[349] おキツネさんの タロ? or ジロ?・・・・後日談 投稿者:道開き 投稿日:2006/11/02(Thu) 19:48 |
以前に記しました、この掲示板の書き込み [7] おキツネさんの タロ? or ジロ? 投稿日:2006/03/28(Tue) 13:08 の続編となります。
後日、“キツネ憑き”になった少女の父方の実家に、稲荷さんの祠(ほこら)をお祀(まつ)りしに出向しました。その家の氏神として、先祖代々の霊(みたま)〈御祖(みおや)様〉も共にお祀りしました。
その間、少女に憑いていたおキツネさんは、何度ものけぞりながら、“雄叫び(おたけび)”の様な、“呻り(うなり)”の様なことを繰り返していました。
神事を終えてもまだ憑いているので、離れやすくしてやろうかと考え、「十種の神寶(とくさのかんだから)の御名」や「神言(しんごん)」を唱えながら、“鎮魂(たまふり)”の業(わざ)を施してやりました。
すると、そのおキツネさんの、のけぞりながらの“雄叫び(おたけび)”の様な、“呻り(うなり)”の様な仕草が少しずつ少しずつおさまって来て、まるでマッサージでも受けているような、エステでも受けているような、今にも寝入ってしまいそうな、そんな非常に気持ちの良さそうな様子に変わってきました。
これは“神使のおキツネさん”と、“野狐(やこ)”のような“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”、“モノノケ”の類との違いであって、“野狐”のようなものは、「この野郎!そんなことはやめろ〜、お前を殺してやるぞ〜」などとこちらを罵倒しながら、苦しみもがくものなのですが、“神使”の場合は、本当に、本当に気持ち良さそうにしています。そして、“神使のおキツネさん”の場合、イタズラっぽいところはまだまだ残していますが、本気で、お祀りする家を守ろうとします。
そうしている内に、突然違う人格に変わりました。数ヶ月前に他界した親戚が降りてき、残された者たちのことを心配して様々なことを語り出しました。その後また“おキツネさん”にもどりました。
その日は、その“おキツネさん”がなかなか抜けて行かないので途中でお祓いをやめました。しかし、私が帰った後に家の人たちに様々なことを語ったとのことです。
“神使のおキツネさん”は二匹いて、一匹は今回お祀りしたお宮を守るために少女の体から抜け出た。もう一匹はまだ少女の回りに残って、霊媒体質の少女の中に入ってくる様々な魔(ま)から、彼女を守っているのだと語ったとのことでした。
その後十日余りが過ぎ、再度、少女の父親から連絡が入りました。今度は、その少女の自宅の「お祓い」を今すぐしてもらえないかというものでした。
夕刻、準備を整えてその家に向かいました。すると、その日の朝、父親が車の運転をしていると、ブレーキが壊れて効かなくなり、もう少しで命を落とすところだったとのことでした。家に帰って、家族にその事を話したところ、少女に例の“おキツネさん”が憑(かか)って来て、「すぐに、先日の神主さんに連絡を取って、この家を祓ってもらいなさい。良からぬモノがいる。」と語ったのだそうです。
その家に着いてすぐに家族に揃ってもらい、「お祓い」を執り行いました。神事が終えると、それまでず〜と本人の人格だった少女が、突然、“おキツネさん”の顔と仕草に変わりました。またまた、うちの飼い犬と同様の斜め下を見るような目遣いで、初めて会った時とまったく同じように、「どうも、ありがとうございました。」と丁重なる御礼を申し述べてくれました。
その後すぐに少女の人格に戻りましたので、家族共々に今後のことをいろいろと指導し終えてから帰路に就きました。
こういった話というは非常に信じがたいかもしれませんが、決して作り話ではなく本当の話なのです。
[348] Origin・・・起源 投稿者:道開き 投稿日:2006/11/01(Wed) 18:16 |
最近、本屋やスーパーなどで古い名作映画の500円DVDが出たりしているのでちょこちょこ買って観てみると、色々と気づかされることが多いです。それは、やはり「古典的名作」と呼ばれるものは極めて“普遍的価値”を有するということ。よって、後世の人たちの手本とされる場合も多いということです。
先に取り上げた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の原点は、エロール・フリン主演でカスター将軍の半生を描いた『壮烈第七騎兵隊』にあったのだと思われるのです。二つの映画は非常に内容が一致していました。戦前すでに、アメリカの映画人たちは、ネイティブ・アメリカンの土地を奪い居留地に追いやったのは、そこで利権を得ようとした商人たちが政治家を動かしてなしたことだということをシッカリと描いていました。
当時の日本映画は軍国主義一辺倒だったのにもかかわらず。・・・これはアメリカの余裕ともみられ、そういったところにまで国力の差が現れていたようです。
更に、私の好きなアイルランド的(映画の舞台となるのは隣のスコットランド)“ケルト”の映画『ブレイブ・ハート』の原点も、やはり、エロール・フリン主演の『ロビン・フットの冒険』にあるように思われました。
他にも、リチャード・ギア主演の『愛と青春の旅立ち』は、マーロン・ブランド主演の『サヨナラ』にあると思われます。第二次世界大戦後間もない頃の日本が舞台になっており、歌舞伎界や宝塚みたいな女性歌劇団も描かれていたり、人形浄瑠璃の近松門左衛門の『曽根崎心中』のようなことも描かれたりしていて実に面白い。ストーリー的には『愛と・・』とかなりの部分が一致します。
同じくリチャード・ギア主演の『プリティー・ウーマン』は『マイ・フェア・レディー』の現代版リメーク作品、これは製作会社自らがそのことをうたっています。
映画ではないのだが、子供の頃に夢中になって読んだマンガに、本宮ひろ志氏の『男一匹 ガキ大将』というのがありました。(これは同氏の『サラリーマン金太郎』の原点ともいえる作品)
それがある時、芥川賞作家で、毒舌坊主としても有名だった今東光(こんとうこう)和尚〈瀬戸内寂聴さんの師匠とも言える方〉原作の小説『悪名(あくみょう)』の映画化作品を観た時は本当に驚きました。
何と、マンガの主人公“戸川万吉”のような熱血漢の人物を若かりし頃の勝新太郎さん(映画『座頭市』で有名)が、弟分の“銀次”役のような人物を田宮二郎さんが、数千の荒くれ男たちを束ねる女親分、つまり、マンガの“水戸のババァ”役のような人物を、オロナイン軟膏(なんこう)のCMでおなじみの(これはかなり古いテレビCM)、難波智恵子(なにわちえこ)さんが演じていました。
[347] “音声”の陰陽五行(干支と九星) 投稿者:道開き 投稿日:2006/10/06(Fri) 11:17 |
真寿美(マスミ)の鏡・・・C とも言える書き込みになります。
人の声についても、「陰陽五行」的分析がある程度までは可能なのではなかろうかな〜とも考えています。
例えば、 七赤金星〔年〕の五黄土星・巳(み)〔月〕 生まれの女性に、歌手の黛ジュンさんと平原綾香さんがいらっしゃいます。
黛ジュンさんといっても、若い人たちには知らない方も多いことでしょう。『天使の誘惑』、『恋のハレルヤ』、『雲にのりたい』といった往年のヒット曲があります。
お顔も似ていらっしゃいますが、声も歌い方も似ています。特に、
黛ジュンさんの『夕月』という曲、
「♪♪ 教えてほしいの 涙のわけを 見るものの総てが 悲しく見えるの ♪♪」
平原綾香さんの『Jupiter(ジュピター)』という曲、
「♪♪ 私のこの両手で 何ができるの 痛みに触れさせて そっと目を閉じて ♪♪」
ただし、こういったことは気のせいだと言われてしまえば確かに気のせいなのかもしれません。
[346] 真寿美(マスミ)の鏡・・・B 投稿者:道開き 投稿日:2006/09/29(Fri) 20:07 |
“真寿美”は「真澄」とも書きます。
「よもやま知識」の【言霊】のメニュー
●「水穂伝(みずほのつたえ)」と”マスミの鏡”
のところに「真澄の鏡」の画像を設定いたしました。
どうぞ御参照ください。
[345] 真寿美(マスミ)の鏡・・・A 投稿者:道開き 投稿日:2006/09/18(Mon) 20:38 |
この夏の8月10日、美輪明宏さんが講演で当地東松島までお越しになられました。
美輪さんの「“オーラの泉”へようこそ」とまではいかないまでも、「東松島へようこそ」と一言申し上げたかったです。
7月の中旬に、車に乗って電車の踏切で信号待ちをしていたところ、右側から何らかの視線のようなものを感じたので何げに目をやると、講演会のポスターが貼ってあり、その中の美輪さんの写真と目が合いました。その時はじめて講演会のことを知りました。
私などの年代の者は、小学校の頃、学校で力仕事をさせられたりした時などには、必ずと言っていいほどに誰か彼か、「父ちゃんのためならエンヤコ〜ラ」という言葉を発する者がおり、すかさず皆で「母ちゃんのためならエンヤコ〜ラ」とお返ししたものでした。
その言葉が『ヨイトマケの唄』という歌の歌詞の一部分ということは、おぼろげには知っていたようですが、どこの誰が作った曲なのか、どなたが歌っていらしたのか、その歌詞の内容は・・・といったことは、余りにも幼く、蒙昧、未熟で、全く知る由もなかったのでした。
ただ歌謡曲というのは、男女の恋を歌ったものがほとんどなのに何とも不思議な歌だな〜としか思ってもいませんでした。
『聖書』のヨハネ伝にある如く、「はじめにコトバありき、コトバは神とともにあり、コトバは即ち神なりき、万のものはこれよりてなる」で、「「父ちゃんのためならエンヤコ〜ラ、母ちゃんのためならエンヤコ〜ラ」というコトバのみが、われわれ幼子の大脳内に飛来し、根付いて小さな芽を発していたのでした。
[344] 真寿美(マスミ)の鏡・・・@ 投稿者:道開き 投稿日:2006/09/18(Mon) 20:29 |
人の思念は伝わっていくもの。言の葉にして発することにより更に確実に伝搬していく。つまり、発する言葉はその人の念を乗せ、この世の物すべてがどっぷりと浸っている“霊的大海”を不断の振動を続けながら伝わっていく。人間のみならず、神々の元へも、宇宙の果てまでも届いていく。古人はそのように考えました。
●国学者たちによる言霊研究
日本古来の「言霊」信仰が、学問的に研究されるようになったのは、近世以降のことです。古語の研究から始まった近世国学の発展は、国語研究の進展を促し、日本語に整然とした法則性が存在することが発見されるに至りました。
真言宗の阿闍梨(あじゃり)という高位にあった僧・契冲(けいちゅう) 、京都の伏見稲荷神社の社務・荷田春満(かだのあずままろ)、そして、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)ら数多くの国学者たちによって 『万葉集』、『古事記』等の古典の研究が行われ、今日の国語学、国文学の基礎が築かれたのでした。
日本語のイロハ「五十音図」、そして、濁音、半濁音を合わせた「七十五音図」の研究も行われました。賀茂真淵は「五十音の音は天地の声」であるとしています。やがては多くの国学者たちによって「五十音図」、「七十五音図」そのものが神聖視されることとなり、より神秘的な言霊研究が重ねられます。
京都の伏見稲荷神社の社務・秦親友(はたちかとも)家にご神体として伝存していた「稲荷古伝(いなりこでん)」が、国学者・荷田春満、その娘・蒼生子(たみこ)、さらに弟子の荷田訓之(のりゆき)を経て山口志道に伝わり、「神代学(じんだいがく)」として完成をみ、主著『水穂伝(みずほのつたえ)』として世に出されました。
中村孝道は、神武天皇以前の日向(ひゅうが)国に起源をもつという【マスミの鏡】と称する「七十五音の音階表」をもとに、言語発生論、音声論、音韻論、語彙論、文法論を、さらには、宇宙論、神話論、陰陽論をも展開しました。
よく古神道系教団の“お筆先”(神憑り状態による自動書記)に出てくる「スの大神」というのは、この真寿美(マスミ)の鏡の中心に位置する「す」の文字に現れた大神であるとのこと。「それは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)だ」とか、「天照大御神(あまてら「ス」おおみかみ)のことだ」とか、「いや、そのさらに奥にいらっしゃる大神だ」とか、いろいろと論ぜられているようです。
[343] 「地球環境」 “アニミズム”・・・D (結論) 投稿者:道開き 投稿日:2006/08/24(Thu) 09:41 |
個人の生活にしろ(・・・自己実現の場だって)、家庭、地域社会・・・国家にしてさえも、安定性のある「“恒常的”な働きをする地球の存在」があってこそ成り立つものと考えられます。
地球環境が大異変を起こしてしまったのなら、それらのものは根底から覆されてしまいます。「食」の確保も不安定になるし、予想もつかなかった大災害によって「住」の安全も脅かされることになります。
世界の政治・経済、・・・技術革新、・・・宗教さえも、この問題解決へと向かって行かないことには、人類の未来そのものがかなり危ういものとなってしまいそうだからです。
[342] 『地球交響曲 ガイア・シンフォニー』 投稿者:道開き 投稿日:2006/08/24(Thu) 09:36 |
以下の書き込みは「“アニミズム”・・・・C」に当たるものです。
太古の時代においては、ヨーロッパでもアニミズム的世界観は一般的でした。それはギリシャ神話などに如実に現れています。
現在でも、ニューサイエンス系の科学者ジェイムズ・ラブロックが唱えた「地球生命体ガイア」という概念が有名です。これは地球を一個の生命体ガイア(ギリシャ神話の地母神)として捉えるものです。
たとえば、「地球の酸素濃度は現在21%で、これは生命体にとって安全の上限ギリギリの濃度となる。この濃度は35億年間ほとんど変化していない。ほかの水蒸気や炭酸ガスなども生命体が生きられるように組成がうまく調節されているかのよう」だという。こういった地球の驚くべき絶妙なバランスの維持は、生命体の持っているホメオスタシス(恒常性機能)とほとんど同じだというのです。彼はNASAによる火星探査に参画したほどの人物で、火星探査の結果と比較して、地球それ自体が生命体でなければ、地球の循環系の安定性の説明ができないという結論に至ったのだということです。
1983年10月28日には『科学新聞』にローマ大学の研究チームが、「地球は12時間という周期で脈動している」ということを発表しています。これは重力波を探しているうちに偶然発見されたもので、一日二回、一電子ボルトの脈動が観測されたということです。
こういった「地球生命体ガイア」の概念に、いまだ世界中に残存するシャーマニズム、アニミズム文化を織り交ぜながら製作された映画が
『地球交響曲 ガイア・シンフォニー』です。
http://gaiasymphony.com/co_guide.html
現在では第五番まで製作されています。第六番は製作中とのこと。
日本各地で自主上映会が開催されています。一部の進歩的な神職有志の方たちによる上映会も開催されたりもしています。神社界には、社会活動の一環として、何とか全国的規模でこの上映運動の後押しをして行ってもらいたいものです。
[341] “アニミズム”・・・・B 投稿者:道開き 投稿日:2006/08/24(Thu) 09:28 |
狩猟社会において、狩猟の対象となる動物は特別の存在です。神様からもたらされたもの、ある意味、神そのものであったり、祖先であったりもします。つまり、霊的にはそれらのものが繋がったものとみているのです。
よって、社会と動物たちは強く結びついていることになります。
欧米先進国の間で「動物の愛護」を主張する人々は、そういったことがなかなか理解できないようです。厳しい自然ゆえに、狩猟だけが生活の糧となっている「イヌイット(エスキモー)」の共同体の中には、狩猟反対の圧力団体のために経済的に苦境に追いやられ、社会が荒廃してしまっているところもあるといいます。
彼らは、“鯨”や“カリブー(トナカイ)”の一切を無駄にはしません。欧米人が“鯨”の油だけを利用し、血や肉や骨を海に棄てたのとは異なります。同じように、「ネイティブ・アメリカン」が“ブァッファロー”の一切を無駄にしなかったのに対し、白人たちは、その毛皮のみを剥いで他の部分は荒野に棄てました。
先住民族たちは、神や先祖、そして動物たちに感謝を捧げながら、まさに、動物の「骨の髄」まで利用し尽くします。つまり、衣食住の一切に利用するのです。
この違いは、利益の追求のみに重きを置く「市場経済主義」のみならず、欧米人たちの“アニミズム的感性”が薄れてしまっているが故の事だと考えられます。
[340] “アニミズム”・・・A 投稿者:道開き 投稿日:2006/08/07(Mon) 20:40 |
20年以上も昔の話になります。東京サミットの時だったか、何れの時だったかは忘れました。当時の中曽根首相が、日本の急激な工業発展の理由を、外国の首脳だったか、マスコミだったかに質問を受けたときのこと。
「日本人は、工場の機械にさえ神酒(おみき)を供えて、日々の労に感謝します。それこそが日本の発展の理由です。」とコメントなされたそうです。これは極めて当を得た答えのように思われます。
日本人は古来、物を単なる“物質”とは見ずに、「モノ」(精霊・神性の宿ったもの)と見てきました。つまり、アニミズム的に捉えてきました。西洋においては、キリスト教の伝搬と共に失われてしまった“感性"です。
その“アニミズム的感性"が顕著に現れるのが「お正月」です。現在でも機械や道具、車などに“鏡餅”を供えたり、“シメ”を張ったりしています。
もしかしたらロケットにも鏡餅をお供えしているかもしれません。『コンタクト』というジョディー・フォスター主演のハリウッド映画の中において、北海道が舞台となったシーンで、宇宙人にコンタクトするためのハイテク・マシーンに“鏡餅"が供えられているのを見て、一瞬目を疑ってしまったことを記憶しています。
おそらく、外国人であろうこの映画の原作者は、日本人のこういった感性を極めて神秘的なものと感じていたのでしょう。
日本人がこういった感性を失うことなく持ち続ける限り、「物づくり」では常に世界一であり続けることでしょう。何といっても、使用する機械や道具に愛情を持ち、作り上げる製品に対し、己の魂を削り、注ぎ込むのですから。
[339] “アニミズム” 投稿者:道開き 投稿日:2006/07/27(Thu) 21:59 |
書き込み〔25〕、〔26〕、〔27〕の「シャーマンの世界」@ABの説明に続きます。
「シャーマニズム」を理解する為には、どうしてもより詳しい「アニミズム」の説明が必要になってくると思われます。
「アニミズム」とは、端的に言ってしまえば「霊への信仰」のことです。人間には肉体を生かしている霊魂があり、同じく動物にも植物にも、岩や石などの無生物にさえも、つまり「自然現象すべてに霊魂や精霊が作用していると」考える宗教的思考のこと。
19世紀の英国の進化論的人類学者E.B.タイラーが始めて唱えました。
当時のユダヤ・キリスト教的西洋文化は、多神教の、自然と人間との密接な関係を曲解し、人格神を知らない段階での「宗教進化の原初形態」、又は「原始宗教」として位置づけました。
但し、こういった「アニミズム」という用語の偏見も、昨今ではそのニュアンスも異なってきました。「自然は生きており、人間もその一部にすぎないとして、自然との調和・共存を指向する宗教観」は、自然破壊を生まない、より「エコロジカル」な信仰態度としてむしろ肯定的に評価されつつあります。
これに伴い、日本古来の信仰形態「神道」(かんながらの道)の特徴の一つを「アニミズム」とする説も増えています。
例えば、『古事記』、『日本書紀』の中の【イザナギの神】、【イザナミの神】二神による「国生み・神生み神話」を取り上げてみます。
先ず二神は、大八嶋(おおやしま)、つまり、日本列島の国土、島々を生みます。それぞれに神としての名が付きます。筑紫(つくし)の国を白日別(しらひわけ)、豊国(とよのくに)を豊日別(とよひわけ)、隠岐島(おきのしま)を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言うように。
次に神々を生みます。海の神、水戸(みなと・・河口)の神、風の神、木の神、山の神、野の神、食物の神、火の神、鉱山・金物の神、粘土の神、水の神、五穀の神・・・・・
★「生まれ出た神々の御名」にはそれぞれに深い意味があり、古代の日本人の宇宙観、自然観がそのまま神名になっています。
我々神主が、祭りにおいて祝詞(のりと)を奏上(そうじょう)する際には、その祭りの内容いかんによって、それに相応した神様を招き、その神名を唱えて祭祀(さいし)を行います。
[338] 『シャーマンの世界』B 投稿者:道開き 投稿日:2006/07/24(Mon) 18:59 |
●映画『スター・ウォーズ』
古いシャーマン的テーマの現代版とも言える映画が『スター・ウォーズ』です。宇宙に舞台を移した、「善と悪とのシャーマン的戦い」を非常によく描き出しています。
ルーク・スカイウォーカーはシャーマンの見習いであり、その師はオビ=ワン・ケノビ、悪の領域の主はダース・ヴェイダーで、救われるべき魂はレイア姫である。シャーマンには協力的な霊となるチューバッカをはじめ助手を従え、一方には悪霊の集団・帝国軍のストームトゥルーパーがいる。
次々と降りかかる困難は、悪の力からヒーローに向けられたもので、英雄的なシャーマンとそのチームのみがこの問題を解決できる。
この映画で使われる強力な武器は、超ハイテクと古代魔術との合成であり、ここにもシャーマニズムとの連続性が見て取れます。
以前にもこのサイトで取り上げたことがある有名な話があります。監督のジョージ・ルーカスはこの映画を製作する前に、世界的な哲学者で、神話学の権威のジョセフ・キャンベルに相談しています。氏のアドバイスにより、このようなテーマの作品をつくることになったのだということです。
[337] 『シャーマンの世界』A 投稿者:道開き 投稿日:2006/07/24(Mon) 18:57 |
●「シャーマンの力とは何か」
◎シャーマニズムでは、世界を理解したうえで、世界へ働きかけることが大切になる。「シャーマンが世界の動きを理解しようと努力するのは、生命と自然を支配するプロセスを、共同体の利益になるように働かせるためである。」
霊は単なる意識ではなく、この世で何かを起こす原因となりうるものであるから、それは一種の力だと言える。シャーマンの仕事には、この力を身につけることでなされるものが多い。
◎人間と世界とは現実にも、また感覚の上でも輪になってつながりあっている。どちらも片方だけでは十分な意味を持たない。このような見方は「エコロジー」の主張の特徴だが、“シャーマン的世界観”とも共通する。
動物はもちろん、植物や鉱物、雨雲までもが霊に満ちている。 「霊」とはむしろ現象の「本質=エッセンス」と解される。霊はまた、意識にもなりうる。動物も樹木も道具も、みな人間と同じような意識を持っている。
●「イニシエーションと修行」
シャーマンの活動には、パフォーマンスの力で見る者を圧倒する能力が必要となる。このパフォーマンスは、見る者ばかりでなく、シャーマン自身にも影響する。
シャーマンは心が経験したことを表現し、また依頼者に影響を及ぼすために、多くの“道具”や“象徴”を用いる。「特別な衣装」、「太鼓や鉦(かね)」の音、「呪文や祈り」を詩のように唱える。
シャーマンは霊に選ばれてシャーマンとなる。「イニシエーション」の中心には、いったん霊に象徴的に殺され、再生させられるという経験が含まれることが多い。病気ですらも学びと理解の手段となる。
この経験を通じてシャーマンの人格は強化され、世界を巡る旅へと連れ出してくれる守護霊を自分のものとすることができる。
守護霊ばかりででなく、敵対的な霊もあるが、これは依頼者の、あるいはシャーマン自身の人格の暗い面を表わす。
●「守護霊と師」
シャーマンは一人では働くことが出来ない。守護霊の力に依存することとなる。彼自身が超人的なのではなく、守護霊の助力がすばらしいのである。
守護霊は、祖先の賢者の一人であったり、今は亡き先代のシャーマンであったり、武装した兵士の霊の一団であったり、幻覚植物であったり、動物であったりする。それぞれの守護霊の特性にふさわしい魔術的な力を与えることも多い。
道具や武器にも、その性能にふさわしい霊が存在している。
そして、この守護霊の力によって、シャーマンは「天界」や「地下世界」の旅をすることとなり、悪霊との戦いに臨むこととなる。
シャーマンは、自分で旅に出る代わりに、守護霊を使者として遣わすこともある。
守護霊の助力の中で、おそらく一番大切なものは、「シャーマンに対する教育」であろう。この教育は、「道徳的、霊的成長を促す」ものとなる。
死者の師と、生きている師とのあいだの境界はハッキリしない。
[336] 『シャーマンの世界』@ 投稿者:道開き 投稿日:2006/07/24(Mon) 18:54 |
●「よみがえるシャーマニズム」
シャーマンは「太鼓」をたたいたり、単調な「踊り」を繰り返したり、「幻覚性の植物」を服用することにより“トランス状態”に入っていく。ようするに理性の制御がきかない場所に、あえて踏み込んでいくことによって、世界の外にあるものの光景を目撃し、その「声」を聞く。
シャーマニズムという宗教の形態には、このように、西洋文明が否定しようとしてきたものの“一切が保存”されている。
そのために、理性の原理に全面的な支配権を与えようとした近代という時代に対して、深刻な危機を感じていた人々の中には、西洋文明が大地の下に埋葬してしまった“シャーマニズムの精神”を掘り起こして、「近代の合理主義に対する強力な抗体」に育て上げようとする哲学者や芸術家たちが現れたのである。つまり、シャーマニズムはニーチェなどの、いわゆる「ポストモダン」の思想や実践に、無視することの出来ない影響を与えてきた。
ところが、ベルリンの壁の崩壊あたりを境にして、ふたたび切実な思いをこめて理性の原理の重要さにたちもどりつつあるという。ただしその限界と能力をわきまえた、いわば「カント的な批判理性」として。
そして、シャーマニズムに対するポストモダン的な関心も、本質的な変化が生まれ始めているという。つまり、シャーマニズムを、理性への対抗として語るのではなく、「もう一つの別の形をとった理性ないし叡智」・・(新しい「現代知」) として語ることが、いよいよ大切になってきているのだという。
そうやって私たちは、アメリカやアジアやロシアの先住民が保存してきた「知恵の体系」の教えるものに、謙虚に耳を傾けながら、人類に残されたわずかな可能性にかけてみようとしている。・・・・・・
ピアーズ・ヴィテブスキー著・中沢新一監修
『シャーマンの世界』 創元社 より
[335] 映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』・・C 投稿者:道開き 投稿日:2006/06/26(Mon) 17:40 |
この掲示板の書き込み〔18〕に続きます。
テレビ番組『知ってるつもり』で取り上げていた瞽女(ごぜ)さんが誰だったのかが気になり、微かな記憶をたよりにネット検索してみましたところ、どなただったかがわかりました。
下重暁子著 『 鋼(はがね)の女(ひと)
最後の瞽女(ごぜ)・小林ハル』
1991年 講談社から発売 2003年 集英社文庫
ご尊顔を拝したい方は、「小林ハル」で検索すると写真が載っているサイトがいくつかありましたのでどうぞ御覧ください。
以下の文は、本の内容がネット上に書かれていたものです。
※ 越後のたからもの ※【 小林ハル さん 】
今年(2001年)の1月に101歳の誕生日を迎えた一人の老女、小林ハルさん。
彼女は『最後の瞽女(ゴゼ)』と呼ばれている。
「瞽女」とは、盲目の身で三味線を弾き唄いながら、村々を巡った女性の旅芸人の事。血のにじむような修行を経て辿られた彼女の足跡が明らかになったのは、その旅に彼女が終止符を打ってからの事だった。
瞽女唄という伝統芸能が人々に再認識され、『人間国宝』に選ばれた後、語られだした彼女の人生は、実に驚くべきものだった。
1900年、新潟に生まれたハルさんは、生後まもなく白内障にかかり、両目の光を失った。ハルさんに厳しく裁縫を仕込む母、外聞が悪いと幼いハルさんを奥の間に閉じ込める祖父…。
「おっかなくて、あんまりきつい母親だから本当におらのおっ母さんだろうかと思った…」
そして母になって知った、真実の母の思い…。
「おらの生みの親は、目の見えない子供を持って、どんげな苦しみしたやらとようやく分かった。自分は母に愛されていたんだ。」
そして引き取った幼い子供をわずか2年で失った哀しみ…。
彼女は言う。
「おらは本当に涙がこぼれるような事があっても、涙隠してきた。
泣いてしまったら、唄になんねぇから…」
全ての技巧を捨てて唄い続けるハルさん、その唄は時を越えて人々の心をとらえ続けている。
「生きてる限り、全部修行だと思ってきましたが今度生まれてくるときは、たとえ虫になってもいい、目だけは、明るい目をもらいたいんだ…」
戦後まだ日本各地に残っていた旅芝居や大道芸。
その中で、ひときわ異彩を放つのが三味線音楽を披露しながら村々を廻っていた「瞽女」たちだ。
その多くは目の不自由な女性達であり、彼女たちは3〜4人で、一組となり、山や谷を越えて村人に民謡や流行歌、そして、よその土地の情報を運んでいった。
1900年(明治33年)、新潟県三条市の川べりの農家で、小林ハルさんは生まれた。生後まもなく白内障にかかり、両目の視力を失ったことが、ハルさんの宿命を決定づけた。「外聞が悪い」と祖父は幼いハルさんをいつも奥の寝室に置き、母は厳しく裁縫を仕込んだ。そんな娘を不憫に思った父親は、人目を盗んでハルさんを抱いたりしてくれたが、彼女が2歳の時、病でこの世を去った。
母は口癖のようにハルさんにこう言った。
「ハル、おらが死んだら、お前は一人で生きていかんならねえ。
辛いことがあっても辛いと言うな。腹減っても、ひもじいと泣いちゃならねぇ。」
そんな5歳の時、村にやってきた瞽女の親方に祖父はハルさんを弟子にするよう依頼。20年の年季奉公が決定したのだ。
そして7歳の時から三味線の稽古が始まり、ハルさんの血のにじむような修行の日々が始まった。
三味線を弾くハルさんの細い指を親方が押さえ込み、糸道を辿らせる。ハルさんの手はいつも血にまみれた。
そして「寒声」と呼ばれる真冬の稽古は、毎日早朝や夜、川の土手に薄着姿で立ち、叫ぶように唄い声をつぶす。
そんな修行に明け暮れるハルさんが、初めて親方に連れられて旅に出たのが9歳の時。
小さな体に自分の分と、親方の分の荷物を背負って旅立つ娘を見ながら、母親がいつまでも身をよじって泣いていた事をハルさんが知ったのは後年のこと。
瞽女としての旅は楽ではない。
足のマメが痛かろうが辛かろうが、ひたすら山を谷を歩いて行く。新入りはご飯にもろくにありつけず、やっと見つけた宿にも泊めてもらえないことが幾度もあった。
1年の300日を旅から旅へ、ハルさんの10代は瞬く間に過ぎて行った。少女から娘へと、女性へと成長したハルさん19歳の時、事件は起きた。
若く芸達者となったハルさんに嫉妬した姉弟子が、ささいな事で逆上。ハルさんを突き飛ばし、そして体中を力任せに突いたのだ!!
治療をした医師はハルさんに、「子供の産めない体になった」ことを伝えた。
悲しみも喜びも、女性としての情念も、旅の空にただ棄てていくしかなかった…
26歳になり年季奉公が明けたハルさんは、晴れて独立。
そんな時、思いがけない話が舞い込んだ。
母親と死別した2歳の女の子を養子にもらって欲しいと言うのだ。ハルさんは喜んでその子を引き取った。
「母ちゃん」…そう呼ばれる時の何とも言えない甘い思い…。
初めて味わう母としての幸せ。その時ハルさんの記憶が蘇った。
これが実の母かと思うほど厳しかった母、しかし自分の死後、全盲の娘が一人で生きて行けるようにと、心を鬼にした母の本当の気持ちが理解できた瞬間だった。
「自分は母に愛されていたんだ…」
ハルさんが養母となって2年後、風邪をこじらせた養女は4歳の幼い命を閉じた。
「本当に涙がこぼれるような事があっても涙隠してきた。泣いてしまったら、唄になんねぇから。」
30代、40代のハルさんは人に求められるままに唄い、どんな者でも拒まず弟子として引き取った。 「目が見えないものが生きるには、人に与えつくせ」 という祖父と母の教えを信じるハルさんは、苦労を自分から買ってしまうのだ。
「良い人と歩けば祭り、悪い人と一緒は修行。難儀な時やるのが、本当の仕事」…
終戦後、高度経済成長の時代を迎えた日本には、農村の隅々まで車が普及。昭和48年のある朝、ハルさんは近所の神社にお参りをし一曲奉納。そしてこう言って手を合わせた。
「瞽女は今日で、さよならです…」
そんなハルさんが向かった先は、老人ホームだった。
人に迷惑をかけず、居住まいをいつも正し、ひっそりと生きるハルさん。
しかし最後の門付けをしているハルさんの様子を、テレビで放映した時のこと、研究者たちは未だに瞽女文化が死んでいないことと、ハルさんが克明に昔の唄を記憶していることに驚いた。
そして昭和53年、ハルさんは瞽女文化継承者として、国の重要無形文化財、いわゆる「人間国宝」に選ばれた。
「生きてみなきゃわかんねぇ。ほんに思いがけないことばかり…。」
これをきっかけに、ハルさんは再び三味線を取ることになる。
求められれば精力的に唄いに行き、人々に喜ばれる。
ハルさんの新しい瞽女生活が始まったのだ。
そんな昭和57年、ハルさんは周囲の勧めで、家を出て以来戻ることもなかった、自分の実家に里帰りをし、母の墓前に初めて立った。
「おらの中に母さんは二人いる。
死んだ本当の母と、おらの中に生きている母と…。」
全盲の闇の中から放たれる光、ハルさんの人生は決して一人のものではなく、亡き父母や祖父と一緒に巡ってきた旅だったのかも知れない…。
[334] 映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』・・B 投稿者:道開き 投稿日:2006/06/25(Sun) 21:51 |
津軽三味線にしろ、歌舞伎、能にしろ・・・・・・・・忍者も
結局、現在日本が世界に誇っている「伝統芸能」といったものは、そのルーツを求めていくと、瞽女(ごぜ)さんや、民間陰陽師、歩き巫女・・・・つまり“河原者”と呼ばれた、当時の日本社会の下層に位置した「遊行の民」、「漂泊の民」へと辿り着くようです。
こういった事象は洋の東西を問わないと思われます。ジャズだって、ゴスペルだって、黒人たちの魂の叫びから生みだされました。タップダンスなんかも、アイルランド移民によってもたらされた伝統舞踏のリヴァー・ダンスから生まれたみたいですし。・・・・・・・
現在の日本で生み出されている世界に誇れる多くの「先端技術」も、「伝統的匠(たくみ)文化」が根底にあることから生み出されているみたいですし。・・・・・・・
よって、そういった根っこの部分にあるもの、土壌となるものの中にあるものこそを大切にしていかないと、後に続いていかないようにも思われます。
[333] 映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』・・A・・・・出雲の阿国(おくに)、河原乞食(かわらこじき)、忍者、世阿弥の『風姿花伝(花伝書)』・・・実に“語茶満開”!!!!! 投稿者:道開き 2006/06/25(Sun) 14:08 |
以下は、映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』・・・「歩き巫女」についてというよりも、「芸能と信仰(特に「陰陽道」)」との関係について話を進めます。
そういった知識があると、よくNHKの大河ドラマなどに登場してくる芸能者のような、忍者のような、修験者のような、陰陽師のような何ともハッキリしない異形の者たちの理解がある程度は可能になると思われます。
“能”、“歌舞伎”などの舞台を踏みとどろかす所作は、陰陽道の「反閇(へんばい)」という呪術的行為につながっています。それは、、悪い霊魂が地面から頭をもたげないようにする封じ込め=地霊鎮めの働きのほか、魔除けや清めの儀式として伝わったものです。その際には、同様に異様な掛け声が発せられます。“相撲”の四股(しこ)を踏むという行為も「反閇(へんばい)」の変形です。
“田楽”は、もともとは寺に属していた呪師の芸を様式化したものであるといわれ、“狂言”や“猿楽”となっていきますが、いずれにせよ「穀物の豊穣祈願のための呪術的祭祀」といった考え方がその根底にありました。
そういった諸雑芸を“能”として集大成させた世阿弥(ぜあみ)の著『風姿花伝(花伝書)』などは、まさに「陰陽道の秘儀書」といった側面も持ちます。
つまり、舞踏というもの自体が呪術的所作であり、舞踏者は一種の呪術師でもあり、悪魔祓い師でもあった。“能楽”には、神が宿るとされた翁(おきな)や、死者や鬼などが登場することからもそれが察しられます。
さらに日本の風土には、伝統的祝福芸という系譜もあります。漂泊(ひょうはく)しながら祈祷や呪術を中心とした芸能を生業とした人たちです。【津軽三味線を弾いて歩いた「瞽女(ごぜ)」もこれに当たる】 「ホカイビト(祝祷人)」がそれです。
彼等は相手の一家の幸福と繁栄を祈願して舞いながら祝言(しゅうげん)を述べるという形態をとりました。食物を容れて持ち運ぶ行器(ほかい)を持っていたので乞児(ほかいびと)とも呼ばれた。つまり、その行器(ほかい)は呪具を収める容器であり、古代の遊行神人は、ことほぎの寿(ほかい)を述べる「祝言人(ほかいびと)」であると同時に、門毎に食物を乞う「乞食人(ほかいびと)であったという。
人を祝福するという呪術的行為は視点を変えれば、人を呪詛することも可能となり、ホカイビトと一口に言っても、「陰陽師」や「唱門師(しょうもんし)」、「山伏(修験者)」などをも兼ねた者もおり、その辺の定義は判然としない部分が多いようです。
「唱門師(しょうもんし・声聞師)」も一般には民間の陰陽師と見なされ、通常は寺院に隷属して、寺院の掃除などの雑務をしながら、祈祷を行ったり、暦を売ったりしていた。
大和地方においては、奈良の興福寺に隷属する形で、「七道(しちどう)の者」がいた。
「七道(しちどう)の者」というのは、“猿楽”、“歩き白拍子”(しらびょうし)、“歩き巫女”、“歩き横行”(おうこう・陰陽師の一種)、“鉦叩き”(かねたたき)、“鉢叩き”(はちたたき)、“猿飼”(さるかい・“猿回し”)といった職業を持つ者たちです。“猿回し”は、もとは馬の安全息災を祈る儀式に用いられていました。
そのほかに、人形を自在に操って諸国を遊行した“傀儡”(くぐつ・デク使い)もいました。傀儡とは人形であり、人形は人間のケガレや罪を代わって引き受けるものされてもきました。「くぐつ(久具津)」とは、海草の「莎草(くぐ)」で編んだ籠(かご)のことで、傀儡の民が、人形をそこに入れて持ち歩くようになったのでそう呼ばれるようになったとされます。ちなみに“歩き巫女”も、中身は他見厳禁という「外法(げほう)箱」を持っていましたし、前述の“ホカイビト”も「行器(ほかい)」を持っていました。
東北地方の「オシラ様」も“傀儡”との関連性が見受けられ、今日の“文楽(ぶんらく)”の元となった“人形浄瑠璃(じょうるり)”とも関連します。
「忍者」のルーツは“傀儡”だったという説もあり、忍術は当時、観客相手の奇術であり、音曲の演奏にあわせて行われたという。伊賀や甲賀地方の陰陽師集団から忍者が生まれたとも言われています。
[332] 映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』・・@ 投稿者:道開き 投稿日:2006/06/25(Sun) 13:22 |
高校時代、篠田正浩監督の作品『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』を映画館で見たことがあります。その当時、それなりに理解したつもりではいましたが、20年以上経ってからビデオでもう一度見てみましたところ、高校時代とは違った側面も見えてきました。
津軽三味線を弾きながら、盲目の瞽女(ごぜ)・おりんが厳しい津軽の大自然の中、「風雪ながれ旅」をして歩きます。そこには歴史文献には記されることのなかった、まぎれもない一般庶民の中の”日本の歴史”の一部が描かれていました。
そういえば、数年前まで放映されていた『知ってるつもり』というテレビ番組で、日本最後の瞽女(ごぜ)さんの某さん(お名前は忘れてしまいましたが)を取り扱っていました。篠田監督がゲストで呼ばれてコメントしていました。「私は映画『はなれ瞽女(ごぜ)・おりん』の中に、戦後、急速に失われつつあった“まぎれもない庶民の中の日本の歴史の一部”を描き残したかったのだ」と。
その最後の瞽女(ごぜ)さん、かなりシャーマン的、かつ哲学的な存在ともなられ、つくづく考えさせられる言葉を多く語っておられました。
「“働く”ということは、ハタ(周囲の人たち)を楽にさせることなんだ、それが“働く”ということの本当の意味なのだ。」・・・・・・・
そういった不文律ともいえるような「教え」なり、「掟」なり、「道徳観」なりが、仏典とか、聖書とかを一度も学んだこともない一般庶民の間には昔から伝わっていたようです。
そういったものは、ネイティブ・アメリカン他、世界各地に残存しているシャーマニズム文化圏の担い手たちの道徳観ともかなり共通します。
[331] “ハレ”と“ケ” 投稿者:道開き 投稿日:2006/05/29(Mon) 10:04 |
明治期の柳田国男以来、人々の生活の中にみられる神道的現象についての研究がおこなわれ、「民俗学」として体系化されました。
それによると、“日本人の生活を構成する基本的な原理”として、「ハレ(非日常的)」と「ケ(日常的)」という“時間感覚”を示す概念があるといいます。
1970年代のはじめには、「東アジアにおけるシャーマニズム」研究の第一人者・櫻井徳太郎氏により、「不浄」を指すものとして考えられてきた「ケガレ」という概念との関連性も指摘され、“祭り”を貫く原理として、「ハレ、ケ、ケガレ」という三極構造が提示されました。
つまり、「ケ」とは、農業等の生産を可能にするエネルギー源としての「気」から出た語で、日常生活の中では「ケ」が絶えず発散される。それが枯渇すると「ケガレ=気枯れ」になる。この状態から再び「ケ」の活力を充足させるために行われるのが「ハレの行事」、つまり、「祭り」であると。
よくよく考えてみますと、「祭り」に限らず、日々の仕事に疲れて(ケガレ)、映画やコンサート、様々なイベントに出かけ(ハレ)、晴れ晴れと気分をリフレッシュして再び仕事に励む(ケ)といったことも同じことなのでしょう。
更によくよく考えて見ますと、安室奈美恵さんの後ろで踊っているバックダンサーの人たちの踊りの動きなんかを見ていますと、天地が引っくり返ったとしても、日常生活において人々が行う動きでは決してなく、ユーミン、高橋真梨子さん、平原綾香さんのような節回し、歌い方は、日常の会話では決して行われない発声の仕方ということになるのでしょう。
舞台衣装・コスチュームだって、人々の日常生活では決して身につけられるものではないものです。
だからこそ、魅力的であり、観たり聴いたりする人々の気持ちを晴れ晴れとリフレッシュさせてくれるのでしょう。
こういった“ハレ”と“ケ”の観点からしても、「芸能」と「宗教」とはかなりかぶっていますネ。
[330] 急告!!!!! 投稿者:道開き 投稿日:2006/04/13(Thu) 22:13 |
最近、この掲示板上において、本サイトの趣旨からみて不適切と思われる書き込みが多くなりました。当分のあいだは書き込みできないように設定させていただくこととなります。 尚、当方からの書き込みは、これまで通りに行わせていただきます。
[329] おキツネさんの タロ? or ジロ? 投稿者:道開き 投稿日:2006/03/28(Tue) 13:08 |
この掲示板の書き込み〔5〕、〔6〕に続きます。
ごく最近あった“キツネ憑き”に関する話です。どうも、映画『南極物語』に対する、ここしばらくの、私のこだわりの想念との、何らかの“リンク”なり、“シンクロ”なりが起こっていたのかなあとも考えられる出来事でした。
ある氏子から、「親戚の少女が“キツネ憑き”になっているので、お祓いしてもらえないか」という内容の連絡を受けました。翌日、家族ともども神社に来てもらいましたところ、少女の口を動かす様、時折、のけぞったりするその仕草は、うちの飼い犬の行う仕草とかなり似かよったものでした。
しかし、その様子から見ても、それ程タチの悪そうなおキツネさんでもなかったので、まずは御祈祷をしてからと考え、神事を執り行いました。その間、そのおキツネさんは、何度ものけぞったり、“雄叫び”をあげたりしながらも、ご神前にきちんと正座をし、合掌もしておりました。
「お祓い」を終えた後、いろいろと話を聞きだしてみましたところ、「帰りた〜い。帰りたい。帰りた〜〜〜い。」と、涙を流しながら繰り返し訴えてきます。更に、詳しく話を聞いてみると、どうも、現在、その少女の父方の実家のある土地に一家が40年ほど前に越してくる以前に、古びたお稲荷さんの祠(ほこら)が祀られていたようで、その土地をサラ地にする際に、祭祀を執り行わないままに、ただ撤去されてしまったということでした。
そのおキツネさんは、どうも神様のお使いさんのキツネで、お使えしていた神様・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・通称「お稲荷さん」)の祠が無くなってしまった状態でいたということでした。今回、ある拍子で、たまたま霊媒体質の孫娘さんに憑依することになり、自分の思いをひたすらに語りだしたのでした。
その父方の実家の土地というのは、私がよくビデオを借りに行くレンタル・ショップのすぐ近くにありました。(見えない世界においては、私のミタマとそのおキツネさんの間で、何らかのシンクロが起きていたのでしょう。おそらくは。)
そのおキツネさんに、その場所にきちんと“お稲荷さんの祠”をお祀りしてあげることを約束しましたところ、「どうも、ありがとうございました。」と大変うれしそうにお礼を言っておりました。
その後に起こった、数々の不思議な出来事の詳細については差し控えさせていただきますが、今回のことは、神様の“祀り上げ”と“祀り棄て”の典型的な例とも言える出来事でした。
[328] 『南極物語』 裏話 投稿者:道開き 投稿日:2006/03/19(Sun) 07:32 |
南極に残してきた15匹の犬たちの命はもう助からなかっただろうということで、犬たちの出身地の北海道に慰霊碑を建てて、慰霊祭を執り行ったときのエピソードです。
犬係の隊員の一人が、碑の前で15匹の犬の名を一匹ずつ読み上げました。でも、どうしてもタロ、ジロの二匹の犬の名だけが思い浮かんでこず、呼びなれたその名を口にすることができなかったのだそうです。不思議なことにその二匹だけが生き残っていたという。
後で考えると本当に不思議な出来事だったとのことです。
[327] 『南極物語』 投稿者:道開き 投稿日:2006/03/15(Wed) 19:59 |
この一月ほど前から、昔観た映画『南極物語』が何とも言えないほど無性に、観たいみたいと思っていました。あの南極の極限の状況に耐え、生き抜いた、けな気な犬たちタロ、ジロが見たいと・・・・・・。
近場のレンタル・ビデオショップで探してみたところ置いてなかったので、機会があったら遠くにある大きな店で借りてこようとも考えておりました。
すると、ディズニーのリメイク作品が、同題で近日劇場公開されることを2〜3日前にテレビCMで知りました。さらに今週の土曜日には邦画の元祖『南極物語』がテレビ放映されることを本日知りました。
これって、典型的な“シンクロニシティー”が起きたことになります。
こういった、まさに“シンクロニシティー”と解釈できる、映画『南極物語』にまつわる有名な裏話もあります。
[326] 失敗は成功の母 投稿者:道開き 投稿日:2006/02/21(Tue) 12:07 |
「研究開発」においては“失敗の蓄積”こそが大切な本当の「財産」となり、“ひらめき”“アイディア”といったものは、そういった極めて地味な日常の積み重ねから “神憑り的”に、ある日突然、ちょっとした瞬間に、研究者の大脳に舞い降りてくるもののようです。
きわめて「シャーマニズム」に似ています。
最近、NHKで、土曜と日曜の二夜連続で、しかも夜の九時といったゴールデンタイムに、「気候大異変」なる特別番組が放映されました。このまま行くと100年もしない内にアマゾンの密林の半分が砂漠と化してしまうとか、温帯地方が熱帯の風土病に襲われるとか、昨年アメリカのニューオリズを襲ったハリケーンような“カテゴリー5”規模の台風が毎年日本を襲うようになるとか・・・・・・・
日本は「ロボット技術」の開発もいいのだけれども、「環境技術」の開発を第一にしてもらい、そこにこそ「あらゆる智恵を結集してもらいたい」と思われます。将来、ロボットを活用する以前に「環境破壊」によって世界がグチャグチャになってしまいそうだからです。
二酸化炭素排出量の全体の四分の一を占める最大排出国・アメリカは自国の経済にばかりに頭が行って、「地球環境」には全く目を向けようとしません。“他の国との共生という観念”は実に薄いです。"格差社会"、"犯罪多発国家"・・・・
日本は、アメリカの真似ばかりでは亡国の道を歩んでしまうと考えられます。アメリカはその一切を“見本とすべき国”には到底思えません。
アメリカは、実はイスラム圏に匹敵するような強大な宗教国家だともいわれています。「聖書至上主義」を唱える“福音(ふくいん)派”が南部を中心に国民の半数近くを占めるのだそうです。ヨーロッパ諸国の穏健なプロテスタントや伝統的なカトリックなどのキリスト教徒とは異なります。
その過激派の最たるものがよくアメリカ映画で描かれたりしている「K.K.K」なる秘密結社です。普段は善良な市民、敬虔なクリスチャンとして生活を送っている人たちが、ある黒人が主張を始めたりするやいなや、三角に尖がった覆面を被って集団で馬に乗って現れ、黒人の家々を襲い、赤ん坊の足を持って振り回して木にぶつけて頭を割った・・・といった類の話は数え切れないみたいです。
アメリカとイスラムのぶつかり合いはテロがどうのこうのという問題ではなく、その奥にあるものは全くの「宗教的対立」です。
“一神教の原理”は唯一の「真理(アーメン)」を求めていくところにありますが、“多神教の原理”は他との「共生」にあります。穏健な神道、仏教、道教、ヒンズー教といった多神教は、今後、世界平和の為にはますます重要になるはずです。
聖書だって、コーランだって素晴らしいものには違いないのだけれども、もっともっと身の回りの自然といったものにも眼を向けてもらいたいものです。
とにかくアメリカという国は全くあてにならないので、日本は、がむしゃらに先頭を突っ走ってでも、ヨーロッパ諸国やアメリカの理解ある科学者たちと手を結んで、「環境技術」の開発をおこなって世界を救って行ってもらいたいです。これこそが日本という「匠(たくみ)・・・技術」の国の、神様から与えられた“お役目”だと考えられるからです。「日本の過去の様々な失敗・苦難はこの為にあったのだと・・・・・」
大自然を神と仰ぐのが“神道”なのだから、「神社界は世界に向かって、もっともっと声を大にしなければいけない」とつくづく感じさせられもしております。
それにしても、7〜8年前に、ある環境NPOでしきりに語られていた近い将来に起こるであろう「環境危機」について、「このことを、何とかテレビで大々的に取り上げてもらうでもしなきゃ、どうにもならないな〜」と自分なりに感じたものでしたが、ここ2、3年はこういった番組が実に多くなっています。「本当に、本当に危なくなっているんだ」と強く感じられる今日この頃です。
[325] 諺(ことわざ)の力 U 投稿者:道開き 投稿日:2006/02/08(Wed) 18:24 |
現在、社会の様々な分野において、急激なIT(情報技術)化が進展しているようです。このことに関しては誰もが、携帯やパソコンを使ったりして身近で体験していることなので、異を唱える人はいないかと思われます。
なるほど、こと「情報」に関することについては、 “スピ−ド”と“正確さ”といったものが勝負の決め手となるものなのでしょう。
しかし、何事においても“スピ−ドの速さ”が第一という訳ではないとも考えられます。こと「研究開発」といった部門については。
世の中を根底から変えてしまうような本当に凄い技術ほど、20年、30年といった歳月がどうしても必要となるみたいです。
他者の失敗を取り上げてとやかく言う気はないのですが(自分も常に失敗を繰り返している身なもので)、あえて言わせていただけるのであれば、最近、テレビを賑わしている一連のライブドア事件について・・・・。
若き起業家の“雄”として頑張ってこられた堀江社長ですが、ITの世界でのし上がって来られた方ということもあって、ひたすら“スピ−ド”にのみこだわるようになられたのでしょうが、
「急がば回れ何事も」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
といった昔からの古い諺(ことわざ)が、もう少し、氏の頭の片隅にでも置いてあったのならば、また事態は違っていたのではなかったのかな〜とも思われてなりません。
正直、これまでの氏の経営方針やテレビにおいての言動には、どうしても合点がいかないというところが多々あったのですが、
「どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く・・・・」
という、映画『男はつらいよ』の主題歌を思い出しつつ、氏の再起を期待したいと思われるのも本当の気持ちです。
[324] 運 勢 2006 投稿者:道開き 投稿日:2006/01/10(Tue) 20:20 |
今年の立春は、2月4日の08:28頃が「節入り」となります。
旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気” と呼ばれています。立春は雑節の基準日で、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「干支」「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を移動します。つまり、「年回り」が変わります。
今年は《三碧木星》の年です。またまた「干支・九星術」の《三碧木星》年生まれの方の月ごとの特徴を少しばかり上げてみます。
●《三碧木星》年「五黄土星・寅(とら)」月生まれの女性
〔今年は2月4日の08:28〜3月6日の02:29までの生まれの女性)
・中島みゆき、浅野温子、真野響子、りりィ、中山美穂、相田翔子、岡安由美子・・・・といった方たちです。
情熱家の女性が多く、決めたことは最後まで頑張り通す責任感の強い方たちです。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
●《三碧木星》年「五黄土星・寅(とら)」月生まれの男性
〔今年は2月4日の08:28〜3月6日の02:29までの生まれの男性)
性急でプライド高く、強情で一本気、物事ハッキリと白黒つけたい性格ですが、反面、人の世話もやくし親切身もある方たちです。行動力もあり、仕事も最後まで頑張ります。情熱を常に持っていますので若々しさがあります。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
この生まれの方、外見的には何通りかに分けられるようです。
・北大路欣也、峰竜太 〈タイプ〉
・アントニオ猪木、田原俊彦〈タイプ〉
・グッチ裕三、小林念侍、ケーシー高峰 〈タイプ〉
・森本レオ、降谷建志、森田剛 〈タイプ〉
・加藤茶 〈タイプ〉
●《三碧木星》年「四緑木星・卯(う)」月生まれの男性
自我意識が強く、何事に関しても自分のペースに引き込まないと満足しないタイプです。
理屈っぽいところもありますが以外に優しいところを持った人たちです。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
この生まれの方、外見的には2通りに分けられるかなとも考えられます。
・桜井和寿(ミスチル)、原田泰造(ネプ)、宮迫博之(雨上がり)、高橋克実 〈タイプ〉
・天野ひろゆき(キャイ〜ン)、渡辺喜美(国会議員) 〈タイプ〉
●《三碧木星》年「二黒土星・巳(み)」月生まれの男性
プライド高く、用心深く、話し上手で、リーダーとしての才があります。人の選り好みはハッキリしていて、嫌いな人にはいい加減にあしらったりするところが特徴です。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
・渡辺徹、上田晋也(クリームシチュー)、ケント・ギルバート、哀川翔、窪塚洋介・・・・といった方たちです。
●《三碧木星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの女性
交際上手な発展家です。警戒心も強く心の底を見せないところがありますが、センスよく美的才能もあり、自然を愛する高尚な心もみられます。商売熱心でもあります。
詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
外見的にはアゴの張った感じの方が多いようです。
・手塚理美、ダイアナ妃、小柳ルミ子、国仲涼子、春やすこ・・・・といった方たちです。
●《三碧木星》年「六白金星・戌(いぬ)」月生まれの男性
理屈っぽく気むずかしいところがありますが、根は善人で優しいところもあり、喜怒哀楽をハッキリと表わすところがあります。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
・石橋貴明(トンネルズ)、野中広務(元自民党幹事長)、ピーター・アーツ、清水健太郎・・・・といった方たちです。
●《三碧木星》年「四緑木星・子(ね)」月生まれの男性
几帳面な性格で、折り目正しい態度を持ち、親切心があり、人情にもろい面も持っています。詳しい性格的、運勢的特徴はここではひかえさせていただきますが。・・・・
・竹野内豊、石原裕次郎、古谷一行、浜田省吾、ぼんちおさむ、越前屋俵太・・・・といった方たちです。
[323] 「お正月」 & “お天道様”と“お月様” 投稿者:道開き 投稿日:2006/01/10(Tue) 10:35 |
我々の生活にとって本当に大切なものは何かということになると、やはり、それは“お天道様”と“お月様”です。これは洋の東西を問いません。それは世界中の「暦」の中に如実に現れています。
(イギリスの、紀元前数千年にまで遡るだろうと目されている謎のストーン・ヘンジ遺跡などは、並べられた巨石が、冬至、夏至、春分、秋分の時期を正確に印しています。)
一年の初めをどこに置くかについては、「暦法」によってさまざまです。
現在の「太陽暦」では、日照時間のもっとも短くなる“冬至”を過ぎたころに「正月」を設けているのは皆さんもご存知の通りですネ。
古代中国では“冬至”を太陽運行の起点として考え、暦のはじまりとしていたようですが、本当の意味から言っての太陽暦であるならば、“冬至”を「元旦」に定めるべきでしょうネ。
さらに、キリスト教の「聖誕祭」(“クリスマス”)だって、イエスの正確な誕生日は全くの不明で、12月の25日のこの日に生まれたという証拠は何もないのだそうです。実際のところ、“クリスマス”とは太陽の新生を祝う「冬至祭」と結びついたものだと言われています。
日本で古くから使われてきた旧暦(太陰太陽暦)の「正月」というのは、“立春”の頃の「新月の日」に定められました。(つまり、“月”が全く見えない真っ暗闇の日。・・・ということは、かなり「“お月様”の存在が重要な暦」ということになります。)
よって、旧暦の1月15日(「小正月」)は「満月の日」となります。さらに古い頃の日本の“正月の元日”はこの「満月の日」であったとされています。
どうして旧暦において、“立春”が「正月」を定める上でも重要視されたのかというということになります(中国では、現在でもこの“立春”を「元日」とし、“春節”として盛大にお祝いしています。)。
それはすべて『陰陽五行説』によるものなのです。
『陰陽五行説』は古代中国に起源を持つあらゆる文化に歴然と影響しています。
木火土金水の「五気」の働きとなる「五行」の思想は、“四季の循環”から生み出されたといわれています。
春(木)の起点が「立春」、夏(火)の起点が「立夏」、秋(金)の起点が「立秋」、冬(水)の起点が「立冬」です。それでは、「土」はどこにあるのかというと、それら「四立」の前に、それぞれに18日間の「土用」が置かれました。つまり、「土」の働きというのは「四季」を動かすのがその働きということになります。
この辺の話になるとかなり難解です。あとはやめます。
とにかく古代の人たちは、“天体の運行”を「数理」によって分析し、様々な『暦』を生み出したのです。まるで、現代の科学者たちが、様々な原子を発見し、それぞれに番号をつけて分類し、様々な化学式を生み出したように。・・・・DNAにおける「ヒトゲノム」の解読が行われているように。・・・・・