日の19:42〜8月8日の05:33までに生まれる男性)

・伊藤英明、畑山隆則(ボクシング)、平沼赳夫、なすび、高嶋忠夫、植草克秀、永瀬正敏・・・・といった方たちです。

・明朗活発でよく機転が利き、人の心を読み取る方法を知っている。
・見栄張りのところやむかっ腹を立てるところがあるが、いつまでもこだわることはしない。
・人の面倒もきちんとみるし、堅実なタイプで目上や同僚に好かれ重宝がられるところがある。
・自負心と主体性はあるが、金銭面では人が良すぎて不自由はしないまでも大金には縁が遠い方でもある。
・女性にモテる方ではあるが、油断すると欺されることがあるので気をつけた方がよい。



●《七赤金星》年「二黒土星・申(さる)」月生まれの女性
〔今年は、8月8日の05:33〜9月8日の08:34までに生まれる女性)

・鈴木保奈美、名取裕子、増田恵子(ピンクレディー)、小谷実可子、千葉すず(水泳)、早見優、中村あずさ、田村亮子・・・・といった方たちです。

・欲深げに物事飾らずにズバリ言うところがあります。
・人前で威張りたい方で、小さいことにも口出しするやかましい面もみられ、家庭内にあっても強く個性を発揮します。
・与えられた仕事はきちんとするが、自分の得にならないことはすぐ断念する一面も持っている。
・朗らかなところはあるが、自分の家庭内のことについては他人に話したがらないところもある。家庭の主婦になれば、しっかり家庭を守り、家族のために働き蓄財にもつとめます。



●《七赤金星》年「一白水星・酉(とり)」月生まれの男性
〔今年は、9月8日の08:34〜10月9日の00:19までに生まれる男性)

・東山紀之、東国原英夫(そのまんま東)、うじきつよし、鳩山邦夫、江戸屋猫八・・・・といった方たちです。

・苦労性の人が多いが、よく働く。多弁ではあるが、機転もよく利き、交際も上手で外交手腕に優れている。
・思考力もあり、明朗な明るさを持っているので人に好かれる。
・自負心は強い方で理屈っぽいところも見られるが上手に自分の言い分を通していく。
・金銭面には恵まれている方で、それなりの財も蓄財していく。
・浮気性も持っているのでこの点には注意が必要です。家庭では家族を大事にして面倒もよく見る。



●《七赤金星》年「一白水星・酉(とり)」月生まれの女性
〔今年は、9月8日の08:34〜10月9日の00:19までに生まれる女性)

・星野知子、大信田礼子、斉藤由貴、早坂好恵、天童よしみ、綾戸智絵・・・・といった方たちです。

・進取の気性に富み、芯が強く自己主張もそれなりにするが、言葉に衣を着せない直言で話すので反感を持たれる面も見られる。
・苦労性なところはあるが、人つきあいが上手で魅力的な雰囲気を持っている人が多い。
・金銭面にも恵まれている方で蓄財に関心を持っている。
・主婦業よりも自分の才能を生かした特技で身を立てて成功する人が多いようで、家庭の主婦になっても特技をもって家計を助けていく人です。



●《七赤金星》年「九紫火星・戌(いぬ)」月生まれの女性
〔今年は、10月9日の00:19〜11月8日の03:35までに生まれる女性)

・外見的には二つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】ユン・ソナ、木村カエラ、栗山千明
【Bタイプ】五月みどり、岡田可愛(=朝丘ユミ)、関根麻里、misono
・・・・といった方たちです。

・勝ち気であるが、人あたりがよいので信望を集める人が多く、寛容の心も大きいので交際は上手にやる。
・落ち着いた雰囲気を持ち、仕事もまじめにやるので上司や同僚の受けもよく重宝がられる。
・金銭面の関心は強く、にぎり屋の人が多い。家庭の主婦としては家庭を大切にし、家計のやりくりも上手にやっていく。



●《七赤金星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの男性
〔今年は、11月8日の03:35〜12月7日の20:29までに生まれる男性)

・外見的には三つのタイプに分かれるみたいです
【Aタイプ】えなりかずき、みえはる、城みちる   (えなり君と城さんは、歌声がそっくりです)
【Bタイプ】舛添要一、佐川満男、石橋正次
【Cタイプ】坂口憲二、篠田三郎、夏木ゆたか、糸井重里、内田裕也(≒「シェキナベイベー!」)
・・・・といった方たちです。

・人当たりは余り良くないが毅然とした態度を表面に表す人が多く、老朽な考えを持つ真面目な特徴を持っている。
・困った人を見ると力を貸してあげる度量を持った心情厚く、義理堅い面があるので信望を集める。
・若い時代に苦労した人は、中年以降は財を築き大活躍する可能性を備えている。勘の良さを持った人が多く、金運にも恵まれているので努力次第では成功できる人です。
・打算的な面も見られ、余り欲を出しすぎると失敗するから注意した方がよい。



●《七赤金星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの女性
〔今年は、11月8日の03:35〜12月7日の20:29までに生まれる女性)

・由紀さおり、aiko、中井貴江、内田有紀、安田成美
・・・・といった方たちです。

・勝ち気で自尊心が高く、繊細な心の持ち主ではあるが、一途に仕事に熱中するタイプでもない。
・社交は上手だが、知ったかぶりをするところも見られる。話し上手ではあるが、自分勝手なところもあるので自重が肝心です。
・結婚は早いほうがよく、家庭の主婦ともなればよく家庭を守り良妻となる。婚期が遅くなりやすいので気をつけていった方がよい。



●《七赤金星》年「七赤金星・子(ね)」月生まれの男性
〔今年は、12月7日の20:29〜来年1月6日の07:44までに生まれる男性)

・にしきのあきら、吉村明宏、谷村新司、津川雅彦、夏八木勲、Mr.マリック、トータス松本、宮本亜門、桂文珍
・・・・といった方たちです。

・明朗活発で人付き合いは円満で意識的偏見は持たない。交際の面でやや選り好みをし、低俗な趣味の人は敬遠する。
・器用さを持ち、向上心が旺盛であるため仕事は意欲的に取り組んでいく。むら気もみられるが人をリードする才能を持っている。
・嫉妬深いところも見られ敵対感情を持っており、自分の主義主張を曲げようとしない剛情さがある。
・家庭にあってはよい父性愛を発揮し、金銭的にはにぎり屋の人が多い。



●《七赤金星》年「七赤金星・子(ね)」月生まれの女性
〔今年は、12月7日の20:29〜来年1月6日の07:44までに生まれる女性)

・江角マキコ、沢田亜矢子、国生さゆり、八千草薫、小川真由美、夏目雅子、有森裕子(マラソン)、若村麻由美、黒谷友香、八神純子、武井咲
・・・・といった方たちです。

・外見的特徴としては、大柄な女性が多いように思われます。
・物事に凝るタイプの人が多く、理屈っぽい所がある反面、他人をリードしたり、指導する力を持っている。
・人付き合いは上手な方で、柔軟な態度で接する。
・根は強情だが、気迷うところがあり、見栄を張り体裁を飾る。
・相手の行動には関心あるのだが、相手には事務的であっても充分すぎるほど尽くしていると考えるところがある。
・器用で時流のポイントを上手に掴み、新規なことに興味を持ち、家庭では主導権を握る人が多い。


[99] ●当社で見られたという“精霊”の話 Name:道開き Date:2010/12/13(月) 07:53 
この夏(8月7日の夜)、白鬚神社の拝殿右脇の樹齢400年にもなる松の大木が倒れました。竜巻だとか、ダウン・バーストなどによるものではなく、木の内部に洞(ほら)が開いていたことによる自然倒木でした。
この木に関係していたと考えられる“精霊”の話を記します。だいぶ以前にも記した内容ではありますが、鎮魂の意味も込めて再度書き込みます。

◆第一話 9人の人を殺めたと語る霊に憑かれた少年
投稿日:2002/01/24(Thu) 08:32  仙台の某神社から紹介されたという19才の少年から電話が入りました。昨年の暮れから、自らが“9人の人を殺したと語りかけてくる霊”が、体の中に入り込みどうすることもできずにいるとのことでした。自分の体を使用して文字を書いたりもするのだということです。いろいろ話を聞いて、それなりの対処法を教えていましたところ、突然、電話口にその男(霊?)が出て来てしゃべり出しました。「俺はこいつから決して離れないからな」と、少年と全く別人格の口調で訴えます。こちらも突然でしたので、一瞬たじろぎはしましたが、ある種の“祓い詞”を唱えて対抗しましたところ、その霊は大声を張り上げて苦しみもがきだしました。

その少年はもともと霊媒体質で、あまり誉められた日常生活を送っていなかったとのことで、一月ほど前、遊び友達と「俺は、人を殺したヤツとも仲良くやっていける自信がある」などと話し合った後、朝方の4時頃に帰宅した際に、「オレは9人の人を殺したんだ」と語りかけてくる霊が、体の中に入り込んできたそうです。そして、しばらくは、どんな霊に憑かれているのかも判らないままに、「この霊と共に人助けをするんだ」ぐらいに高をくくって、いい気になっていたのだそうです。是非とも会ってもらって、その憑いている霊の話を聞いて欲しいと云うことでした。

翌日、その少年に直に会いました。
何よりも神社の社殿を汚したりすることだけは嫌でしたので、神社の鳥居の前にベンチを運び、四方に幣帛(へいはく)を立てて結界を結んで、“白鬚さま”に御守護を強く祈願してから“審神(サニワ)”を行ってみました。

「出てきなさい」とその少年に憑いているという霊を呼びだしてみると、般若(はんにゃ)のような表情になって出てきました。(というよりも、泉谷しげるさんが「なんだこの野郎」と脅かしている時の顔にそっくりで、それほど恐ろしいものではありませんでした)。あれこれ質問してみると、その男は「地獄の苦しみに耐えられなくて、この少年に憑いて楽な思いをしているから決して離れない」と言い張ります。
私は「その様な行いは神様の道に反するものだから、速やかに出て行きなさい。天罰が下るぞ。天罰は本当に恐ろしいものだぞ」と言って聞かせましたところ、その霊は、キョトンとした表情で、「天罰が何なのか判らない」と言います。“天罰”という語の意味が解らないというのです。この霊は、人霊ではなく何らかの“モノ(精霊)”だなということが、そういったやり取りですぐに知ることが出来ました。以前にも、人に憑いているキツネと、何度かやり取りをした経験がありましたので。

「天罰とはこういうものだ」と、“三種(みくさ)祓い詞”を唱えて、指先から“神気”をその霊に向けて放射しましたところ、その霊は「苦しい、苦しい」と、ヨダレをダラダラ垂らしてもがき苦しみだしました。神気を浴びてもがき苦しんでいるということは、やはり、あまり質(タチ)の良い“モノ”ではないなということが解ります。
そして、その霊に退くように命じて少年自身を呼び出したところ、すぐに元の少年に戻りました。

その後、少年といろいろ話をしてみましたところ、少年は仙台にあるK小学校の先生の子息で、高校を卒業してこの方、毎日遊び回っていたとのことでした。
本人は、「その男を祓い出したくない。自分の心が成長していくのと同時に、その憑いている男を改心させたい」と語ります。中学生の頃に読んだある宗教の本にそういった内容が書いてあったのだそうです。一刻も早くお祓いしてくれるよう懇願されるのが普通なのですが。・・・

取りあえずは、丁寧にご祈祷しました「お札」と「お守り」を渡しておきました。悪霊の仕業だったらこれで終息するはずです。多重人格症という場合も考えられますので、少年の父親に電話をし、精神科で一度診てもらうように話しました。

その後、少年から電話があり、お祓いを受けた3日後に、憑いていた霊が自ら進んで身体から離れていったという連絡を受けました。御守を受けた当時は、「この中にはお前を殺そうとしているものが入っている」と言って、袋の中の御神体の部分を投げ捨てるように言って聞かなかったそうです。
その内に諦めたようで、少年の父親に対し、「9人の人間を殺したというのはウソだった」と詫びて、自分から出て行ったそうです。今日まで連絡しなかったのは、また戻ってくるかもしれないので、そのことを確認してからと少年が考えたからだということでした。


◆第二話 後日談  投稿日:2003/06/04(Wed)15:59
昨年の年の瀬も押し迫ったある日のこと、その少年から電話が入りました。「この1月以降、悪霊に体の中に入り込まれることはなくなったのだけれども、まだ、身の回りにそいつがいるようで、今月に入ってから、ドアが勝手に開いたり、風呂場の蛇口が勝手に止まったりするといったポルタ−ガイスト現象が起こっている」とのこと。
「以前の霊ですか?」と訊ねたところ、「まちがいなくあの霊です」とその少年は答えます。
「お正月に白鬚神社にお参りしたいと思いますので、もう一度、御神前でお祓いと御祈祷をしてください」とのことでしたので、とりあえず承諾はしました。

そして、数日が過ぎ、正月の元朝の午前4時頃にその少年はやってきました。つき合っている彼女と一緒でした。今年は温かい元旦でしたが、それでも初日の出前の時間帯で−2、3度には気温は下がっていたはずです。そんな寒さの中、仙台からバイクでやってきたそうです。彼女はミニスカ−トでしたのでバイクの後部座席でまともに風を受けてきたのでしょう、足がまるで風呂上がりのように真っ赤になっていました。(話が横にそれてしまいますが、「いや〜参った、参った、二人ともほんと若者なんだな〜」とついつい思わずにはいられない二人の姿でした。)
「S君、無事に就職できて良かったな〜」と言葉を交わした後、すぐに御神前で「大祓詞」を唱え、御祈祷を執り行い、新たな御神符とお守りを渡しました。彼女にもかわいらしいピンクのお守りを渡してやりました。

それから三ヶ月ほど過ぎたある日、こちらからその少年に電話をして近況を確かめてみました。すると、元旦の祈祷を受けた後は、全くポルタ−ガイスト現象は治まってしまったとのことでした。
ただしです。少々落ちがあります。・・・・・霊に憑かれたりするというのではないのですが、一緒に来た彼女が、お正月の祈祷を受けて以来、霊能が開けてしまい様々なものが見えるようになってしまったとのこと。たった一度、それも付き添いで御祈祷を受けただけなのに。

おそらくは、バイクに乗って寒気を浴びてきた状態が、ちょうど、禊(みそぎ)をしてきたのと同じ状態になっていて、そのままご神前に額ずいたため霊道が開けてしまったのではなかろうかとも考えられます。・・・本当に、見えない世界のことって“不・可・思・議”なことばかりです。


◆第三話 老木の恩返し〈参考〉
投稿日:2004/05/21(Fri) 09:50
近々、境内にある樹齢400〜500年にもなるかと思われる松の老木の 治療をする予定でいます。幹に傷がつき、そこに雨水が入って、長い年月の間に空洞をつくってしまいました。
治療方法はというと、空洞を“炭”でいっぱいに満たして、口をセメントと粘土をこねたもので塞ぐというもので、県内某大社の専任樹木医さんのアドバイスによる ものです。

神道では、この世のすべてのものを神さまと見ます、又は、神さまの顕現されたお姿と見ます。つまり、典型的なアニミズム信仰なのです。
ですから、我々が日々の神明奉仕において唱えている『大祓詞(おおはらいし、おおはらへのことば)』の中の一節に、以下のようなくだりがあり ます。

「語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも 語止めて・・・・・・・」
(こととひし いわね きねたち くさのかきはをも ことやめて・・)
岩も木も草もコミュニケ−ションを取り合っているというのです。

以前、あるテレビ番組で見たのですが、樹木医と呼ばれる職業 は日本で生まれたそうです。そのさきがけとなった人物を特集したものでした。
お名前は忘れてしまいましたが、「自分が不健康なときは、以前に治療した樹齢数百年にもなる老木の葉っぱを“お守り”代わりに身に付けていると、遠くにあるその老木が治してくれるのだ」という語りが非常に印象に残りました。

この世の総てのものはつながっているから、その方の思いに対し 、老木の精霊が以前の治療に対する御礼もあって、感応して守ってくれる 。遠隔治療をしてくれるというのです。木も樹齢100歳を越すと、樹木医である自分に夢や何かでコンタ クトしてくるのだそうです。


◆最終話 「となりのトトロ」 投稿日:2005/02/26(Sat) 19:43
宮崎アニメの代表作と言っても過言ではないでしょう。“トトロ”って、樫の木の精霊なのでしょうか、ビデオを借りてきて確認のため観てみましたが、おそらくはそうなのでしょう。古いお稲荷さんの祠(ほこら)の脇にある樫の大木に住んでいるようです。

例の少年、現在では、県内でも有名な某ホテルの板前として、立派な社会人としての生活を送っています。
彼は、それ以来、様々なものが見えたり聴こえたりするようになったとのこと。ある日の夕刻、たそがれ時に、お寺で育てられたという、やはり生まれつき霊感の強い彼女を伴って、当社まで参拝に来たといいます。

たそがれ時ですから、薄暗くて辺りの景色はハッキリとは見えなかったそうです。御神前の鈴を鳴らして手を合わせようとしたところ、お賽銭箱の前に、巨大な頭のキツネの様な、オオカミの様な“モノ”が、でっかい口を開けて二人を見ていたのだそうです。二人は驚いて、恐る恐る、そっと後ずさりをしながら、その場を離れたといいます。
車に戻ってから二人は、いま目にした“モノ”のことを確認し合いました。
「今、・・・・・なのが居たよナ!」「大きく開けた口の、右側の奥から二番目の歯から、血みたいのが出てたよな・・・」「うん。」・・・

二人はそのまま仙台のアパ-トに帰りました。すると、部屋の中まで、その大きな頭の“モノ”がやって来て、「デングリ返っこして遊ぼ!」と言いながら、二人に甘えてきかなかったそうです。二人がそのまま無視していると、やがて、その大頭の“モノ”は諦めて帰って行ったといいます。

後日、二人で当社にお参りに来た際にその話がでました。
「神主さん、あれはいったいなんだったのでしょうか」。
「おそらく、神社に住みついている精霊のようなものでしょう。二人が、自分の存在を知ってくれたので、嬉しくてしょうがなくて、アパ-トまで追いかけて行ったんでしょう。でも、神様のお側にいる“モノ(精霊)”だから悪いものではないので、全く心配する必要はありませんヨ」とお話しました。


[98] ●市川海老蔵さん Name:道開き Date:2010/12/08(水) 21:53 
連日、ニュースでも、ワイドショーでも、海老蔵さんのことで持ち切りです。

“役者殺すに 刃物はいらぬ うまいうまいと 誉めりゃいい”

といったような狂歌があったように記憶しております。
今回の件で、どっぷりとドブに落ちて、頭のてっぺんから足の先まで、汚物まみれになることで、自己スティグマ化がなされ、海老蔵さんは本物の役者になっていくようにも思われます。

視点を変えてみると、今回の件は、役者としてより大きく成長するための、神様からの大切な贈り物だったのだと、後々思えるようになるのではないでしょうか。


[97] ●百鬼夜行??? Name:道開き Date:2010/11/25(木) 18:09 
以前、この掲示板の書き込み〔69〕、〔82〕に記しました、“ムジナ憑きの青年”についての話になります。彼に憑いているムジナもだいぶ弱まってきているようで、「この野郎、殺すぞ」といった暴言は今でも時々、吐いてくるようなのですが、張り付きはかなり緩くなって、背中にフワフワと漂っているだけのようになっているとのことです。  

彼の場合、霊感が強いとされている人たちがよく見る、死霊といったものは全く見えないようなのですが、“モノノケ”、“妖怪”といった類のモノの姿はしょっちゅう見ているようなのです。

現在の彼は、未明の暗い内に家を出なければならないアルバイトに就いているということなのですが、・・・・・ある時などは、仕事先に向かっていつものように原付バイクを走らせていると、小さくて、子供なのかなとも思われる数人の人物が、車道と歩道を分離するコンクリートの縁石に腰掛けて話し合いをしている姿が見えたのだそうです。こんな夜中に変だなと思いながらも近づいていくと、その小人物たちがバイクに乗っている彼の方を見向くや否や、いっせいに側溝の中に飛び降りて、その中をひたすら逃げて行ったのだそうです。(側溝には蓋がしてあるとも思うのですが・・・・)
また、ある時には、男女の性別不明のミイラのような姿をしたモノが、髪を振り乱したまま、バイクに乗る彼の前方の道路を横切って行ったこともあったということです。・・・・これらのモノたちは、彼に憑いているムジナの仲間たちだったのでしょうか。
彼の場合、そういった“モノ”にチャンネルが合ってしまっている状態のようです。(おそらく彼の目が、憑いているムジナの視覚をも兼ねて働いているのでしょう。)

彼とは別な人物の話になりますが、山を開発して分譲された、新興のニュータウンに住んでいる方なのですが、夜中に、巨大な目玉のバケモノが道路を歩いている姿を見てしまったそうです。
特定の人たちに、こういったお化けの様な姿で可視化されて見えるのは、恐らくは「山のモノ(精霊)」たちなのではなかろうかとも考えられるのですが、特別の場合を除いては、見た人に害をもたらすことは無いようです。

NHKのBS-hiで、お盆近くになると放送される番組に(最近も、BS2で再放送されていましたが)、「最恐 ! 怪談夜話」というのがあります。そこで語られる、作家、文芸評論家、漫画家、俳優・・・といった方たちの生々しい霊体験談の中には、“ムジナ憑きの青年”の話とかなり共通するような「モノノケ話」もあったりして、「見える人には見えるものなんだな〜」と、あらためて考えさせられました。

「陰陽師」等の漫画や映画に描かれる平安期の京都の夜の闇の様子は、まさに「百鬼夜行」といった観がありますが、その時代は、現代よりも「見える人」たちの数が多かったのではなかろうかとも考えられますし、当時の政治や文化といったものが微妙に関係して、“疑心暗鬼”的に様々なモノを見させていたような気もします。
江戸時代中期の儒学者で政治家でもある新井白石などは、本気で“鬼”の存在を信じていたとされています。
現代の沖縄でも、“キジムナー”の名で呼ばれる「真っ赤っか」なガジュマルの古木の精霊の姿が、あちらこちらの神社の境内や「ウダキ」と呼ばれる斎場で、「見える人には見えている」ようです。


[96] ●ゲーテの言葉 B Name:道開き Date:2010/11/18(木) 11:46 
下の書き込み〔95〕に続きます。
石平さんの『私はなぜ中国を捨てたのか』という本を拝読させていただきました。
個人にとっても、国家にとっても、本当に大切なものは「精神文化」なのだということが、自分の赤裸々な体験を通して、書き綴られていました。

「毛沢東の小戦士」として育った石平さんでしたが、北京大学に入学し、毛沢東が推し進めた「大躍進運動」と呼ばれる経済政策が、数千万人の餓死者を出していたこと、その失策をごまかすために行われた「文化大革命」が、中国の伝統的精神文化をことごとく破壊し、密告と中傷による恐怖政治をもたらし、少なくとも一億人以上の国民が政治的迫害を受けた事を知ります。

「民主化運動」に加わるも、天安門事件により、毛沢東の作った共産党は、毛沢東そのものと何ら変わらないことを知りました。「上からの改革」は着々とやっているが、「下からの改革」は決して許さない。中国という国家は共産党の「道具」でしかない。つまり、中国共産党の一党独裁の政治体制そのものが、問題の根源であることに気づいたといいます。

教科書に対しても、メディアに対しても、自分自身による“懐疑”と“理性”による検証を経ていないものは決して信用しないという精神を身につけるに至ったそうです。

そして、現在では、あの毛沢東時代の「人騙し洗脳教育」が、そっくりそのまま、人民の敵は、「反革命分子」から「日本軍国主義」に代わっただけで、「国恥教育」「愛国教育」という国家レベルの動機付けが行われているとのこと。


その憂鬱な日々を送っていた石平さんに、日本留学の話が持ち上がります。日本に来てはじめて、自分の祖国で生まれた孔子の教えである『論語』が、この異国の日本において、最大の理解者と敬愛者を得て、多くの日本人たちの精神構造の中で息づいていること知ります。
特に、近江聖人の中江藤樹、石門心学の創始者の石田梅岩、そして、伊藤仁斎、山崎闇斎などの、市井の儒学者たちの生き方を知るにつけ、孔子の教えと精神が、随王朝の時代に「科挙制度」が導入されて以来、儒学が出世栄達の道具に成り下がり、「学を好む者」、つまり、本物の儒学者が出なくなっていた中国ではなく、江戸期のこの日本で蘇っていたことを知ったのでした。

石平さんが心酔してやまない西郷南洲(隆盛)などの、幕末・明治期の指導者たちの精神の根底には、幼い頃から私塾や「郷中教育」などで学んだ『論語』の心が生きていたし、武士道精神の中にも中国で生まれた「禅」の心が溶け込んでいました。
さらには、近代日本人の心づくりの拠り所となった『教育勅語(ちょくご)』にも、日本的儒教思想が基本理念の一つとして取り入れられました。つまり、アジア唯一の独立国家であった近代日本において、儒教は新しい時代の指導精神として、生き延びることができたことを知ります。

祖国、中国国民こそ、『論語』の心や儒教の考え方からはもっとも縁の遠い国民精神の持ち主となり、世界にも稀に見る最悪の拝金主義にひたすら走りながら、薄っぺらな「愛国主義」に踊らされている。
独裁政権の持つあらゆる力を総動員して行われた「文化大革命」により、中国の古き良き伝統文化を根こそぎにする殲滅作戦が組織的に行われ、中国という国は自国の伝統文化から完全に断絶した異質な国となってしまった。つまり、中国には、もはや信仰心もなければ、神仏に対する敬虔の念もなく、洗練された美意識もなければ、優雅なる文化的香りも無くなってしまっているという。

石平さんは、留学して間もない時期に、旅行で京都の嵐山に出向いた際、生まれて初めて、「日本」というものを発見したと同時に、祖国の失われた伝統と文化の面影とも出会い、生まれて初めて、わが心の中の「祖国」をも発見したといいます。


★アフリカはベナンの国士、ゾマホン・ルフィンさんも、「日本近代化の成功のカギは教育にあり」と考え、留学生時代には、江戸期の寺子屋の研究に取り組まれたそうです。多くの外国人たちが、貴重な価値を見いだしているものを、日本人自身が、捨て去ってしまわなければならないと考える“道理”は、どこにも無いとも思われるのです。


[95] ●ゲーテの言葉 A Name:道開き Date:2010/11/03(水) 11:50 
テレビで三宅(久之)先生が、石平著『私はなぜ中国を捨てたのか』という本をご紹介されていましたので、興味もあって、本屋まで買いに出向いた時のことです。

その本を手に、支払いカウンターの前に立って、何気なしに新刊コーナーに目をやったところ、「ゲーテの言葉」というタイトルの本が目に飛び込んできました。側まで行って、手にとってよく見てみると、詳しくは『―自分の心をみつける― ゲーテの言葉 』というタイトルで、一校比較文化研究会というところが出している本でした。

当社ウェブサイトの掲示板に、「ゲーテの言葉」というタイトルで書き込みした数日後の出来事でしたので、自分でも驚きました。
神様の導きによるものなのか、守護霊の導きによるものなのか、はたまた、ユング派心理学でいうところの共時性(シンクロニシティー)による“偶然一致”の出来事なのかは解りかねます。

ついでに購入して読んでみましたところ、数多くの“珠玉の言葉”が書き綴られていました。以下に、自分なりに気に入った幾つかの文章を書き並べてみます。

なお、日本における“徳知”の象徴とも言える二宮尊徳(金治郎)の、農耕民族としての生活に根ざした(地に足のついた)「実学的教え」との共通点も、数多く見受けられました。
今後、本屋に「二宮金治郎の言葉」というタイトルの関連本が数多く並ぶようになれば、敗戦以降、自分たちが何者であるのかということを見失ってしまい、“精神的混迷状態”に陥っている多くの日本人たちにとっての、良き道しるべともなるのではなかろうかとも思われました。


・豊かさは節度の中にだけある。
(「何でもある」は真の豊かさから遠い)
―「クリストフ・カイザーに当てた手紙」より―

・自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である。
(自負や自慢をするのは自分の居場所が狭いから)
―「格言と反省」より―
 
・天才が天才としてなすことはすべて無意識になされる。
(予測や段取りは天才には必要ない!?)
―「フリードリヒ・シラーにあてた手紙」より―

・重要なことはどこまでも、見知らぬもの、見知らぬ人に心をふれてみることだ。
(知らぬものに心を開けば道も開ける)
―「アウグスト・フォン・ゲーテにあてた手紙」より―
 
・いつも変わらなくてこそ、ほんとうの愛だ。いっさいを与えられても、いっさいを拒まれても、変わらなくてこそ。
―「四季」より―

・我々が不幸または自分の誤りによって陥る心の悩みを、知性はまったく癒すことができない。理性にもほとんどできない。時間がかなり癒してくれる。これに引きかえ、固い決意の活動は、一切を癒すことができる。
(心の悩みを癒すのは、知性よりも「固い決意の行動」)
―「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」より―

・紙から得た知識、または紙に書くための知識は、私はあまり興味がない。学問の中にいかに多くの死んだもの、いかに多くの殺すものがあるかは、みずから真剣にその中に入っていくまでわからない。
(紙の知識、学問を過信するな)
―「ゲーテ対話録」より―

・無知な正直者が、しばしば、たくみなペテン師の悪事を見抜く。
―「格言と反省」より―

・ほんとうに心の底から出たことでなければ、人の心には決して訴えないものだ。
―「ファウスト」より―

・旅行は、あるときには気を紛らわせてくれるし、別のときには私たちを私たち自身につれ戻してくれる。
―「スイスだより」のシラ―にあてた手紙より―

・富や高い身分を手に入れながら、なおも満たされない思いを抱くほどつらいことはない。
(際限なき人間の欲望)
―「ファウスト」より―

・外国語を知らない者は、自分の国の言葉についても何も知らない。
―「格言と反省」より―

・人が何かを知っていると言えるのは、少ししか知らない場合だけです。多くのことを知るにつれ、疑いが増すのです。
―「格言と反省」より―


[94] ●ゲーテの言葉 Name:道開き Date:2010/10/22(金) 14:14 
下の書き込み〔93〕に続きます。 

「最も民族的なものこそ、最も国際的」

西洋における知性の象徴ともいえる、文豪ゲーテの言葉だそうです。(出典はわかりかねますが・・・)

近代化(つまりは欧米化)された日本社会の表層の、一皮めくったところに見られる部位(・・神社・寺院等の“精神性”だとか、古くからの“習俗”、そして、都市部よりもそういった伝統文化が手つかずの状態で残っている“地方”・・)といったものにこそ魅力を感じる、という外国人は非常に多いとされています。

アジア人よりも欧米人、それも、高いインテリジェンスを持った層の人たちに、その傾向は顕著です。
(アジアの人たちは、西洋文明をクールな形で取り込み、独自なものに発展させた日本のポップ・カルチャー等に、より興味が引かれるみたいです。)



以下は、ネットで見つけた「ゲーテ格言集」からの抜粋です。 
 
・人間は社会の中でものを教わることができよう。
しかし霊感を受けるのはただ孤独においてのみである。
―「温順なクセーニエン」― 

・王様であろうと百姓であろうと、己の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。
―「格言と反省」―

・誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けて行く時ほど、痛切に孤独を感じるときはない。
―「イタリア紀行」―
 
・人は多くを願うが、彼に必要なものはごくわずかなのである。
人生は短く、人間の運命には限りがあるのだから。
 ―「格言と反省」―
 
・生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない。
―「格言と反省」―
 
・人間は常に迷っている。迷っている間は常に何かを求めている。
−「ファウスト」−
  
・もし賢い人が間違いをしないとしたら、愚か者は絶望するほかないだろう。
―「格言と反省」―
  
・虹だって15分続いたら人はもう見むかない。
―「格言と反省」―
 
・世の中のことは何でも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。
―「格言と反省」―
 


[93] ●「安里屋(あさどや)ユンタ」 Name:道開き Date:2010/09/27(月) 10:30 
沖縄の八重山諸島に伝わる民謡に「安里屋ユンタ」という曲があります。
普段は地味な感じのする(・・・かなり失礼な表現となりますが・・)沖縄の石垣島出身の島唄歌手・夏川りみさんなのですが、自分の持ち歌の「涙そうそう」、「ココロツタエ」、「童神」等を歌っている時よりも、この島唄を歌い踊る時の方が、輝くというか、キラめくというか、はじけるというか、華やぐというか、その映像を20回、30回と繰り返し見ても飽くことがないのです。とても不思議です。他の曲と何がどう違うのか?

もしかしたなら、夏川さんがこの曲を歌っている時には、一瞬、ユタ(沖縄のシャーマン)になって、沖縄の八重山諸島の土地の神さま、島唄の神さまが、憑かって降りて来ているのではなかろうか、もしくは、それらの神様との繋がりを強固なものにしているのではなかろうかとも思えるのです。

テレビで高校野球の試合を見ている時などにも、いよいよの土壇場の時になると見られる“伝統校の強さ”みたいなものを実感させられる事がよくありますが、この唄を歌う時には、夏川さんの細胞の中の沖縄DNAが「ジョンワ、ジョンワ」とフルに躍動を始めているのではなかろうかとも考えられます。

更には、この沖縄の南方に点在する小さな島々に伝わる島唄を歌っている時の夏川さん自身は、逆に、ワールド・ワイドになって、世界に十分に通用するエンターティナーになっている様でもあるのです。不思議なものです。


[92] ●佐々木宏幹先生 Name:道開き Date:2010/09/27(月) 10:27 
下の書き込み[91]に続きます。 
文化人類学、宗教人類学者で、日本におけるシャ−マニズム研究の第一人者。
2002年、宮城県神社庁にお招きし、御講義をお願い致しました。
前日には、神社庁向かいのホテル法華クラブにてご接待させていただき、記念にツーショット写真を撮らせていただきましたし、出席者全員にペーパー・ナイフも贈呈していただきました。

先生は、幼少時には、出身地である本県気仙沼市内の平(たいら)八幡神社という産土さまの境内でよく遊ばれたとのこと。気仙沼地方には、「おカミさん」と呼ばれるシャーマン(霊能者、拝み屋さん)が多数存在していて、その当時の鮮烈な原体験が契機となって、現在の研究に取り組むようになったそうです。
水木しげるさんの自叙伝『のんのん婆(ばあ)とオレ』が連想されるお話でした。

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