県内の某稲荷神社社報のコラムに書かれていた國學院大學の石井研二教授の一文を目にしましたところ、この世代について危惧されることが書かれていました。
1959 年〜1964年の時期に生まれた、女性世代。バブル期に青春を謳歌でき、いわゆる「女子大生ブーム」の担い手だった世代で、「ぶりっこ」とか「新人類」という言葉が使われた世代。「軽薄短小」高度消費社会の申し子で、彼女たちのバイブルが『Hanako』という雑誌だったことによるネーミング。私も、その世代の中に納まる男性の一人です。
「伝統文化の継承」について語られる際に、必ずといって取り上げられるのが、戦後まもない時期に大量に生まれ、高度経済成長期に青年期を過ごした“団塊(だんかい)の世代”です。
Tシャツにジーンズ、女性はミニスカート、そして、GS(グループサウンズ)に熱狂し、フォークソングがブームとなっていた世代です。
われわれ“ハナコ世代”(以後、男女混合の立場で使用)は、子供の頃に、“団塊の世代”の過激行動をテレビで何となく見ていました。大学紛争のニュース映像を見ながら、よく親たちが「最近の若い奴らは、大学生のくせに、勉強もしないでこんなまねばかりして・・・・」と言っているのを、さんざんと言うほどに耳にしていました。
しかし、古くからの日本の伝統を引き継いできた明治・大正生まれの親たちと激しくぶつかり合っていた“団塊の世代”の方達は、何だかんだ言っても、親の世代からの影響は強く受けていたようです。敗戦により戦前の国家体制は終わりを告げていましたが、戦前派バリバリの祖父母、父母に育てられ、戦後まもなくの大変な時期に幼少期を送っていたからです。
ところが、戦後からの儀礼や信仰のあり方の変化を見ると、バブル期に青年時代を過ごした“ハナコ世代”こそが、その後の大きな変化の先駆けであり、“団塊ジュニア”たちに方向性を指し示したようだと言うのです。・・・・“団塊の世代”に比べると余り目立ちませんが。
「普通の家庭の食卓」を調査した岩村暢子によると、現在、元旦におせち料理を作ったり食べたりしない世帯が三割に及んでいるという。(『普通の家族がいちばん怖い』新潮社)その中心は“ハナコ世代”の主婦たちなのだそうです。
彼女たちは「おせち料理は作るのも食べるのも嫌いですから、作る気も買う気もありません」「おせち料理は実家に帰って食べるもの。私は作らない物っていう感覚」と言い放つそうです。
「他との差別化」、「個性の表現」といったことがこの世代の顕著な特質なのだとのこと。
★★★
確かに、自分について考えてみても、物心のついた時には既に、『鉄人28号』や『鉄腕アトム』などのテレビアニメに夢中になっていました。
(小学校に入学する前に、親に連れられ初めて東京にいった際には、新宿あたりの本屋で『鉄人28号』の絵本を見つけ、どうしても欲しくて、欲しくて仕方が無く、泣きながら抵抗運動を試みたことを今でも憶えています。家の中の襖という襖、壁という壁を、『鉄人28号』と『鉄腕アトム』の落書きでいっぱいにしていました)
小学校に入るやいなや、『ウルトラマン』シリーズが始まり、「怪獣図鑑」で怪獣の名や、体重、体長などといったものを必死になって憶えたものでした。その後、少年雑誌で「スポーツ根性もの」と呼ばれる劇画が始まり、『巨人の星』や『アタックNO.1』に夢中になりました。何とかして“大リーグボール養成ギプス”を一度は身に着けてみたいと考えたものでした。
中学に入るや『仮面ライダー』シリーズが始まり、『スター誕生』が火を付けた“アイドル・ブーム”が到来しました。「同年代の山口百恵や、桜田淳子なんかよりも、お姉さまたちの天地真理さんや、麻丘めぐみさんの方が遙かに素敵だ」と憧れを抱いたものでした。
そして、青年期の「アメリカ崇拝と日本軽視」。どこの映画館に行ってもハリウッド映画ばかりが上映されていましたから、当然その様に洗脳されてしまったのでした。スクリーン上のアメリカン・ヒーロー達にただただ憧れを抱くばかりでした。
その当時は、「伝統文化の継承」といったことは、学校でも、テレビでも、地域社会でさえも、あまり重要視されていなかったように思われます。高校時代には、授業のたびに日本と天皇陛下の悪口ばかりを口にする世界史の先生もいました。情けないことに、その世界史が私の最も好きな科目でした。これも洋画の影響によるもの。
そして、「科学、科学、科学・・・」で、「科学こそが未来を明るく照らし出すもの」「科学が発達すれば人類は幸せになれる」といった感がありました。「その先頭を走り、世界をリードする役目を負っているのがアメリカ」なのだと考えていました。
“ハナコ世代”は“団塊の世代”のように古い世代の方達とぶつかり合うこともなく、ごくごく自然の内に、全くのノー・マーク独走態勢で、「伝統は変えていくべきもの」といった風に捉えていたような気がします。
私的に考えてみますと、“伝統的信仰心”とは異なりますが、「宮崎アニメ」を観たりして育っている分、“団塊ジュニア”たちの方が“ハナコ世代”に比べて信仰心はあるように思えます。しかし、「文化破壊」の傾向については、我々の世代よりもさらに強まっているように思われるのも確かです。
かえって、今の10代、20代の人たちの方が、学校で伝統文化の大切さを教えられたようで、「伝統文化の継承」の気持ちを、よりしっかりと持っているようです。
自分の場合、この“アメリカの呪縛“から抜け出すきっかけとなったのは、大学に入ってすぐに読んだ、司馬遼太郎の歴史小説でした。特に、『龍馬がゆく』です。幕末・明治期の日本人の“崇高さ”、“気骨”といったものを知り、「何だ、アメリカのヒーロー達よりも、もっともっと魅力的で、凄い人たちが、この日本には大勢いたのではないか」と思えたのでした。
かといって、「いいものはいい」といった“温故知新”の感性はそれなりに持ち続けていました。(憧れの坂本龍馬自身も、かなりの新しい物好きでした。袴の下には下駄や草履のかわりにブーツを履き、北辰一刀流の免許皆伝を受け、千葉道場の塾頭を務めた腕前を持ちながら、刀の変わりに懐には常にピストルを持ち歩いていた程です)
例えば、県内某神社に数年間奉職していた頃の話です。毎年、師走からお正月に掛けての超多忙な時期に、ちょうどクリスマスがやって来ます。その頃の街の雰囲気が好きで、“ミスター・ボイス”ことビング・クロスビーの「クリスマス・ソング」を、夜遅くに職舎に戻ってからゆっくりと聴くのがたまらなく好きでした。これは現在でも「my年中行事」になっています。
★★★
当時は、バブル期の真っ只中で、仕事なんて有り余るほどにあるもの、自由にいくらでも選べるものと考えていました。その狂乱バブルもやがては崩壊してしまいました。
“四川大地震”や“スマトラ沖大津波”などは、被害状況が映像によって映し出されたりもしていますが、“日本のバブル崩壊”は、映像によって映し出すことが出来ません。死者の数とか、破壊された家庭の数とかは、それらの自然災害を遙かに凌ぐものとなっているようです。
しかし、多くの日本人の目が、この“バブル崩壊”によって覚めたのも確かな事実です。経済のみならず、精神生活そのものも極めてバブルだったのだということに気づき始めたようです。歴史・伝統の上に立脚していない、つまり、地に根を張りめぐらしていない、まるで泡沫(うたかた)のような、砂上に楼閣を築くようなやり方で、「新たなる文化」の創造を追い求めてきたのではなかろうかと。
「チャンスの中にピンチあり」で、
私の学生時代には、日本の奇跡的な戦後復興を支えたのが“優秀な官僚機構”だということが書かれていた『ジャパン・アズ・NO.1』といった本がベスト・セラーになっていました。現在、その官僚機構こそが、日本の国家を治りにくい慢性病状態にしている感が否めません。
逆も真なりで、「ピンチの中にチャンスあり」。有珠山の噴火によって洞爺湖が水質汚染から甦ったように。・・・“オイルショック”により日本の「省エネ技術」が世界一に磨かれたように。・・・更には、その日本を参考にしてドイツが「自然エネルギー技術」を発展させたように。・・・・・・
この“バブル崩壊”こそが、“敗戦のショック”により失い掛けていた、古人が長い年月を掛けて培ってきて「精神文化」の甦り(よみがえり)を日本にもたらすことになるのではないかと期待しているのです。
日本は、地下資源の乏しい国であり、“人的資源”のみが頼りなのです。現在の社会状況をみるにつけ、「正しい教育」「正しい精神文化の継承」によってのみ、今後の明るい未来が開け、世の中の乱れが治まって行くものと考えられます。
歪んだ偏向教育をそのまま放置しておくと、“立派な”日本人どころか、学校や病院に限らず、日本中のここかしこで非道な振る舞いを繰り返す“モンスターな”日本人ばかりが増殖してしまいそうだからです。
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