下の書き込み[55]に続きます。
●新(あらた)しき 年の初めの 初春の
今日降る雪の いや頻(し)け吉事(よごと)
『万葉集』全4,516首の最後を締めくくる大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌です。家持は『万葉集』の最終的編集者ではないかともされているようです。
「旧暦の元旦と立春が重なる年は19年毎に巡って来るが、この年はそういっためでたい年であり、豊年の瑞兆(ずいちょう)である雪も降っている。ますます吉事よ重なって行け」
といった内容の歌で、今後の未来を祝福した歌で締めくくっています。
「めでたい言葉を発すると吉事が起こってくる」という“言霊(ことだま)信仰”が基になっています。
今年の元旦に、NHKのBS-hiで「万葉集への招待」という三時間枠の番組が放送され、『万葉集』の面白さを十二分に堪能させていただきました。視聴者による人気ベスト10だとかいった試みも楽しかったし、歌の詠まれた現場のハイビジョン映像も素晴らしかったです。これほど楽しく『万葉集』にふれられるなんて想像もしておりませんでした。
有名な恋の歌や死者を悼む歌、自然を喜ぶ歌のみならず、今で言うところのナンセンス・ソングだとか、酒を讃える人生の哀歌だとか、東国から九州に赴いた防人(さきもり)の母を思う歌だとか、実に多種多様な歌が集められていること知りました。・・・・中には、「地方に単身赴任している夫の浮気の現場へ、都から妻が早馬を里中に轟かして乗り込んできた」というかなり危ない歌(大伴家持の作で、部下を戒めた歌らしいのだが、かなりのユーモア・センスの持ち主だったことが窺えます)なども紹介されたりしました。
学校で教わる古典文学としての『万葉集』は、格調高いものとして必要以上に権威付けをしてしまったり、文法にこだわりすぎたりしているようにも思われます。そうすると、和歌そのものが持つ生気のようなものが伝わってこなくなるし、古めかしい堅苦しいものにしてしまうことにも成りかねません。和歌の伝統を発展させて行くのも衰退させてしまうのも、その捉え方、取り上げ方一つによるのではとも考えられるのです。
文明の利器を活用して映像と共に和歌を味わえれば、若い人達もイメージを膨らませることもでき、さらなる興味が湧いてくるのではとも考えられました。
やはりここでも大切になってくるのは、関わった人の“温故知新のバランス感覚“ということになるのでしよう。
|
|
|
|