[322] “神憑り”の歴史 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/26(Sat) 11:11 |
さらに「帰神法」と「審神者(サニワ)」について話を進めたい。これまでに幾度となく取り上げてきたテーマではあるのだが、その歴史はかなり古い。
●古典にみられる「帰神法」と「審神者(サニワ)」
先ずは、『神道事典』に載っている「審神者(サニワ)」の説明を記してみる。
「サニワ」は「清場(さにわ)」の訳で、本来、神を祭り託宣(たくせん)をうけたまわる為に忌み清めた場所「沙庭(さにわ)」を指す。
その斎場の意味から転じて、沙庭において神託をつかさどり、神意を判断する者、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。転じて神楽(かぐら)で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。
『古事記』中巻の仲哀(ちゅうあい)天皇の条に、天皇が御琴を弾き、神功皇后(じんぐうこうごう)を神主(かんぬし・憑代[よりしろ]、つまり、神の懸かられる台となる人)とし、武内宿禰(たけしうちのすくね)が沙庭(さにわ)で神の命を請うたとある。
『日本書紀』神功皇后(じんぐうこうごう)摂政前紀には、皇后が神主となり、武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者(サニワ)としたことが載っている。
●中世の修験道における“神憑り”
修験者の「憑祈祷(よりぎとう)」と木曽御岳行者の「御座(おざ)立て」とは、ほぼ同じタイプのものであり、“修験者”や御岳教の“前座(まえざ)”者が、「精霊統御型のシャーマン」に当たり、“憑人(よりびと)”と御岳教の“中座(なかざ)”者が「霊媒型のシャーマン」となるのだろう。
天理教の中山みき、金光教の赤沢文治は、「憑祈祷(よりぎとう)」が召命の契機となった。
しかし、かなり効率が悪かったようで、やっと憑ってきた神や霊も、「ア〜」とか「ウ〜」とか唸る程度で、はっきりと物事を語りだすといったケースはかなり少なかったようだし、イカサマもかなり多かったという。
●本田霊学における「帰神法」と「審神者(サニワ)」
古えの神典、古書に見られた「帰神法」を復興させたとされる、江戸期から明治期にかけて活躍した神道家で、某諏訪神社の宮司を務めていた本田親徳(ほんだちかあつ)。その“霊学”においては、「帰神法」を行った際に、憑ってくる神や霊の正邪を判断し、正しく教導する役目の者を「審神者(サニワ)」と定義する。
審神者は誰でもすぐになれるというものではなく、一定の修養を終え、体力気力ともに充実し、確固たる信仰心をもった霊的権威者でなければならない。
審神者(サニワ)は、記紀(古事記、日本書紀)などの日本の古典や神典はもちろん、諸仏典、さらに霊学の奥義に通暁していることが望ましいとされる。
◆◆◆◆本田霊学に興味のある方は、メイン・メニューの「よもやま知識」の中の一つ「本田霊学と鎮魂・帰神法」を御覧になって下さい。◆◆◆
●大本教における「鎮魂帰神法」と「審神者(サニワ)」
本田親徳には数百人の門人がいたという。その中でも法術の允可(いんか)を受けたのは、明治政府で大臣も務めた副島種臣、そして、三輪武、鈴木広道、長沢雄楯(ながさわかつたて)の四人。大本教の出口王仁三郎はそのなかの一人、長沢雄楯から「帰神法」と「審神者(サニワ)学」を学んだ。
長沢雄楯は、静岡の浅間神社に設けられた中教院で国学と神道を修学した後、県社御穂神社の社掌に任ぜられた18歳の頃に本田親徳の門下となった。その後、長沢は、不二見村の月見里 (やまなし)神社も主管していたため(同社は別称を御笠稲荷神社といった)、この神社を本田霊学に基づく鎮魂帰神術の道場にしようと考え、静岡県の許可を得て、同社を総本部とする御笠稲荷神社講社を設立している。多いときには千数百人の門人をかかえたらしい。
出口王仁三郎は、この長沢雄楯から学んだ本田霊学の「帰神法」を、誰でもが簡単に行えるように改良を加えて、その効率を高めた。今で言う一般人向けの「帰神法」のソフト化をはかったのだ。
★★★ 「鎮魂帰神法」の実際 ★★★
@審神者(サニワ・術者)は正座し、印(審神者の印)を結ぶ。〈よくテレビなどで、忍者が巻物を口に咥えて、指を組んで印を結んでいるシーンが観られるが、あの様なもの。〉
Aその状態で、審神者(サニワ・術者)は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を念ずる。
そうしていると、審神者に神霊(神気)・・・天御中主神の稜威(みいづ)が集まってくる。
〈必要に応じていくらでも補給できる。〉
B審神者(サニワ・術者)の身に受けたる神霊を、被術者に向けて矢の如く放射する。審神者より霊を補充してやるのである。
〈この時、被術者も印を結んでいる。(神主の印)〉
Cこのことにより、被術者の霊が充実してくる。
D被術者の霊の充実により、憑依していた後天的憑霊が居たたまれず、表面に飛び出してくる。
〈守護霊というのは、憑いているというよりも遠く近くで見守っていて下さっている正しい霊のことであって、憑依霊というのは、その人の霊体内にリアルに入り込んでしまっている、ごくごく身近に存在している居場所を誤っている霊体のこと。〉
E審神者は憑依の霊を問い正し、除霊してやる、向かうべき処へとみちびいてやる。
★よくよく考えてみると、自分で自分に対して施術した場合を想定すると、「鎮魂行」だったり、「自祓い」、「禊(みそぎ)」なんかとも同じになると考えられる。われわれが日々行っている「お祓い」なんかは、他者に対する施術の場合とほぼ同じ原理に思えるのだが・・・・いかがなものか。
結局のところ、肝心なのは施術者の“鎮魂力”となるのであろう。
◆◆◆ 審神者(サニワ)の実際 ◆◆◆
“真の審神者(サニワ)”にはその「背後に神力の助けがある」ので、どんな守護神をも発動させる特権が与えられているという。
よって、神や霊がどうしても帰順しなかったり、凶暴に振る舞ったり、ものすごい強圧的な霊力で審神者(サニワ)に逆襲してきた場合、審神者は「正神界の神の守護を祈りながら」権威を持って誘導したり、なだめすかしたり、叱責したり、霊縛したりするなどの救済の道を尽くすのであるが、それでも無理な場合は強制的に元に戻す。
大本教の「鎮魂帰神法」は、慎重にさえ行えば、憑依している邪霊なども教化され、その結果、心身共に健全になるという。また、霊覚が開けたり、神通力のような力がついたり、予言的な言葉を吐くような場合も多々ある一方、神憑り状態でおかしくなるような者もあったという。
審神者(サニワ)役にしても、いったい誰がその大役を務めることができるのかという問題もあって、中止の運びにいたったと言われている。正しい神霊が憑依すれば正しい霊言を伝えるとされるが、邪神界系でも力を持った神であればあるほど、正神界の実相をも洞察する力があるため、ベテランの審神者(サニワ)ですら瞞着させられる場合があるという。
[321] 秋山真之大将と“鎮魂帰神法” 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/24(Thu) 19:50 |
さらに秋山真之大将について。日本海会戦以後の後日談です。
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』では、主人公の秋山大将は、強大なるバルチック艦隊との一戦において精も魂も使い果たしてしまい、戦後は世捨て人のようになって残りの人生を送ったとして描かれている。
司馬遼太郎氏の、作品における人物の描き方には信仰的側面が欠落していると、多くの知識人たちが指摘している。確かに私にもそのように感じられる。弘法大師空海を、まるで政治家のように描いてみたり、尊王の志士たちを単なる革命家、改革者としてしか描いていなかったりする。
神社仏閣・・・神仏についても、その信仰されてきた歴史的側面のみしか著されていないようにも思われる。
本当のところ、日露戦争後の秋山真之大将はというと、当時大流行していた神道系教団・大本教の「鎮魂帰神法」・・・・誰でもできるように“ソフト化された「神憑り法」”にかなりのめり込んでいた様子も伺えるのである。
というのも、大本初代教祖の出口なほ(現在に残っている当時の写真を見た限りでは、誰が見たって典型的なシャーマンのお婆さんの御影です。)に心酔し、京都綾部で、大本入りしていた日本最初のシェークスピア全集の訳者で、海軍の機関学校で教鞭を取ったこともある英語学者・浅野和三郎氏の著書に、たびたび、「鎮魂帰神」を通しての浅野と秋山大将とのやりとりが出てくるからである。かなり熱心に取り組んでいたようだ。
司馬遼太郎氏はこういった事実をどこまで知っていたのであろうか。また、知っていたとしても、これを世捨て人とみるか、信仰者・求道者とみるかではかなり違ってくる。
当時の浅野和三郎は、大本のナンバー2として、「浅野の“鎮魂帰神”か、“鎮魂帰神”の浅野か」とまで言われ、憑ってくる神や霊に対処する審神者(さにわ・「神霊統御型のシャーマン」)としてかなり秀でていたらしい。
(後の大本では、“鎮魂帰神”を一切禁止している。施術者の力不足により、憑かってきた神霊に振り回されることも多く、かなりの危険を伴うから。)
後の浅野は、出口なほの娘婿となった上田喜三郎(なほに“大ばけもの”とまで言わしめた、後の聖師・出口王仁三郎)とはどうも馬が合わなかったようで、なほの没後はすぐに大本と袂を分かち、東京において心霊科学研究会を設立し、スピリッチャリズムの普及に努めた。
“鎮魂帰神法”は後に、大本教から分かれた多くの教団に、「手かざし」、「浄霊」・・・等の様々な「神業(かむわざ)」として、姿を変えて引き継がれていったようだ。
[320] 世界の常識は、日本の非常識??? 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/08(Tue) 21:56 |
陰陽五行説は「バランス学」だとも言える。“陰陽”のバランス、“五行”のバランスが取れていることこそが最良となる。以下は歴史教育のバランスについて。
今年は日露戦争100周年の年に当たる年らしい。
明治期、世界史の奇跡とも言われる“明治維新”を成し遂げた日本はではあったが、まだまだ発展途上の弱小国で、西洋列強の一つ、北の大国・露西亜(ロシア)の脅威には常に怯え続けていた。そんな日本が大国ロシアに勝ったのだから、よく相撲に例えて、平幕の力士が横綱を負かしたのと同じだ、いや、それ以上の大金星をあげたのだとされている。
・・・・・・・・日露戦争までを“明治維新”とみる「史観」もあるのだそうだが、その見方にはかなり納得がいく。
今年のNHKの大河ドラマは、本当は、日露戦争100周年を記念して、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が当てられる構想だったそうな。ところがそのスケ−ルの大きさ故に中止になってしまったと聞いているが本当の話はいかがなものか。
下記〔319〕に記した“東郷タ−ン”を考案し、世界最強のバルチック艦隊を殲滅した海軍で戦った弟の秋山真之と、やはり、馬に乗らせたら世界最強といわれたロシアのコサック兵(彼らは、生まれた後は、ほとんど馬上で育った兵士たちとまで言われていた)に対抗できるだけの騎馬隊を組織する使命を受け、「奉天会戦」に勝利した、陸軍所属の兄の秋山好古(よしふる)が主人公となる作品であった。
日本の勝利には、ロシアに虐げられていた北欧・東欧諸国、トルコなどの中東諸国では国を挙げて歓喜したそうだ。さらに、世界中の有色人種たちは日本の勝利に大いに奮起したという。ニュ−ジ−ランドのマオリ族なども、日本の勝利に歓喜したということをテレビ番組で見たことがある。当時のニュ−ジ−ランド政府は反乱が起きるのではないかと彼等を押さえにかかったのだそうだ。よって、北欧では東郷平八郎の名を付けた“東郷ビ−ル”という銘柄のビ−ルが今でもある。
世界では、歴史上の海の英雄は誰かというと、トラファルガ―海戦でスペインの無敵艦隊を打ち破った英国のネルソン提督か東郷平八郎元帥の名が挙げられるのだそうだ。それでもやはりNO.1は誰かということになると、何と言っても東郷平八郎なのだそうだ。
第二次大戦後の日本では、こういった戦争に関することは総て軍国主義に繋がって行くとされ、なかなか教えようとしなかった。日本史の教科書でさえも、東郷平八郎の名を載せていない歪んだ歴史教科書も多いという。まさに自虐国家・日本と言われてしまう所以でもある。
これでは、日本に誇りを持とうとする日本人が減っていくのは当然かとも思われる(テレビで、他国の人たちが自国に誇りを持っていて、歌ったり踊ったり、お国自慢をしているシーンなんか観ていると、つくづくいいなぁ〜と思えるのだが)。 こういった国情を憂いた故三波春夫さん(日本の国民的歌手)などは、自分で歴史の研究をして本も出版もしていた。
人が一生懸命したことに順位をつけるのは良くないこと、人は皆平等なのだとして、運動会の徒競走に順位をつけなかったりする学校もあるという。
かといって、そういった教育環境で育った子供たちも、一端、実社会にでてしまうと、生き馬の目を抜くような競争にさらされるのである。それを思うと、あまり教育界と実社会とのギャップがありすぎると、子供たちが対応に苦慮せざるを得なくなる。
教育には、頭の中だけでこしらえた理想よりも、できるだけ現実に即した理想を掲げていってもらいたい。もう少し、現実とのバランスを考えてもらいたいものだ。
[319] 乞食(こじき)の“ズタ袋” 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/03(Thu) 21:01 |
IT、ネットワ―ク、ハイブリッド、ナノテクノロジ―、ロボット・・・等のハイテクといったものに心踊らされ、ワクワクさせられる。地球環境、自然、伝統技術・・・等に教え諭され、ついつい謙虚にならされます。この対極に位置するかに思われるどちらの事象にも、同じく興味が尽きないでいられるということは、それほど自分のバランス感覚は悪くはないのかなと・・・・
というか、ハイテクというものは、ロ―テクの堅実な積み重ねとか、細微にわたる自然観察から生み出されているようにも考えられますので、あえて分けて考える必要もないのでしょう。
以前、何かの本に書いてあったのだが、はたして司馬遼太郎の小説だったか。・・
「知識というものは、乞食の背負っているズタ袋のようなものが良い。本当に必要なものだけが、中から何かまわず出てくる。」と。
なるほどなと思わされた一節だった。
そういえば、世界中を驚かせた日本海海戦における日本の大勝利。当時、世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに撃破したのは、戦術上の非常識とみられた参謀・秋山真之の編出した“東郷タ―ン”であった。それは、瀬戸内の村上水軍の古戦術を参考にしたものだという。
もし、秋山が、当時の世界中の海軍が使用していた戦術テキストの知識のみに頼っていたとしたのなら、今頃、日本、そして、アジアはどうなっていただろうか。へたをすると未だに西洋の列強諸国の支配下にあったかもしれないのだ。
[318] セカチュウ 投稿者:道開き 投稿日:2005/10/17(Mon) 18:39 |
『世界の中心で愛を叫ぶ』、『長崎ぶらぶら節』・・・・・・
神さまの視点から、俯瞰(ふかん)的に人間模様が描かれる映画は、やはり、奥行きが感じられます。邦画で、こういった作品が増えてきているということは、実に喜ばしいことだと思われます。
[317] 『風土』 投稿者:道開き 投稿日:2005/10/17(Mon) 18:38 |
学生時代、確か大学二年の時だったかなと記憶しています。宗教学の先生から夏休みの宿題として、レポ−トの提出を命じられました。
哲学者・和辻哲郎氏の著『風土』という本を読んで感想を纏めろというものでした。その本、今にして思えば、「最高の一冊」になるではとも思えてなりません。その内容はというと、
「人の営みとしての精神的文化−宗教−も、かなり、強烈にその土地の“風土”の影響を受けるというもの。例えば、ユダヤの地のように、とりまく環境のほとんどが“砂漠”しかないような場所では、生活者にとって、その周辺は“死”しか存在しないことになる。よって、宗教的には、天上に唯一神を仰ぐような形態が生まれた。逆に、その他のアジア、アフリカ、ヨ−ロッパみたいに、恵まれた“生”の溢れる地域では、宗教的には、神々が生活者の周辺に満ち溢れて存在する多神教となる。」
というものでした。
以前、氷河期を終えた頃の地球は、そのほとんどが森林に覆われていたそうです。よって、人類の信仰形態は多神教だったようです。やがて、人間が文明を起こし、多くの森林を伐採し、砂漠を広げていったとのこと。つまり、一神教は、その砂漠の地から突然変異的に発生したものです。果たして、それが信仰形態の“進化”なのか、その逆となるものなのかは、今後、数千年もの時が経過して行かないことには誰にもわからないことなのでしょう。
それにつけても、アメリカとイスラム諸国の対立が気にかかります。
[316] 民族の無意識の“井戸” 投稿者:道開き 投稿日:2005/08/26(Fri) 13:38 |
現代社会において、井戸というものは、それ程に身近なものとは感じられなくなっているように思われます。水道が一般家庭に普及した後は、特に生活に必要なものとはされていないようで、最近では、危険だからという理由で埋められるものも多いようです。
昔は、井戸は神聖なものとされ、「井の神」が祀られてきました。この神様は、古事記、日本書紀などの神典にでてくる弥都波売神(みずはのめのかみ)が当てられたりもします。この神様は、古来、人が井戸を穢した際などに、巷のシャ−マンたちの「口寄せ」にひっきりなしに出てくる神様でもあります。
ユング派の心理学者たちは、「神話の研究」をも重視します。というのも、「神話」というものは、個人の無意識よりさらに深い層の無意識の地下水脈から汲み上げられた情報として捉えるからです。この場合、シャ−マンたちが“井戸”の役割を果してきたと考えられます。世界中の神話には、かなりの共通部分も多く、これは、「人類共通の無意識の層」から汲み上げられたものということになるからなのでしょう。
ただし、違いの部分はどうしてもたらされたのかというと、それぞれの民族の文化の違いがそのようにして現れてくるのかとも考えられます。つまり、汲み上げられた「民族の“井戸”の違い」ということになるのでしょう。
というか、神話そのものも「民族の精神文化」ですから、様々な民族の文化そのものも、この“井戸”から汲み上げられたものということになるのでしょう。
映画『リング』なんか観てみると、確かに現代人にとっても井戸は神秘的なものとして捉えられているようですが、神聖なものとしては捉えられていないようです。
私なんかにしてみれば、ネガティブ・ヒロインの貞子さんの怨念よりも、井戸神の祟りの方が遥かに恐ろしいと思われるのですが・・・・・
さらに、貞子さん、その能力を神様の方にさへ向け得たのならば、もう少し世の中の為になったのでしょうが。
[315] 『ユング自伝』 投稿者:道開き 投稿日:2005/08/09(Tue) 22:26 |
下の書き込み〔314〕に続きます。
ちなみに、ユングの自伝を読んでみると、彼の家筋はシャ−マンの家系で、ユング自身も幼少の頃から様々な霊的体験を重ねてきたようです。彼が学校で学んだ科学的知識と、自らが重ねてきた霊的体験のハザマで、深層心理学が生みだされたということになるのでしょうか。
[314] ユング派と“易”と♪平原綾香さんの『Jupiter』♪ 投稿者:道開き 投稿日:2005/07/04(Mon) 15:10 |
スイス出身の心理学者で、「深層心理」の学説を初めて提唱したカ−ル・グスタフ・ユングです。「精神分析学」のフロイトと共に心理学界の双璧をなします。
彼の学説は、かなり神秘的なもので、どちらかというと「宗教」に近いもののように思われます。
例えば、「人の“(顕在)意識”のその奥には“無意識”があり、さらにその奥の部分には個人の意識を超えた“集合的無意識”(“超意識”)という領域がある。それは民族共有であったり、人類共有であったり、時空を超えて有情無情のものとつながっていたりもする。」
つまり、「人は心の奥の奥の部分で、時空を超えてすべてのものとつながっている。」と説く。
ユングの重要な学説に「共時性」というものがある。これはどういったものかというと、これまでの自然科学はすべて“因果律”によって説明できるとされてきたが、 “因果律”では説明できないこともあるということをも取り扱ったもの。
ちなみに“因果律”とは、「原因があるから結果がある」ということです。それに対し「第六感」とか、「胸騒ぎ」とか、「正夢」といったものの説明は“因果律”では説明できない。よって、科学的には全く取り上げようとはされてこなかった領域である。こういったものを、ユングは「共時性」という概念によって取り上げた。
最近よく、この「共時性」の一例としてとりあげられる話に、平成二年五月六日付の朝日新聞の『天声人語』の記述があります。その内容は以下の通りです。
「だいぶ前に、英国の新聞が読者からの体験の投書を特集したのを思い出した。その中に、歴史的なタイタニック号沈没にまつわる話があった。豪華客船が氷山に衝突し、千五百人もの犠牲者を出した悲劇。そもそも事故の14年前に米国の小説が酷似した話を書いていたそうだ。やはり豪華船の初の航海である。船名はタイタン号。4月のある夜、氷山に衝突という筋立ても、衝突の場所も全く同じというから驚く。
ところで投書者は船員のウィリアム・リ−ブスという人だ。1935年4月、船橋で夜の見張り番に立っていた。英国からカナダに向かい、タイタン号(小説)とタイタニック号(事実)の衝突現場近くにさしかかる。
急に恐怖感に襲われ、息苦しくなった。海上は真っ暗。別に怪しい気配はないが、胸騒ぎがして仕方がない。自分の誕生日が、1912年4月の、まさにタイタニック号沈没の日であることを思い出す。そういえば、いま乗っている船の名はタイタニアン号だ。思わず絶叫し、警笛を鳴らしてしまう。
実は、船は氷山にぶつかる寸前だった。警笛によって急停止し、難を免れた船は九日かかって砕氷船に救出された・・・・・・。実話であることを証明する資料を添えて人々が投書する、その特集だ。ふしぎなことが世の中にはある。超感覚的知覚(ESP)なるものの仕業だろうか」
よって、ユング派の心理学者には「共時性」研究の観点から、“易”を学ぶ人たちが多い。つまり、サイコロを転がしたり、筮竹を引いたりして得られる「卦(か)」と、「失せ物」のある場所とは何ら“因果”関係はない、それが合致して現れてくるのだから、“易占”はまったくもって「共時性」的事象に他ならないからである。
さらに、私的には、昨年、平原綾香さんが歌ってヒットした曲『Jupiter』の歌詞の内容は、ユングの「深層心理学」そのもののように思われてなりません。
[313] 怪人“冬彦さん”と「海開き」 投稿者:道開き 投稿日:2005/05/26(Thu) 20:07 |
10年ほど前、日本中の話題になったテレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」。リアルタイムでは一度も観たことがなかったのですが、“マザコン”と“スト−カ−”の走りのような人物・怪人“冬彦さん”については何度か耳にしたことがありました。
最近、夕方に再放送されています。たまたま一編を観る機会を得ましたところ、どうもはまってしまって、ビデオ録画して毎夜観ることになってしまいました。
賀来千賀子さん演じるヒロインは仙台出身という設定で話が進みます。そして、思い出の地、松島の浜辺でのシ−ンというのが何度か出てきます。
それがなんと、驚いたことに当地奥松島の野蒜海岸の浜辺が撮影に使われており、私が毎年7月に「海開き」の神事を執り行うその場所が使われていました。
びっくりしました。“冬彦さん”と当地、こんな形で繋がりがあったとは・・・・