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[26] Re[25]: 再登場 投稿者:道開き 投稿日:2001/04/27(Fri) 07:36

有トド村さん、最近、県内の多くの神社サイトに出没してますね。
ネット上で網に引っかからないように。
ん、しゃれにもならない?


[25] 再登場 投稿者:東京・とど 投稿日:2001/04/25(Wed) 21:18

いつも、濃い内容ですねー・・・
今年の花粉は最悪です。
東京人は今、風邪ぴっきばっかです。


[24] 産土(うぶすな)考  その2 投稿者:道開き 投稿日:2001/04/24(Tue) 10:36

●国学者たちによる研究

 この『産土神』について、最も詳細にわたって神学的研究をおこな
 ったのは江戸時代の国学者たちです。特に有名なのが六人部是香(むとべよしか)です。
彼の論によれば、

 産霊(むすび)=産土(うぶすな)である。
 『産土』とは「万物を生産せしむる根本神」である。
 つまり、『産土社』は、その御祭神にどのような神をお祭りしてい るかに関わらず、その地域の氏子の顕幽両面 (生まれる時も、生き ることに関しても、死に関しても、死後のことについても)に深く関わってくると説いています。

 『産土神』は、その地域の氏子を守護し、その死後の霊魂を導いて、生前の行動を審判したり、それらの先祖代々の霊魂と協力して共 に、それぞれの家々を守るという。

 つまり、幽世(かくり世、あの世)と現世(うつし世、この世)と の接点となる聖なる場所が『産土様』であり、それぞれの地域は、 『産土様』を通 して幽世(かくり世)からの影響を絶えず受けることになるという。


[23] 産土(うぶすな)考 投稿者:道開き 投稿日:2001/04/24(Tue) 10:09

『産土』(うぶすな)の言葉の現す意味についての問い合わせが非常に多くありますので、ここで説明いたします。

●御祭神(ごさいじん)について
 まず、それぞれの地域でお祭りする『産土社』の御祭神とは、

@その地域の、土地の神(地神、地主神、地霊)

Aその地域の、各家々の祖霊群(「氏神」とも呼ぶ)
       
       つまり、その土地における「あの世」(現代風な表現
       をすれば、いわゆる「霊界」)をお祭りしている。

Bその神社名の由来するところの神様

       たとえば、神明社(しんめいしゃ)なら天照大御神(
       あまてらすおおみかみ)、稲荷神社なら宇迦之御魂神
       )といった神様。

よって、その地域における、@ABの集合的神格体としての御祭神を、『産土様』としてお祭りしています。



[22] Re[21]: お久しぶりです・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2001/03/28(Wed) 18:56

“とど”を名乗れる方といえば“有”さんしかいないですね。
どうぞ、夏には奥松島に遊びに来て下さい。いっしょに
嵯峨渓の島巡りでも、ナイト・クル−ジングでもしてみたいですね。


[21] お久しぶりです・・・ 投稿者:権之湯のとど 投稿日:2001/03/27(Tue) 21:18

宮城を出て丸二年なりましたね。
みなさんお変わりありまんせんでしょうか。
こちらはそこそこ生きております。
もう、30になるのに、中日ドラゴンズの応援と
ミーハーな毎日です。
今年の夏あたりには伺おうとは思いますので宜しくお願いします。


[20] 『もののけ姫』を “再度” 考える 投稿者:道開き 投稿日:2001/03/27(Tue) 16:30

映画『もののけ姫』の扱っているテ−マは「森林破壊と文明の崩壊」という相関関係です。これは有史以来、人間が繰り返し行ってきた過ちを日本風にアレンジし映像化した作品なのです。
そのスト−リ−のもととなっているのは人類最古の物語『ギルガメシュ叙事詩』です。現在より5,000年程以前の新シュメ−ル時代の古代メソポタミアにあった都市国家ウルクの、実在の王ギルガメシュの物語です。
王は「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と友人エンキムドゥと共に、最高神エンリルに命ぜられ森を守っていた森の神フンババを殺し「内蔵を肺まで取り除き、頭をつかみ金桶に押し込めた」と記されている。それにより王は天罰をこうむり、七年間の飢饉が引き起こされ、長い長いあの世への旅をしなければならない運命へと導かれたのである。
つまり、5,000年前には既に「森林破壊による文明崩壊」が起きていたことをも物語は語っている。

やがて、人々は地中海方面へと森林資源をもとめるようになる。そして栄えたのがクレタ島を中心とするミノア文明である。しかし、それも森林破壊によって崩壊し、次に豊富な森林資源によって栄えたのがギリシアのミケ−ネ文明である。そしてミケ−ネ文明も・・・
そうやって森林が破壊された跡には石灰岩むき出しの木の生えない大地だけが残されてしまった。テレビを見れば判るようにメソポタミアや地中海地方の風景には森林が映っていない。昔は森林で覆われていたというのはウソの様。 

つまり、人類は有史以来同じ事を繰り返しているみたいですね。但し、現在はグロ−バル化が進んでいるので、一地域の文明崩壊のみでは止まらず、全地球規模の文明崩壊が起こってしまう。地球温暖化、水質・土壌汚染、食糧問題・・・

この件に関して詳しく書いてある本を紹介します。
国際日本文化研究センタ−教授。「環境考古学」の確立者である
安田喜憲先生の著書で
『森を守る文明 森を支配する文明』です。

神道思想、神仏習合思想によって、日本は独自の「森を守る文明」を所有してきたというのです。
天上の唯一の神を崇拝する「一神教」と、あらゆる物に神性を感じる「多神教(アニミズム)」。つまり、この「こだわりの文化」と「いいとこどりの文化」との融合にこそ、21世紀に起こるであろう諸問題を解決していくカギが隠されているというのです。

私、先生とは1994年9月24日〜26日の三日間、伊勢神宮を本拠として、自然と人間の共生と新たな文明のモデルの構築をめざした「千年の森シンポジウム」が開催された時に同席しました。ただし、打ち上げパ−ティ−の席上でですが。


[19] ユング派の深層心理学による“神話”の解釈 投稿者:道開き 投稿日:2001/03/11(Sun) 17:17

我々の魂の奥底に刻まれている人類共通の潜在意識、つまり、「魂の太古(たいこ)の記憶」が表出したものが“神話”だと解釈されます。
民族や地域により、内容的に多少の違いはあったとしても、その根幹において“神話”の意味するところは同一のところに帰すといってもよいでしょう。
さらに、世界各地に伝承されている“神話”はそれぞれの民族の感性を知る上での有効な手がかりともなります。そのような意味からも、“神話”はそれぞれの民族の宝珠(たから)であるとも言われています。

確かに、合理性絶対の現代社会においては、“神話”はたあいもない不合理きわまりない、夢の中の出来事のように捉えられがちです。
しかし、その出処が民族の、又は、人類の集合的無意識(個人においても、日常的に使用されている顕在意識の数百倍、数千倍もあると言われる無意識の領域の、さらに深層にある無意識の集合体)といった膨大な領域でもあり、そのような処から汲み上げられた“神話”のもたらす有益性は甚大です。

世の中が合理性のみを重視し、精神の原初的な領域を遮蔽して(おおって)しまったところにこそ現代病と言われる心の病や、いじめ、その他の社会問題の病巣が潜んでいるのではないでしょうか?
その様な意味から言っても“神話”のもたらすものは、私たち人類にとって必要不可欠なものといえるでしょう。


[18] 下の[17]の続きです。 投稿者:道開き 投稿日:2001/02/08(Thu) 15:29

90%に近い的中率であったという、“眠れる予言者”ことエドガ−
・ケ−シ−に関わるあるエピソ−ドです。
リ−ディング(彼は宇宙の現在・過去・未来の総てが記録されているという「アカシック・レコ−ド(宇宙の記録)」を自由に読むことができたとのことで、そのように呼ばれています)に入る前に、いつものように催眠を始めたところ、突然、大天使ミカエルと名乗る霊が降りてきたと言います。
サ−クルに集まっていた人たちは、最初は何事が起きたのかとビックリはしたものの、その霊がかもし出す何とも言えない崇高な雰囲気と、語られる言葉のありがたさに、ただただその霊言に耳を傾けたということが、彼の膨大な量のファイルの一所に記されているとのことです。
やはり、こういったことって古今東西、どこにでもあるんですね。
本当に、大天使ミカエルという高級神霊なのか、審神(サニワ)が必要なのでしょうが。

さて、〔17〕の一神教と多神教 の私の書き込みが、学術的信憑性に欠けるのではとお思いの方は、
東アジアのシャ−マニズム文化の集大成ともいえる“儒教”研究の第一人者、大阪大学名誉教授でおられる加地伸行さんの数あまたの著書を読んでみて下さい。

『儒教とは何か』中公新書、『沈黙の宗教−儒教』筑摩書房、『論語の世界』中公文庫、『中国人の論理学』中公新書 等


[17] 一神教と多神教 投稿者:道開き 投稿日:2001/02/04(Sun) 20:48

西洋と東洋、そしてアフリカ、中南米。世界中には様々な宗教が存在しています。それぞれに文化が異なるように、神観念にもそれぞれに特徴があります。
それらを、大きく分けると一神教と多神教の二つに大別できます。
しかし、一神教の中にも多神教的側面があり、多神教の中にも一神教的な側面があります。

例えばキリスト教のカトリックなどはかなり多神教的です。つまり、ゴッドの手足となり、つまり天の使いとなって働くのは八百万(やほよろずの)の、あまたの天使たちです。
歴史上ちょくちょくとこの世に現れ、ゲ−テなどに霊感をあたえたりもしていたという大天使ミカエルとかガブリエルとか。モルモン教をおこさせたというモロニ−という天使だとか。とにかく様々。
これ、神道的な呼称でいえば、大天使ミカエルの大神とかガブリエル大明神とでもなるのか。仏教的に表現すればミカエル天とか、ガブリエル菩薩とか、モロニ−大権現とでもなるのか。
又、神道の中にも、天御中主神といったゴッド的な神様もおられるし、仏教の中でも、密教の大日如来とかはそう。

一神教と多神教の違いは、その神観念の生まれた風土の違いによるものです。砂漠で生まれたのが一神教で、森の中で生まれたのが多神教であるとされています。一つのお山を様々な方面から見て、それぞれの地域の人たちがそれぞれの心の中に感じ取ったものが、それぞれの宗教となったのでしょう。結局、同じこの世の宇宙を見ているのであるから、違うようで、案外、類似点も多いのですね。

そして、それらの宗教は他所へ伝搬し、常に他の宗教とお互いに影響しあいます。現在NHKスペシャルで「地中海世界」の特集を放映していますが、キリスト教が西欧に伝わる際に地中海を経て伝搬しましたが、その際に起こったのが「聖母マリア信仰」ですね。
本来のキリスト教には聖母マリア信仰などなかったのです。地中海に遙か以前からあった海洋の女神ラ・メ−ル信仰が聖母マリア信仰に形を変えたものとされています。布教のための方便として、このように、キリスト教の中にも様々な土着信仰が形を変えて入っています。
いく度かの宗教会議を経てマリア信仰を認めないネストリウス派(景教)が分離したりもしましたし、プロテスタント諸派(新教)も聖母崇拝の観念は薄いです。
つまり、同じ宗教内でも神観念は違ってくる。
神道にもかなりキリスト教的な教派もあるし、仏教も宗派によってかなり違う。真宗などは阿弥陀仏の唱名が第一で、かなりキリスト教的ですね。

そして、信仰する人の取り方によってもかなり違ってくる。
例の大事件を起こした教祖様もたしか仏教徒ですよね。
とにかく、政治の世界の党派とか、さらに派閥だとかといった形態とも非常に似ています。
やはり、人間のやることは同じなのでしょう。それが政治だったり、宗教だったりの違いがあるだけで。


[16] 『もののけ姫』を考える。 投稿者:道開き 投稿日:2001/01/27(Sat) 17:31

「張りつめた弓の 震える弦(つる)よ   月の光にざわめく   お前の心
 研ぎ澄まされた 刃(やいば)の美しい  その切っ先によく似た
 そなたの横顔」

宮崎駿監督の作詞による主題歌の一節です。
これって、我々今の若い者にはちょっと書けない詩ですよね。実にいいですね。昨晩、久しぶりに映画『もののけ姫』をテレビで見ました。そこで、“もののけ”という言葉の意味をひもといてみましょう。

まず、“物の怪”という漢字が当てられています。
“物”、つまり“モノ”という言葉は古代の日本においては“神”という言葉と同義語です。
日本古来の多神教における“神”の概念は、一神教の“ゴッド”とは異なり、“八百万(やおよろず)の神々”と呼ばれるように、アニミズム的自然霊、つまり、海川山野の精霊たちのことをも表します。

つまり、森の中などにいて、木陰に何ものかの気配を感じたりした時
に存在しているであろう“モノ(精霊)”たちが“もののけ”なのです。
仏教が伝えられて以降、“もののけ”=“化け物”、“妖怪”といった図式が、仏教者たちによって造られてしまったのです。仏教に帰依しない“モノ=神”はバケモノとされてしまったのですね。
漫画家の水木しげるさんや、作家の荒俣宏さんなんかは、妖怪が好きで好きでしょうがないそうです。
漢字は後から付けられたものです。ですから“物の怪”は仏教側の言い回しです。本来は“物の気”(神、精霊の気配)が正しいのでしょうね。
仏教そのものも、日本に伝わってかなり神道の影響を受けました。日本仏教は、仏教と神道(神ながら)のあいのこです。

話は元に戻りますが、映画『もののけ姫』に出てくるシャ−マンの
「ヒ−様」は私の好きなキャラクタ−です。そして、カモシカなのかな?「ヤックル」が実にいいですね。そしてやはり、主題歌の歌詞が何とも言えずいいですね。


[15] 明けましておめでとうございます。 投稿者:道開き 投稿日:2001/01/14(Sun) 19:11

本年も宜しくお願いいたします。


[14] 〔13〕陽明学もいいです−−の注意点 投稿者:道開き 投稿日:2000/12/04(Mon) 18:57

まぎらわしくてすみません。
下の記述とか、下記の方法とは〔12〕の書き込みのことです。


[13] 陽明学もいいです−−−− 投稿者:道開き 投稿日:2000/12/01(Fri) 20:20

下の記述のみだけだと、テレビCMの「金の烏龍茶」にでている金色の服を着たおじいさんの様な人ばかりが増えてしまっても、それはそれで困るので、今回は別な考え方(思想)を取り上げてみます。
最近、経済、特に金融業界の再建策として「ハ−ド・ランディング」と「ソフト・ランディング」という二つの、全く逆の方法論が取りざたされています。
下記の方法は、どちらかというと「ソフト・ランディング」的な物の考え方ですね。しかし、人生のある時点においては、起爆力が必要な時も必ずあります。

・「人生唯一度」、長州の暴れん坊、高杉晋作の“座右の銘”です。
  民主党の菅直人さんも戒めにしている言葉だそうです。
・「命短し恋せよおとめ」、黒沢映画の『生きる』に流れた「ゴンド  ラの唄」の歌詞の一節です。
・「人事を尽くして天命を待つ」、誰の言葉か解りません。失礼。

陽明学、中国、明の時代の思想家で、王陽明という思想家の提唱したものの考え方です。朱子学のルネッサンスともいわれています。
「知行合一」、本当の知識は、行いに移せなければ意味をなさない。
そして、「義を見てせざるは勇無きなり」です。

弟子たち数百人と共に、民衆の困窮を見かねて、徳川幕府に立ち向かっていった陽明学者・大塩平八郎が有名です。彼の命がけの決起が、明治維新を早めたとされています。そして幕末の長岡藩の河井継之介、西郷隆盛、吉田松陰なども陽明学の学徒たちです。幕末に、陽明学が隆盛したおかげて明治維新が成功したともいわれています。
「名声や事の成否は二の次で、とにかく、自分の良心に照らしてみて、正しいと思ったことをただ行うべきだというのです。」

最近では、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹を遂げた憂国の作家・三島由紀夫もそうです。「平成」という元号の草案を立てた人物、多くの政治家たちが師と仰いでいるとされる人物、安岡正篤先生が有名です。


[12] 何事も「無理」するのは良くない。・・・本当に。 投稿者:道開き 投稿日:2000/11/13(Mon) 13:21

中国のいにしえの聖人たちは、
天体の運行や、大自然の成り立ちを観察して、
その内にある“理”を探求し、悟り、
それを人間の営み(人倫の道・・・政治、経済、教育etc.)
にあてはめるように努力しました。
よって、
       「聖人は、天の理に従い事を成し、
            小人は理に逆らい、やがて危うし」
とされてきました。   

これって、かなり意味の深い言葉ですよね。
つまり、“無理”に事を押し進めると、その時は良いように見えても
、やがては危うい状態になってしまう。
フィットしないものを無理矢理に、接合しようとすると、
その場では、何とか合体したように見えても、やがては、破綻してしまう。

環境破壊、薬害問題、・・・そういった現代の多くの問題は、どちらかというと、近代の西洋的な物の考え方から起こっていますよね。
ホリスティック(全体的)で、長いスパンで物事をとらえるのは「東洋の知恵」です。
個人主義的な、利益追求型の競争社会は、人類にとって、かなり危ういものをはらんでいます。

「信仰無き知恵は、悪魔の知恵なり」

ある易道の先生が語っていた言葉です。
これも、意味の深い言葉ですよね。
現在の、人類が遭遇している多くの問題は、全く持ってここから起こっていますよね。


[11] 世に言う「正しい神憑り」とはこういう事ではなかろうか・・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2000/10/30(Mon) 12:03

庖丁(ほうてい)の話   −荘子より−

「武道・スポ−ツ・学芸他習い事をしている人にとって為になる話です。」

ある時、名料理人の庖丁が、梁(魏)の恵王の前で牛一頭をさいてみせた。
庖丁が牛の体に手をかけて肩に力をこめ、足の位置をきめ、ひざで牛をおさえたかと思うと、みるみる肉が骨を離れていく。あざやかな刀さばきはリズムにのって、まるで「桑林の舞」や「経首の会(しらべ)をほうふつさせる。
「おお、みごと、まさに神技じゃ」
恵王は思わず感嘆の声を放った。
庖丁はそれを聞くと、つと刀をおいて恵王の方に向きなおった。

「恐れながら、ご覧頂きましたのは技ではありません。技をきわめた果てにあるものと申せましょうか、道でございます。昔この仕事についた当座は、目にうつるものは牛の外形でした。三年ほどたつ内に、牛の外形は消え失せ、骨や筋(すじ)が見えるようになりました。今ではもう肉眼に頼ることはいたしません。牛に向かうと心が動きます。すでに感覚は働きを止めて、心だけが活発に働き出すのです。その後は、自然の摂理に従うだけです。牛の体に自然に備わっているすきますきまを切り裂いてゆく、ですから、大きな骨はもちろん、筋や
肉が骨と絡みあっている部分でも刃こぼれすることはありません。
普通の料理人は月に一度、刀を替えますし、腕ききでも年に一度は取り替えます。骨にぶっつけて折ってしまったり、長く使っている内に
刃こぼれができるからです。ところがこの刀をごらんください。十九年も使い込んだものです。もう数千頭の牛をさきましたが、いまだに新品同様です。
というのも、骨筋にすき間があり、刀の刃には厚さがない。厚さがないものをすき間に入れるのですから悠々たるもの、ゆとりは充分あります。ですからいくら使っても刃こぼれ一つ無いのです。
しかし、そうはいっても、筋や骨の絡みあっている最後の難所にさしかかると、ここだという気持ちでギュッと緊張します。目は一点にとどまり、動作はしだいににぶって、我ながら、刀が動いているのかどうか解らぬ程になります。やがてバサリと音がしたかと思うと、肉全体が土くれのように骨からはがれ落ちる。ほっと緊張がゆるむ。私は
刀をひっさげて立ち上がり、思わずあたりを見回してしまいます。何とも言えない充実感が腹の底から沸き上がって、しばらくはその場を離れることは出来ません。やがて冷静に帰ってから、丁寧に刀をぬぐってサヤにおさめるのです。」
恵王は感動して言った。
「それを聞いて、私は生を全うする道を悟った」


[10] 「ワクワク、ウキウキと生きる。」 投稿者:道開き 投稿日:2000/10/11(Wed) 17:29

現代の混迷する世の中、多くの人たちが情報過多に陥って、
どの様な心で生きていけばよいのか判らないという問い合わせが
非常に多いです。
私としては、当HPに載せている「開運の三箇条」、「インディアンの四つの教訓」に尽きると思いますが、
もっと簡単に言ってしまえば、何事に対しても、
      「ワクワク、ウキウキと生きる。」
世界各地のシャ−マンたちの共通した教えです。
これは実に奥の深い言葉だと思います。
いわゆる“神心”で生きるということですね。


[9] 外国では、名画は“神様の視点”から描かれます・・・ 投稿者:道開き 投稿日:2000/09/23(Sat) 16:23

こんにちは。
オウO信者は悪くない。信仰的に純粋な人たちです。悪いのは麻Oです。
日本人がどうして現在の様な、無宗教者の集まりになってしまったかというと、それには理由があります。
戦前における国家神道が、日本を第二次世界大戦へと向かわせる危険な原動力になったのだということで、占領軍本部(GHQ)より「神道指令」というものが発令され、日本の国家と神道、神社との分断がなされました。さらに、日本人みずからも、公的な領域から宗教色を一掃してしまいました。
そのやりすぎが、逆に、現在のような宗教心のかけらもない、残忍な行いを平気でする青少年を育む結果となってしまいました。その子らの親たちだって戦後育ちの人たちですから、かなり、宗教的倫理観の薄い人たちに思われます。
テレビの「そこがへんだよ日本人」という番組なんか観ていますと、外人の人たちの方がよっぽど日本の伝統文化を高く評価していますし、日本人の宗教心の薄さが、彼らの目には奇異に映る様です。

最近、ダイヤモンド社から出た本で、著名な宗教学者・山折哲雄氏の監修による『知のBasicシリ−ズ・3日でわかる宗教』という、実に世界中の宗教が理解しやすくまとまっている本があります。読んでみて下さい。単価1,500円です。人間とは本来、「宗教的動物」であるということが簡単に理解できることでしょう。

外国に行って、信仰している宗教は何ですかと問われた際に、「自分は無宗教だと答えることは、自分はテロリストだと言っていることに等しい」そうです。
また、外国では、よい映画というのは「神の視点から描かれている」といわれております。“タイタニック”、“アポロ13”、“シンドラ−のリスト”・・・

よって、まりさんは間違っていないと思います。悪いのは現在の日本の宗教的土壌です。つまり、われわれ伝統的宗教者の脆弱さが最もよくないと考えられます。今後、かなりの困難が予想されますが、頑張って行くつもりです。それが、我々に課せられた神様からの使命であると考えております。
まりさんの場合は、「自分は、他の人たちよりも、神様を身近に感じることが出来て幸いだ」と思っていればよいと考えられます。どうか、様々な方面に頑張って行って下さい。それでは。


[8] 無題 投稿者:まり 投稿日:2000/09/23(Sat) 03:51

こんばんは。
今日、少し酔っ払って友達と「神社とかに行くと何か他の場所と違う感じってあるよね。神様っているような感じがするよね」と話していました。それで、「そういうのはわからない」といっている子ももちろんいて、私は思わず「なんで感じる人と感じない人がいるのかなあ」と言うと別の子が「そういうこと言う奴がオウ○になるんだ」と私に言いました。
私は悲しくて、もう絶対こういうことを口にするものかと決めました。やっぱり、宗教的なものは人に話すべきではないのでしょうか。
ほんとに、危険な人だと思われてしまうのですね。悲しいです。


[7] 滝に打たれましょう 投稿者:道開き 投稿日:2000/09/20(Wed) 08:04

先日、テレビを観ていましたら、デビ婦人が奥飛騨の山奥にある神社の滝に打たれている様子が放映されておりました。
何か、余りよい印象が持てませんでした。
滝行は、行法の中でも最も優れていると言われておりますが、危険も伴います。デビ婦人もコメントしておりましたが、水の衝撃はすごいです。
例えるならば、神様へとつながる右脳宇宙に旅立つスペ−スシャトルが大気圏を抜け出す際に、どうしても受けなければならない衝撃のようなものとでも言ったら解りやすいでしょうか。
とにかく、霊的バランスを整えるには最良の行法です。但し、霊能開発といったようなことは考えない法が無難です。そんなことを考えながら行に取り組むと、行者霊のようなものに取り憑かれ、行者地獄とでもいった状態に引き込まれてしまいますよ。
行を積むにしても、我欲のチャンネルを使わずに、神様へと繋がるようなチャンネルを合わせながら行を積みましょう。
そうすれば、それなりの素晴らしい行となることでしょう。
それでは。


[6] ご無沙汰してます。 投稿者:斎田萬蔵 投稿日:2000/09/20(Wed) 04:22

こんばんは、お久しぶりです。
前回の禊いらいですから随分ご無沙汰してました。
お陰様で仕事の方も順調です。先生にはいろいろと感謝しております。
朝晩の風も涼しくしのぎやすい季節になり、過ぎた夏の日がとても懐かしく遠い昔の思い出のような感じ
がします。
爽やかな秋空のもとで禊をしたらさ清々しいことでしょう。
次回の禊には参加したいと思いますのでぜひ連絡下さい。
お待ちしてます。

秋はお祭りなどで先生もお忙しいことと思います。健康に気おつけて頑張って下さい。
それでは。



[5] 現代人の宗教心の無さは、実に遺憾です。 投稿者:道開き 投稿日:2000/08/26(Sat) 20:45

どうしても、宗教は、神とか、心とか、目に見えないモノを対象としておりますから、物、金を第一とする唯物的考え方が蔓延する今の時代に育った人たちから見れば、「怪しい」ものと思われてしまうのでしょう。
私としては、そのような方々に対して、逆に、「あなたはいつたい何者ですか?物なのですか?・・・・・宇宙の仕組みとか、人の体の仕組みといったものは全くもって単なる偶然の産物なのですか?」と問いたいです。
でも、そう言っている人たちも、案外、自分の力ではどうすることもできない大きな力とか、どこからともなくやってくるインスピレ−ション(霊感)のようなものを感じているものですよ。
人によっては、ハツキリと神様からの助力として意識している人もいるし、ご先祖様の導きとか、死んだおばあちゃんの守りと考えていることもあります。
実際に、特にミュ−ジシャン等の創作的な仕事や、発明等をしている人たちに多いのですが、政界、財界で活躍している人でも、かなり目には見えないところからの力を受けて、インスピレ−ション(霊感)を受けて、“神憑かり”的にこの世の仕事に励んでいると思われます。
但し、その志が歪んだものだと、禍神(まががみ)とチャンネルが合ってしまい、その虜となり、やがてはその手先となって、ヒトラ−や、麻原彰光のようなことをしでかすのではないでしょうか。
やはり、問題なのは、その人の志が、我欲を満たすためのものなのか、世の為人の為といった、社会的な公のためのものなのかにあると思われます。
結局は、“占いについての話”のところに載せてあります「開運への三箇条」に繋がっていくのではないでしょうか。


[4] 今夜も来ちゃいました。 投稿者:まり 投稿日:2000/08/25(Fri) 23:39

こんばんは。今夜も来てしまいました。
最近、「神道に興味がある」と周りの人に言うと「怪しい人」のように思われ、というか「やばい」とか言われてしまうので、なんだか人に言うのが嫌になってきてしまいました。別に変に周りの人に怪しげな宗教を広めようとしているわけではないのになんだか悲しいです。これ以上書くとなんだかエスカレートしそうなので続きはまた今度メールにでも書かせていただきます。それでは。


[3] すてきなお参りをしてきて下さい 投稿者:道開き 投稿日:2000/08/25(Fri) 18:41

まりさん、こんにちは。
この四月に出雲大社の境内で、神殿遺跡の巨大柱が出土して、新聞等をにぎわしております。
私も、四年ほど前に行って見て来ました青森の三内丸山遺跡の、神殿跡とされる柱穴と同じ様なモノなのでしょう。
嗚呼。謎の古代氏族、天孫族、そして、出雲族。彼らはどこから来て、どの様な道をたどって日本にやってきたのでしょう。
出雲族は「イワクラ」という巨石を、神の降臨したもうところとして定住性の強い神祭りをおこなっていました。
天孫族は、北方系民族で、シャ−マニズムを得意とする氏族で、「ヒモロギ」と呼ばれる樹木の枝を、神の依り代(ヨリシロ)として、移動性の強い神祭りをおこなっておりました。
神社では、大きな石や、御神木の両方を見ることが出来ますね。これらは、神の依り代(ヨリシロ)である御神体(ゴシンタイ)のル−ツでもあるのです。
そして、仏教の影響により、御神体を覆うための社殿というのが出来上がって、今日に至っているのです。
どうか、伊勢神宮、出雲大社のご神前で、いい意味での“神憑かり”
体験をしてみて下さい。高級な神様とのチャネリングは細微であり、
低級霊とのチヤネリングとは異なり、「どったん、ばったん」は有りません。つまり、逆に言えば、世の人たちを驚かせるような大言壮語を吐いたり、又は、超常現象といったものをおこしたりするものの殆どは低級なモノたちです。
一応、参拝の仕方をお教えします。心の中で、

「何々神社の大神さま」
「祓い(はらい)たまい、清めたまえ」
「守りたまい、幸(さき)わえたまえ」

これを何度でも繰り返し、その後で、何らかの願い事が有ればしてみたらよいと思います。

案外、ただ神社の境内に身を置いただけでも、気持ちがよくなるものです。

まりさん。どうかよいお参りをしてきて下さい。それでは。


[2] おひさしぶりです。 投稿者:まり 投稿日:2000/08/24(Thu) 23:45

まりです。お久しぶりです。
9月に、伊勢神宮と出雲大社の両方をお参りする旅行に行ってきます。お伊勢様は3回目ですが、また何か新しい発見があればいいなと思っています。
帰ってきたら、またご報告します。


[1] “お知らせ” 投稿者:道開き 投稿日:2000/08/19(Sat) 10:16

本日より、掲示板をCGIプログラムに設定しました。
このシステムだと、掲示板に通しNO.が付き、大変便利になります。
これからも、どしどし、質問・ご意見を書き込んで下さいね。
尚、これまでの書き込みは
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