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[221] ●「本当に大切なものは目に見えない世界」なのかも B Name:道開き Date:2015/05/04(月) 14:18 
ある日のお祓いでは、始めにYさんの身体に入って語り出したのは70代の女性の霊でした。成仏している霊で、Yさんの近所に住む子供達一家の様子を見に来ている内にYさんの存在を知り、何とかしてお産を守ってやりたいと思っているらしい。無事に終えるまで今後も守り続けて行くと語る。


次に、何となく彷徨っていたという男の霊。顔の半分が黒く見え、ウジ虫のようなものが見えるという。どうやら、バラックのような治療施設で寝かされていたらしい。「この子供を殺してやる」とYさんのお腹を指さす。1人であの世に向かうのは寂しいので子どもを連れて行くと言う。お迎えにいらしている神さまや霊たちと共にあの世に向かいなさいと諭す。


次に、20代で自殺した男性の霊。「この女の所はとても居心地がよい。俺から居場所をとりあげるのか」と語る。「あの世に、神さまがあなたにとって本当に居心地の良い場所を用意してくださっているから、そちらに向かいなさい」と諭すも、抵抗するので祓いの言葉を唱えて送り出してやる。




◆沖縄の霊たち

Yさんの妹さんが、沖縄旅行に行った際に連れてきた戦争犠牲者の霊たちなどは、数百体の数にのぼりました。代表として3体の霊の話のみを聞きくことを条件に神事を始める。
その霊たちは泣きながらに、砲弾の雨の降る凄惨な状況下で亡くなった時の事を訴えてきた。Mさんには、その時の光景が見えるだけでなく、熱さや、爆音、痛みまで伝わってきて、本当に大変だったらしい。

さらに不思議なことに、その霊たちは、Yさんの妹さんが沖縄に来るということを事前に知っていたということを話した。本当は北海道を旅行する予定だったのが、急遽、沖縄へと旅先を変更することとなったのは、どうやらこの方たちが仕向けたことによるらしい。

妹さんは旅行期間中、ただただ眠くて仕方がなく、何をしに沖縄まで来たのか分からなかったという。(霊に憑依されている人はよく、この様な乗り物酔いに似た状態になる)


爆撃で身体の多くの部分を吹き飛ばされたという住民たちの代表の話を聞く。

次に、米兵に陵辱されたり、ガマと呼ばれる洞窟内で起こった集団自決を体験した女性たちの代表の話を聞く。


次に、現地で徴兵された少年兵の霊の話。水筒の中に燃料を入れ、それを抱きかかえて米兵に向かって突っ込めと命じられたのだと語る。火だるまになっても、米兵一人を殺すまでは決して倒れるなと命じられたという。家を出る際には、ハイビスカスのような大きな花を母親に残して行った。その母親は防空壕の中で亡くなっており、今回の神事にあの世から迎えにやって来た。



その時のお祓いの際には、白鬚神社のお使いの神さま(三柱の男神たちと二柱の女神たち)が私たちの後方にお控え下さっていて、話を聞き終わった後に、全員まとめてあの世へとお導きになられたらしい。あの世で一人一人の話を聞いて下さると語られたという。


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★言葉の変換
Mさんによると、沖縄から来た霊たちは、島ことばで話しているので何を話し合っているのか全く理解できなかったのだが、Yさんに入って話し出したら、こちらの言葉になっていたので驚いたという。

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★3本の尾を持ったおキツネ
いつの頃からか、3本の尾を持ったおキツネさんも来てくれているらしく、霊たちが無秩序に、我先にとYさんの身体に入らないように、我々の回りをぐるぐると回って結界を作って手助けをしてくれているという。
前述した女性の霊がなかなか出ていかないようだったので、半分出かかっていた霊体の足の部分を、プチッと噛んでくれたらしい。
どうもMさんの住んでいるところにある小さな祠のお使いさんのようで、Mさんが二月にYさんのことで疲れ果てていた頃も、夜中に出てきて、首の当たりに巻き付いて添い寝して癒してくれたそうだ。

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工事現場で重機を操作中に転倒して、砂の中に埋まってしまい亡くなった男性の霊が語り出した。「何で死んだのか、何で俺が」と訴えてくる。長雨後の作業だったのか、大部地盤が緩んでいたようだった。
前世の行いと関係があってのことだと思われることを話して聞かせた。どうやら、佐渡の金山で働いていた前世があるらしい。妻と娘の事を心配していた。娘さんは父親のことを誇りに思っていて、母親を守って行くつもりでいるということがMさんには見えたらしく、そのことを伝えた。
「あの世へと向かい、神さまの元で学びながら妻子のことはあの世から守ってやりなさい」と話して聞かせた。


義理の父親から納屋の中で暴行を受けてきた女性の霊がやって来た。やがて身籠もってしまったという。義母はその事を知っていたようだ。夫は他に男がいるものと疑いを持つ。やがて義父に殺害されて屋敷内に埋められた。「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか」と訴える。前世において人身売買をしていた女性らしい。


スカイダイビングの最中に友人のパラシュートと絡まってしまい、首が絞まって亡くなった男性の霊が語り出した。「何で友人が助かり、私だけが死ななければならなかったのか」と訴える。前世では、ムチを振るって人を使っていた人らしい。


生き霊のSが死霊を脅して送ってよこして来た。「この女(Yさんのこと)を苦しめる為にここから出ていかない」と言い張る少年の霊だった。親の愛を全く受けられず、虐待されて、寝ているときに布団をかぶせられて殺されたらしい。
本当はYさんの母性が好きでいるのだが、生き霊が“恐怖の暗闇”となってこの霊を脅してその様にさせているらしい。「このひとは、お母さんのようで優しい人だから甘えられた。本当はこんな事はしたくない」と語り、謝った後、導かれてあの世へと向かって行った。





●ウイグル人の霊たち

迷える霊たちがすっかりいなくなった後、突然、霊の集団がやって来たらしい。

(Mさん)「なんか、関西のおばちゃんたちが話すときのような声高な話し方をする霊たちです。どうやら日本人ではなく中国から来た方達のようです。今、Yさんに入っている霊は、手を縄で縛られ、背中から何かを打ち込まれて貫通して亡くなっています。拷問を受けた方たちの霊です」と話す。

(私)「もしかしたらチベットの方達ですか」と問うと、

(Yさん)「もっと上の地方だと言っています」

後で、その場所をネット地図で調べてみたら、中国政府は隠しているが、チベット以上に問題が深刻化している新疆・ウイグル自治区に当たるようだった。文化大革命当時に粛正され強制労働所に送られた人たちなのだろうか。それとも、今の中国政府が国際社会に見えないところで弾圧しているウイグル人たちの霊なのだろうか。

これらの霊たちは、以前にやって来たバラバラ殺人事件の被害にあったフィリピン女性の霊を経由して、迷わずに来られたと語っているという。インターネットやテレビネットワークというのは、霊たちにとってかなり便利な通路の働きをしているようだ。


40代の農民の女性の霊が入る。やはり、中国政府によって弾圧を受けたと語る。
(私)「世界中で行われた少数民族による北京オリンピックの聖火リレー妨害活動にも現れているように、世界は中国政府が行っていることをかなり知るようになっている。今後、ますます世界からの監視の目が向けられるから、民主化活動を命がけで行っている人たちだって大勢いるのだろうから、ひとまずあの世へと向かい、あの世から応援してやればいい」と話して聞かせました。


★おそらく今回のお祓いで、生き霊を説得した際の「より社会のことに目を向けて・・・・」といった内容の話に感応してやって来た霊たちの集団のように思われました。つくづく、この神事で発する言葉には細心の注意を払わなければいけないと痛感しました。へたな言葉は発せられません。





●お祓いの形態の変化が窺える  

Mさんは大部疲れていて、エネルギーが消耗しきっている状態にあるのだという。森の木々、動物等の自然は、人を癒してくれる力を持っているので、そういった場所を見つけて時間を過ごすと、身体も精神も癒されるし、霊能も安定し力強くなってくるのではなかろうかといった話し合いをした。


前回のお祓いに続き、中国の西域から来た霊がYさんに入った。銀色で、後ろの方から何本かの布のような物が垂れた兜をかぶった兵士に家族全員を殺害された女性の霊だった。灌木の間に逃げ込み、月夜にオオカミの遠吠えを耳にして、恐ろしくて外に出たところを刀で背中から切りつけられ亡くなったと語る。同じ地方に住んでいた両手の指を刀で切られた男性の霊も入った。さらに対日感情の良くない大勢の霊たちも来ているという。

あの世へと向かうように諭すも、白鬚神社のお使いの神さまたちに連れられて向かって行った霊もいれば、信仰が違うからと言って留まっている霊たちも大勢いるらしい。

(私)「大丈夫、あの世へと向かって行けば、皆さんの信仰する神さまが手を広げて迎えてくださるから。神さま、信仰の違い云々はこの世でのことだから。あの世は全部一緒だから心配しないで。縁あって皆さんは日本の神社にやって来たのだから・・・・」と話したところ、どうにかあの世へと向かって行ったようだった。



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★神事終了後、これまでとは状況が大部変わってきていることについて三人で話し合った。

@ Yさんに関与してきた生霊の力が大部弱まってきているらしく、家の回りにも低レベルの霊たちがほとんど来なくなった。白鬚神社でお祓いの神事を執り行う際にも、Yさんの口を借りて話そうとする霊たちの質も以前とは大部違ってきている。個人的な事故や自殺、病気で亡くなった迷える霊から、社会的な事件、事故で亡くなった霊に入れ替わってきている。稀には国外からやって来る霊もいる。


A Yさん自身も、「人格変換型」から「取次型」のシャーマン(又は、霊能者)へと変わりつつあるように見受けられる。


B 神事の形態も大部変わってきているらしい。

Mさん曰く、「お祓いが始まって、亀廼井さんが太鼓を叩き始めると、拝殿の何カ所かに“出入り口”のようなものが現れ、そこから霊たちが大勢やって来ています。中には、祈祷の邪魔をしたり、亀廼井さんをからかおうとする者たちもいますが、以前からお祓いの手伝いにいらしている巫女さんのようなお姿の女神様が“シャンシャン、シャンシャン”と鈴を鳴らし始めると、あの世へと続く入り口のようなものが出現し、そのまま大勢の霊たちがその中に吸い込まれるようにして送られていっているのが見えます」

「以前のように迷える霊たちの話を一体、一体聞いてやって、関係のある親しい霊たちがお迎えに来るという形式ではなくなっているのです。あの世からこの世に迎えに降りてくるのは、非常にエネルギーが消耗するらしいのです」とのこと。


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◆さらに、会津戦争で亡くなられた会津藩士の方々の霊に関する数々のエピソードについては、この掲示板の上部にある「過去のメッセージはこちらです」【 13 】の中[114]「●会津の魂」に詳しく記してあります。興味のある方は是非お読み下さい。





◆3年間に渡る神事の総括

★映画『コンタクト』と“言霊(ことだま)”

自分なりに、特にその一年を振り返ってみました。沖縄戦の犠牲者たち、中国ウイグル自治区の弾圧で亡くなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、何故に、遥か遠くに位置する当神社までやってこられたのかをよくよく考えてみました。

SF映画に『コンタクト』という作品があります。宇宙の生命体からの通信を得ようと研究に取り組むジョディー・フォスター演じる女性科学者が、ある日突然、宇宙からの通信をキャッチします。それは人類初のテレビ放映電波、つまり、ヒットラーが国威宣伝(プロパガンダ)の為に行ったベルリン・オリンピック開会式のテレビ映像でした。ここから映画のストーリーは急展開していくのですが、私が最も興味を引かれたのは、我々が日々使用している様々な電波は宇宙の果てまでも波及し続けるという事でした。

「言葉」を“光透波(ことば)”と解釈されている古神道家、言霊研究者も居られるようですが、こういった“言霊”信仰というものは、決して日本だけのものではありません。『聖書』のヨハネ伝には「太初にコトバあり、コトバは神とともにあり。コトバは即ち神なりき、万のものこれよりてなる」と書かれています。インドのウパニシャド哲学の奥義書『リグ・ベェ−ダ』においても、創造主は“言葉の主”となっています。


その年の1月の20日は、暦の二十四節気の「大寒」でした。例年通り、大寒禊(みそぎ)に参加しました。褌(フンドシ)一つになって、気温が氷点下6、7度以下にまで下がった日の出直前の海に入ります。「神事」の時間は20分〜30分ほどです。

その年はどういう訳か、一番最後まで「斎場」に残っていたからなのか分かりませんが、4社のテレビ局からのインタビューを受けることになってしまいました。それも1社ずつ個別にでした。各テレビ局とも「どういった気持ちで禊をされましたか?」といった内容のものでした。

こちらは、寒さで意識を失う寸前の朦朧とした状態だったので、それどころではなかったのですが、あまり深く考えずに思いつくままに答えました。「おのれのミタマを清め、世の中を清め、世界中が平和であることを願って禊を行いました」と。後でテレビを見ましたら、かなりでかい事を口にしてしまったなとも思えました。


どう考えをめぐらせてみても、この出来事以外に、白鬚神社で行われた“口寄せ”神事に、沖縄戦の犠牲者たち、中国のウイグル自治区の拷問でなくなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、“コンタクト”してきた理由が思いつかないのです。

人は一本の「アンテナ」だというのが私の持論です。禊(みそぎ)によってアンテナの感度が高まると、“受信”のみならず、“発信”の性能も高まるようです。禊をしたことにより増幅された“光透波(ことば)”が、更にテレビ電波に乗って発信されたことにより、遥か遠くまで伝播して起こった出来事だったように思われるのです。


とにかく、「言葉」−“光透波(ことば)”の持つ力によって、世の中を祓い清めていきたいと思っています。見えない世界から改善していかないと、この日本はどうにもならない所まで来ているように思われます。


※「行」について
「行(ぎょう)」というものは必要ないものだと語られる宗教者もおられます。ここ数年、よくテレビでお見かけする“青森の神さま”こと、木村藤子さんの本なんかを読んでみてもそのように書かれていました。

しかし、人々の願い事を神さまにお伝えする「祝詞(のりと)」を奏する(発信する)ことを生業(なりわい)としている私ども神職にとりましては、“禊”や“鎮魂”といった「行」は大切なもののようにも思えてなりません。そういった意味のあるものだからこそ、長い歴史を経て、現在にも連綿と受け継がれているのだと考えます。しかし、必要としない方は、それはそれで良いのだとも思います。天才肌の方にとっては、それで十分に間に合っているということになるのでしょうから。



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※参考   

●本田霊学

神伝により、幽冥には正神界と邪神界があり、上・中・下の品位がそれぞれにあるという。この【帰神法】は良質の神主と審神者が必要で、未熟だったり、自己の利益のために行うと、それに相応した低級霊が降りてくる。低級霊はもっともらしいことを言って騙すことが上手である。よほどの技量がないと憑ってきた神霊に振り回されることになる。

 多くの神道系教団も同様で、教団初期の段階では【帰神法】的なものを行っていたが、その弊害が出てしまうため、後には【鎮魂法】だけにとどめるようにしているところが多いとされる。



◆鎮魂法

鎮魂とは、

@ 「日常的な霊魂の訓練のようなもの」

A 「帰神=憑霊のための準備的行法」                        

B 「自他の霊魂を外部の物体に憑依集中させること」

C 「自己の霊魂が天御中主神のもとに至ることによる神人感応」

と説く。(Cの場合は憑霊よりもむしろ脱魂に近い。神が自分の霊魂を草木に付けることも鎮魂であるとしている)




★鎮魂石

直径5、6分くらいから1寸内外の活き石に自分の霊魂の集中することを凝念すること2、30分の鍛錬を行うとよい。鎮魂に力がついてくるという。




◆帰神法

◎自感法 ― 自分一人で神霊に感合する。

◎他感法 ― 審神者(サニワ)がいて、神主(霊媒)がいて、琴師がいる。 
(本田はこの琴師を略し、審神者が石笛を吹くをもって代用した)    

◎神感法 ― 人の意思にかかわらず神の意思で忽然と憑ってくる。

・この三法がさらに有形、無形、上中下に十八法に細分されるという。




★霊界の区分

・正神に181階級あり、邪神もまた同じ181階級あるという。

・「精神正しければ即ち正神に感合し、邪なれば即ち邪神に感合す。精神の正邪賢愚は直ちに幽冥界に応ず。最も戒慎すべし」としている。



★「審神者」の重要性

【帰神法】を一人で行うことは未熟な人の場合、邪霊などが憑ってくるので危険であり、そのため、その憑りきたるものの正邪高下などを判断し、場合によってはその霊を祓うことのできる力を持つ審神者がいて行う「他感法」を親徳は重視する。

「帰神に重要なるは審神者とす。其人に非ざれば即ち能わざる者なり」とし、審神者は「注意周到にして胆力あり、学識ありて、理非を明らかにするに速やかなる」人でなければならぬと記している。特に、神典 (『古事記』『日本書紀』)などを読んでいることが肝心だという。



●産土百首

本田親徳は又、和歌によって自己の神道説を展開しています。産土論を歌にした『産土百首』や、直霊(なおび)、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)の「一霊四魂(いちれいしこん)」の働きについて詠んだ『霊魂百首』等が残されている。


○産土(うぶすな)に 生まれ出つつ 産土に 帰るこの身と 知らずやも人

○産土の 神祈りして その後に 天地の神は 祈るべきなり

○眼の前に 産土の神 立ちまして 魂の善し悪し 見たまふものぞ

○各々の 胸腹内に 産土の 神隠れます 恐れてよ人

○ただ頼め 産土神を ただ頼め ただ今の世も ただ未来の世も

○前の世も この世も後の 世のことも 産土神ぞ 主宰ります



◆参考図書

『本田親徳全集』 鈴木重道編 〔八幡書店〕

『鎮魂行法論』 津城寛文著 〔春秋社〕


[220] ●「本当に大切なものは目に見えない世界」なのかも A Name:道開き Date:2015/05/02(土) 08:04 
その後も、幾度となくお祓いを執り行ないました。
これまでと同様に、何体もの霊たちがYさんの口を借りて自らの苦しい思いを語り続けました。こちらとしましても、これまで通りにその話を聞いてやり、諭して、あの世へと導いてやるだけでした。


●様々な亡くなり方をした霊たち

恋する女性が住む島へ、結婚の話をしようと舟で向かっている途中、高波に遭い転覆して亡くなった男性の霊が来ました。女性はその事も知らず、結婚もせずに、ずっとその男性のことを待ち続けて亡くなられたようでした。その女性の霊が、あの世からお迎えに来ました。


「本当にやり直しが出来るだろうか」と、ひたすら後悔しているヤクザ風の静かな男の霊が来た。どうやら生前に人を殺めたらしい。「天国へ行けるのか? 神さまは自分の罪を許してくれるのか?」と、とても気にしていました。


しっかりと話すことの出来ないような男の子の霊がやって来た。手にはアメを持っているという。もし話を聞いたならば時間がかかりそうだったので、Yさんに入らないようにと神社のお使いの女神さまがすぐ側に現れて、そっと風車を差し出して気を引き、そのままあの世へと導いて下さったという。やはり神様が、一連の憑霊現象を遠巻きにサポ−トしてくださっているのだということが実感できた。



それにしてもどうしてYさんの元には、そういった迷える霊たちが集まってくるのだろうか?・・・交霊会のような催しを行ったようでもないし、コックリさんとかウィジャー盤のような危険な遊びをしたようでもない。非常に疑問を感じていましたが、その原因が解明できないままに、ただただ、お祓いを繰り返すばかりでした。




●まるで現代版『源氏物語』のような展開

そんなある日、憑依霊たちの中に、非常にしぶとくYさんの身体から抜け出ようとしない霊が入ってきました。どうしても抜け出ようとしません。お祓いの言葉も効きません。どうしたものだろうかと考えていると、その時、Mさんが「生き霊のようです。・・・・・どうも、Yさんに、ひたすら思いを寄せ続けている元彼のようです」といいだしました。

するとその生き霊は、最近結婚されたばかりのYさんに対する未練と恨み辛みをひたすらに語りだしました。こちらも根気強く諭し続けましたところ、どうにか当方の説得を聞き入れ、取り敢えずは抜け出して行きました。

結局のところ、これまで迷える霊たちがYさんの元に集まり続けた根本原因というのは、この元彼の“呪い心”であり、それが数々の死霊を呼び込んだものだったようなのです。つまり、霊媒体質で前世に「口寄せ」をなさっていたYさんですから、「迷える霊たちの集積装置」のようになってしまい、元彼の“呪い心”がそのスイッチをONにしてしまったような形で、どんどん、どんどん、迷える霊たちが集まり続けることになったみたいでした。

昔から「幽霊(死んだ人)よりも、ろくでもない生きた人間こそが恐ろしいのだ」と言われてきた先人の言葉が、つくづく、本当のことなのだと思える出来事でした。
生き霊とは、まだ生きている人から抜け出してくる分霊ですから、その人が生きていて思いを募らせ続ける限り、いつまでも繰り返され続けるようです。今回抜け出して行ったからといって、決して安心は出来ません。

よって当方としましては、知っている「生き霊返し」の方法をYさんに教え、それを日々続けるように指導しました。



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◆◆「生き霊返し」の唱え言葉◆◆

非常に危険なものとされているようなので、他の誰にも教えないことを条件に致しました。この言葉を唱えると、憑いている生き霊はもがき苦しみます。

続けて3回までとされています。もう少し唱えたければ、暫く時間を空けてからにしなければなりません。この戒めを守らないと本当に危険なことになります。


◆◆「生霊」と「死霊」の見分け方◆◆

Mさんによると、生霊の場合は、足元の方がハッキリと見え、上半身の方はボンヤリとしか見えないそうです。これは死霊の場合とは全くの逆だということです。
霊の緒(たまのお)が、霊の足元から生きている身体に伸びて繋がっているとされることと何らかの関連があるのだろうか。

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★参考  『源氏物語』の中の六条御息所

世界最初の小説ともいわれる、日本が世界に誇る古典『源氏物語』の中の重要な登場人物の一人に、生き霊となって主人公・光源氏の相手女性を呪い殺した、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)がいます。

大臣の娘で皇太子の未亡人。
二十歳で東宮と死別、二十四歳で七歳年下の源氏と恋愛関係に入る。
教養高く趣味も深いが、プライドも高く嫉妬深い、物事をつきつめて考える息ぐるしさで、源氏の足も遠のきがちになって行く。もと皇太子妃が、まだくちばしの黄色い多情で軽薄な少年に誘惑され、すぐ捨てられるという屈辱は耐えがたく、御息所は悶え苦しむ。

彼女の理性と知性を乗り越えた激しい情念と怨念が、源氏の正妻(葵の上)や愛人(夕顔)を、生霊となって呪い殺してしまう。

源氏との無間地獄から逃れる為、娘の斎宮について伊勢に下向。そして、朱雀帝から冷泉帝の代替わりの時に、再び上京。その後死に際して、娘の後見と彼女を恋愛の対象にしない条件を源氏に遺言し、三十六歳で亡くなる。
死後も、死霊となって紫の上を危篤に陥れ、女三の宮を出家に至らしめる。


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●“神の使い”のホカイビト ???

さらに、三人によるお祓い神事が続きました。

花柳界で働いていた非常に美しい花魁(おいらん)のような女性の霊の場合。通って来た男の子供を身ごもるが、やがて男の足が途絶えてしまった。自分で腹の中の子供の命を絶ったと語る。その事を非常に後悔している様子で子供のことを心配していた。「神さまが、ちゃんと面倒を見て下さっているから、一切の心配は無用だから」と諭し、あの世へと導いてやった。


更に、Mさんが語るには「今日、亀廼井さんがご神前で祝詞を唱えている際に、Yさんと私の腕に、星のマークの書いてある朱色の御札(おふだ)を貼り付けていった霊がいました。さらに迷える霊たちが集まり易いようにと目印に貼っていったようなのです。本当に嫌になっちゃいます」とのこと。その御札はやがて二人の身体の内部へと浸透してしまったという。

その霊は、浅草寺の仲見世(なかみせ)のような通りの界隈で、“猿回し”のような、“チンドン屋”のような事をしていた方らしく、同時にご神前で舞を奉納して行った女性の姿も見られたという。

その話を聞いていて私には、どうやら神さまの“お使いさん”たちが、二人に陰陽道のシンボルである“五芒星”(ごぼうせい、「セーマン」とも呼ばれる図形)の記された御札を、“魔除け”のためか、何らかの“祝福”のために貼って行ったものと思われた。
伊勢・志摩地方の海女さんなどは、魔除けとして、鉢巻(はちまき)に同様の印を縫いつけて海に潜ったりしているからです。

以前、白鬚神社のウェブサイトの掲示板に「ご神前からエンジェルが飛んできて・・・・どうも神職としては複雑な心境でした」といった内容を書いたので、今回は神様が「ホカイビト」を遣わされたのではなかろうかとも思われました。



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★参考 《芸能と陰陽道との関係》

日本には古来、“伝統的祝福芸”という系譜があります。
「お・め・で・と・う・ご・ざ・い・ま・す」
と、お祝いの言葉を述べながら、傘を使ってありとあらゆる物を回してしまう、染之助・染太郎師匠のやたらと明るい祝福芸が思い起こされます。そのルーツを探っていくと、【ホカイビト(祝祷人)】に辿り着きます。



●【ホカイビト(祝祷人)】

諸国を漂泊しながら、「祈祷(きとう)」とか、ある種の呪術的「芸能」を生業とした人たちのことを言います。いわゆる“門付(かどづけ)芸”の源流に位置し、相手の一家の幸福と繁栄を祈願して舞いながら、祝言(しゅうげん)を述べるという形態をとりました。今日でも行なわれている?・・・歌手や芸人が地方巡業を行なう「ドサ回り」だとか、「流し」などといったもののルーツはこの辺にありそうです。

食物を容れて持ち運ぶ【行器(ほかい)】を持っていたので、【乞児(ほかいびと)】とも呼ばれました。その【行器】は呪具を収める容器でもあったとされています。
つまり、古代の遊行神人は、言祝ぎ(ことほぎ)の寿(ほかい)を述べる【祝言人(ほかいびと)】であると同時に、門 (かど) 毎に食物を乞う【乞食人(ほかいびと)】でもあったということです。

人を祝福するという呪術的行為は視点を変えれば、人を呪詛することも可能となります。つまり、【ホカイビト】と一口に言っても、【唱門師(しょうもんし)】や、【陰陽師】、【山伏(修験者)】などをも兼ねた者も多く、その辺の定義は判然としない部分が多いようです。



●【唱門師(しょうもんし・声聞師)】

現在の漫才(万歳)の祖とも言える【千秋万歳(せんずまんざい)法師】のことで、一般には民間の【陰陽師】と見なされ、通常は寺院に隷属し、寺院の掃除などの雑務をしながら、祈祷を行ったり、暦を売ったりしていました。



●【七道(しちどう)の者】

大和地方においては、奈良の興福寺に隷属する形で、
@【猿楽】  A【歩き白拍子(しらびょうし)】〈平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及び、それを演ずる芸人。男装の遊女が今様や朗詠を歌いながら舞ったもの〉 B【歩き巫女】〈口伝の呪文を唱えて“巫女舞”をしながら神憑りとなり、“口寄せ”という託宣をおこなった〉 C【歩き横行(おうこう・陰陽師の一種)】  D【鉦叩き(かねたたき)】  E【鉢叩き(はちたたき)】  F【猿飼(さるかい・“猿回し”のこと)】といった職業を持つ者たちのこと。【猿回し】は、もとは馬の安全息災を祈る儀式に用いられていました。

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以前に来たことのあるYさんの友だちの霊の姿に化けた生き霊のSが入ってきた。「Yさんは神さまに守られていいな〜、俺は誰からも守ってもらえない」と語っているらしい。

(私)「この世に生まれていること自体が神さまの愛を受けていることなのだから、自分をシッカリと持ち、他者から慕われる者となり、そして他者を愛しなさい」と言い聞かせる。
「まずは男は仕事だから、家の中に引き籠もっていないで、経済的に自立できるように頑張ってみなさい。期待しているぞ」と諭す。

取り敢えずは納得したようで、しばらく考え込むような態度でいたが、そのまま去って行った。後日、Yさんから話を聞いてみると、生霊Sの声で「もう少し話を聞いてもらいたかった」との言葉が聞こえたという。


おそらくこれまでの生き霊Sの行動は、白鬚神社の神さまのお計らいの中でのことであったかのように思われてならない。なぜなら、Yさんが他の場所にいる時には、こういったことが起こっていないようなのだ。神さまは、S君の立ち直りもお望みのようなのだ。
次回、S君の生き霊が入ってきた時に話して聞かせる内容の「話」を準備しておくことにした。


さらにもう一点、Yさんの憑霊現象に見られる変化を取り上げてみると、これまではそのほとんどが、あまり良くない死に方をした悪霊化した霊たちばかりだったのが、YさんとYさんの母親の実家のことを心配した先祖霊たちが降りて来て、その思いを語り出すようになったという事です。




◆鏑矢を射る武者

Yさんが懐妊したこともあって、暫くの間、神社でのお祓いは行われなかった。妊娠五ヶ月という安定期に入り、安産祈願を行いたいということもあって、二ヶ月半ぶりにYさんが来社した。5〜6体の霊の姿が見られるとMさんはいう。Yさんの完全“口寄せ”の形式ではなく、霊にはYさんに半分入ってもらい、MさんとYさん自身が霊の思いを“取次ぎ”する形式で神事を行った。


時代にして源平合戦の頃のように見受けられる、両耳の辺りが広がった兜を着けた甲冑姿の武者が現れ、先が丸くなっている矢を、Yさんに5本、Mさんに2本、射放って行ったという。「覚悟していろ」とか、「覚悟はできているか」とか言ってから、矢を射たという。その矢は、物凄い勢いで二人の身体を突き抜けて行ったらしい。
その話を聞いて、私には神さまのお使いの方のように思われた。「厄災消除」の鏑(かぶら)矢を二人のために射放ってくださったのではなかろうか。

★鳴り鏑(かぶら)
鏑矢の「鏑(かぶら)」は、桐でできていて、「蕪菁(かぶら)・・・野菜のカブのこと」の形に作り、内側を空洞にして所々に穴目を開けて(三方、五方、八方とある)軽くしたもの。射ればその穴目に風が当たり鳴り響くことになる。




ベルトコンベアーの機械に挟まれて亡くなった男性の霊が入った。流れ作業中、他の中年女性社員が挟まれたのを助けて自分が挟み込まれたらしい。女性は指を失っただけで命は助かった。
あの世の存在が信じられないので、怖くて行けないでいるらしい。霊格が高くて光の輝きが強く、その姿もハッキリと見えないほどのお迎えの方がいらした。そのお迎えの霊に連れられて、拝殿の内に現れた光のトンネルのような所を通ってあの世へと向かって行ったという。


次に、腰の曲がった老女の霊が入った。「家の者たちの誰もが手を合わせてくれない。仏壇のある部屋は物置のようになっている。お墓参りもしてもらえない」と語る。
(私)「先ずはあの世へと赴いて、子孫からの供養は必要とせずに、自らの力で向上の道を歩んでいってください。そして、時折、子孫たちが神仏に心を向けられるように、あの世から指導してやりなさい」と諭す。


次に、27〜28才くらいの男性の霊が入る。海上自衛隊にいたという。夜中、見回り中に友人の隊員に突き落とされ、船のスクリューに巻き込まれて亡くなったらしい。結婚を決めていた女性をめぐっての三角関係だったという。事故として処理されたことに憤っている。その女性も、友人が犯人ではないかと薄々感づいているらしい。




●生き霊が置いていったお墓

以前、Yさんが無事に結婚式を乗り切れるようにと準備した、御神前で御祈祷した「生き霊返しの言葉」の墨書と、Yさんの身を守るための小さな注連縄(しめなわ)が非常に役立っている。

ある日、生き霊Sが操っている死霊が入ってきた。Mさんがその事を見破った。「トホカミエミタメ」の祓いがあまり効かないので、生き霊の場合なら仕方がないが、死霊なのにどうして効かないのだろうと不思議に思っていたところ、Mさんがその霊から延びていた黒い紐のようなものを見つけた。それを辿っていくと、その先には、目だけをギラギラと輝かせて、社殿の鴨居(かもい)の隙間に姿を隠していたSの生き霊がいたのだ。その際には「この女、また見破りやがったな〜」という声がしたという。

この死霊を使って、何か黒いブロック状の物をYさんの身体の中に運び込んだらしい。
御神前で祈祷した「生き霊返しの言葉」を墨書した紙をYさんの胸元に当てるやいなや、その死霊もSの生き霊も、共にもがき苦しみだした。さらに、私が「生き霊返しの言葉」を唱え始めると、苦しみのため100メートル先まで届くかと思われるような凄まじい叫び声を発した。まるで映画『エクソシスト』で、悪魔が聖水を浴びせかけられて苦しむときのシーンの様だった。

Sの生き霊の為に用意しておいた、「比叡山の千日回峰行を二度も成し遂げた酒井さんも、若い頃には乱れた生活をして、奥さんを自殺まで追い込んでしまったが、一念発起して仏門に入り、最高位の阿闍梨(あじゃり)にまでなっている。人は本気になればやり直しがきくんだ」という話を聞かせた。

死霊に対しては、「とにかくあの世へと赴きなさい」と諭すと、Sの生き霊も「こんなはずではなかった」という言葉を残して去っていったという。その話を聞いて改心したかどうかは解らない。

Yさんの身体の中にはブロック状の物が残されたままになっているという。御神前の塩をなめて、水を飲み込み、「トホカミエミタメ」を唱えながらYさん自らの力で祓うようにMさんが指導した。そうすると、Yさんの身体の中で渦巻きのようなものが起こり、ブロック状の物が浄化されている様が見えたという。

(Mさん)「Sが家の中の机の上にお墓のような物をこしらえ、Yさんと共に入れるようにと、呪術的な行為をしている姿が見えるのです。自分自身を魔神の使いのように考えていて、何らかの宗教的儀式をしようとしています。ほとんど狂っている状態です」とのこと。Sは呪術の本が好きでよく読んでいたらしい。



その後も、この「お祓い神事」は更なる摩訶不思議な方向へと展開して行くことになっていたのでした。


[219] 「本当に大切なものは目に見えない世界」なのかも @ Name:道開き Date:2015/04/29(水) 17:21 
『現代版 耳なし芳一』とでも言ったらいいのか、テレビアニメの『犬夜叉』とか『結界師』のような摩訶不思議な内容の話となります。私自身が、かなり社会的信用を失ってしまいそうだとも考えましたが、訳の解らない絵空事を書き並べていると揶揄されそうな内容であることは十分に承知した上で、その一部のみを書き記すことと致します。




●Yさん、Mさんとのお祓いの始まり

8年前の夏から秋にかけて、二人の不思議な若い女性が、当白鬚神社を何度か訪ねて来られました。

先ずはYさんですが、県内の某有名大社からの紹介を受けていらっしゃいました。彼女のお話では、友人でもある女性霊能者のMさんから「あまり善くない霊が憑いているので、どこかでお祓いしてもらった方がよい」と言われたので、お祓いを受けに来たということでした。

たまたま受付をしている時に、「例えば、こうして指をさして“トホカミエミタメ”と祓詞を唱えただけでも・・・」といった説明をしていたところ、突然、Yさんが神憑り状態になり、彼女に憑いていた霊が自らの思いを語り出しました。おそらくは、私の指先から、憑依している霊に“神気”が放射されてしまったことにより起こった憑霊現象だったのでしょう。

「自分は子どもを残したまま自殺してしまった女である」「回りから愛されている、この女が羨ましくて、家庭内をメチャクチャにしてやろうと考えている」「残してきた子どもたちのことが心配でならない」・・・・

当方としましては即座に、その迷える霊に対して考えの誤りを正し、「いつまでもこの世に留まって居ないで神さまの元へと向かわなればいけない。あの世でしっかりと修行して、再びこの世に生まれ返ってくるようにしなさい」と諭し聞かせた後、「白鬚神社の大神たち、 この障りの一切を正しき方へと導き給え」と唱えて、そっと、あの世へと送り導いてやりました。

そのYさんは、かなりの“霊媒体質”の方らしく、その後、何度か同様のことを繰り返すこととなりました。後に解ったことなのですが、前世では“口寄せ”の仕事をなさっていた方のようです。




●神社の殿内が神様のお使いでいっぱいに

その数日後、霊能者のMさんも一緒に神社を訪ねて来られて、お祓いを行う際の様子を見てみたいということで共に参列されました。ご祈祷後のMさんのお話では、「亀廼井さんを、普段、二人の行者さんの様なお姿の方たちが守護して居られるようなのですが、ご祈祷を始めようとして装束(狩衣)を身に着けられた瞬間に、神社の殿内が、数え切れない程のそういった姿の方たちでいっぱいになりました。これまでに経験したことのない光景でした」ということでした。

その後、この様な神事を幾度となく繰り返すこととなりましたが、Yさんの“憑き物”のお祓いを行う際にはMさんの存在とその霊能はとても有用で、非常に助かりました。と言うのも、迷える霊たちというのは、とにかく自分の思いを聞いてもらいたがるのです。どういった亡くなり方をして、今どのような気持ちでいるのかといったことを聞き出すのには、どうしても時間がかかってしまいます。ですから、Mさんが瞬時に霊の思いや、亡くなったときの状況を感じ取ってこちらに伝えてくれると非常に時間的に早まるのです。Mさんには、その時の状況が霊眼に見え、空襲でなくなった人の場合などには、爆撃音や逃げ惑う人たちの叫び声といったものも聞こえ、家の焼ける猛火の熱さまで感じられるそうです。

さらに、この時から二年ほどが経過してから知ったことなのですが、Mさんは以前から霊の姿が見えたり、霊の語る言葉が聞こえたりしていたのではなく、何となく感じ取れる程度だったということでした。この時にYさんと初めて白鬚神社に来て、境内で私が来るのを待っていた際に、車でやってきた私が駐車場に車を止めて降りる姿を見ていて「何で三人で来たのだろう?」と、私の周りにいた二人の守護霊の行者さんの姿が見えてしまったのが総ての始まりだったということでした。神社という空間そのものに、霊感を覚醒させる何らかの力があるということなのでしょう。




●必ず姿を現わす「お迎えの霊たち」

Mさんが「今、リストラにあって苦しんでいる時に交通事故で亡くなった人がYさんに憑いています。その男性には、奥さんと高校生の娘さんがいて、二人の今後について心配しているようです。娘さんはお父さんのことが大好きでした」と話されると、Yさんは別人格となって顔つきも男性に変わり、そういった内容のことを話し始めます。それを私の方で諭してやり、あの世へと送り導いてやります。

「次は、受験を苦にして自殺した少年が入りました」というと、同様の事が起き、またまたあの世へと導いてやるといった事を繰り返しました。彼は、親から「勉強しろ、勉強しろ」とうるさく言われ続け、二浪してもう後がないと自分を追い込んで、思い詰めてしまったことにより死を選択したようでした。



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★お迎えの霊たち

迷える霊が、あの世へと向かう気持ちになってくると、必ずといってよいほどに、あの世から使わされたお迎えの霊が姿を現します。懐かしい先祖の方たちだったり、親しかった友人だったり、可愛がっていた動物だったり・・・
神さまが、霊たちが恐れないようにと、そういった取り計らいをして下さっている様なのです。

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彼の場合、只一人自分を理解して可愛がってくれたお婆ちゃんが迎えに来たようでした。彼は、祖母の霊に泣きすがりながら、あの世へと赴いて行ったとのことでした。




●態度が立派な“百姓の霊”

「隣の村同士の、百姓の土地争いで亡くなった霊が入りました。この霊は一方のリーダーだった人のようです」とMさんが語られた時も、Yさんの口からは「自分は、鍬で片腕を傷つけられ、首に縄をまかれて、馬で田畑を引きずり回されて死んだ者だ」と語られました。

この霊は、大部以前からYさんの母親に憑いていたその土地の因縁霊らしく、三ヶ月ほど前にYさんの実家にお祓いに伺った際にはあの世へとは向かわずに、今回、お祓いに同席したお母さんに憑いたままの状態で神社までやって来て、自らの身の上話を聞いてもらいたかった様なのです。お母さんは、7年ほど前から首と左腕に痛みを覚え、何カ所かの病院回りをしてきましたが、どの医者からも「何の異常もない、気のせいだ」と言われ続けてきたということでした。

当方からは「相手側だって生きる為だったのだから、決して恨んではいけない。あなたは、態度も、語り口も、立派な人格を備えている方のように見受けられるから、今はそういった時代ではないので、神さまの元でさらに学んで、生まれ変わって、世の中の為に尽くしてください」と申し上げました。すると、その霊は「この女の人(Yさんのお母さん)の優しさに甘えてしまい、誠に申し訳ないことをしてしまった」と語り、丁寧に深々とお辞儀をしました。

やがて、昔飼っていた愛犬の霊が迎えに来ているのが見えるようになったらしく、その犬の霊が彼の腕にじゃれつき、やがて、一緒にあの世へと向かって行く姿がMさんの霊眼には見えていたという。

もう一つ、この霊について非常に印象に残ったことがあります。それは、生前の名前を問うた際に、その霊は「アベ・シンゾウ」と答えたことでした。第一次安倍内閣が成立して何ヶ月か過ぎた頃のことです。

キツネ憑きなどではよく、歴史上の人物モドキの名を名乗ったりすることがあることは知っていました。徳川家康左右衛門だとか、豊臣信長だとかいったように。実際に私が応対した霊狐は「白笹(しらざさ)大明神」であると神名を名乗っていました。一瞬、「こいつはキツネか?」とも考えましたが、態度は非常に立派で元人間であることは間違いないようでした。私には何度かの狐憑きのお祓いをした経験があり、憑いている霊狐には繊細な情みたいなものが感じられなく、まるでアニメのキャラクタ−的な話し方をしてくるので人間でないことはすぐに解ります。

つまり、憑依霊というのは、憑いている人がテレビで見たり聞いたりしている知識を、ある程度までは共有できているのだということが分かります。ただただ亡くなった当時の思いを抱いたままもがき苦しんでいるだけではないのだと。こういったケースのお祓いをすると、私もいろいろと学ばせられます。




●首のない甲冑姿の武者の霊

次に、Mさんが「首のない甲冑姿の武者が入りました。この辺で亡くなられた方のようです」と語られると、Yさんの口からは「どこに行けば、わしの首が見つかるのか」と語られだしました。私としましては「あの世へと向かいなさい。ちゃんと首が見つかるから」と諭しましたところ、その霊は実に素直に御礼を言い、あの世へと向かって行きました。

(リストラに合って悩んでいる内に交通事故で亡くなった霊に対して、「会社に首を切られたのですね・・・・・」といった内容の話をしたので、その「首を切られた」という言葉に感応してやって来た霊のようでした)

といったように、その日は、続けざまに6体の霊をあの世へと導くことになりました。
Yさんは、女の霊が憑くと女性の表情で語り、男の霊が入ると男性の表情、口調で語り始めます。子どもの霊が入ると、子どもの仕草をしながら語ります。

言うことを聞かずに大暴れする霊には、こちらとしましても仕方なく、ある方法を用いてしっかりと一撃を加えてから言うことを聞かせるようにします。そうすると素直になってこちらの諭しを聞き入れ、あの世へと向かって行くのでした。




●白鬚神社の「お使い神」

さらに、何度かYさんのお祓いを繰り返している内に、見えない世界では、白鬚神社で話を聞いてもらい、あの世へ送ってもらいたいという霊が大勢になり、Yさんの周りには更に不幸な霊たちが集まり出しました。Mさんからは「これではYさんの身がもたない。どうしたらいいものでしょうか」という連絡を受けました。

更にMさんから連絡が入り、「昨夜、白鬚神社の神さまのお使いだと語られる、頭に葉の冠を差し、十二単の様なお召し物と赤い袴(はかま)を身に着けられた、巫女さんのような姿の女神さまが現れ、Yさんをこのようにして守ってあげ、迷える霊たちもまとめて私が神社に連れて行ってやるから安心しなさい」というお告げがあったということでした。

そして、Mさんが、Yさんと共に神社に来てみると、その時の女神さまが拝殿の中で待っておられ、二人を出迎えてくださったということでした。当方としましては、その日も、いつもと同様にご祈祷を行い、多くの霊たちを神さまの元へと送ってやりました。

その際には、私が祝詞を奏上している時に、本殿の方から、おしりを出し、背中に翼をつけた天使たちが大勢あらわれて、Yさんの周囲を飛び回る姿が見えたそうです。
(私は神主なので、神社の御本殿からエンジェルが飛んできたというお話は、何とも複雑な心境で聞き入りました)

更に、迷える霊たちの間で話が広まり続けたようで、Yさんの回りにはさらに大勢の霊たちがつめかけました。その際にも、白鬚神社からのお使いの神さまたちが、大勢の霊たちを、雲のような乗り物にのせて連れてきたとのことでした。




●Yさんの霊魂が身体に戻れなくなる

ある日の夕刻、いつものようにYさんに対してお祓いのご祈祷を行っていると、ハッキリとした記憶はないのだが、30〜40体の霊が次々とYさんの体に入って語り出しました。当方としては、短期間の内に、次々に霊たちを諭し、あの世へと導き送ってやりましたが、正直なところ、ほとほと疲れ果ててしまいました。

その時には、Yさんの霊魂はそれらの霊たちに押しのけられて、自分の身体に戻ることができなくなってしまいました。Yさんの霊魂は悲観してしまい、神社からぬけだして、神社前の鳴瀬川に自らを投げだそうと考えたようでした。そのことを知ったMさんは「Yさんがいない、あれ、Yさんがいない」と慌てだしました(Yさんの身体は眼前に在るのですが)。その直後に、Mさんの守護霊が機転を利かしてMさんの身体に入ったらしく、急いでYさんの霊魂を連れ戻しに神社の外へと出て行きました。

それから暫くして、無事に連れ帰って来たということなのですが、やはりYさんの霊魂は自分の身体には戻れない状態でいるらしく、Yさんの身体に入ろうと並んでいる霊たちの列の後方に泣きながら並んでいる状態でいたらしく、再び、神社から抜け出してしまいました。

Yさんの身に入り込んだ霊たちの中には、Yさんの身を心配してくれる霊もいるらしく、その中でも力を持った霊に対し、Mさんが「あなた達、今すぐにYさんの霊魂を連れ戻して来て」と言い付けると、すぐに連れ戻して来たようです。その行動は非常に迅速でした。そこは霊の仕業です。空間的な距離は関係ないようです。そして、その霊たちが他の霊を追い払い、Yさんの霊魂を身体に戻してくれました。





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★注連縄(しめなわ)の威力

そのような事もあって、今後、Yさんをどのようにして守って行ったらいいのかを私なりに熟考してみました。
この際、Yさんの住むアパートの各部屋に注連縄を張り巡らし、“お宮”と同様の「神々の領域」にしてしまえばいいのではないかとの思いに至り、すぐに注連縄を準備し、Yさんに渡しました。
(「注連縄の内は、神さまの領域となる」ということは、絶対的“神霊界の掟”なのだということは、多くの関連図書を読んで知っていましたので)

他にも細部に渡り、Yさんに「邪霊に波長が合わなくなる為の自身の霊格の高め方」等を指導しました。

その後、Mさんから連絡があり、注連縄を巡らしてからは、迷える霊たちは家の中に入れなくなったようです。しかし、死神は入れるようなのです。その際には、白鬚神社のお使いの女神様が突然現れて、「お主も神であろう。この領域で、そなたが企むことをしようものなら済まぬぞ。この者を守る神を凝らして見ろ。この内には、入ってはならぬ」と強く叱責し、死神を追い出したということでした。これはYさんとの電話越しに聞こえた、神さま同士のやり取りの言葉だったとのことです。

この後、この注連縄の持つ不思議な力がYさんを守り続けることとになりました。

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Mさんによると、Yさんの場合、首の裏側、右の肩胛骨、腰の三カ所に「霊の出入り口」があるらしい。






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★言霊(ことだま)の力

『トホカミエミタメ  トホカミエミタメ  トホカミエミタメ 
祓い給い  清め給ふ 』 (三種祓詞)
 
と唱えると、“神気”が神主(私)に集まってくるのが見えるとMさんはいいます。それを指先から、憑霊状態にある人に向けて放射すると、余り善くない霊が憑いている場合は霊がもがき苦しみます。Yさん、Mさんによると、“金銀の光”が、まるでホースの口から水が放たれて、人に激しく浴びせられているように見え、浴びている悪霊は強い衝撃を受けている状態になるらしい。

この“言霊の力”により、反抗してくる悪霊に対して一撃を加えてこちら側の言うことを聞かせる。善霊が、怒りから大声を出したりしている場合には、この言霊による押さえは効かないので、誠意を持ってじっくりと話を聞いて導いた方がよい。

以前、神さまのお使いの「おキツネさん」を邪(よこしま)な野狐(やこ)と勘違いして施術したことがあった。苦しむどころか、気持ちよさそうに寝入ってしまいそうになった。

憑依している霊が、善なるモノか、悪なるモノかを審神者(サニワ)する際には、これが私にとっては非常に有効な手段となっている。

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★神憑りの歴史


●古典にみられる「帰神(きしん)法」と「審神者(サニワ)」

先ずは、『神道事典』に載っている「審神者(サニワ)」の説明を記してみる。
「サニワ」は「清場(さにわ)」の訳で、本来、神を祭り託宣(たくせん)をうけたまわる為に忌み清めた場所「沙庭(さにわ)」を指す。
その斎場の意味から転じて、沙庭において神託をつかさどり、神意を判断する者、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。転じて神楽(かぐら)で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。

・『古事記』中巻の仲哀(ちゅうあい)天皇の条に、天皇が御琴を弾き、神功皇后(じんぐうこうごう)を神主(かんぬし・神の憑かられる台となる人)とし、武内宿禰(たけしうちのすくね)が沙庭(さにわ)となって神の命を請うたとある。

・『日本書紀』神功皇后(じんぐうこうごう)摂政前紀には、皇后が神主となり、武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者(サニワ)としたことが載っている。




●中世の修験道における“神憑り”

修験者の「憑祈祷(よりぎとう)」と木曽御岳行者の「御座(おざ)立て」とは、ほぼ同じタイプのものであり、“修験者”や御岳教の“前座(まえざ)”者が、「精霊統御型のシャーマン」に当たり、“憑人(よりびと)”と御岳教の“中座(なかざ)”者が「霊媒型のシャーマン」となるのだろう。
天理教の中山みき、金光教の赤沢文治は、「憑祈祷(よりぎとう)」が召命の契機となった。

しかし、かなり効率が悪かったらしく、やっと憑ってきた神や霊も、「ア〜」とか「ウ〜」とか唸る程度で、はっきりと物事を語りだすといったケースはかなり少なかったようだし、イカサマも多かったという。




●本田霊学における「帰神法」と「審神者(サニワ)」

古えの神典、古書に見られた「帰神法」を復興させたとされる、江戸期から明治期にかけて活躍した神道家で、某諏訪神社の宮司を務めていた本田親徳(ほんだちかあつ)。その“霊学”においては、「帰神法」を行った際に、憑ってくる神や霊の正邪を判断し、正しく教導する役目の者を「審神者(サニワ)」と定義する。

審神者は誰でもすぐになれるというものではなく、一定の修養を終え、体力気力ともに充実し、確固たる信仰心をもった霊的権威者でなければならない。
審神者(サニワ)は、記紀(古事記、日本書紀)などの日本の古典や神典はもちろん、諸仏典、さらに霊学の奥義に通暁していることが望ましいとされる。




●大本教における「鎮魂帰神法」と「審神者(サニワ)」

本田親徳には数百人の門人がいたという。その中でも法術の允可(いんか)を受けたのは、明治政府で大臣も務めた副島種臣、そして、三輪武、鈴木広道、長沢雄楯(かつたて)の四人である。大本教の出口王仁三郎はそのなかの一人、長沢雄楯から「帰神法」と「審神者(サニワ)学」を学んだ。

長沢雄楯は、静岡の浅間神社に設けられた中教院で国学と神道を修学した後、県社御穂神社の社掌に任ぜられた18歳の頃に本田親徳の門下となった。その後、長沢は、不二見村の月見里 (やまなし)神社も主管していたため(同社は別称を御笠稲荷神社といった)、この神社を本田霊学に基づく鎮魂帰神術の道場にしようと考え、静岡県の許可を得て、同社を総本部とする御笠稲荷神社講社を設立している。多いときには千数百人の門人をかかえたらしい。  

出口王仁三郎は、この長沢雄楯から学んだ本田霊学の「帰神法」を、誰でもが簡単に行えるように改良を加えて、その効率を高めた。今で言う一般人向けの「帰神法」のソフト化をはかったのだ。現在の神道系教団の多くは大本教の分派である。




★★★ 「鎮魂帰神法」の実際 ★★★

@審神者(サニワ・術者)は正座し、印(審神者の印)を結ぶ。〈よくテレビなどで、忍者が巻物を口に咥えて、指を組んで印を結んでいるシーンが観られるが、あの様な指の組み合わせとなる〉

Aその状態で、審神者(サニワ・術者)は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を念ずる。
そうしていると、審神者に神霊(神気)・・・天御中主神の稜威(みいづ)が集まってくる。
〈必要に応じていくらでも補給できる。〉

B審神者(サニワ・術者)の身に受けたる神霊を、被術者に向けて矢の如く放射する。審神者より霊を補充してやるのである。
〈この時、被術者も印を結んでいる。(神主の印)〉

Cこのことにより、被術者の霊が充実してくる。

D被術者の霊の充実により、憑依していた後天的憑霊が居たたまれず、表面に飛び出してくる。
〈守護霊というのは、憑いているというよりも、神様の命を受けて遠く近くで見守っていて下さっている正しい霊のことであって、憑依霊というのは、その人の霊体内にリアルに入り込んでしまっている、ごくごく身近に存在している居場所を誤っている霊体のこと〉

E審神者は憑依霊を問い正し、除霊して、向かうべき処へとみちびいてやる。

★よくよく考えてみると、自分で自分に対して施術した場合を想定してみると、「鎮魂行」だったり、「自祓い」「禊(みそぎ)」なんかとも同じであると考えられる。われわれが日々行っている「お祓い」なんかは、他者に対する施術の場合とほぼ同じ原理に思えるのだが・・・・いかがなものか。

結局のところ、肝心なのは施術者の“鎮魂力”となるのであろう。




◆◆◆ 審神者(サニワ)の実際 ◆◆◆

“真の審神者(サニワ)”にはその「背後に神力の助けがある」ので、どんな守護神をも発動させる特権が与えられているという。

よって、神や霊がどうしても帰順しなかったり、凶暴に振る舞ったり、強圧的な霊力で審神者(サニワ)に逆襲してきた場合、審神者は「正神界の神の守護を祈りながら」権威を持って誘導したり、なだめすかしたり、叱責したり、霊縛したりするなどの救済の道を尽くすのであるが、それでも無理な場合は強制的に元に戻すこともある。

大本教の「鎮魂帰神法」は、慎重にさえ行えば、憑依している邪霊なども教化され、その結果、心身共に健全になるという。また、霊覚が開けたり、神通力のような力がついたり、予言的な言葉を吐くような場合も多々ある一方、神憑り状態でおかしくなるような者もあったという。

審神者(サニワ)役にしても、いったい誰がその大役を務めることができるのかという問題もあって、中止の運びにいたったと言われている。正しい神霊が憑依すれば正しい霊言を伝えるとされるが、邪神界系でも力を持った神であればあるほど、正神界の実相をも洞察する力があるため、ベテランの審神者(サニワ)ですら瞞着させられる場合があるという。





★★★★★★★★★★★★★★★

とにかく某教団のように、空中浮遊だとか、超能力獲得だとかばかりに頭が行って、修行、修行、修行・・・修行するぞ、修行するぞ・・・・となると、逆に変なモノを呼び込んでしまうことにもなるようです。昔から言われているところの、所謂「魔が入る」といった状況です。

霊能力、神通力を手に入れようとすることは、つまり、我が、我が、我が、我が・・・・・となっている状態ともいえるので、それは良くないのです。口では「人類救済」を謳っても、内実は真逆を考えていることにもなりかねません。

自分は、吹けば飛ぶようなパッパラパーな存在だけれども、神様が一切をそのようになさっていると、何となく考えている位で丁度良いのだと思います。
「但し、やる時にはやるよ」くらいは常に思っていたいのも確かです。


[218] ●六十進法 Name:道開き Date:2015/04/14(火) 11:51 
古代メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川の間の肥沃な三日月州地域で発祥した。現在のイラクの一部に当たります。

約1万年前に最終氷期が終わると人類は定住し農業を始めますが、この地域では紀元前9,000年頃には農耕が行われていたとされています。

氷河期が終わり、広大な氷河が溶けて大洪水が頻発した際の人々の記憶が『旧約聖書』の創世記の中の「ノアの方舟」の話だとされるが、これはメソポタミア神話が元になっているらしい。(ユダヤ人の始祖アブラハムはメソポタミアの都市国家ウルの出自とされ、エデンの園はメソポタミアの都市、バベルの塔はジッグラトだともされている)


古代メソポタミアでは、シュメール、バビロニア、アッシリア、アッカド、ヒッタイト、古代ペルシア人等の多くの民族が各地に定住していたが、紀元前4,000〜3,000年頃に、ウル、ウルク、ラガシュ等の都市国家を発達させたのがシュメール人であり、彼らはやがて古バビロニアを建国する。

灌漑(かんがい)施設、高度な農耕器具、楔形(くさびがた)文字、ハンムラビ法典(損害賠償、負債取り消し、報酬、等価概念についても記されている)、金属の鍛錬、占星術、太陰太陽暦(後のギリシャで「メトン法」と呼ばれた“十九年七閏法”、「七曜」をも編み出した)を発達させ、他にも車輪、ワイン、ビールなどのアルコール飲料、そして六十進法が発明された。

これらは「カルデア人の智恵」と呼ばれ(カルデアとはメソポタミア地域の別名とされる)、エジプト文明、インダス文明の誕生にも影響を与え、両文明との交易も盛んに行われた。


現在、IS(自称「イスラム国」)の兵士たちが、彼らの偉大な「ご先祖様たち」が築き上げた貴重な文化遺産を破壊する映像が頻りにテレビに映し出されています。「文化大革命」当時の中国とも似た様子を呈しているが、こういった行為は全人類に対する犯罪であるとも言えそうだ。



★六十進法の「時・分・秒」はバビロニア生まれ
古代バビロニアのシュメール人たちは数値計算を得意としており、太陽の運行速度には季節によって遅速があることをも知っていた。水平線上に太陽が顔を出す瞬間から、すっかり姿を現す瞬間までの時間を、水時計から滴下する水量によって計測したとされる。

この時の水量が一日(一太陽日)で滴下する水時計の水量の約720分の1であることをも知り、さらに彼らは「六十進法」(60は2、3、4、5の最小公倍数であるために約数が多く、除算に便利)を使っていたので、720はちょうどその12倍となることから、1日の12分の1を1時間と定めた(現在の2時間にあたる)。これは太陽が直径の6倍分だけ天空を進んだ時間となります。

太陽の直径(視直径)分の進行時間×3 = 現在の1時間


[216] ●“岩盤”規制 Name:道開き Date:2015/03/27(金) 15:15 
“風光明媚”な青松と八十島々が織りなす景観、そして“海の縄文”を売りにしている野蒜・奥松島ではあるのだが、復興に向かって頑張ろうとしているときに常に大きく立ちはだかるのが文化庁による規制なのです。東日本大震災以前から、地元の住民たちは数々の規制によって不便を強いられてきましたが、高台への移転候補地を定める際には皆が泣かされました。

地元の人たちは、あまり復興作業に時間の掛からないような、生活するのに使い勝手の良さそうな場所を第一に選ぼうとしますが、文化庁による規制は、海からの景観が損なわれないことを第一とします。

果たして海上から野蒜・奥松島を眺める人の数が、いったい年にどれだけいるのだろうかということです。別に、ネオン看板をチラチラさせたり、巨大なビルディングを建てようとしているわけでもなく、ましてやガンダム、まことちゃんハウスのような奇抜な建造物を建てようとしているわけではないのですから。植樹をして対応することだって十分に可能だった筈です。

地域住民の誰しもが、自然だって、文化だって、守っていきたいという気持ちは持っているのです。文化庁の役人たちには、霞ヶ関にいて規制ばかり掛けようとせずに、地域住民とよく話し合いの機会を持って、ちょうど良いところで折り合いをつけようと努力してもらいたいのです。


その土地の歴史・文化は、人と自然とが織りなす生業(なりわい)の中に醸し出されてくるものであって、「こんなに規制ばかり掛けられる所では、生活していく上で余りにも不便だ」と住民たちの多くが出て行ってしまうことになったなら、誰がその地を守っていけばよいのだろうか。人が住んでいればこその観光地だろうと思われます。

文化庁側は「そうなったならば、釧路湿原だとか、尾瀬のような、住民のいない観光地にしていけばよいだけのこと」程度にしか考えていないのだろうか。

今後、当地に移り住んで観光業や漁業に従事したいと考える若い人たちが出てきた場合、町側がある程度の住居スペースを用意できなければ、本腰を入れてやっていくことができないとも考えられるのです。


[215] ●社会の根底を支える“精神”基盤 Name:道開き Date:2015/03/16(月) 13:26 
「本当に大切なものは目に見えないんだよ」という、フランスの飛行士(パイロット)でもあるベストセラー作家サン=テグジュペリ(1900-1944)作の童話『星の王子さま』の中の、あまりにも有名な言葉がある。

道徳はなぜ重要なのか、また道徳そのものがどうして生じたのか。ノーベル経済学賞を受賞したオーストラリアのフリードリッヒ・フォン・ハイエク教授は、道徳がない、つまり社会において良い基準を持てなかった集団は決して長く続かないと語っています。例えば、人を殺してもいいという集団があったとしても、その集団は消えてしまう。長く続いて栄えている集団というのは、それだけの何かしら社会的な基準、規範といったものを持っている。             

『13歳からの道徳教科書』 道徳講座@より


世界史上の奇跡ともいわれる明治維新がこの極東の島国・日本で成し遂げられたのも、武士階級に朱子学を旨とした儒教文化が行き渡っていたということのみならず、民衆の間にも、二宮尊徳の“報徳思想”、石田梅岩の“石門心学”に代表されるような、神・仏・儒が混交した日本独自の道徳観が広く普及していたからだと考えられます。




東日本大震災から4年が経過しました。津波被害を受けたあらゆる産業(農業、漁業、水産加工業、商業・・・)や個人生活に対し、国や自治体から様々な支援の手が差し伸べられ、少しずつではありますが確実に復興が進んでいます。それに反して、神社、寺、教会などの宗教法人は、何一つ、一切の支援が受けられませんでした。まるで行政からネグレクトを受けたような状態でした。正直なところ、本当に魂消た(たまげた)の一言に尽きます。

宗教法人は非営利団体で、税法上の扱いは「公益法人等」であり、稼いで税金を納めるための団体ではありません。「税金を納めていない法人になぜ国民から徴収した税金を使わなければならないのか」と行政側からは言われますが、税金を納められずに生活保護を受けている人たちには、毎年、膨大な税金が使われているではないかと言いたいです。せめて、今回のような大規模災害時に被災した宗教法人くらいには、何らかの支援が行われても決してバチは当たらないと思うのです。

それは「政教分離の問題だ」と、すぐに政教分離を持ち出す人もいますが、アメリカの大統領就任式では、大統領は聖書に手を置いて宣誓しています。それに対し、「政教分離」の原則に反するとして訴訟を起こしているアメリカ人がいるなどといった話は聞いたことがありません。何でもかんでも「政教分離」と言って騒ぐのは、世界的に見ても日本のごく一部の人たちだけだと思われます。「政教分離」というのは、中世のヨーロッパで教会の権威が王権を凌いでしまったことの反省により築き上げられた概念です。今回被災した宗教法人が政権を脅かすようなことは決してないと思います。

阪神・淡路大震災後に様々な制度改正がなされたように、今後同じような災害が起きても宗教法人をネグレクトしないような法整備を行ってほしいと強く望むところであります。




被災地で起きていることは、今後の日本全国で起きるのだということを考えたならば、地域のコミュニティーや日本の精神文化を下支えしてきた神社や寺が無くなってしまったなら、目には見えない日本の精神的基盤が破壊されてしまい、その上に立っている政治、経済、文化、技術等のあらゆるものが崩壊してしまうことになるでしょう。そのような状況に陥ってしまったのならば、税金の徴収だってままならなくなると思われます。

お隣りの中国を他山の石と見た方がよいと思われます。文化大革命により伝統的精神文化が破壊し尽くされてしまい、何でもかんでもが金、金、金、金のお国柄となってしまいました。人の所有物も自分の物、役人の腐敗、車に轢かれた子供をも見て見ぬふりをする・・・。今はまだ何とか上手くいっているように見えますが、その内に転んでしまいそうに思われます。

日本だって同じだと思います。中国ほど精神文化破壊が一気には進みませんでしたが、戦後は、少しずつ少しずつ、間違いなく進んでいるように見受けられます。多くの作家の方たちが似たような言葉を発せられていますが、作詞家の故阿久悠さんが晩年に「今の日本には心がなくなってきている。だから演歌の歌詞が書けないんだ」みたいなことを語られていたということですが、この言葉には非常に共感できます。

秋田のナマハゲ行事で起きている問題についてテレビで取り上げられていたのを見ました。最近の住民の方たちの中には、「家の中を汚されたり、お振る舞いの酒肴を用意するのが大変なので、家には来ないで欲しい」とナマハゲの来訪を拒絶する家が増えているらしい。これは秋田のナマハゲに限ったことではなく、ごく身近でも、似たようなことを見たり聞いたりするケースは確実に増えています。

これまでの日本社会は、民衆の「心」が潤滑油になってうまく回ってきたようなところがありましたが、その「心」の部分が薄れてしまって、何でもかんでも「経済」になってしまったなら、ギスギスしてしまってあちこちで摩擦ばかりが起きて、これまでみたいにうまく回って行かなくなるのは間違いないことに思われます。




●“神道”      

自然は“神さま”であり、

様々な“教え”は自然の中にある。

つまり、自然は“教祖さま”でもあり、

“教義”も自然の中から発せられている。



山、川、海、動物、植物、滝、そして、石、土さえも“神さま”(神性を帯びている)なのだから

人の中にも神性が備わっている。

よって、それぞれが自然の中の“教え”を感じ取らなければならない。



日本人は、四季折々の自然と向き合い、日々の生業(なりわい)を通して、

または、様々な祭り、神事、行事を通して、

「神人和楽」「神人合一」をはかり、神さまやご先祖さまと触れ合ってきた。


[214] ●“一週間”の話 Name:道開き Date:2015/03/13(金) 07:49 
今回も暦に関わる話になります。


日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買ってきた
     テュリャテュリャテュリャトュリャリャ トュラトュラトュラトュララ〜

月曜日にお風呂を焚いて 火曜日はお風呂に入る
     テュリャテュリャテュリャ・・・・・・・・・・・・

水曜日にあなたと会って 木曜日に送っていった
     テュリャテュリャテュリャ・・・・・・・・・・・・

金曜日は糸巻きもせず  土曜日はおしゃべりばかり
     テュリャテュリャテュリャ・・・・・・・・・・・・

恋人よ これが私の 一週間の仕事です
     テュリャテュリャテュリャ・・・・・・・・・・・・

                          ロシア民謡 『一週間』より

戦後の歌声喫茶が流行った当時、都会に住む若者たちの間でロシア民謡がよく歌われたらしい。私などはその方たちよりも一世代後の生まれになるのだが、小中学校の修学旅行や各種の集いのような時に配られた歌集にはよくこの歌が載っていたことを記憶している。

「ロシアには、スローライフの我が道をマイペースで歩んでいる人物がいるものだな〜」位の、軽い印象を持ったことを記憶している。我々青少年にロシア民謡を歌わせてソ連を好きにならせようとする、何者かの意図が陰で働いていたのだろうか。そして、今の子供達はこのようなロシア民謡を知っているのだろうか。

そういったことはさて置き、この「週」という制度が定まるまでには、古代オリエントの様々な天文知識の積み重ねと民族の歴史があったのでした。興味深いものがありますので以下に記します。



●七曜

七曜(星)とは、日・月と火星・水星・木星・金星・土星の五惑星の総称である。今日では、一週七日の曜日名として定着しているが、日本には、空海が中国から持ち帰ったとされる『宿曜経(すくようきょう)』により、日の吉凶を占うものとして伝わり、具注暦(ぐちゅうれき)にも記載されるようになった。

『宿曜経』とは、人が生まれた日の七曜・十二宮・二十八宿の関係を見てホロスコープを作成し、運勢や日の吉凶を知ろうとする一種の占星術を説いた経典である。唐の時代に、インド人の僧不空(ふくう)がインドの経典を訳したものとされる。


◎七曜の由来

七日を一週と数える時間単位は古代オリエントが起源とされる。それには二つの説がある。神が天地創造に六日を費やし、七日目を安息日に定めたというユダヤ教の経典『旧約聖書』の記述に基づくという説と、七日、十四日、二十一日、二十八日を休日と定めていたバビロニアの習慣が暦に導入されたという説である。
因みに、紀元前6世紀にはユダ王国のユダヤ人たちが、新バビロニアのネブカドネザル2世によりバビロニアに捕虜として連行された歴史がある。(バビロン捕囚)

十進法になじまない七という日数が、なぜ週の単位とされたのかを考えると、まずは、「新月→上弦→満月→下弦」と大きく姿を変える月の満ち欠けのサイクルが、一か月を四分する目安になったと考えられている。朔望月(さくぼうげつ)の二九・五日を四分すると約七日になる。

紀元前2世紀まで、明確な「一週七日」の暦を持っていたのはユダヤ暦だけであった。宗教上、七日に一度の安息日であるシャバット(「仕事を中断する」という意味を持つ)が守られていたためである。
紀元前2〜1世紀頃、「週」という時間単位がローマ暦に導入され、西暦313年に、ローマのコンスタンティン帝によってキリスト教が公認された後は、キリスト教の伝播とともにヨーロッパ全体に「一週七日制」が定着していった。同様に、中央アジアを経由して、インド、中国へも伝えられた。


◎七曜の名称と順番

週日に、日と月、五惑星(火・水・木・金・土)といった天体の名を冠したのは、紀元前2世紀頃のバビロニア人、あるいはギリシア人であったとされる。しかし、ヨーロッパにおいては、英語、ドイツ語、イタリア語にしても、日曜、月曜以外の週日は、神話の神々の名に由来するものが多い。七つの天体の名称を、そのまま曜日名として使用している日本のような国は、世界的にも珍しい。

七曜の順番もこの頃に決められたらしく、土・日・月・火・水・木・金という今日のカレンダーで使用されている不可解な順番は、当時の「天動説」と「占星術」に基づいたものである。

つまり、五惑星同様に太陽や月も地球を回る天体と考えて、周天周期を順序づけると、土・木・火・日・金・水・月といった異なる順になるのだが、当時の占星術では、この順番の七曜を一日の二十四時にも配当していた。

二十四を七で割ると、割り切れずに三が余る。この三ずつずれていく毎日の第一時を並べていくと、土・日・月・火・水・木・金といった順番になるのである。つまり、我々が常用している曜日というものは、今日という日の第一時がどの天体によって支配されているかという、占星術的な意味をもった呼称なのである。


[211] ●正月テレビ番組 Name:道開き Date:2015/01/28(水) 17:17 
年末年始のテレビ特番は、しっかりと録画して、じっくりと見させていただくことが毎年の楽しみになっています。今年は、BSの「ドキュメンタリー」や「現地ロケもの」が良かったように思います。

“東京オリンピックの名花”と讃えられたチェコのチャフラフスカさんの半生を扱ったドキュメンタリーは特に印象に残りましたね。彼女の体操に身を捧げた人生は、端で見ると、誰もが羨むような華やかなものに見えましたが、社会的、個人的私生活においては大変な辛酸を嘗めさせられたようで、自殺も考えておられたようでした。本当に、人の人生の幸、不幸などといったものは、表面だけを見ていても全く解らないものです。

ブラジル日系移民を扱ったドキュメンタリーも良かったです。日本の戦勝を疑わない「勝ち組」と、敗戦を受け入れようとする「負け組」との間の軋轢は、周囲から追い込まれて行き詰まった状態にある集団内でよく起こる、典型的ヒステリックな出来事だったようにも思われました。日本連合赤軍内で起きた集団リンチ事件にも酷似していました。戦場の最前線の地で行われていたという、古参兵による新兵虐めなども同じような事なのでしょう。マニラ戦後のフィリピン大統領による戦犯釈放を扱った番組も良かったです。

とにかく、こういった番組を通してでも、他国でどういった事が起こっていたのかを知らないことには、チェコ、ブラジル、フィリピン、日系人社会のみならず、他者に対して、尊敬の念、親近感といったものを持つことは中々難しいことのように思われます。

その中で、一つの喜ばしい発見がありました。それは、子供の頃に夏休みアニメ劇場で見ていた『妖怪人間ベム』の中に登場する「ベラ」の名は、東京オリンピックの数年後ということもあってか、ベラ=チャフラフスカさんのお名前から取ったのではなかろうかということでした・・・おそらく。作者に聞かないと断言はできませんが。
『ウルトラマン』シリーズを代表する宇宙人「バルタン星人」の名は、当時のフレンチ・ポップス界のアイドル、シルヴィー・バルタンさんから取った名であるというのは有名な話なのですが。




P.S.   NHKスペシャルで「ネクストワールド」というシリーズが放送されています。確かに「アバター」のような遠隔操作技術が発展していくのは極めて有用であることは間違いないのだろうけれども、「デジタル・クローン」だとかいった、死者の生前の情報をサイバー空間にインプットして死者を蘇らせるなどというのは、見ていて「ハァ〜?」だった。別に科学者が研究するのは自由なのでしょうが。

それは、“魂”の存続の問題にも深く関わっていると思われたからです。我々の身の周りで死者の魂が常に見守っていてくれているとしたならば、死者の魂から見ても、私同様に「ハァ〜?」と思われるのではなかろうか。「デジタル空間に自分のクローンを作らなくても、自分は今でもここに存在しているのに」と言いたくなることでしょう。

昨年の夏にも、「魂の実在」ということを全く考えようとせずに、「脳科学」のみで“臨死体験”といった現象を模索したNHKスペシャルが放送されましたが、今回のケースも全く同じことなのではないでしょうか。

将棋、碁、チェスだったら、何万回もの対局(ゲーム)をインプットしたりして、人間の頭脳を超える電脳を開発することは十分に可能ではないかと、私なんかでも考えられます。しかし、ごく限られた個人情報をインプットして、生前の人物のクローンをサイバー空間に再生させるなんて、どう考えたって無理だと思うのです。アイボをいくら進化させたって本物の犬には絶対になれないのと同じだと思う。ただし、研究するのは科学者の自由だとは思います。


太古から繰り返されてきた方法、つまり、五感を研ぎ澄まし、第六感をも働かせて、仏壇やお墓にお供え物を献じて手を合わせ、死者に話しかけ、チャネリングをしながら「魂の交信」をはかっていくというやり方があるではないか。そういったことがなおざりにされてしまっている現在だからこそ、青少年たちの「死」に対する理解不能な事件が多発してしまうのだとも考えられます。

とにかく、「魂」は死後も存続し続けるのだから、「魂」に対する責任は非常に重いのです。さらに、「因果応報」といったことを考えたなら、他者に対して行ったことはそのまま自分に返ってくることになるのですから。

正直な話、あれが本当に「ネクストワールド」だとしたならば、自分は決して「輪廻転生」して生まれ出たくない世界だとも思いました。何故なら、誰もが生きる意味を見いだせない社会になってしまうと感じたからです。
へたをすると、「こんな世界、俺が終わらせてやる」と考える者が次から次へと出てくるかも知れないし、もしかしたら、神様が「一度リセットしてしまおう」とお考えになられるかもしれません。


[209] ●運 勢  2015  Name:道開き Date:2015/01/01(木) 19:52 
今年の立春は、2月4日の13:07頃が「節入り」となります。

旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。 立春は雑節の基準日でもあり、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を遁甲(とんこう・・・移動)します。つまり、「年回り」が変わるのです。

今年は《三碧木星》の年なので、今回も又、「干支・九星術」の《三碧木星》年生まれの方の、月ごとの特徴を少しばかり挙げてみます。



●《三碧木星》年「五黄土星・寅(とら)」月生まれの女性
〔今年は、2月4日の13:07〜3月6日の06:58までに生まれる女性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】真野響子、浅野温子、中山美穂
【Bタイプ】中島みゆき、榮倉奈々、佐々木希、岡安由美子、相田翔子、室井佑月

・・・・といった方たちです。

・情熱家の女性が多く、性急ではあるが、決めた事は最後まで頑張り通す責任感の強いところがある。
・プライドも高く、何でもできると自信過剰になると失敗するから、謙虚な心を失わないようにするとよい。
・理想は高く持つが、実行がワンテンポ遅れやすいところが見られるので精進努力が大切となってくる。
・年とともに角が取れ、柔和となり、円満な家庭人となることができる。
・精神面でややもろい所がある。



●《三碧木星》年「三碧木星・辰(たつ)」月生まれの男性
〔今年は、4月5日の11:44〜5月6日の04:49までに生まれる男性〕

・外見的に三つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】輪島功一、鳥羽一郎、坂上二郎、今井雅之、河島英五、阿部サダヲ、前田健太(野球)
【Bタイプ】堂本剛、なぎら健壱、田原総一朗、宝田明
【Cタイプ】橋幸夫、さだまさし

・・・・といった方たちです。

・プライド高く、負けず嫌いで、片意地張っても競争心を燃やして頑張り、堅実に努力するタイプであって、一直線に進まないと気がおさまらないため、失敗、失望の憂き目に会いやすいところがある。
・派手好みの所があり、高価な物でも買い求めたりもするし、相手次第ではお人好しにもなる。
・頼まれると嫌とは言えない面があり、骨身惜しまず努力する。
・自分の尊敬する人とか、自分を理解してくれる人のためには忠勤を尽くす。
・美的感覚もあり、文芸・芸術に適している。
・気まぐれな態度を取ると失敗するから気をつけた方がよい。
・家庭を大切にし、子どもを大事にする。



●《《三碧木星》年「二黒土星・巳(み)」月生まれの女性
〔今年は、5月6日の04:49〜6月6日の08:55までに生まれる女性〕

・藤あや子、黒木メイサ、風吹ジュン、辛島美登里、梓みちよ、中村メイコ、大下容子(女子アナ)

・・・・・といった方たちです。

・外見的には、似たような眉毛の持ち主の方たちのように思われます。
・聡明であるが内面は細かい事でも気にする方である。
・人の好き嫌いがハッキリしていて、好きな人には骨身を惜しまず尽くすが、嫌いな人には憎悪の態度を見せる。
・一般には如才なく交際し、楽しいムードが好きで、世話役も自分から引き受ける。
・好奇心、冒険心が強く、欲心も強い方であり、本業以外の趣味にも熱を入れ上手に成し遂げる。
・多情なところがあるので、この点は充分自戒して身を処していくことが肝要となる。



●《《三碧木星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの男性
〔今年は、6月5日の08:55〜7月7日の19:05までに生まれる男性〕

・愛川欽也、清水圭、岡村隆、高橋幸宏(YMO)、濱田岳、遠藤憲一
・・・・といった方たちです。

・実行型で現実主義の反面、用心深さと反省心を持ち、簡単には人を信用しないところがある。
・頭脳明晰で、人の心をつかむことが上手で、交際も上手である。
・多情の面があるので欲望も多く、話術にも優れ、自分の能力を過信して失敗する傾向があるので注意が必要。
・妥協を好まず、体裁や見栄を張りたがる所がある。
・若い時代は浮き沈みの多い生活であるが、年と共に計画性と実効性が堅実となるため、協力者も得られ安泰となる。
・家庭、家族を大事にし、よい父親ぶりを発揮する。



●《三碧木星》年「九紫火星・未(ひつじ)」月生まれの男性
〔今年は、7月7日の19:05〜8月8日の04:56までに生まれる男性〕

・水谷豊、桂文(三)枝、関口宏、田村正和、久保田利伸、藤本隆宏

・・・・といった方たちです。

・表現力豊かで、愉快な雰囲気を好むが、誰とでも気が合うタイプではない。
・自尊心も強く、名誉欲も強いので反感を持たれることがある。
・年と共に充実してくれば、見識も豊かとなり人望を集めるようになる。
・凝り性の面があって熱心に努力するが一端こじれると簡単に放棄してしまう一面もある。
・極端から極端へ走りやすい性格なため、よい協力者を得れば財も蓄積されるから、自分本位に事を運ばぬように注意することが肝心です。



●《三碧木星》年「九紫火星・未(ひつじ)」月生まれの女性
〔今年は、7月7日の19:05〜8月8日の04:56までに生まれる女性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】松坂慶子、斉藤慶子、秋元才加(元AKB48)
【Bタイプ】吉高由里子、小池百合子(国会議員)、美保純

・・・・といった方たちです。

・温厚ではあるが虚栄心は強い方である。
・常に自分中心でありたいという気持ちが強いため、多弁であり、偏屈な面を持っている人もいる。
・理知的ではあるが、地味な考え方をする人が多い。
・親切でよく他人の面倒を見る。
・独立心があるため、自立しようと努力するので、そうした職業に就くと成功する。
・家庭に入れば実直に家庭を大事にし、献身的に務めようと努力する。



●《三碧木星》年「七赤金星・酉(とり)」月生まれの男性
〔今年は、9月8日の08:00〜10月8日の23:48までに生まれる男性〕

・中井貴一、小野寺昭、白竜、羽生善治(将棋)、池谷幸雄(体操)、稲本潤一(サッカー)、西川貴教、林隆三、牧伸二

・・・・といった方たちです。

・理想は高くもつが行動が伴わないうらみがあるが、直感力には優れている方であるため自負心が高い。
・口が達者な人が多くウルサ型にみられやすく、時には相手の感情を害して憎まれることもある。
・自己発展のための研究や勉強もよくやり、計画的に仕事を進めることもする。
・表面だけで判断することが多いため、時として間違った判断になることがあるので注意が肝心です。
・新しいこと、珍しいことに興味、関心を示すので、巧言令色に捕らわれやすいので反省することが必要です。
・家庭では甘えん坊な亭主となる人が多い。



●《三碧木星》年「七赤金星・酉(とり)」月生まれの女性
〔今年は、9月8日の08:00〜10月8日の23:48までに生まれる女性〕

・外見的に三つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】うつみ宮土理、蛯原友里、福田彩乃、有坂来瞳
【Bタイプ】五十嵐淳子、堀北真希、山口美江
【Cタイプ】清水美砂、伊達公子

・・・・といった方たちです。

・直感鋭く、よく人の言葉をきき入れる聞き上手な人が多い。
・損得勘定の計算も強く、利になることは素直に受け入れるが利にならないことは上手にあしらっていく。
・話し上手より聞き上手なため相手の話をよく引き出し、損得の計算を上手にやってのける。
・若い時は割に苦労性でお金にうるさくケチな方であるが、年とともに財を蓄積する要を得てくる。
・器用さを持っているので家庭婦人として家計のやりくりを上手に仕切っていく。



●《三碧木星》年「五黄土星・亥(い)」月生まれの男性
〔今年は、11月8日の03:04〜12月7日の20:02までに生まれる男性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】野村将希、尾藤イサオ、城島茂
【Bタイプ】吉幾三

・・・・といった方たちです。

・陽気な性格で堅実型ではあるが、短気で苦労性である。
・執念深いところがなく、あっさりしているがプライドは高く、一端言い出したことは押し通す剛情さもある。
・如才なく人付き合いはするが、心から打ち解けることは少ない方である。
・外見を飾る性なので、行動力には優れ、仕事は誠意を持ってやり遂げるが、権威者には抵抗心を現わす面がある。
・白黒はっきりさせたがる方なので、周囲の人からは煙たがられる所があるので損をするときがある。
・開放的なところがあり、自分の仕事、能力の発揮に懸命に打ち込むので、中年以降にはそれなりの財を築き上げる。



●《三碧木星》年「五黄土星・亥(い)」月生まれの女性
〔今年は、11月8日の03:04〜12月7日の20:02までに生まれる女性〕

・浜美枝、星由里子、渡辺満里奈、遠野なぎこ、市川寛子(女子アナ)

・・・・といった方たちです。

・鼻に特徴のある方が多いように見受けられます。
・女性にはめずらしい竹を割ったような気性の持ち主で、理想主義の面がみられる。
・人の面倒もよく見るし、人を喜ばせるのが好きな人で、気に入った人の為には積極的に行動する。
・目先を利かせて金儲けを計画したり、人を惹きつける話術をもって人を集めたりするのが上手である。
・物事の善悪にはうるさい方で倫理観の強い人が多い。
・周囲の環境に対してコントロールの出来る人であるため理想的な家庭を自分から築き上げていく。短気ではあるが、夫には貞淑を尽くすタイプである。



●《三碧木星》年「四禄木星・子(ね)」月生まれの男性
〔今年12月7日の20:02〜来年1月6日の07:16までに生まれる男性〕

・外見的に二つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】竹野内豊、浜田省吾、古谷一行
【Bタイプ】石原裕次郎、磯田道史(先生)、ぼんちおさむ


・・・・といった方たちです。

・几帳面な性格で、折り目正しい態度を持っている。若い内は苦労する人が多い。
・淡泊な気性でもあるため、思ったことは胸にしまっておくことができない性なので、すぐに口に出してしまい嫌われることがある。
・進歩的であり、自分と意見を同じくする人とは仲良くするが、自分の意に反する人には抵抗していくところがある。
・人情にもろい面を持っていて、人から嘆願されると相手の願いを聞き入れるところがある。これはこの生まれの人の欠点でもあり長所でもあるので、相手をよく観察することが大切となる。
・親切心のため自分をダメにしないよう心掛け、中年以後の蓄財を心掛けないと、老後を悔いることになるので注意することが肝心です。


[208] ●『地球大進化』 Name:道開き Date:2014/12/18(木) 13:25 
◆10年ほど前に、この番組の第2集だけは見た覚えがあるのだが、今回、NHKのBSプレミアム・アーカイブスで全3集ともじっくりと見させてもらいました。非常に面白かったし、為にもなりました。ある種の感動さえ覚えました。これまでは、シリーズ『映像の世紀』(全11集)が一番のお気に入り番組だったのですが、1位の順番が入れ替わったような気がしています。

地球への天体衝突による“全海洋蒸発”、温室効果ガス(メタン)消滅による“全球凍結”といった数々の試練を、我々の祖先である生命は飛躍のためのチャンスに変えてきた。

「地球は生命を鍛える厳父 生命はたくましき冒険者」

というコピーは、実に的を得たものに思われます。

遙かなる宇宙の彼方からやってくるのか、地底の奥深くからやってくるのかは判らないけれども、将来的にいつかは間違いなく訪れるであろう大危機のことを考えると、「原発」は無いに越したことはないです。本気で原発ゼロを考えていった方がいいと思います。放射能汚染によって地球上に人が住めなくなってしまいます。オウン・ゴールを決めてしまうようなものです。原子力にかわる代替エネルギーの開発にこそ、全人類の英知を結集させるべきです。

●個人にしろ、組織にしろ、環境の変化に適応できずに自らを変化させることができないものは、消滅の道を辿るしかないということを強く感じました。さらにもう一つ思ったのは、我田引水になるかもしれませんが、“神道”の根幹をなすところの「氏神信仰」「産土(うぶすな)信仰」というものは、この番組で扱っている重要テーマであるところの、「生命」「地球」、延いては「宇宙」に対する信仰なのではなかろかということでした。

気に入ったものは何でもメモを取らないと落ち着かない癖があるので、以下にメモした内容の一部を記します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

●●第一集  地球誕生・生命の誕生●●

・46億年前に誕生した当時の地球の地表は、赤色の厚い大気と海に覆われていた。

・誕生した当時の太陽系には、約20ほどのミニ惑星が存在していた。互いの重力によって引き合い、太陽を回る公転軌道がずれて何度かの衝突を繰り返した。

・「地球」は、その内の10個ほどのミニ惑星が衝突、合体を繰り返して今日の大きさになった。最後の衝突による破片の一部が宇宙空間で合体して「月」が生まれた。

・火星は、一度も惑星間の衝突を経験せずに、小さい状態のままの星にとどまって、「水」や「大気」を引き留めておくことができなかった。地球は、巨大な惑星と化したことにより、今日の様に「大気」や「海」を留めることができた。しかし、巨大化した地球は他の天体を引き寄せることとなった。

直径200q以上の天体   10〜20回の衝突
直径300q以上の天体    3〜11回の衝突
直径500q以上の天体    0〜 6回の衝突

・生命が地球に誕生したのは海ができてすぐの頃で、早ければ43億年前の頃になる。


●「全海洋蒸発」
・40億年前の天体衝突では、「地殻津波」が起こり、「岩石蒸気」が地球全体を覆い、「全海洋蒸発」が起きた。

・「生命の冒険」→その当時、地球上に既に存在していた微細生物は、地下へと進出していった。地下1qなら全く大丈夫だった。

・1千年後頃から雨が降り続き、2千年間も続いたため、元の深さに海が回復した。


●「全球凍結」
・温室効果ガスが全くない状態では、地球の平均気温は−18度になってしまう。
22億年前には、我々の先祖だった微細生物の傍らにいたメタン菌の発する「メタン」によって温度が高く保たれていた。

・突然変異による遺伝子組み換えが起こり、全く新しい「光合成」をする細菌シアノバクテリアが誕生し、「酸素」が大量に生み出されてメタンが激減したことにより地球の平均気温は−50度まで下がった。それが数百万年から数千万年間も続いた。祖先である微細生物は火山活動による温水域で生き延びた。

※陸地の約3%が氷河に覆われている現代の地球は、約3,000万年前に始まった「新生代後期氷河時代」の真っ直中にある。

・22億年前と6億年前の二度に渡って「全球凍結」が起きている。

・6億年前、火山活動の活発化により「二酸化炭素」の排出量が増大し、温室効果によって「全球凍結」が終結した。


●「生物の大型化」
・海水温度の上昇により、「ハイパー・ハリケーン」が起きて、シアノバクテリア等の光合成生物の数が増大し、大量の酸素を生み出した。その大量の酸素から、我々の先祖である微細生物は「コラーゲン」を体内に造り出せるようになり、細胞を結合することが可能となり、生物の大型化が進んだ。


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●●第二集  繰り返される栄枯盛衰のドラマ●●

・4億5千年前、陸上には動物や植物の姿は無く、不毛の世界が広がっていた。対照的に海は生命溢れる世界で、ヒレを持たない原始的魚であった私たちの先祖は海底のプランクトンを食べていた。


●「ヒレ」を手に入れる
・その頃の赤道付近には三つの大陸が存在していて、その間に「イアペトゥス海」という楽園のような海があったが、大陸が移動して海は隆起して環境が悪化した。しかし、これにより生命は大きく飛躍することになった。この時期の三葉虫の化石は、不気味な体に進化してグロテスクな姿に変わっている。浅い海が激減し、生存競争が激しくなったことによる。凶暴な巨大な魚も出現し、私たちの先祖は「ヒレ」を手に入れて泳ぐ能力を高めた。


●「恵みの木」との出会い
・大陸の衝突現場は盛り上がり、4千年に渡って隆起を続けヒマラヤ級の「カレドニア山脈」ができあがった。巨大山脈は雲を遮り、雨を降らせるようになり、川ができ、「淡水」という新しい世界ができあがった。苛烈な生存競争にさらされていた魚にとっては格好の逃げ場所となった。

・当時、陸上には「シダ類」「コケ類」が進出していた。やがて、3億7千万年前には「アーキオプテリス」という地球最初の木が生い茂った。その木は、根を張って土壌を安定させ、葉を落として水中のプランクトンや魚の栄養源となった。


●「肺を手にいれた」
・魚類であった先祖たちは、やがて、淡水が乾期に干上がって水たまりができて、水中が酸欠状態になることから「肺」を持つようになった。今の魚の「浮き袋」はこの時に手に入れた肺が変化したもの。つまり、それ以前の海の魚は一度絶滅していることになる。


●「手は水中で生まれた」
・水中に落ちた枝を掻き分けるために先祖は腕を手に入れ、3億6千万年前に陸上に進出した。

・水辺で暮らす「両生類」から「は虫類」に進化して大繁栄する。「ほ乳類型は虫類」のキノドンが生まれる。


●「大量絶滅」
・2億5千万年前、生物の95%を絶滅させた火山噴火がシベリアで起きた。海底の「メタンハイドレイド」が溶けて、二酸化炭素が大気中に放出されて、酸素濃度が著しく低下した。

※これが起きなければ「ほ乳類」は誕生しなかった。


●「恐竜の支配」そして「ほ乳類の誕生」
・恐竜は、低酸素の時代でも「気嚢」システムが優れていたので繁栄できた。このシステムは子孫の「鳥」にも備わっている。

・「横隔膜」を手に入れて呼吸能力を高めたは虫類は、やがて腹をよじらせて授乳できるようになり、「胎生」へと進化した。

・恐竜の時代は1億6千万年間も続いたが、6,500万年前、直径10qの隕石の衝突により恐竜支配の時代は終焉を迎えた。次第に酸素濃度も回復し、生物隆盛の時代がやってきた。


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●●第三集  「ヒト」へと通じる道●●

・恐竜絶滅後、「巨鳥」と「肉食ほ乳類」が生態系の頂点を競った時代があった。


●「樹冠という楽園」の時代
・温暖化により広葉樹が巨大化し、果実が容易に手に入るようになった。
そこで先祖は「立体視」「色別」できる「目」を手に入れ、やがて、「表情筋」を手に入れ、「コミュニケーション能力」を高めた「霊長類」が誕生した。

・今日のインドがアジア・プレートにぶつかり「ヒマラヤ山脈」ができ、アフリカの乾燥化が進み、広葉樹がなくなって草原が広がった。これにより霊長類の一部に、樹冠から地上に降りて食物を求めるものが出てきた。そうして「人類」が誕生した。


●「肉食」することにより「脳」を巨大化させた
・20種の人類が誕生したが、現在はホモ・サピエンスのみが残っている。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いは、「喉仏(のどぼとけ)」の位置が違うだけ。つまり、「言語能力」がホモ・サピエンスは勝っていただけのこと。「言葉の力」によって、さらに「コミュニケーション」能力が発達し、「知識の共有」が可能となった。

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