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再度!『人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま) 』 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/31(Wed) 18:05中国の北の方に占いの上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時どういうわけか、その老人の馬が北の胡の国の方に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので、近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが福にならないとも限らないよ。」
そして、しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「このことが禍(わざわい)にならないとも限らないよ。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちが可哀想に思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが福にならないとも限らないよ。」
一年経った頃、胡の人たちが城塞に攻め入って来ました。城塞近くの若者は全て戦いに行きました。そして、何とか胡から守ることが出来ましたが、その多くは戦いで死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので戦いに行かずに済み、無事でした。
この話は、中国の古い書物『淮南子』(えなんじ)に書かれています。
「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは、日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。「塞翁(さいおう)」とは、城塞に住んでいる翁(おきな)=老人という意味です。
つまり、「城塞に住む老人の馬は、福から禍へ、そして、禍から福へと、老人の人生に転変をもたらしました。世の中のことは、何が福となり、禍となるのか予測することはできない。」ということです。
★結局のところは、日々神仏(不変の存在、確かなもの)に手を合わせて、絶えず変化・流転して止まない人生をより良き方へと導いてもらうことこそが、人が取り得る“最良の策”と言えるのではないでしょうか。
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失敗は成功のもと 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/24(Wed) 18:21下の書き込み、何を言いたかったのかということが何となく不鮮明でした。
目標は高いところに掲げないと他の技術も育って行いかないのではないかということを言いたかったのです。「失敗は成功の母」と言われるように、人は成功から得るものよりも失敗から得るものの方が遙かに多いということでしょうか。
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H2Aロケット&超音速航空機の開発 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/24(Wed) 17:34「お前のこれまでに観た好きな映画を5本挙げてみろ」と言われたならば、その中に必ず入ると思われる1本が『ライト・スタッフ』でしょう。“マ−キュリ−計画”という宇宙開発計画に関わった宇宙飛行士たちを描いた作品です。
その国の持つあらゆる技術が結集されるばかりか、国家の総力が動員されるのが“宇宙開発”とか、“ロケット開発”だと思われます。
ですから、日本はどんなにお金が掛かろうともH2Aロケットの開発は取りやめるべきではないと考えます。最近、失敗に終わった超音速旅客機の打ち上げ実験も同様で、他の工業技術がいかに進んでいても(ロボット技術等)、宇宙技術や航空技術が未発達なものであったのなら、決して一流の国家とは言えなくなってしまうと思われるからです。
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のど自慢&カラオケ 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/16(Tue) 22:11NHKの人気・長寿番組「のど自慢」が大好きです。以前はそれ程でもなかったのですが、最近は本当に楽しみで仕方がありません。出られる方も、観ている方たちも老若男女に関係なしといったようで、まさしく「日本の国民的番組」と呼べるのではないでしょうか。
ハワイ、ペル−、アルゼンチン、サンフランシスコといった海外で開催された「のど自慢」なんかは特に見ていて楽しいです。「のど自慢」は海外でも、日系人の方たちのみならず広く楽しまれ始めているようです。日系人の方たちにとって日本の歌は、郷愁であったり、生きる力であったり、誇りそのものであったりしているようで、それを確認できる場が「のど自慢」なのでしょう。
他の海外の方たちにとっては、歌ったり踊ったりしている日本人の姿を観ている内に「日本人が好きになった」とよく語られるように、ごく一般の日本人を理解するのには最高の場なのではないでしょうか。
そして又、おそらく海外にはこういった形の“歌の文化”は無いのではないでしょうか。サッカ−・ワ−ルドカップの際の、日本人の外国選手の受け入れ方などは海外でもかなり話題になったようですが(「日本モデル」と呼ばれているみたいです)、かなり「のど自慢」的ノリのようにも思えます。
もしかしたら「のど自慢」は“日本発”の一つの文化として世界中に広がっていく可能性すらあると思われるのですが、どうでしょう。
たとえば日本生まれの歌謡文化“カラオケ”だってそうでした。当初は、「いかにも日本的だ、ダサさの極みだ、恥ずかしい」と、当時の“自虐的”な(何事につけ日本の歴史や文化を見下げて悪く言う)文化人なる方々が口をそろえて批判していましたが、それが現在ではどうでしょう、世界中の人々に楽しまれております。
歌っている人、踊っている人、楽器を演奏している人たちを見ているとなぜか、非日常的な時空に入り込んで、まるでお祭りの神賑行事を楽しんでいる人たちのように見えてしまうから不思議です。
特に「のど自慢」などは、“日本のお祭り”ら生まれた文化そのものだと思えるのですが。
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エコロジ− 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/08(Mon) 12:14元来は生物学の用語で「生態学」と訳され、動物と環境との関係を研究する理論ですが、今日ではもっと広い意味の「環境保護運動」をも指します。
これを思想・精神の領域に移して展開したのがアメリカの文化人類学者グレゴリ−・ベイトソンです。“さまざまな観念が相互に作用することによって健全な精神運動が成り立つ”ものであるとし、これを「精神の生態学」と名付けました。この考え方は今日のニュ−・サイエンスの思想に多大なる影響を与えています。
つまり、資本主義的な考え方、自由主義的な、社会主義的な・・・・一神教のキリスト教的な考え方、ユダヤ教的、イスラム教的・・・、多神教の儒教的、神道的、仏教的・・・・様々な考え方があればこそ健全な精神世界が保持していけるということです。
よって、「画一化」の動きといったものが良くないということになるのだと思われます。
たとえば、単一作物の栽培は耕地の土壌を荒らしてしまうのと同様にです。
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ニュ−・サイエンス 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/08(Mon) 12:13
アメリカでは「ニュ−エイジ・サイエンス」と呼ばれています。これは近代科学に対する批判のなかから生まれたもので、近代科学が秩序や合理性だけを求めて、その原理では把握できない無秩序なもの、非合理なものを取り入れなかったことを批判します。
これを最も強力に押し進めたのはオ−ストリア生まれの物理学者フリッチョフ・カプラです。“現代の理論物理学”と“東洋の神秘主義”とが相互に補足するものであることを主張し、「部分的」な真理よりも「全体的な」真理を優先させます。そのために、実践的な次元で「エコロジ−(環境保護)運動」と結びつきます。つまり、科学と宗教的なものとを結びつけ、さらにそれを実践運動に発展させました。
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今回のサッカ−・ワ−ルドカップがもたらしたもの 投稿者:
道開き 投稿日:2002/07/01(Mon) 19:47昨夜、ドイツ対ブラジルの決勝戦が行われ、ついにサッカ−のワ−ルドカップが終わってしまいました。
“ナショナリズム”という観点からいったなら、韓国は本当に盛り上がったと思われます。日本だって負けず劣らずで、国中に国旗「日の丸」が翻り、国歌「君が代」が歌われました。若い人たちのみならず世代を越えて一つになった気がします。東京オリンピック以来の出来事だったと思われます。本当に盛り上がりました。
でも、今回のワ−ルドカップ・サッカ−がもたらした一番のものは、(現在世界中で“日本モデル”とも呼ばれているらしい?)“インタ−ナショナル”な側面です。
これまでのワ−ルドカップの在り方を一変してしまったともいわれる、「日本各地の都市と諸外国との友好関係」です。それぞれの日本の地域が個々に世界の国々を応援するといった形です。例えば、中津江村がカメル−ンを、宮城県がイタリアを、といったものです。これまでは、国対国の戦いといった構図のみが際だっていたのですが、今回の日本では、諸外国と都市・地方との友好関係といった形が目立ちました。
でもこれって、今後ITがもたらすであろうとされている「組織のかたち」とかなり似ていますよね。日本ってこれまでに、諸外国からは、顔の見えない国などと言われてきましたが、そんなことはないです。民間レベルでは十分に個性的で、かなりインタ−ナショナルなものを多く持っていると思われます。明治政府によって作り上げられてきた厳格な“官”主導の“中央集権体制”の大変革が起きようとしている現在の日本。諸外国のメディアはかなりの興味を持って、好意的に捉え伝えたようです。
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今、農業が面白い 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/20(Thu) 17:15現在、新規の就農希望者は7万人余もいると言われます。5年前のちょうど倍の数に増えたそうです。
この春、東京の池袋で、新規就農希望者への説明会を開いたところ、何と1,300人の若者たちが話を聞きに集まったというから驚きです。
おそらく、日曜日の夜にテレビ放送されている「鉄腕ダッシュ!」という番組の影響ではなかろうかと、私的には考えております。
人気グル−プTOKIO(トキオ)のメンバ−たちが、自分たちにとっては全く“不慣れな”「日本の伝統的農村文化」を茶の間に紹介しながら、自分たちの“村”や“農作物”を作っていくという番組の影響ではないかと考えます。現代の、農業とは全く関係のない都会の若者達にしてみれば、それはまるで“異国の文化”を垣間見ているような、何とも言えない魅力を感じるのでしょう。
人の、“農”に対する意識もかなり変化している様で、「汚い、つまらない、ダサイ」といったイメ−ジは無くなりつつあるようです。若き就農者を「カッコいい」とも、「ベンチャ−的」とも見る風潮がでてきているほどです。地球環境とも関係してきます。逆に意識が変わったからそのような番組も生まれてきたのかなとも考えられますが、どちらにしても“相乗効果”からか、一気にそのような動きが進んでいるみたいです。
さらに、ITが都市と農村をうまく繋いでくれるようになり、農業のIT化も進展しているようです。「ナウくて古い、古くてナウいのが現在の農業」と言うことになるのでしょうね。
世の中面白いですね。何がどうなるかは、時代によって受け取り方が変わってしまいます。
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“神遊び”の境地 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/16(Sun) 21:21“神楽”(かぐら)の構成は、「神迎え」・「神遊び」・「神送り」の三部分からなります。(民間の神楽を宮中の御神楽に対して“里神楽”と呼ぶが、ここでいう神楽とはこの里神楽のこと)
古えの巫女は、“神憑り”(かみがかり)して託宣することがつとめの一つであったが、「“神憑り”に至るための順、逆の回転動作が巫女舞の特色であった」という。今でも中国地方の大元神楽(おおもとかぐら)、荒神(こうじん)神楽などの「出雲流(いずもりゅう)神楽」にはそれが色濃く残っています。
ここでは特に、「神遊び」の境地について考えてみたいと思います。これは、マラソンで言うところの「ランナ−ズ・ハイ」にも似ています。走り始めは心身共に苦しいのだが、そこを我慢してひたすらにただ黙々と走っていると、何とも言えない恍惚としたハイな気分になってくるという。これは山登りなどでも同じだそうです。一歩一歩単調な繰り返しをしている内に周りが冴え渡ってくることに気づくのだそうです。
これって、鎮魂、瞑想、座禅なんかの“行法”とも全く同じ道理ですよね。呼吸を一つ一つ数えている内にトランス状態に入ってしまいます。神さまに我が身の総てを任せきってしまっている状態、つまり、自分の身体が、自分のものなのか、神さまの入れ物なのか判らなくなってしまっている恍惚とした状態が「神遊び」の状態なのです。この時の心境たるや「うれし、たのし、おもしろし」で、神さまが自分の中で遊んでいる状態なのだから、本人の心境は自動的にそのようなものになってしまうのでしょう。
そこで引き続き下の話を書き込みます。以前にも書き込みましたがこれも同じことを言っているのでしょうから。でも、「ことわざ」って力になりますよね。物事の本質を端的に言い表します。
『庖丁(ほうてい)の話 』 −荘子より−
ある時、名料理人の庖丁が、梁(魏)の恵王の前で牛一頭をさいてみせた。
庖丁が牛の体に手をかけて肩に力をこめ、足の位置をきめ、ひざで牛をおさえたかと思うと、みるみる肉が骨を離れていく。あざやかな刀さばきはリズムにのって、まるで「桑林の舞」や「経首の会(しらべ)をほうふつさせる。
「おお、みごと、まさに神技じゃ」
恵王は思わず感嘆の声を放った。
庖丁はそれを聞くと、つと刀をおいて恵王の方に向きなおった。
「恐れながら、ご覧頂きましたのは技ではありません。技をきわめた果てにあるものと申せましょうか、道でございます。昔この仕事についた当座は、目にうつるものは牛の外形でした。三年ほどたつ内に、牛の外形は消え失せ、骨や筋(すじ)が見えるようになりました。今ではもう肉眼に頼ることはいたしません。牛に向かうと心が動きます。すでに感覚は働きを止めて、心だけが活発に働き出すのです。その後は、自然の摂理に従うだけです。牛の体に自然に備わっているすきますきまを切り裂いてゆく、ですから、大きな骨はもちろん、筋や
肉が骨と絡みあっている部分でも刃こぼれすることはありません。
普通の料理人は月に一度、刀を替えますし、腕ききでも年に一度は取り替えます。骨にぶっつけて折ってしまったり、長く使っている内に
刃こぼれができるからです。ところがこの刀をごらんください。十九年も使い込んだものです。もう数千頭の牛をさきましたが、いまだに新品同様です。
というのも、骨筋にすき間があり、刀の刃には厚さがない。厚さがないものをすき間に入れるのですから悠々たるもの、ゆとりは充分あります。ですからいくら使っても刃こぼれ一つ無いのです。
しかし、そうはいっても、筋や骨の絡みあっている最後の難所にさしかかると、ここだという気持ちでギュッと緊張します。目は一点にとどまり、動作はしだいににぶって、我ながら、刀が動いているのかどうか解らぬ程になります。やがてバサリと音がしたかと思うと、肉全体が土くれのように骨からはがれ落ちる。ほっと緊張がゆるむ。私は
刀をひっさげて立ち上がり、思わずあたりを見回してしまいます。何とも言えない充実感が腹の底から沸き上がって、しばらくはその場を離れることは出来ません。やがて冷静に帰ってから、丁寧に刀をぬぐってサヤにおさめるのです。」
恵王は感動して言った。
「それを聞いて、私は生を全うする道を悟った」
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もしかしたら、大小神祇(ぎ)かも??? 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/11(Tue) 11:07あれこれと調べてみましたが、ハッキリしたことは解りませんでした。
鎌倉時代、武士たちの間では「大小神“祇”〈大小の神祇(じんぎ=天地の神々のこと)〉に誓って」、といった表現はなされていたみたいですね。
もしかしたら、「大小神社」というのは、“日本の国中に祀られている大小の神社”(大きい神社、小さい神社、総ての神社)ということではないでしょうか。〈それとも、“或る特定の地域内の”、といった限定が加わるかもしれません。〉
よって、御祭神は、“天に満つ、地に満つ、八百万の神々”ということになるのでしょうか。〈こちらも、“或る特定の地域内に満つる神々たち”となることもあり得るでしょう。〉
お祈りする際は、「大小神社の大神たち、・・・・」と唱えればいいと思います。それでも十分に通じるはずです。
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大小神社って 投稿者:
闇の貴公子 投稿日:2002/06/10(Mon) 17:13はじめてカキコいたします。
先日、知人の家を訪問したとき、庭に大小神社と書かれた石碑がありました。知人の守り神であるらしいのですが、「どなたをお祀りしているの」と聞いたところ「わからない。昔からあるの」という返事でした。道開き様にお伺いしたいのですが、大小神社と名の付く神社は、日本のどこかにあるのでしょうか、また誰をお祀りしているのでしょうか。お教え下さい。お願い致します。
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七人の侍 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/09(Sun) 11:16 幼少の頃より映画を観て育ってきたので、どうしても映画の話が多くなってしまいます。
現在、開催されています「サッカ−・ワ−ルドカップ」の日本代表チ−ムの戦いぶりを観ているとついつい思い出してしまうのが、日本が世界に誇る黒沢明監督の代表作の中の一つ『七人の侍』です。映画の神さまジョン・フォ−ド監督をしてあんな面白い映画は観たことがないと言わしめた超度級な娯楽大作です。特にクライマックスの「どしゃぶりの雨の中の死闘」は世界の映画史に残る名シ−ンでした。
現在の映画界をリ−ドするスピルバ−グ監督も、映画作りに取りかかる前に、繰り返し何度も何度も観る作品が三本あるそうです。それは、デビット・リ−ン監督の作品『アラビアのロレンス』、ジョン・フォ−ド監督の『捜索者』、そして、黒沢監督の『七人の侍』です。今は亡き三人の巨匠のそれらの作品を繰り返し繰り返し観ているうちに、何らかのインスピレ−ションを得られるのだそうです。
スピルバ−グのみならず、ハリウッドを代表するフランシス・フォ−ド・コッポラ、ジョ−ジ・ル−カスなども「自分たちは“クロサワ”の映画を観て育った“クロサワ・チルドレン”だ」とよく口にします。ですから彼らも常々、見えない世界とのコンタクトをとって、かなり“シャ−マン的”に作品づくりを行っているようです。
黒沢監督もよく、「映画作りをしていて壁にぶつかると、必ずと言っていいほどに“時の氏神(うじがみ)”が現れて私を助けてくれるんだ」と語られていたと言います。
ちょっと話が変わります。外国人が『七人の侍』を観ると、好みの侍が違ってくるのだそうです。合理性を重んじるドイツ人は宮口精二が演じる修行者・宮本武蔵のような侍を好むのだそうです。陽気なラテン系のイタリア人は三船俊郎演じる明るくて人情味溢れる「菊千代」を好むし、アメリカ人は志村喬演じるリ−ダ−の「官兵衛」を好むのだそうです。やはり、侍の好みにも国民性が出るのでしょうね。
それにしても、初めて『七人の侍』が公開された直後、ハリウッド映画に、いわゆる「オ−ル・スタ−・キャスト」という謳い文句の作品が流行りました。『大脱走』、『荒野の七人』等。一人のヒ−ロ−のみを描くのではなく、一作品の中に数名のヒ−ロ−を描くという作風です。これも、黒沢監督が世界の映画に与えた影響によるものだと考えているのは私だけでしょうか。
とにかく、サッカ−日本代表チ−ム頑張れ!「頑張れニッポン!」
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“ほんまもん” 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/06(Thu) 22:09“本当に良いもの(本物・ほんまもん)”は、それが歌や映画などの‘文化’であっても、電化製品などの物を形作っている様々な‘技術’であったとしても、「人種」の壁、「伝統」の壁はもちろん、「時間」や「空間」の壁さえも飛び越えて伝わり広まってしまいます。
これは“真理”(“神理”)とか、真実の“愛”とか、“誠”とかいったものとも同じでしょうし、神さまからの“命(みこと・ミッション)”とか、仏の“慈悲”といったものとも通じるものなのでしょう。
つまり、大多数の方々にとって「良いもの」と感じるものは、かなり普遍性を帯びてくる(神性を帯びている)。つまり、“ほんまもん”ということになるのでしょうね。
その普遍的な“ほんまもん”に加えられた、「面白み」といったものが、いわゆる“独自性”ということになるのでしょうね。
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“祈り”の言葉 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/06(Thu) 22:04下記の[172]の書き込みの続きになります。映画『グラディエ−タ−』に描かれていた“祈り”のシ−ンがどうしても気になって、再度とりあげてみたいと思います。
「今生(こんじょう〈今現在、与えられている人生〉)における、我が行いの総てが、永遠(とわ)に刻まれますゆえに、どうか正しきお導きを与え給え」
「代々の先祖の御霊(ミタマ)、父上様、母上様、どうか、判断を誤ることのないように、神々の御心をこの私の上に正しくお伝え下さい」
といった内容の言葉が唱えられる“祈り”のシ−ンが、映画の随所に描かれていました。
これって、よくよく考えてみますと、この、うちのサイトの「よもやま知識」の中のメニュ−〈21世紀へのヒント−古神道とインディアン−〉に書いてあるインディアンの信仰の“祈り”の言葉とも同じだし、我々が日々、御神前であげている祝詞(のりと)の内容ともほぼ同じですね。(但し、祝詞は大和言葉〈日本の古語〉なので詳細な意味内容に関しては解りずらいことでしょうが))
よって、ここではいくつかの「インディアンの祈り」を紹介します。
◎その一
大霊よ。
ここに謹んで私の祈りを捧げます。
私に憎しみを抱く者に対しても公正であるようにお導き下さい。
そして、いついかなる時も思いやりの心を
忘れることのないよう導きたまわんことを。
もしも私の敵が弱くてひるみかけた時、
その敵を赦す温かき心が抱けるよう御力をお貸し下さい。
もしも敵が降伏した時は、その者を
弱き者、私の援助を必要とする友として
受け入れてあげる心を抱かせたまえ。
◎その二
大霊よ。私の心から“恐れの念”を取り除いて下さい。
そして、人間として恥ずかしくない性格たらしめたまわんことを。
◎その三
大霊よ。
何とぞ叡知(えいち)ある生き方を示したまえ。
そしてまた、取り越し苦労をすることなく生きるための
力を授けたまえ。
◎その四
ああ、大霊よ。
私の切なる祈りを聞き届けたまえ。
取り越し苦労に惑わされて
人の道を踏み外すことのないよう導きたまわんことを。
◎その五
大霊よ。
私に与えたまう試練に耐える十分な御力を授けたまえ。
常に自分の為すべき義務を忘れず、
口に慎むべき時は過ることのないよう導きたまえ。
苦難を忍ぶべき時が至った時、
野生の動物にならいただひとり身を隠してそれを忍び、
愚痴をこぼして仲間に迷惑を及ぼすことのないよう、
導きたまわんことを。
敵と戦う時、もしも勝たせていただけるものならば、
何とぞお力添えをたまわんことを。
しかし、−このことを特にお願いいたします。−
もしも、勝つべき運命(さだめ)にない時は、せめて、
みじめな負け方だけはせぬよう、お力添えをたまわらんことを。
◎その六
父よ。
お力添えを必要としている者があなたの前に立っております。
かく申す私でございます。
(こう述べてから願い事を述べる。焚き火を囲み、顔と手を天へ向けて祈りを述べ、最後はその手を大霊のシンボルである焚き火へ向けてお辞儀をする。)
[181]
“オリジナル”の大切さ 投稿者:
道開き 投稿日:2002/06/03(Mon) 20:31いつも「国際性」についての話になると、ついつい同じ内容のことばかり書くようになってしまいます。 でも、やはり、“日本”とか、“日本人”としての“オリジナリティ−”を表現している人って、結局は国際的に認められる、と言うか、世界の尊敬を受けやすいように思われます。
ヒッキ−(宇多田ヒカル)さんを評して、「ようやく世界に通用する歌手が出てきた」と言われますが、“日本的”な部分を打ち出して行かないと多分ダメでしょう。
話が古くなりますが、坂本九さんが『上を向いて歩こう(スキヤキ・ソング)』で、何週も連続して全米ヒットチャ−トNO.1にランクされたのは、九ちゃんの“小唄”風の独特の‘節まわし’が、アメリカの人たちにオリエンタルなエキゾチックさを感じさせたからだと言われています。
最近、若い人たちの間でも人気の元ちとせさんの歌は、“島うた”で鍛えられたと言うことですが、ドイツの有名なプロデュ−サ−に認められて世界デビュ−するみたいですね。プロデュ−サ−をして「あんな歌い方、これまでに一度も聞いたことがない」と言わしめた独特の歌い方です。
私だって、フランス人歌手のシャンソンやフレンチ・ポップス、イタリア人の歌うカンツォ−ネは聴いてみたいと思いますが、彼らが歌う日本の演歌はあまり聞きたいと思いませんもの。珍しいとは思いますが。それと同じではないでしょうか。
和太鼓、津軽三味線、黒沢映画、宮崎アニメ、そういったものが世界でうけているのは全くもって“日本的オリジナル”だからではないでしょうか。
[180]
ありがとうございました! 投稿者:
海月 投稿日:2002/05/26(Sun) 23:08こんばんは。
道開きさん,いつもいつもありがとうございます!
社会系の授業ではあまり「宗教」に関しては触れないようにしてるみたいなのですが,
今回は思い切った先生がいらっしゃって やっちゃうぞ!
と言う感じで宗教をテーマにしました。
社会科の先生曰く,「宗教についてはそれぞれの考え方があるから,これがこうだ とははっきり言えない。それに,どの宗教が悪い・良いもないし いろんな宗教の人が生徒の中にもいるからからあまり深く触れないようにしている。」とのコトです。
たしかに深くて難しいテーマですが,こうなったらこれを機会に
深くつっこんでみたいと思います。
本当に勉強になりました。
やはり本や資料だけでなく,いろいろな方にお話を聞かせていただくのも大切だと感じました。
近々,神社の関係者の方々にも,インタビュー?できたら良いなと思っています!これからもよろしくお願いします!!
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ご質問についてです 投稿者:
道開き 投稿日:2002/05/26(Sun) 18:22ようこそいらっしゃいました。
最近は、義務教育(小中学校)のみならず、高校でも「総合的学習の時間」というのが設けられているのですね。
ほんの数年前までは、学校教育に於いては、“郷土”とか、“宗教”とかに関する事柄はどちらかというと、対象外だったように思われますが、大幅な見直しが成されているようですね。とても、良いことだと思います。
ご質問の件ですが、
先ず一つ目についてですが、
「預言者」というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教におけるシャ−マンの定義といったらいいかもしれませんね。神道の場合は「巫女」といったものがそれに当たると思います。又、教派神道には「お筆先(おふでさき)」といって、教祖の「預言」の様なものを「教典」に定めているところも多々あります。
「救世主」という概念も、どちらかというと一神教に強い概念ですね。仏教にも弥勒菩薩(みろくぼさつ)のようなそれに似た存在はありますが。
「断食」については、日本古来の山岳信仰と仏教、特に密教などが融合した“修験道的な信仰”にはそれなりにありますね。明治以前の信仰は、神道も、仏教も、陰陽道も、修験道も、皆渾然として混じり合っていましたからね。これは、もう一つの質問の方にも関連してきます。
つまり、もう一つの質問の「神道」と「古神道」についてですが。
現在、純粋に「神道」と呼ばれているものは、明治維新後に“神仏分離”が行われたかたちの、日本古来の信仰である「神道」のことを言います。
長年に渡って融合を繰り返した「仏教」「道教」「陰陽道」「儒教」色を排除したかたちの神道です。(但し、厳密には、仏教的な部分、道教・陰陽道・儒教・修験道的な部分は現在でも色濃く残っています)
次に、「古神道」と一般に呼ばれているものですが、それは「“神仏分離”が行われた後の国家の統制下に置かれた神道“以前の神道”、“以外の神道”」をそのように呼ぶことが多いですね。
現在、一般に「神道」と呼ばれているのは、神社で行われている「神社神道」のことで、「古神道」と呼ばれるのは、様々な神道系教派で行われている「教派神道」とでも考えれば理解しやすいかもしれませんね。
[178]
こんばんは☆ 投稿者:
海月 投稿日:2002/05/25(Sat) 21:59推薦委員会さんの掲示板でいつもお世話になっています海月です☆
えっと,あちらの掲示板でもいいかなと思ったのですが,
今回はこちらにこさせていただきました!
実は今学校の「総合的な学習の時間」で「宗教と世界平和」ということをテーマに調べ学習をしています。
その中で私は神道をメインに調べる役になったのですが,
どうにもこうにも資料がなく,困っています。
やはり沖縄には神道はいまいちなじみが薄いようで,図書館などにも資料があまりないんです。
なので 道開きさんのお知恵をおかしいただけたらと思います;
・神・信仰対象・聖典・預言者・救世主・聖都・聖職階級・
偶像・断食・安息日・宗派・教儀
この項目について調べていますが,神道には
預言者・救世主・断食はないと思うのですかどうなのでしょうか?
あと,たしか「古神道」というものがあったと思うのですが,
宗派は「神道」と「古神道」で良いのでしょうか?
他の項目については頑張って調べるつもりなのですが,
その2つについて教えて下さい。
本当にいつもいつも質問ばかりで申し訳ないです;
お時間のある時でかまいませんのでよろしくお願いいたします。
それでは失礼いたします。
[169]
降神・昇神(こうしん・しょうしん) 投稿者:
道開き 投稿日:2002/05/06(Mon) 10:47社殿以外の場所で臨時に行われる祭りにおいて、その祭場に神を招くこと、および帰去を願うこと。もともと常設の神社が出現する以前において、石や樹木などを神霊の座と見立てた場合に必要でした。主に地鎮祭(じちんさい)、上棟祭(じょうとうさい)など。
神職が祝詞(のりと)を奏上し“警蹕(けいひつ)”が発せられて、神さまの降臨が願われます。祭祀(さいし)が終わると、再び“警蹕”が発せられて昇神が願われます。
[168]
お祭りの時の“オ− − ”という声 投稿者:
道開き 投稿日:2002/05/06(Mon) 10:46お祭りの際の、“降神・昇神(こうしん・しょうしん)”、ご神前の御扉(みとびら)の開け閉め、あるいは神輿(みこし)の渡御(とぎょ)の際に、神職などが発する「オ− − −」という声を“警蹕(けいひつ)”と言います。神霊に対して発せられるものですが、同時に祭りに参加している者に対して畏み(かしこみ)を促すという意味も持ちます。
[167]
霊的世界へとつながる果てしなき“大脳”宇宙 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/21(Sun) 12:44人はなぜに「行法」をおこなってきたのでしょうか。
それには、それなりの原理が働いているからなのです。
人が、精神的なり肉体的なりに危機状態に陥った際には、その状態をやわらげようとして自然に、大脳内に“脳内麻薬”といった物質が放出されます。やがて、それに続いて“ド−パミン”という物質も放出されるようになります。
そうすると、ちょうど麻薬でもやっているような状態になるのだそうです。
その状態は、「大脳の視床下部」にある“知覚神経系統の「安定化装置」”をゆるめ、(つまり、霊的世界への扉が開き、)普段は知覚できないような様々な情報を大脳にもたらすようになります。大脳を通しての霊的世界との交流が始まるのです。
つまり、見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、正常時には解らないような事が解ってきたりするという状態にもなるというのです。
“五感”が研ぎすまされると同時に、“第六感(シックスセンス)”も働きだすのだそうです。つまり、「“霊能”が開ける」みたいです。
確か、1994年頃にテレビ放映されたと記憶していますが、NHKで、「シリ−ズ人体U −脳と宗教−」という特別番組がありました。
世界各地のシャ−マンを現地取材し、“シャ−マニズム”、“アニミズム”といった、太古より連綿と続いている、「人と神と関わり合い」の営みを、現代科学、特に「大脳生理学」、「ユングの深層心理学」によって究明してみようといった試みでした。
当時、東大の教授で、大脳生理学の権威であられた養老猛先生と、女優の希樹希林さんとのCGを使ったやりとりが実に面白かったです。本も出ています。私も持っています。
特に、沖縄のシャ−マン・“ユタ”の根間鶴子さんの脳波実験は本当にすごかった。
肉体を弱めると、霊の活動が活発になります。人が死にそうになると、よく様々知人のところを歩き回ったりするという話を聞いたことがありますね。霊が、あの世へとおもむく為の準備を始めるみたいです。それも同じ事でしょうね。
但し、ここのところに落とし穴があります。霊能が開けると、ヘタをすれば悪いモノにもチャンネルが合ってしまう危険性も生じてきます。
ですから、「正しい精神と意識」、そして「正しい神霊知識」を持ちましょう。
悪神、悪霊の虜になってしまっている教祖様、霊能者は非常に多いと言われています。
世界中を恐怖に陥れた○○教の信者たちがよく口にしていた言葉にも、
「修行するぞ、修行するぞ・・・・」といったものがありましたが、あんなふうになるのでは修行などしない方がよっぽどましだと思いますですね。
超能力なんかどうでもいいですから、「“実社会”を良くするために」“霊的世界”から力を受けられるような“宗教戦士”が大勢誕生すればいいな−とついつい考えてしまう今日この頃です。
[166]
下記の『シャ−マニズム』@〜E の著者紹介です 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/13(Sat) 21:11駒沢大学教授・佐々木宏幹。文化人類学、宗教人類学者。宮城県気仙沼市出身。日本におけるシャ−マニズム研究の第一人者。
著書に『シャ−マニズム−エクスタシ−憑霊の文化−』、『シャ−マニズムの人類学』、『聖と呪力−日本宗教の人類学序説』、『仏と霊の人類学―仏教文化の深層構造―』、『現代と仏教』、『シャ−マニズムの世界』、『宗教人類学』等がある。
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宮古島のユタのイニシエ−ション(一つの例) 《シャ−マニズムE》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/13(Sat) 21:09 平良市西里に住むY・M(女性・六十八歳、1976年現在)は、伊良部島佐良浜の半農半漁を営む家庭に、三人キョウダイ(女二人、男一人)の長女として生まれた。七歳のとき母が死亡し、チチは後妻を迎えたが、この継母も子供二人(女一人、男一人)を生み、間もなく死亡した。実母の死後、ただ一人の実弟も他界したので、実妹を彼女の母の実家に預けていたが、六年生のとき継母の死を機に妹を引き取り、母代わりになって実妹と義理の弟妹の面倒を一切見ることになった。
弟妹の義務教育が終了後、彼女が二十五歳のとき、隣家の九人兄弟の八男と結婚し、独立の家庭をもった。夫は彼女の実家の弟妹の世話をよくしてくれた。
彼女は幼少の頃から霊感によって予言することがしばしばあり、それが的中するので、大人達から気味悪がられていたという。
たとえば、近所の男が漁に出かけようとしているとき、祖母に向かって「あの人は死ぬから海にやってはいけない。引き留めろ」といったら、祖母は「お前は何て言うことを口にするのか」と彼女を怒鳴りつけた。ところがその男は海に潜ったまま行方不明になり、後刻死体となって収容された。
それからというものは、出会う人の顔を見て、あなたはいつ死ぬとか、商売が駄目になるなどと口走ったので、大人たちは、この娘は村に置いてはいけないと語り合ったという。小学六年生のころから神の姿を見たり、神の船が空中を飛んでいくのを目にした。それらは、日中目覚めているときに現れるので、恐怖のあまり逃げたり隠れたりした。また夢の中で友人たちとともに佐良浜の大主神社に連れて行かれ、社前に坐らせられたとき、彼女一人だけが皆の前の一段高いところに座を与えられた。この種の経験を重ねるうちに、彼女は、自分は他の人とは異なる人間であると思うようになった。
本格的にカミダ−リィを経験したのは、彼女が結婚をした二十五歳の秋からである。夫は商店を経営し、米、塩、煙草、薬品、雑貨を扱うとともに、三十七トンの鰹船を所有し、相当な繁昌ぶりであった。支那事変当時、佐良浜で個人船を所有したのは、彼女の家が最初であった。夫は船主であり、ひとたび船出すると長い間家には戻らなかった。彼は八重山、多良間、沖縄本島に出かけることが多かった。
家を守る彼女は、身体の変調を覚えるようになっていた。足、腰、肩が痛み続け、しきりに夢を見るようになった。夢の中で中折帽子をかぶり、羽織を着た金色まぶしい簪(かんざし)を飾った女神が現れ、どのように治療したらよいか、どんな薬を飲んだらよいかなど懇切に教えてくれた。かかる状態が続く中で、彼女は長女と次女をもうけた。その後に彼女は大患をわずらい、那覇市の病院に二ヶ月間入院して、腹部切開手術を受ける。退院してからは小康状態が続いたが、相変わらず神の姿を目にし、その声を耳にした。大手術後にも彼女は男二人、女一人を生んだが、このうち男一人と女子を幼少のうちに失った。この間、夫は長く病床にあったり、長い間家に帰らなかったり、家にいても飲みに出て泊まり歩いたりしたので、彼女は精神的に苦労の連続であった。
彼女が病床に臥していると、夢の中に数柱の(神さまを数えるときの単位)神が現れて、「お前の夫は他の女性と同棲しているから、お前を天に連れ戻す」と告げた。すると他の神がいった、「この世に十二名を天から下したのだから、この女を連れ戻したら十二支の一カ所が欠けてしまう」と。
彼女はこの夢のお告げに基づいて、夫に同棲の女性がいるだろうと激しく迫った。夫は率直に事実を認め、悪いことをしたと反省し、線香を立てて神棚に拝んだ。数日して彼女が飼っていたブタが死んだ。ブタは彼女の身代わりだった。・・・・・・
悲惨と苦悩の連続の中で、彼女は自分が神の子であるとの自覚をいよいよ深めていった。神がかりが激しくなったからである。
神がかりになるときには、月から十二柱の神が雲のように降りてくる。先頭の神が彼女の頭上までくると神がかりになり、全身がけいれんし、しびれ、倒れてしまう。神が彼女の頭上までくるのは見えるが、後はわからなくなる。神が去ると意識を回復する。
彼女が神がかりになると、隣近所の人たちがこれを見ようと彼女の家に押しかけ、庭や石垣や屋根の上にまで登った。このようなときには子供たちは雨戸を締めて引きこもり、床に臥した彼女の神がかりが解けるまで二時間でも三時間でも待った。現在でもときどき神がかりになることがあるが、これが解けると自分の口にしたことをいくら思い出そうとしても思い出せないという。・・・・・・
やがて、最後の大患を三十七歳の時に経験し、神さまから薬草の調合の仕方を教わって命を救われ、その後に彼女は神の道を悟り、商売をやめて神ごとに専念するようになった。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
[164]
「召命型」と「修行型」のイニシエ−ション 《シャ−マニズムD》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/13(Sat) 21:07◆「召命型」のイニシエ−ションの“三つのパタ−ン”
@シャ−マンになる以前の肉体が完全に解体されたのちに、シャ−マンとして再生するというタイプ。この肉体の解体と再生は幻覚や夢想、夢の中で体験される。
シベリア諸族、エスキモ−、アメリカ・インディアン、アボリジニなどに見られる。
未来のシャ−マンを解体し、再生させた精霊は、後に守護霊となって彼の活動を援助する。
A未来のシャ−マンが精霊に夢やトランスの中で求愛され、これを拒絶すると心身異常が生じ、生命にかかわることになる。そこで精霊と結婚式を挙げると、未来のシャ−マンは真にシャ−マン化し、精霊はその守護霊になるというタイプ。
ビルマ、インドのサオラ族、ヤク−ト族、沖縄などに見られる。
B未来のシャ−マンが幼少の時から心身異常をきたし、しばしば夢や幻覚の中に霊的存在が現れて、当人が神・精霊によって選ばれていることを知らすが、当人は気づかないか、気づかないふりをしている間に、心身異常が悪化したので、決心してシャ−マンになるというタイプ。
◆「修行型」のイニシエ−ション
人間の側から自発的に神・精霊に働きかけて(修行して)、聖なる力能を得るという型である。
修行型のイニシエ−ションの鍵は、修行中に神や精霊と直接接触できる“状態”としての“トランス”や“夢”を意図的に作り出せるか否かにかかっている。
青森のイタコやゴミソ、長崎の五島のホウニンがそれに当てはまる。
★★★★現在では、様々な新興宗教が様々な形でこの「修行型」のイニシエ−ションを行って信者に体験させるようにしているみたいです。★★★★
※世襲型のシャ−マンの場合にも、「召命型のシャ−マン化過程」を辿ることが少なくい。いずれにせよ二種類の教育が必要となる。
@エクスタシ−的な教育(夢、幻想、トランス)
A伝統的な教育(シャ−マンの技術、精霊の名と機能、部族の神話と 系譜、秘密の言語)
この二重の教育は、“精霊“と“長老シャ−マン”によって行われ、「入巫過程」を構成する。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
[163]
シャ−マンへの変身のプロセス ユタの“成巫過程” 《シャ−マニズムC》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/13(Sat) 21:03沖縄や奄美の人びとの中には、神や諸精霊と直接交流できる力能をもつユタやカンカカリヤ−は、並みの人たちではなく特別の資質をもつ人たちであると確信している者が多い。特別の資質とは、神に選ばれるのにふさわしい生まれつきの性質というほどの意味で、沖縄ではこのような資質に恵まれた人のことを“セジ(シジ)ダカイ”(霊力の高い)人とか“サ−(セイ)ダカウマレ”(性高い生まれ)の人とか呼んでいる。こうした人は、“セジダカサン”、“ウマレタカサン”などと親称されることもしばしばある。
人びとはよく「神の道に入った人(ユタ)は天才であり、普通の人はどんな努力しても、あんな風になれるものではない」と強調する。それは、人間の側からいかに神の道に憧れて努力してみても、その人物に神の側からの意志的な働きかけがないかぎり、ユタにはなれないという見方である。
この一種の選民思想の背景または基礎を成しているものは、彼らのライフ・ヒストリ−に強烈に刻みこまれた呪術−宗教的経験である。それは、神によって与えられた“聖なる病”としての“カミダ−リィ”(神障り)や“カンブレ”(神触れ)、“カミグルイ”(神狂い)である。
聖なる病いは、一般的には神がある人物を選んで“霊界の専門家”(脱魂型シャ−マンの場合)に鍛え上げるための、いわば神によって課された聖なる試練であると目される。カミダ−リィ経験には、明らかに“生と再生”の観念を示すような内容も多く看取される。彼らにはカミダ−リィの心身異常の極限において意識を失い(しばしば一度死んだと表現される)、回復したのちに神の意志の何たるかを“サトリキッタ”と称する者が多い。
こうしたユタのカミダ−リィの期間は、人によって長短相分かれるが、シャ−マニック・イニシエ−ション(成巫)の主要部分を構成する。当人は神歌を歌いながら終日踊り続けたりする。「モノグルイだ」、「いやカミグルイだ」、「ひょっとしたらウマレル(ユタが誕生する)かもしれない」などと噂が噂を呼ぶ。それから“ミチアケ”(一人前のユタになること)までが大変である。多くの試行錯誤的な行為を繰り返すという事例も多い。たとえばユタから「何代前の先祖が葬られている場所を探しあてて、供養しなければならない」といわれ、ユタと一緒に何年も島めぐりをしている者もいる。こういう人を現地では“サバキキレナイ”人と呼ぶ。またユタから祭壇を設けてカミオガミをしなさいといわれ、これに従ったらカミダ−リィがきれいに去ったという例もある。
いずれにしても、「心身異常→カミダ−リィ→カミオガミ→ユタ化」の過程をつぶさに経験し、合理的には考えられないような“神秘・不可思議”な出来事を見聞きした本人や家族、近隣の人たちは、ユタのもつ並みはずれた資質と性格についての強烈なイメ−ジを心に深く刻み込まれることになるのである。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
[162]
すみません 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/11(Thu) 17:20下の[161]の正しい題名は“セアン”ではなく“セアンス”です。入力ミスでした。
[161]
●セアン(集団儀礼) 《シャ−マニズムB》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/11(Thu) 17:17超自然的存在の何たるかを見抜き、これに対処するための必要な知識と技術を具えた人物が“霊界の専門家”シャ−マンである。シャ−マンは、依頼者に憑依(ひょうい)した霊的存在の正体を突きとめ、最善の儀礼的処置を講ずる。この役割を果たすとき、シャ−マンは守護霊を呼び出してみずからに憑依させ“憑霊状態”を作りださなければならない。したがって「一般に『セアンス』と称される、シャ−マンと憑霊患者を中心とする集団儀礼においては、両者ともに憑霊状態におかれていることになる。」この場合、シャ−マンも患者・依頼者も等しく霊に憑かれているのであるが、両者の憑霊の性格には著しい違いが三点ある。
@シャ−マンはその役割をはたすのに不可欠の条件として、神や精霊(守護霊)を自発的、積極的に招き、みずからに憑依させるのにたいして、憑霊患者は意図的に霊を呼び出してみずからに憑かせたわけではなく、それは不幸で偶然の出来事として受けとめられることが多い。研究者たちは“自発的憑霊”と“非自発的憑霊”に類別する。(又は、“懇請的”と“非懇請的”、“積極的”と“消極的”)
A普通の(非自発的)憑霊においては、その人物の行動が、つねに他人にたいして何か特別なメッセ−ジを送るとは限らない。それは基本的には、精霊の顕現を身体的に表現してるものと見なされる。ところが、シャ−マンにあっては、“交通・交流”に強調点がおかれる。超自然的存在は単にみずからを表現するのみではなく、人々に対して何事かを伝えるものと見なされる。非自発的に憑霊された人物よりも、より高度に“統御(コントロ−ル)”されている。
B非自発的憑霊においては、憑霊する霊は一般に悪しき属性を有し、社会によっても異なるが、当該社会のパンテオン(神統)の下部に位置するものが多い。これにたいして、シャ−マンに憑依する守護霊は、総じてその社会において不幸、災害をもたらすような超自然的存在を駆逐し、排除できるほど強力でなければならない。
なおシャ−マンの中には、最初に“非自発的憑霊”を経験し、最後に“自発的憑霊”によって役割をはたす職能者になってゆく者が少なくない。夢や幻覚、幻聴が続き、ときおり神が姿を現して話しかけたり、身体に触れたりする。こうした経験と並行して身体の調子が狂い、憂うつな日が続く。シャ−マンを訪ねて相談すると、神がその人物に“神に仕える者”になるよう勧めているのだから、神の道に入りなさいと忠告する。種々の事情から忠告に従わず、普通の生活に執着していると、心身異常は増幅し、命にかかわるといわれる状態にまで進む。
シャ−マンの忠告をいれて神の道に入り、みずから神(守護霊)の憑依をうけるようになると、心身異常は消え、やがて超自然的存在と人間とのいろいろな関係を意図的に統御できるようになる。“召命型のシャ−マン”に見られる『シャ−マン化の過程』である。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
[160]
憑霊における「三つの型」 《シャ−マニズムA》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/11(Thu) 16:58現在のところ「憑霊=神がかり」と見られる現象について、ほぼ次のような見通しを得るに至っている。
@神・精霊が当該人物の身体の中に入り、人格転換が行われ、シャ−マンは霊的存在として振る舞い「吾は某々の神であるぞ!」のように第一人称で語る。
A神・精霊が当該人物の身体の中には入らないが、リアルに姿を見せ、直接身体に接触して、胸部を圧迫したり、手足をつかんで振り回したりし、神意を伝える。シャ−マンは、「神さま、しかじかのことについて、何とぞ教えて下さい」と願い、霊的存在の答えを「はい、はい、わかりました」などといって受け、これを依頼者に伝える。この場合、当人には人格転換は起こらないので、霊的存在との直接交通も、第二、第三人称を用いて行われる。
B神・精霊が当該人物の身体に入ることもなく、またその身体に直接接触することもないが、シャ−マンの眼、耳、心を通じてその意志を伝える。「神さまに悟らせられる」とか「神さまにしゃべらせられる」という状況である。遠くから身体の悪い人が訪ねてくるとして、もしもその人が霊の影響を受けているとすると、悪いところの痛みが自分に現れるという。霊との交渉は第三人称で表現されることが多い。
@は人格が“神格化”または“霊化”している状態であり、Aは人格が神・精霊によって大きく“統御”されている境位、Bは人格が霊的存在の“影響”を受けている状況である。
@を霊的存在が身体に入り込み、自己の主体と入れ替わっている状態で“憑入型”とでも表現でき、ABは霊的存在が外側から影響している状態で“霊感型”とでも呼ぶのが適当であるかもしれない。
わが国のシャ−マニックな職能者は、奄美・沖縄に展開するユタやカンカカリヤ−を含めて、“憑入型”と“霊感型”を併有しており、通常の役割をはたすときには、霊感に頼る者の方が多いように見える。
小野泰博氏はこれを@人格変換型、A復話型、B取次型に三分類している。
@は、意識がすっかり別個の人格に専有されている状況で、「継続的二重人格」の場合であり、完全な“憑霊”である。
Aは憑依霊と本人とが同時に意識されることで、“神が私の腹の中にいる”などと表現されるものであり、「同時的二重人格」ともいえる。
Bは人格変換がなく、意識面が強くなり、目を閉じたまま神意を伝えるもので、普通の「直感」、「インスピレ−ション」ないし「連想」に近い。同氏も「人格変換型」は、多く“シャ−マン化過程”や突発的な“憑霊体験”に見られるもので、“職業化”すると「取次型」が多くなるとしている。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
[159]
“トランス”から“エクスタシ−”or“ポゼッション”へ 《シャ−マニズム@》 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/11(Thu) 16:55よくシャ−マニズムやシャ−マンの定義は学者の数だけあるということがいわれる。これは、それだけシャ−マニズムやシャ−マンの特質や性格、役割などがわかりにくいという事実を表現している。まず、現在における定義の大筋は次の通りとなるようだ。
まず、シャ−マンの通常の意識がその働きを鈍らせ、弱らせた〈(A)“トランス(心的分離状態)”の〉時に、魂は自由に宿り場を遊離する〈(B)“エクスタシ−(脱魂)”〉か、逆に神や精霊が、その肉体をみずからの支配下におく〈(C)“ポゼッション(憑霊)”〉のである。
つまり、“トランス(心的分離状態)”の時に、“エクスタシ−(脱魂)”か、“ポゼッション(憑霊)”といった現象が起こるのである。
ちなみに、(Β)は“精霊の統御者型”のシャ−マン、(C)は“霊媒型”のシャ−マン、“予言者型”のシャ−マンなどのように表現される。
駒沢大学教授・佐々木宏幹 著『シャ−マニズム』(中公新書)より
※◆◆◆◆◆◆“トランス(心的分離状態)”に入らないとシャ−マニズム的事象は何も起こらない。つまり、神道的に言ったなら“鎮魂状態”に入らないと何も起こらないということでしょう。結局のところ、神職も、常々“鎮魂行”を積んでいないと、「宗教的職能者」としてのシャ−マニズム的対応は十分なものとは言えないということになるのでしょうね。
[158]
バガボンド 投稿者:
道開き 投稿日:2002/04/07(Sun) 16:07バガボンド。
“放浪者”って意味だそうですね。剣豪・宮本武蔵を扱った最近若者の間で読まれているマンガの題名です。単行本が出ていたので、12巻、取りあえず出ている分だけ全巻買って読んでみました。吉川英治の原作小説がかなり現代風に描かれていまして、それなりに面白かったです。でも、原作の面白さには到底及ばないと思ったのも事実です。来年のNHK大河ドラマも“宮本武蔵”“に決定しているそうです。
なにぶん私も、生まれて始めて読破した長編小説が『宮本武蔵』だったので、思い出深いものがあります。高校時代に、「現代国語」の読解力を付けるのに小説を読むのが良いと学校の先生がおっしゃってましたので、なにげなくその頃にノ−ベル賞を受けて話題になっていた旧ソビエトの反体制作家・ソルジェニ−チン氏の『収容所列島』を読んでみましたが、50ペ−ジまで読み進めませんでした。次にスタインベックの『怒りの葡萄(ぶどう)』を読んでみましたが、100ぺ−ジまでいったかどうかでした。
やがて、大学に入学して時間も十分に取れるようになり、高校時代に夢中になって読んでいたマンガ『空手バカ一代』の極真会館・創設者である“伝説の空手家”・大山倍達氏の終生の「座右の書」が吉川英治原作の『宮本武蔵』だったということもあって、『宮本武蔵』を読んでみました。世界中に100万人以上の門弟を抱えていると言われる氏ですが、若い頃、“特攻隊くずれ”のもんもんとした日々を送っていた時期に、小説の『宮本武蔵』に出逢い、当時の自分と武蔵の境遇が重なり合って強い感銘を受けたのだそうです。武道家(空手家)を目指して、即座に三年間の“山籠もり”修行に入ったといいます。
私も、始めて小説の面白さを知り、大学の四年間は「歴史小説」三昧の日々を送りました。『竜馬が行く』なんかは今でも夢に見ることがある程です。
若い頃に『竜馬が行く』を読んだ人というのは必ずと言っていいほどに、革新的、活動的になるみたいです。とにかくじっとしていられなくなります。俳優の武田鉄矢氏なんかの「竜馬話」を聞いたことのある人ならばすぐに理解できると思います。
現在、世界を股に掛けて活躍されているメディア・ソフト業界の“雄”、ソフトバンク社の社長・孫正義氏(ほんの40代前半の年齢で、それも一代で、数兆円のお仕事をなされているようですが、ただただ頭が下がりますですね。)なども、高校1年生の夏休みにたまたま『竜馬が行く』を読む機会を得、こんな事をしている時ではないと発心し、二学期には高校を退学、単身、何の宛もなくほとんど金も持たずにアメリカに渡ったのだそうです。まずはアメリカだと思ったのだそうです。皿洗いから始めたといいます。
それ程に若者の心を熱くするものが確かに『竜馬が行く』の中にはありました。
ですから、単に読み物だといってバカにしてはいけないと思います。人ひとりの人生を大きく左右してしまうだけの力が、小説やマンガの中にはあるのです。
[157]
島うた 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/28(Thu) 10:43
最近、元ちとせさんという奄美大島出身の女性シンガ−が気に掛かります。
島うた(現地の民謡)歌手出身の方とのこと。独特の“節まわし”が、まるで宇宙と交信しているような感じすらするお声です。
「ワダツミの木」という曲は現在、ヒットチャ−トの上位にランク・インしていますが、“ワダツミ”とは海の神様の御名ですからくれぐれもお忘れないように。
以前、「島うた」という沖縄の島の様子を唄った曲が大ヒットしましたが、あの曲も、青い天空とマリンブル−の海の間に浮かぶ島々の空間が、宇宙空間に漂う地球そのものとリンクしてしまいそうな不思議な魅力をもった歌でしたね。
世界中の音楽、舞踏、芸能、美術といったものは、宗教と何らかの関係があります。
つまり、神様のもとから流れだしたもの(インスピレ−ション)を感じとって、表現したものがそういったものとなるのでしょう。
ロックとお神楽(かぐら)はノリが似ていますし、エレキギタ−と津軽三味線も何だか似てますね。
[156]
“物づくり”の国・日本 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/28(Thu) 10:40“やはり21世紀も、日本の立国は物づくり(製造業)が決め手”のようです。
20世紀、資源を持たざる国日本は、得意とする物づくり(製造業)によって世界第二の経済大国へとのし上がってきた。が、ここにきて人件費の安い中国の追い上げを受けて喘いでいるといったのが現状であろう。しかし、この21世紀もまた、得意の物づくりによって頑張り抜くしか、国際社会で立国していく手段が他にないことを再確認し始めている。
迫り来る“グロ−バリゼ−ション”の大波を乗り越えていく為のキ−ワ−ドは、
@顧客本位
Aネットワ−ク
B熟練の技
だという。
◆ コピ−機メ−カ−のリコ−は8記連続して空前の高収益を挙げているという。その理由は「付加価値の高い」、「ネットワ−ク化できる」「高性能の多機能」デジタル・コピ−機を世界に先駆けて開発したから。中国の技術では到底太刀打ちできない製品だ。
◆ 機械用品のバネ会社は普通、大会社の「下請け」の仕事が多いが、それでは安価な中国製のものには勝てない。生き残りをかけた或るバネ会社では、バネの種類を多種多様に増やし、顧客のニ−ズに答えられるようにし、一本の小口注文でも受注する方式をとり(バネのコンビニ店化?)、「塵も積もれば山となる」で収益を増やした。
◆ 東大阪市は世界屈指の特殊技術を有する中小企業が集中する地域である。(関西の大田区の様なもの?)そこでは「ロダン21」という“異業種の企業ネットワ−ク”を組んで、それぞれの技術を出し合い新製品の開発に取り組み、こうして大企業でも出来ないような数々のヒット製品を生みだしている。
@「顧客本位」とは客側のニ−ズに答えることを第一とすることであり、会社側の開発した製品を無理に購入させて行くやり方とは異なる。顧客が使いやすい製品を開発していくことが生き残りのカギ。
A「ネットワ−ク」とは、中小企業が大企業に対抗していくための手段である。I T社会がそれを可能にする。
B「熟練の技」とは、精度の高い製品を作り出していくための熟練工の技術。日本の熟練工の技なしではスペ−スシャトルを飛ばすこともできないという。この技を確実に若い世代に伝えていかなければならないということ。
NHKスペシャル『製造業再生への挑戦』より
以上の内容は、そのままあらゆる業界にも当てはまると思われます。
[155]
ストイコビッチとオザワ() 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/22(Fri) 10:04つい最近、NHKで二つの素晴らしい番組を見ることが出来ました。さすがはNHK(日本国営放送)。
一つは、毎年夏にアメリカのタングルウッドというところで開かれる音楽祭の時期にあわせて、世界中から選ばれた10代〜20代の音楽に関わる若者たちが、2ヶ月に渡って超一流の音楽家たちとふれあい学ぶという番組だった。
そこで音楽監督を務めるのは、日本が誇る“世界のオザワ”(小澤征爾)である。「オザワのところに来て少しでも学ぶことが夢だったのだ」と目を輝かせながら語る若者たちが逆に見ていて眩しかったですね。音楽を志す者達が、国を越え、世代を越え(小澤さんは67歳)て奏でるシンフォニ−は素晴らしかったです。小澤さん自身も24歳の時、タングルウッドで世界の超一流の音楽人に接する機会を得、世界に飛び出したのだそうです。
もう一つは、昨晩見た番組です。“ピクシ−(妖精)”の名で親しまれ、7年間もJリ−グの名古屋グランパスで活躍してきたユ−ゴスラビアのサッカ−選手ストイコビッチを特集した番組です。
世界有数の選手でありながらユ−ゴの内戦でやむなく日本にやってきた彼であったが、「日本を第二のふるさと」と語り、「日本人サポ−タ−を我が人生の誇りである」と語るまでになった7年間の軌跡を描いていた。
それとは逆に、彼のグランドでの華麗なボ−ルさばきを目の当たりにし、衝撃を受けた“日本のサッカ−少年たち”に残した夢の宝物はいか程であるか計り知れないものがあるという。
『ウルルン滞在記』というテレビ番組がある。日本の若者たちが世界各地の家庭にホ−ムステイして、その土地の文化を学ぶという番組であるが、最後はほとんどが涙の別れとなる。その異国の家庭で日本の若者たちは、日本が忘れ去り、置き去りにしてしまったものを見いだすといったパタ−ンが多い。
これもテレビCMのセリフとなるが「いいな−!異文化コミュニケ−ションって」とついつい思えてくる。
政治的に物資の支援を行うのもいいけれど、“人的交流”、“文化的交流”、“民間交流”も大切だな−と思えてしまう二つの番組でした。
[154]
ヒ−ロ−像の“東西ねじれ現象”? 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/16(Sat) 18:00下の書き込み[153]に続きます。
映画におけるヒ−ロ−像といったものも、世の“グロ−バリゼ−ション”の影響を多大に受けているのが現状だと思われます。
スティ−ブ・マックィ−ンと同時代の、同じく絶大な人気を誇った俳優の一人にクリント・イ−ストウッドがいます。当時はハリウッドNO.1の“ドル箱スタ−”で、そのことが彼の人気がいかほどであったかを物語っていると思います。
彼が人気を得るきっかけとなったのは、当時、“マカロニウエスタン”と呼ばれたイタリア製の西部劇の走り『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』への出演によるものです。それらの映画は何のことはない、黒沢映画『用心棒』の西部劇への焼き直しの作品で、彼が演じた悪の強いガンマン(賞金稼ぎ)の姿は、それまでの西部劇のヒ−ロ−像を根底から覆しました。
当時の我々中学生男子生徒たちがひたすらに真似た、あの眩しそうな目、ポンチョ姿は、三船敏郎が演じた、袖の中に両腕を入れたあの用心棒の姿のコピ−だったようですね。まさにヒ−ロ−像の“ねじれ現象”?が日本と西洋の間で起こっていたわけです。
他にも日本人が西部劇を観てスッキリしていた時に、あちらでは『七人の侍』などの時代劇作品を観てスッキリしていたようです。今でも西洋の方々は、日本、日本人との何らかの接触があるとすぐに「サムライ・・・・」という言葉を使用しますが、映画などを通じてのそういった文化の交流がなされていたからなのでしょう。とにかく映画を観ていると、こういった“東西のねじれ現象”とでもいった様なシ−ンが山ほどあります。
更に、これは日本人のクセとでも言ったらいいでしょうか(はたまた伝統ともなってしまっているのか)、「西洋のものを高く評価し、日本産のものを過小評価する。」そして、「西洋が高く評価した日本産のものを、ようやく評価するようになる。」
つまり、“評価のねじれ現象”とでもいった伝統が今の日本には根付いているみたいです。
これは、明治以降の西洋文化の取り入れ方に起因していると思われます。
明治までは、“明治維新”を見ればわかる様に、世界史の奇跡とまでいわれるような大改革を日本人自らがしっかりと断行するだけの自己決定力をもちあわせていました。が、その後がいけない。
強大な“官”の主導により、古くからの良き伝統を軽く見るようになってしまったり、西洋の文物を「舶来品」と称して何でもかんでも高く評価して取り入れるというクセが総ての分野に行き渡ってしまったと思われます。教育、軍隊・・・・
そして、あらゆる分野で“護送船団方式”が作られて行き、日本人全体が官僚化してしまっていると言ってもいいのかもしれません。それに、何でもかんでも“官”任せで、“官”に依存してしまう。
「“リスク”といったものを自分自らがシッカリと背負い、果敢に物事に取り組んで行ける“サムライ文化”・アゲイン」を切望します。この“サムライ意識”は“官僚意識”の対極にあるものだとも思われるからです。
何と言ったらいいのか、「平時はしっかりと“官僚的”であり、一端事が起こったら“サムライ的”に事に当たれるといったバランスが取れている状態こそが理想的なのでは」ないかと思われます。現在の日本は、“サムライ的な意識”が全くの萎縮状態にあるとも言えるのではないでしょうか。だから諸外国からはバカにされてばかりです。とにかく、リスクを負わない、責任の所在が不鮮明な社会組織とは、ヒ−ロ−が出にくい社会状態でもあるとも言えるでしょう。
[153]
ヒ−ロ− 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/12(Tue) 23:54ちょっと前に、NHKの『夢伝説』という番組を観る機会を得ました。
運良くその夜は、スティ−ブ・マックィ−ンを取り上げていました。スティ−ブ・マックィ−ンと言えば、私なんかの世代の者にとってはまさにヒ−ロ−そのものです。中学校の頃なんかは、テレビの洋画劇場で『大脱走』が放映されると知ると、男子生徒の間ではしばらくはその話題でもちきりになりました。(その当時、映画情報誌の「スクリ−ン」や「ロ−ドショ−」は毎月購入しまして隅から隅まで読んでいました。ほとんど映画情報の発信元は私でしたですね。当時はビデオも無い時代で、過去の名画はテレビ放映かリバイバル上映を待つしか手段がなかったのです。)
その映画の内容はというと、ドイツ軍の監視の厳しい捕虜収容所から、ひとクセもふたクセもあるような連合軍のつわものの捕虜達が、連合軍から秘密裏に派遣された“組織作りの専門家”「ビッグX」なるリチャ−ド・アッテンボロ−(後に『ガンジ−』の監督としてオスカ−を受けている)演じる人物の計画の元、何本かの長いトンネルを掘って“大脱走”を繰り広げるという実に単純明快なスト−リ−です。
演じる俳優たちもひとクセもふたクセあるような方たちばかりで、その中でもスティ−ブ・マックィ−ンが当時の我々少年達の心を捉えたのは、有名なオ−トバイでの逃走シ−ン(スイスの国境を目指してドイツ兵の追跡をかわすして行くシ−ン)もさることながら、それよりもやはり、捕まって独房に放り込まれながらもひょうひょうとした様子で、グロ−ブとボ−ルで一人キャッチボ−ルをしながら、思案を重ね、そして何度も何度も脱走を繰り返す、その“不屈の精神”に魅せられてしまったからですよね。当時の男優の人気投票はいつもアラン・ドロンが一位で、スティ−ブ・マックィ−ンが2位だったのですが、それは女性の投票が皆、アラン・ドロンにいったからです。男子はダントツにマックィ−ンを押していましたね。
『パピヨン』という映画でも、南米の仏領の孤島に流されマックィ−ン演じる主人公が、確か5年だったか、それ以上だったか、独房に叩き込まれ、ムカデなどの虫まで食べて生き延び、ラストでヤシの実でいかだを作って脱走するシ−ンにも感動しましたね。
がらっと話が変わって、青年期の頃のヒ−ロ−たちはと問われれば、何といっても『ライト・スタッフ』に出てくる7人の宇宙飛行士たちですね。アポロ計画の前のマ−キュリ−計画の実在の人物たちを描いていました。ちょっと前に最年長の宇宙飛行士として話題を呼んだジョン・グレン上院議員さんの若かりし頃も描かれています。でも、7人の宇宙飛行士の誰よりも魅力的だったのは、これも実在の人物で、彼らがあこがれた名うての飛行機乗りチャック・イエガ−その人です。演じるサム・シェパ−ドの魅力もありますが、普通のパイロットが何百万円、何千万円積まれても引き受けないであろう危険なテスト飛行を、いつもあっさりとその場でお金抜きで引き受けて、スピ−ドの世界記録を塗り替え続けた“不屈の精神”には本当にメロメロになってしまっていましたね。
地位や名誉、お金ではなく、スピ−ドの限界に挑み続けたその姿は、そう、現在で言えば大リ−グで活躍しているイチロ−や野茂の姿に重なってしまいます。
イチロ−のコメントは、アメリカのマスコミの間でも、「哲学的だ」とか、「まるでサムライのようだ」とか、「あいつは本当のプロフェッショナルだ」とか言われて取り沙汰されていますが、私も本当に、本当にそう思います。
28歳の青年のコメントとは思えないほどの深みのある言葉をいつも耳にすることが出来ます。それだけ「“真剣に”野球に取り組んでいるんだな−」と思えますし、「本当に心から野球が“好き”なんだな−」と思えてきます。日本にいる頃は何かにつけ、生意気な奴だと取られていたようですが、イチロ−にとってみれば、アメリカに渡って本当によかったと思えます。彼自身が正しく理解されるようになったのは、やはり、アメリカに渡ってからのことでしょう。
それに、何かイチロ−を見ていると、「今の日本の青年にも、こういった世界を相手に渡りあえるサムライがいるんだ」と思えてきて、ついつい嬉しくなってしまいます。今の日本の政界の混迷、官僚体制の腐敗、会社組織の陳腐化状況を見るにつけ、そういったものとは反対の、会社で言えばソニ−やトヨタ、そして人で言えばイチロ−や宮崎駿さんのような人達が、堂々と世界と渡り合っている様を見ているとこちらまでも何だか力が湧いてきます。どうせだったらあの様になりたいと思っている日本人は私ばかりではないのでは・・・・。かなり多くの日本人がそう考え、力づけを受けているのではないでしょうか。
[152]
高校における宗教教育 投稿者:
道開き 投稿日:2002/03/09(Sat) 13:42文部科学省では、高校教育の場に“宗教教育”を広く取り入れる方針を定めたそうです。
昨年のアメリカにおける同時多発テロ以降、今後の国際社会を考える上で、宗教的知識の必要性を痛感したからだそうです。
今後は、神社界でも尚一層のしっかりとした対応が求められるようになるでしょうね。学校側からも、生徒さん達からも。
[151]
大祓詞(おおはらえのことば) 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/22(Fri) 12:30先日テレビを観ていましたら、“現代の陰陽師”こと石田千尋さんが悪霊に対して“一撃必殺”の「お祓いの祝詞」があるとして『大祓詞(おおはらえのことば)』を奏上されておられました。
そんな事もあって、今回は『大祓詞(おおはらえのことば)』の概要なり、歴史的沿革なりを説明してみたいと思います。[白鬚神社窓口]の《白鬚神社メニュ−》の【目安箱】書き込み[48][49]に書き込んで置きましたのでどうぞご覧下さい。
[150]
“現代の陰陽師”石田千尋さんのこと Part2 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/22(Fri) 12:21“現代の陰陽師”石田千尋さんについてのご質問が非常に多いです。たしかに石田さんのご出演なさっているテレビはいつも興味を持って観ています。但し、一般の方々が持たれる興味とは多少異なるでしょうが。視点がかなり違っていると思います。私の場合、“現代の陰陽師”石田千尋さんの、“現代の”といった部分にどうしても目がいってしまいます。
というのは、陰陽道なり、古神道なりの信仰的知識・諸情報に関しては、僭越ながら私どもの方が遙かに持っていると思います。しかし、我々の立場は“官”の立場に近いところがあります。石田さんの立場や、なさっているお祓いのやり方は全く以て“民”に位置していると思います。常に情報を発信しているテレビ局の立場で言えば、我々はNHKの立場ですし、石田さんは民放各社の立場とでも言ったらよいでしょうか。ですから石田さんは法や公衆道徳に反することでない限りは全くのフリ−な立場です。“官”という立場はどうしても実際の“民意”とはズレてしまうといった欠点がある反面、軽挙妄動しやすい“民意”にたやすく迎合しないという長所もあります。
グロ−バリゼ−ションが急激に進んでいる現在の日本社会の傾向としましては、「古い伝統的なものをそのまま若い人達に突きつけても、そうそう簡単には受け入れられにくい」ということがあると思います。ミニモニのひな祭りの歌(歌の題名は忘れました)や、プロミスのCMで歌って踊っている江戸時代風の(かなり現代化された?)人たちの姿・・・・
つまり、日本の伝統文化といったものが、日本でのみ通用するだけのものであっては今の若い人達はなかなか認めようとしないのです。それが世界的にも通用するものでなければどうしても興味を持とうとしない。高い評価を示さないのです。一ランクも二ランクも下に見てしまう。大リ−グで活躍されている野球のイチロ−さんや、グラミ−賞を受賞された音楽のキタロ−さん、世界中でアニメ作品が絶賛されている宮崎駿夫さんの様に(『千と千尋の神隠し』のベルリン映画祭グランプリ受賞おめでとうございます)なると話は違ってくる。同じように、ちょっと前までは日本の若い人達にバカにされて相手にされなかった和太鼓、津軽三味線みたいなものが、世界中で高い評価を受けると若い人達も目を向け始める。私なんかの年代の人達もかなりその傾向にあるゼネレ−ションです。
これまでには、ただ上から下へとそのまますんなりと伝えられてきた伝統文化が、現代では、若い人達によって「フルイにかけられる」といった現象が起きていると思われるのです。その際の若い人達のもつ“尺度”は「良いものは良い」です。(つまり、「世界に通用するような普遍的なものは良い」という尺度となるのでしょう)
そういった世の動きの、信仰的な側面の体現者としての“現代”の陰陽師・石田さんに興味を惹かれます。そして、現代の若い人達と石田さんとの関わり合いの様子に興味を惹かれるのです。
ただ心配なのは“針加持の術”なる“鎮魂帰神法”的な行為です。石田さんの場合、それが売りの様ですが、後々のフォロ−は大丈夫なのでしょうか。問題の霊とは全く無関係だったテレビスタッフなどが一度ああいう体験をしたりしてしまうと、その人の霊道が開けてしまい、クセになってしまうことだってあるはずです(霊に憑かれやすくなってしまうということ)。“鎮魂帰神法”的神憑りを売りとして教勢を伸ばした古神道系の教団なども途中でやらなくなってしまってます。かなり危険を伴うからです。つまり“鎮魂帰神法”的神憑りとは「両刃の剣」(もろはのつるぎ)のような所がありますね。実際にやって見せなきゃ、人は神様や霊魂の存在を信じようとしなくなるし、やればやったで危険だし。
まあ、それにしても石田さんは、かなり際どいところで孤軍奮闘で頑張っていらっしゃることも確かだとはおもいますね。批判や非難をするだけだったら誰でも出来ますからね。
[149]
Re[148]: 霊符について 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/18(Mon) 17:37こんにちは、“風のささやき”さん。
さて、ご質問の件ですが、現在、神社やお寺で出しているお札というものは、もともとは「陰陽道」から、さらに申せば中国の「道教」に起源があります。
「神道」では本来、神様の依られるもの(依り代〈よりしろ〉)は石でも樹木でも棒でも、鏡でも剣でも玉でもなんでもよかったのです。時代が下るにつれて大陸から伝わってきた「陰陽道」の様式を取り入れたようです。(仏教側で霊符を取り入れたのは、陰陽道、道教に並々ならぬ知識を持っていた、弘法大師・空海だといわれています。)
さらにもう一つ、“得体の知れない変な文字”の流れとしましては、漢字などの大陸文化が伝わってくる以前にあったとされる文字もあります。“神代文字”と呼ばれるもので、江戸期末には平田篤胤(ひらたあつたね)や山口志道などの多くの国学者たちによって研究されました。そういったものも全国の古社には数多く残っています。
神道にしても、仏教にしても、信仰というものは案外、様々な他宗教の信仰様式が渾然一体となって、重層的に混じり合って行く運命にあるものなのかもしれませんね。キリスト教やイスラム教にも、そういったところは十分にうかがえます。現在でも、世界のグロ−バル化が進む中、宗教に限らず様々な文化が混じり合いつつあります。ですから明治5年に明治政府によって発令された“神仏分離令”、“陰陽道禁止令”、“修験道禁止令”以前の神社やお寺などでは、神仏が混じり合って信仰されていましたし、陰陽道、道教の様式が随所に入り込んでいました。
これから霊符のようなお札を神社でもだしたら云々については、神道の本来的な意味からみて、「お札は神様の依り代で、神様のご分霊が勧請(かんじょう)されるもの」としてみれば現在の様式でも十分だと思われます。何事も複雑に、難しくなったものが良いものだとは限りません。明瞭簡潔なものの中に物事の本質をうかがうことができるということは多々あります。
たとえば、現在、人はリンゴの実の部分を食べて、種や皮の部分を食べずに捨てたりしています。猿の場合は、まず、中の種を食べ、そして、回りの皮を食べ、それから、実の部分を食べるのだそうです。リンゴのどの部分に栄養があるのかを、誰に教わったわけでもなく本能的に知っているのです。万物の霊長たる人間の知がその真実を知らずに来て、ごく最近の科学によってそのことを知るに到ったようです。
神道の“知”といったものは案外、この猿の知に似ているところがあります。
[148]
霊符について 投稿者:
風のささやき 投稿日:2002/02/18(Mon) 09:16はじめまして、道開き様
少し教えて頂きたい事があります。古神道に関する本を読んでいましたら不可解な文字?で書かれたいる霊符、護符が目に留まりました。明らかに神社のお札、お守りとは違いますよね。
今、神社で頒布されているお札等は、いつ頃から今の形式なったのでしょうか。なぜ神社では、霊符、護符のような形の物を頒布しないのでしょうか教えて下さい。
[147]
呪歌(まじうた) 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/16(Sat) 16:03下記[146]の書き込みに続く内容です。
宮永雄太郎翁によると、
「呪文(じゅもん)とは呪言(まじごと)で、呪念(じゅねん)の意向を文句に言い現したもので、歌にしたるものを《呪歌(まじうた)》と言う。詛言(とごひごと)というも呪文の一種である。事と場により呪念異なるに従いて咒文(じゅもん)も又異ならねばならぬもので、その事その場に適当した咒文を誦(よ)まねばならぬこと、祭事(まつりごと)の異なるに従いて祝詞(のりと)もそれ相当のものを奏すべきことと同じ訳である。
だから祝詞を作文するが如く呪文も作して誦(よ)むべきものである。しかし、呪文は祝詞とは元よりその趣(おもむき)を異にして、確定的、命令的、比喩的にして、神理的有り難味を含みたるものでなければならぬ・・・・・」
〈参考〉
◆呪式(まじなひしき)を行う際の“神迎え”(神招〈かむおぎ〉) をする時の呪歌(まじうた)
○霊幸ふ(たまちわう)、神の社は我が心、心の奥に、神迎ふなり
○千早振る(ちはやふる)、神の心我が心、一つとなりて、我ぞ活神 (いきがみ)
※千早振る(ちはやふる)とは神にかかる枕詞(まくらことば)で、“チ”とは血であり霊(チ・霊力)であり、「モノの中に存在している根元的な生命力を意味する古語」である。乳(チチ)も父(チチ)もこの“チ”から派生した言葉です。その「“チ”が早く、激しく振るうほどの威力を持った存在」が“神”だということなのでしょう。
◆蟇目(ひきめ)祈祷〈鳴弦(めいげん)式〉という弓矢を使った呪 式(まじないしき)を行う際に歌われる呪歌〈まじうた(神歌)〉
○世の人を、活かさんための活弓矢(いくゆみや)、死(まか)るミ タマも、引き戻しけり
○千早振る(ちはやふる)、神の子どもが引く弓は、何射るとても、 治まりにけり
○妖気(もののけ)を、引きて放つ梓弓(あずさゆみ)、受け取り給 え、今日の聞き神
○怨敵(おんてき)の、咒詛(のろい)の息を射払はむ、受け取り給 え、返矢の神
◆呪詛(すそ・呪い)掻き祓いの呪式(まじないしき)を行う際に歌 われる神歌(呪歌)
○妬(ねた)しとは、何を言ふらん元よりや、ままならぬこそ、浮き 世なりけれ
○いかにして、呪いやるとも焼鎌(やきがま)の、敏鎌(とがま)を 持ちて、打ちや払わん
○呪い来て、身を妨ぐる悪念(呪い)をば、今打ち返す、元の主(あ るじ)に
★しかし、どの様な「呪式」を行おうとも、どんな「呪歌」を唱えようとも、その成否といったものは結局のところ、術者(行者)の“鎮魂力”に総てが掛かってくるといったところでしょう。つまり、「式法よりも心法」、「形式よりも心力の強弱」といったものが重要となるのでしょう。(メイン・メニュ−の「よまやま知識」の中の「行法あれこれ」「本田霊学と鎮魂帰神法」を参照して下さい。)
[146]
針加持祈祷法(はりかじきとうほう) 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/08(Fri) 13:00現在、テレビなどでブ−ムになっている“現代の陰陽師”こと石田千尋さんの「針加持の神術」について詳しく触れてみたいと思います。
一言で言ってしまえば、そう、「人間ダウジング」「人間コックリさん」「人間フ−チ(巫占)」とでも表現したらいいのでしょうか。
下記は、これまでに幾度となく紹介して参りました明治期の神道家で、宮崎県東諸県郡に鎮座する袖馬城峰(そでまきのみね)八幡神社第七十六代神主・宮永雄太郎翁の著書からの引用となります。
日本書紀(神武天皇の巻)に、「敬い祭れ天つ神・地つ祇(くにつかみ)を。また為(な)せ厳(いず)の咒詛(かじり)を。かく為せば虜(えみし)自ら平伏(まつろわ)む」とあるを見れば、“マツリ”より外に“カジリ”という神術ありしこと論なし。
橘(たちばな)家の伝えには「加遲利(かじり)」とも「加持利(かじり)」とも「加持(かじ)」とも書き、卜部(うらべ)家の伝えにも「加持」とも「擑(かじ)」とも書きたり・・・中略・・・・「加持利」には種々の法式ありて、この“針加持”というも其(そ)の一法なり。
●先づ、願主(又は代人を立てし時には、代人の指先に願主の気息を吹掛けしむべし)に向かい、“祓いの儀”(はらいのぎ)を行う。
●次に、“紹神(かむおぎ)”して、“祈念”すべし。この時に白紙(洋紙は用いるべからず)一枚を両手に捧げ持ちて祈念を掛け、しかして右手の人指し指を以て白紙へ「十握劒之霊(とつかのつるぎのみたま)」と空書し、此の白紙を四つ折りとして、それを劒先形に折る。これを『紙劒(しけん)』とも『御針(おはり)』ともいふなり
●次に、紙劒(しけん)を捧げ持ち下の「神文」を念誦(ねんしょう)して劒気(けんき)を吹き込むべし。(紙劒の劒先形の頭よりその中へ吹き込む)
※神文は秘密と致します。
●次に、紙劒(しけん)を研(みが)くべし。
※所作は秘密と致します。
●次に、別に白紙一枚を取りて、祈念を吹き掛け、「中臣祓い(なかとみのはらい)」を誦みつつ、此の白紙を以て、邪気を願主の身より手先(男は左手、女は右手)へすぐり出す
●次に、“針加持行事”す。
此の行事は懐中(かいちゅう)せる紙剣(しけん)を取り出しいただきて
「神之子我[かみのこが]、針加持当天々、祈利奈婆[はりかじあてて、いのりなば]、比曾武悪魔毛[ひそむあくまも]、多麻羅邪里気里[たまらざりけり]」
と三返念誦し、此の紙剣を以てすぐり留めし指先へ当てるべし。
又は「十種神寶(とくさのかんだから)」の名号を念誦し、
その神気を紙剣へ吹き掛けて指先へ当てるべし。
もし邪気かくれたる時には
「谷川乃[たにがわの]水乃流禮仁[みずのながれに]波夜佐禮天[はやされで]、沈武木葉毛浮久止古曾聞計[しずむこのはもうくとこそきけ]」
と三返(さんべん)念誦(ねんしょう)して其(そ)の神気を指先へ吹き掛けて、又紙剣を其の指先へ当つべし。邪気あれば指先あたかも真正(しんしょう)の針か火を以て当てらるるが如く痛みを感ずるなり。もとより邪気なき時には痛みを少しも感ずることなし。
★大指(おやゆび)は“神”、食指(ひとさしゆび)は“佛(ほとけ)”、中指は“生霊”、無名指(くすりゆび)は“死霊”、小指は“四足”(シソクとは犬神及び狐狸の類を言ふ)
たとへば大指に痛みを感ずればすなわち神の祟(たた)りありと知りて、「氏神」か、「高神」か、「水神」か、「立願の滞り(がんたてのとどこおり)」かと問いて紙剣を当てるに、「立願の滞り」と問う時に痛みあれば、即ち此の病人は「立願の滞り」ありと知り、東か西か南か北か丑寅(艮・うしとら)か辰巳(巽・たつみ)かと問い、今日の祈祷(きとう)にて鎮まり給ふかと問い、又鎮まり給へば、此の病気を今すぐに平癒せしめ給うか、長引けば何日目頃より快気するか、其の他も行者の考えを以て問ふべし。
★最も、生霊の如きは、詳しく問ふべきものにあらず。
上終われば、紙剣を開きて其の指先に留まれる邪気をよくよくすぐり出し、神水を以て其の指先を清むべし。
●次に、“神の祟(たた)り鎮め、又は邪気祓いの為の祈念(きねん)”して“送神(かみおくり)”すべし。
[145]
厄年の件について 投稿者:
春二番 投稿日:2002/02/06(Wed) 18:07道開き様
お応え頂きありがとうございました。「昔から云われております」と言う他に、補足的何かが欲しかったのです。以前盛岡に仕事の関係で住んでいたことがあり、そこで神職さんと知り合いになりました。数年ぶりにふと思い出し電話をし、厄年の件について聞いてみました。五行説が起源とか、「役年」が「厄年」変化した話や語呂合わせ的な42は「しに」33「さんざん」を連想させると言った話を伺いました。最後には「厄年だからお祓いを受けると言う考えは捨てなさい。一年に一度はお祓いをし、神様に感謝をしなさい。普段から神様を敬う心の無い人にご加護はありません。困った時の神だのみは普段から神様に感謝の真心を捧げている人が使う言葉だよ」説教されました。でもそのとおりだと思います。納得です。東北と言えば田舎を連想しますが、こうゆうところに素晴らしい方々がいらっしゃるのですね。
また、おじゃましてもよろしいでしょうか。いろんな事をお教えください。お願いいたします。
[144]
Re厄年って 投稿者:
道開き 投稿日:2002/02/05(Tue) 17:14こんにちは、春二番さん。
さて、ご質問についてですが、「厄年」の起源については、やはり「昔からそういうことになっているのです」とお答えするしかないのです。
例えば「八方塞がり(はっぽうふさがり)」や「鬼門祓い」、「病門祓い」のようなものは、それぞれの人が生まれ持った“九星”の「年回り」を見るための“運勢盤(後天定位盤)”に依拠していますから説明が付きます。
ところが「厄年」の起源となると同じ“陰陽五行思想”に依拠しているということ以外は全く解らないのです。日本において「厄年」が一般化したのは室町時代だとも言われていますが、平安時代に書かれた『宇津保物語』や、鎌倉時代の『水鏡』、『源平盛衰記』、『拾芥抄(しゅうかいしょう)』などに既に出ています。源氏物語にも「若葉の巻」の中に“紫の上”が37歳の厄年になったので加持祈祷(かじきとう)をし、物忌み(ものいみ)をしたと出ています。そもそもが中国の古医書『霊柩』が初出のようです。
よって迷信的要素が強いという理由から識者のあいだでは排斥するむきもありますが、医学的見地から合理性があるという意見もあります。
古神道では、あの世とこの世は“合わせ鏡”のようだとも言われています。つまり、あの世(幽世〈かくりよ〉)を写し出したものがこの世(現世〈うつしよ〉)と見ます。よって、あの世とこの世は常に関連し合っていると見ます。
この世に「厄年」という習俗が定着しているということは、あの世にもそういったものの働きがこの世から波及していると見るか、もしくは逆に、あの世から波及し、もたらされたものだからこの世に「厄年」として写し出されている、と見ることも可能かと思われます。
以上、質問に対する答えになっているでしょうか?
[男の大厄]・・・数え25歳、42歳、61歳
[女の大厄]・・・数え19歳、33歳、37歳
これが現在では一般的です。
[143]
厄年って 投稿者:
春二番 投稿日:2002/02/04(Mon) 18:19はじめてかきこします。厄年の事についてお聞きしたいのですが。なぜ大厄は男性42才、女性33才なのでしょうか。いろいろな神社に電話でお聞きしたところ、「昔から云われております」などと明確な答えが返ってきません。根拠があるから42才、33才ではないでしょうか?。また地方によっては25才も大厄としているところもありますが。変な質問で申し訳ございませんが、宜しくご教示頂ければ幸いです。