[356] ●太陽暦も「ナイルの賜物」??? Name:道開き Date:2020/06/12 (金) 15:19 |
エジプト発の「太陽暦」も或る意味、「ナイルの賜物」でした。
[190] ●“ヘリアカル・ライジング”・・太陽暦も「ナイルの賜物」??? Name:道開き Date:2014/05/14(水) 10:11
今日、世界的に普及しているグレゴリオ暦は、古代ローマ時代のジュリアス(ユリウス)・シーザーが制定したユリウス暦を改暦したものです。そのユリウス暦はというと、カエサルの遠征先のエジプトで使用されていた太陽暦を基にして策定されたものになります。
「エジプト文明はナイルの賜物」と云われますが、毎年同じ時期に起こるナイル川の氾濫は、古代エジプト人に穀物を生産するために必要な肥沃な土壌のみならず、1年を365日とする太陽暦をももたらしました。それは偶然の賜物でした。
◆ソティス(シリウス星)
古代エジプト人が何故、シリウス星を重要視したか。それは、全天で一番明るい星であったということもありますが、もう1つ、当時はシリウス星が太陽に近接していて、日の出直前に現われるようになると、程なくしてナイル川の増水が始まる現象が確認されていたからです。このシリウスの“ヘリアカル・ライジング”(太陽と共に出現)する日が、エジプト暦の元旦とされました。ユリウス暦でいうところの 7月19日頃です。
シリウスは、太陽神ラー(アテン)の娘で、エジプトのみならず古代地中海世界で最も信仰を集めた女神イシス(ソテイス、ソプデト)の化身ともされていました。
しかし、エジプト暦が生まれた当時はナイルの氾濫予測に有効であったシリウスの“ヘリアカル・ライジング”でしたが、シリウスは、エジプト文明の黎明期にたまたま偶然に洪水予測に適する位置にあったのでした。つまり、時代が少しでもずれていたならば、古代エジプト人は1年を365日とする太陽暦(正確に言えばシリウス暦〈恒星暦〉)を手に入れることはできなかったということになります。
実際にファラオが使用した公式の暦は、1年=365日で、4年毎に生ずる1日のずれは考慮されておらず、「閏(うるう)日」の概念はありませんでしたが、エジプトの神官達はそのことを知っていました。4年に一度の「うるう日」を入れるようになったのはBC. 238年のことです。
その後、元旦は、4年に一度の「うるう日」が考慮されていなかった為、シリウスの出現、及びナイルの増水からどんどんずれてしまいました。それが再び一致するまでの365×4 = 1,460年を「ソティス周期」(シリウス周期)といいます。「ソティス」とはエジプトでのシリウスの呼び名です。
なお、元旦の日の出とシリウスの出現がきちんと重なった記録としては、紀元139年があり、これの逆算により、太陽暦(ソティス暦)の発祥は、BC.1,321年、BC.2,781年、あるいはBC.4,241年頃ということになりますが、BC.4,241年頃という説が最も支持されています。
◆古代エジプト暦
古代のエジプト暦は、30日を一月とする12ヶ月と、最後の月に付け足される 5日間の余日をもって 1年としていました。(12ヶ月 × 30日 + 5 = 365日) 1年を12ヶ月に分けている点を見れば、もともとの原始エジプト暦も太陰(たいいん)暦であったことが推察出来ます。
※参考
★“聖母マリア”信仰 地中海世界が「ローマの平和」の中に統合されていくとき、各地域の“女神信仰”はエジプト伝来の“イシス信仰”に集約されていきます。キリスト教はそれをさらに“聖母マリア信仰”に読み替えていきます。マリアとイエスの「聖母子像」などはイシスとホルスの像の転用だとされています。これら女神たちがまつられていた神殿の場所に教会を建立することを奨励しました。
しかし、それは“女性原理”の受容としては不徹底であり、そこに一神教宗教の最大の課題が残されたとされているようです。 いく度かの宗教会議を経た後、マリア信仰を認めないネストリウス派(景教)が分離したりもしましたし、プロテスタント(新教)諸派も聖母崇拝の観念は薄いです。
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