告!!!!!
2002/12/03(Tue)
※こちらのメニュ-は大きく下の四つに分けられます。どうぞご自由にコピ-なり、加工なりして御活用ください。
[1]『暦』の成り立ち《概要》
[2]正月行事
[3]“五節句”その他の「年中行事」
[4]「人生儀礼」と「長寿の祝い」あれこれ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《内容の詳細》
[1]『暦』の成り立ち《概要》
A【暦に用いられる用語】
①暦法(・太陰暦・太陰太陽暦・太陽暦)
②二十四節気
「小寒」「大寒」「立春」「雨水」「啓蟄」「春分」「清明」「穀雨」
「立夏」「小満」「芒種」「夏至」「小暑」「大暑」「立秋」「処暑」
「白露」「秋分」「寒路」「霜降」「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」
③七十二候 ④六曜 ⑤七曜星 ⑥十二直 ⑦二十八宿
⑧雑節
「節分」「彼岸」「社日」「八十八夜」「入梅」「半夏生」「土用」
「二百十日」「二百二十日」
⑨選日
「八専」「十方暮」「不成就日」「天一天上」「三隣」「三伏」「一粒万倍日」
「大土」「小土」「天赦日」「臘日」
B【運勢盤、家相盤、方位盤等を読み解く為に必要な基礎知識】
①陰陽説〈→八卦(はっけ)〉 ②五行説 ③十干 ④十二支
⑤六十干支 ⑥河図と洛書 ⑧運勢盤(・九星の種類 ・遁甲
・後天定位盤) ⑨総合表 ⑩神殺・方殺
――――――――――――――――――――――――――――
[2]正月行事
「恵方参り」「松の内」「七草粥」「小正月」「節分」「旧正月」
――――――――――――――――――――――――――――
[3]“五節句”その他の「年中行事」
「初午」「上巳」「端午の節句」「七夕」「お盆」「中元」
「中秋の名月」「重陽の節句」「お九日(おくんち)」「九月十三夜」「七五三」
――――――――――――――――――――――――――――
[4]「人生儀礼」と「長寿の祝い」あれこれ
「帯祝い(着帯祝い)」「お宮参り」「お食い初め」
「還暦」「古希」「喜寿」「傘寿」「半寿」「米寿」「白寿」「上寿」
[1]『暦』の成り立ち《概要》
[2]正月行事
[3]“五節句”その他の「年中行事」
[4]「人生儀礼」と「長寿の祝い」あれこれ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《内容の詳細》
[1]『暦』の成り立ち《概要》
A【暦に用いられる用語】
①暦法(・太陰暦・太陰太陽暦・太陽暦)
②二十四節気
「小寒」「大寒」「立春」「雨水」「啓蟄」「春分」「清明」「穀雨」
「立夏」「小満」「芒種」「夏至」「小暑」「大暑」「立秋」「処暑」
「白露」「秋分」「寒路」「霜降」「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」
③七十二候 ④六曜 ⑤七曜星 ⑥十二直 ⑦二十八宿
⑧雑節
「節分」「彼岸」「社日」「八十八夜」「入梅」「半夏生」「土用」
「二百十日」「二百二十日」
⑨選日
「八専」「十方暮」「不成就日」「天一天上」「三隣」「三伏」「一粒万倍日」
「大土」「小土」「天赦日」「臘日」
B【運勢盤、家相盤、方位盤等を読み解く為に必要な基礎知識】
①陰陽説〈→八卦(はっけ)〉 ②五行説 ③十干 ④十二支
⑤六十干支 ⑥河図と洛書 ⑧運勢盤(・九星の種類 ・遁甲
・後天定位盤) ⑨総合表 ⑩神殺・方殺
――――――――――――――――――――――――――――
[2]正月行事
「恵方参り」「松の内」「七草粥」「小正月」「節分」「旧正月」
――――――――――――――――――――――――――――
[3]“五節句”その他の「年中行事」
「初午」「上巳」「端午の節句」「七夕」「お盆」「中元」
「中秋の名月」「重陽の節句」「お九日(おくんち)」「九月十三夜」「七五三」
――――――――――――――――――――――――――――
[4]「人生儀礼」と「長寿の祝い」あれこれ
「帯祝い(着帯祝い)」「お宮参り」「お食い初め」
「還暦」「古希」「喜寿」「傘寿」「半寿」「米寿」「白寿」「上寿」
道開き at 2002/12/03(Tue) 21:25
「人生儀礼」と「長寿の祝い」あれこれ
2002/12/03(Tue)
●帯祝い(着帯祝い)
胎児の無事と成長を祈り、妊娠の安産を祈る儀礼。妊娠五ヶ月ころの戌(いぬ)の日に、さらし木綿か白い綿ネルを長さ七尺五寸 三分(七五三にちなむ)に裁ち、端に紅で寿の字を書いて半分に折り、折り目を下にして妊娠の下腹に巻く。これを“岩田帯(いわたおび)”という。なぜ戌の 日に行うかというと、犬は安産とされていて、それにあやかるためであるらしい。
●お宮参り
生まれた子どもの長寿と健康を祈る行事。男子は三十一日目、女子は三十三日目に産土神(うぶすながみ)に参詣する。かつては子どもを氏子として認めてもらう意味もあったが、現在では地元というより有名社寺に参拝し、わが子の幸せを祈る儀式になっているようでもある。
●お食い初め
生後120日目の赤ちゃんに、食膳を用意し、食べさせるまねをする。歯がはえるほどに成長したことを喜び、一生食べ物に不自由しないように祈る。
●還暦(かんれき)
数 え年六十一歳のお祝い。六十年で干支が一巡し、生まれた年と同じ干支に還ることからこの名がある。「赤い頭巾」に「ちゃんちゃんこ」を贈って祝う習慣は、 六十年巡って赤ん坊にかえるという意味で、昔は六十歳は隠居年齢にされていたが現在では必ずしもあてはまらないようである。
●古希(こき)
数え年七十歳のお祝い。唐の詩人、杜甫の『曲江詩』の有名な一節「人生七十古来 稀」からこの名がある。祝い方は時代や地域によってさまざまである。
●喜寿(きじゅ)
数え年七十七歳のお祝い。「喜」の字を草書体で書くと「七十七」に見えることからこの名がある。起源は室町時代といわれている。
●傘寿(さんじゅ)
数え年八十歳のお祝い。「傘」の略字が「八十」の文字と似ていることからこの名がある。
●半寿(はんじゅ)
数え年八十一歳のお祝い。八十一を組み合わせると「半」の字になることからこの名がある。
●米寿(べいじゅ)
数え年八十八歳のお祝い。「米」の字を分解すると八十八になることからこの名がある。「こめの字の祝い」「よねの祝い」などともいう。
●白寿(はくじゅ)
数え年九十九歳のお祝い。「百」の字の上部の一を取り除くと「白」(百マイナス一は九十九)になることからこの名がある。
●上寿(じょうじゅ)
数え年100歳のお祝い。上寿はもともと寿命の長いことをさす。長寿を上・中・下と三つに分けたうちのひとつ。下寿は六〇歳(または八〇歳)、中寿は八〇歳(または100歳)、上寿は100歳(または120歳)をいう。
胎児の無事と成長を祈り、妊娠の安産を祈る儀礼。妊娠五ヶ月ころの戌(いぬ)の日に、さらし木綿か白い綿ネルを長さ七尺五寸 三分(七五三にちなむ)に裁ち、端に紅で寿の字を書いて半分に折り、折り目を下にして妊娠の下腹に巻く。これを“岩田帯(いわたおび)”という。なぜ戌の 日に行うかというと、犬は安産とされていて、それにあやかるためであるらしい。
●お宮参り
生まれた子どもの長寿と健康を祈る行事。男子は三十一日目、女子は三十三日目に産土神(うぶすながみ)に参詣する。かつては子どもを氏子として認めてもらう意味もあったが、現在では地元というより有名社寺に参拝し、わが子の幸せを祈る儀式になっているようでもある。
●お食い初め
生後120日目の赤ちゃんに、食膳を用意し、食べさせるまねをする。歯がはえるほどに成長したことを喜び、一生食べ物に不自由しないように祈る。
●還暦(かんれき)
数 え年六十一歳のお祝い。六十年で干支が一巡し、生まれた年と同じ干支に還ることからこの名がある。「赤い頭巾」に「ちゃんちゃんこ」を贈って祝う習慣は、 六十年巡って赤ん坊にかえるという意味で、昔は六十歳は隠居年齢にされていたが現在では必ずしもあてはまらないようである。
●古希(こき)
数え年七十歳のお祝い。唐の詩人、杜甫の『曲江詩』の有名な一節「人生七十古来 稀」からこの名がある。祝い方は時代や地域によってさまざまである。
●喜寿(きじゅ)
数え年七十七歳のお祝い。「喜」の字を草書体で書くと「七十七」に見えることからこの名がある。起源は室町時代といわれている。
●傘寿(さんじゅ)
数え年八十歳のお祝い。「傘」の略字が「八十」の文字と似ていることからこの名がある。
●半寿(はんじゅ)
数え年八十一歳のお祝い。八十一を組み合わせると「半」の字になることからこの名がある。
●米寿(べいじゅ)
数え年八十八歳のお祝い。「米」の字を分解すると八十八になることからこの名がある。「こめの字の祝い」「よねの祝い」などともいう。
●白寿(はくじゅ)
数え年九十九歳のお祝い。「百」の字の上部の一を取り除くと「白」(百マイナス一は九十九)になることからこの名がある。
●上寿(じょうじゅ)
数え年100歳のお祝い。上寿はもともと寿命の長いことをさす。長寿を上・中・下と三つに分けたうちのひとつ。下寿は六〇歳(または八〇歳)、中寿は八〇歳(または100歳)、上寿は100歳(または120歳)をいう。
道開き at 2002/12/03(Tue) 21:20
“五節句”その他の「年中行事」
2002/12/03(Tue)
●初午(はつうま)
二月最初の午の日で、この日に稲荷神をまつる。各地の稲荷神社や屋敷内の小さな祠(ほこら)などに旗を立て、稲荷神の神使・お狐さまの好物の油揚げなどを供える。
旧暦の二月ころは田畑を耕し始める時期に当たっていて、農耕の神とされた稲荷神を農事のはじめにまつったわけである。しかし、太陽暦の二月上旬は、農事のはじめには少々早すぎるため、他の行事は太陽暦で行っても、初午だけは月遅れで催している地方もある。
●上巳(じょうし)
五節句のひとつで、“雛祭(ひなまつり)”や“桃の節句”とも呼ばれ、三月三日に固定されているが、古代中国では三月の最初の巳の日に行事が行われたことからこの名がある。
古代中国ではこの日、川で身を清め、不浄をはらう習慣があった。その習慣が平安時代にとり入れられ、宮中では「曲水の宴」催されるようになった。この宴 は、川辺に並んで座り、酒を入れた盃が流れつくまでのあいだに漢詩や和歌を詠まないと、罰としてその盃の酒を飲まなければならないというもの。本格的な農 耕に先立って、水をまつることがこの日の起源となっているらしい。
また、この日、紙でつくった人形(ひとかた)にケガレを撫でつけて不浄をはらい、川に流すという行事があり、これが「流し雛(ひな)」の習慣として今も各地に残っている。
さらに、愛玩用の人形を飾る風習が次第に盛んになり、雛人形が飾られるようになった。江戸時代半ば過ぎには、雛人形はさらに立派ものとなり、雛壇にかざられるようになったという。
この日の飾り物が桃の花であることから“桃の節句”とも呼ばれているのはご存じのことと思われる。
●端午の節句
五節句のひとつで、古代中国の太初暦(紀元前104年)以降、二十四節気の起点は「冬至」に置かれ、五月は午(うま)の月となる。したがって、五月の端午 (月初めの午の日)は、午が重なるめでたい日であり、午(ご)は五に通じるために、五月五日が“端午の節句”の日とされた。
古代中国では、この 日は「薬狩り」の日であり、「菖蒲(しょうぶ)酒」を飲んで邪気を払う行事もおこなわれた。菖蒲は「尚武(しょうぶ)」に通じることなどから“尚武の節句 ”とするようになった。“男子の節句”とされ、雛人形にならって武者人形などが飾られるようになった。“鯉のぼり”は中国の故事「鯉は竜門の滝をのぼって 竜となる」により、立身出世を祈ることから来ているという。
●七夕
もともとは五節句のひとつで「しちせき」と読みました。旧暦の七月七日の夜に行う行事で、「七夕祭」「星祭」ともいう。
一年に一度、七月七日の夜にだけ織姫(織女・しょくじょ)と彦星(牽牛・けんぎゅう)が天の川をはさんで逢瀬を楽しむことができるお話は、中国の古い伝説です。
もうひとつ、「乞巧奠(きこうでん)」といって、やはり七月七日の夜に、女子が習字や裁縫、手芸、音楽などが上達するように祈る、中国の古い風習も伝わっ てきて、七夕の行事が行われるようになりました。江戸時代、笹竹を切ってきて門口に立て、さまざまな願い事を書いた短冊を下げるようになりました。七夕と いえば「そうめん」がつきものでした。
●お盆
正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」、あるいは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、古代インドのサンスクリット語で、“さかさ吊り”を意味する「ウランバナ」を語源としています。
これは、亡き母が地獄でさかさ吊りの苦しみに逢っていることを知った釈迦の弟子のひとりが、供養をしてその苦しみから母を救ったという話にもとづいている。
しかし、日本では、正月から半年後の旧暦の七月の満月のころ、祖先の霊がたずねてくるという信仰はもともとあったようです。
現在では「旧盆(旧暦の盆)」ではなく新暦の「月遅れ盆」で行っているところが多くなっています。「お盆」にはこの他、秋の豊作を祈る意味があるともいわれ、さらに、麦の収穫を祝って感謝する「麦の正月」という意味もある。
又、“盆踊り”は、大きく二分することができ、「祖霊や亡霊を招いて送り返す意味をもったもの」と、「豊年祈願のためのもの」とがある。前者には、町を ねって歩く群行式のものが多く、踊り手が覆面のようなかぶりものをつけて亡者になって踊るものもある。後者は、そろいの衣装を身につけて踊る派手なもの。
●中元(ちゅうげん)
古代中国では、正月十五日を「上元」、七月十五日を「中元」、十月十五日を「下元」と呼び、合わせて「三元」と称し、贖罪(しょくざい)の日とされた。いずれも満月の日となる。中元の場合、この日には「盂蘭盆(うらぼん)」の行事を行い、先祖を供養する日とされていた。
日本では、時代はハッキリしないが、中元の時期、「盆供」「盆歳暮」といって物品を贈答する風習ができ、それがしだいに広まって、「お中元」として現在に残っている。
●中秋の名月
これだけは旧暦でないと意味がないというのが「十五夜」である。中秋(仲秋)とは旧暦八月のこと。「名月」は十五夜の月のことで、必ずしも満月と一致するわけではなく、十六夜が満月のことや、まれに十七夜が満月のこともある。
「芋名月」ともいわれるように、中秋の名月には里芋を供える。そして、月見だんご、ススキである。その年に閏(うるう)月があったりすると、名月がかなり遅い時期になって、すすきが枯尾花になってしまうこともある。
●重陽の節句
五節句のひとつである。本来は旧暦の九月九日であるが、しだいに太陽暦の九月九日に祝われるようになった。陰陽道で九は陽の極数であり、九月九日はそれが ふたつ重なることから「重陽(ちょうよう)」といわれ、たいへんめでたい日とされた。また、この日は“菊の節供”ともいわれ、平安時代には観菊会を催し、 菊の花びらを浮かせた菊酒を飲んで長寿を願い、菊の花に綿を乗せて朝露を吸わせたものを化粧に使うことも行われた。
●お九日(おくんち)
九月九日の重陽の節句の日、庶民のあいだでは秋祭といっしょに祝うことが多かったが、この日を尊んで、「おくんち」と呼ぶ習慣があった。ちょうど稲の刈り 入れのころなので、“刈り上げ節句”ともいわれた。また、旧暦の九月九日、十九日、二十九日を総称して「みくんち」という場合もある。
●九月十三夜
旧暦の九月十三日の月のこと。十三夜は満月より、二、三日前の月で、とくに九月十三夜は“十五夜”についで美しい月とされ、宮中ではやはり月見の宴が催さ れたという。十五夜にくらべて月の出が少し早い。この日には枝豆や新栗を供えることから、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれている。
●七五三
七も五も三もいずれも奇数で、陰陽道でいう陽の数であり、合計すると十五になる。十五はしたがって、陽を重ねためでたい日ということで、子供の成長を祝い、願う日となった。
地方によって慣習の異なるところもあるが、一般に男児は「三歳と五歳」、女児は「三歳と七歳」に祝う。古くは、男女とも三歳で“髪置きの祝い”、男児五歳 で“袴着(はかまぎ)の祝い”、女児七歳で“帯解きの祝い”を行った。“髪置き”は頭髪をのばす儀式で、綿帽子という白い綿を頭の上にのせ、白髪頭になる まで長生きするようにと祈る。“袴着”は、男児がはじめて袴をはく儀式。“帯解き”は、女児が付け帯を解いて、大人の帯をしめる儀式で、魂を内にしっかり とどめ、身をもちくずさないようにという願いを込める。そうして、産土神や氏神に参詣するもの。
また、十五日のなかでも十一月十五日が選ばれた のは、旧暦ではこの日がいちばんの吉日とされる二十八宿の鬼宿にあたっていたからだといわれている。いまの暦では毎年二十八宿の配当は変わってくるが、貞 享の改暦(1684年)以前は、毎年、十一月一日は斗宿で、十五は鬼宿になるように決まっていたのである。
二月最初の午の日で、この日に稲荷神をまつる。各地の稲荷神社や屋敷内の小さな祠(ほこら)などに旗を立て、稲荷神の神使・お狐さまの好物の油揚げなどを供える。
旧暦の二月ころは田畑を耕し始める時期に当たっていて、農耕の神とされた稲荷神を農事のはじめにまつったわけである。しかし、太陽暦の二月上旬は、農事のはじめには少々早すぎるため、他の行事は太陽暦で行っても、初午だけは月遅れで催している地方もある。
●上巳(じょうし)
五節句のひとつで、“雛祭(ひなまつり)”や“桃の節句”とも呼ばれ、三月三日に固定されているが、古代中国では三月の最初の巳の日に行事が行われたことからこの名がある。
古代中国ではこの日、川で身を清め、不浄をはらう習慣があった。その習慣が平安時代にとり入れられ、宮中では「曲水の宴」催されるようになった。この宴 は、川辺に並んで座り、酒を入れた盃が流れつくまでのあいだに漢詩や和歌を詠まないと、罰としてその盃の酒を飲まなければならないというもの。本格的な農 耕に先立って、水をまつることがこの日の起源となっているらしい。
また、この日、紙でつくった人形(ひとかた)にケガレを撫でつけて不浄をはらい、川に流すという行事があり、これが「流し雛(ひな)」の習慣として今も各地に残っている。
さらに、愛玩用の人形を飾る風習が次第に盛んになり、雛人形が飾られるようになった。江戸時代半ば過ぎには、雛人形はさらに立派ものとなり、雛壇にかざられるようになったという。
この日の飾り物が桃の花であることから“桃の節句”とも呼ばれているのはご存じのことと思われる。
●端午の節句
五節句のひとつで、古代中国の太初暦(紀元前104年)以降、二十四節気の起点は「冬至」に置かれ、五月は午(うま)の月となる。したがって、五月の端午 (月初めの午の日)は、午が重なるめでたい日であり、午(ご)は五に通じるために、五月五日が“端午の節句”の日とされた。
古代中国では、この 日は「薬狩り」の日であり、「菖蒲(しょうぶ)酒」を飲んで邪気を払う行事もおこなわれた。菖蒲は「尚武(しょうぶ)」に通じることなどから“尚武の節句 ”とするようになった。“男子の節句”とされ、雛人形にならって武者人形などが飾られるようになった。“鯉のぼり”は中国の故事「鯉は竜門の滝をのぼって 竜となる」により、立身出世を祈ることから来ているという。
●七夕
もともとは五節句のひとつで「しちせき」と読みました。旧暦の七月七日の夜に行う行事で、「七夕祭」「星祭」ともいう。
一年に一度、七月七日の夜にだけ織姫(織女・しょくじょ)と彦星(牽牛・けんぎゅう)が天の川をはさんで逢瀬を楽しむことができるお話は、中国の古い伝説です。
もうひとつ、「乞巧奠(きこうでん)」といって、やはり七月七日の夜に、女子が習字や裁縫、手芸、音楽などが上達するように祈る、中国の古い風習も伝わっ てきて、七夕の行事が行われるようになりました。江戸時代、笹竹を切ってきて門口に立て、さまざまな願い事を書いた短冊を下げるようになりました。七夕と いえば「そうめん」がつきものでした。
●お盆
正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」、あるいは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、古代インドのサンスクリット語で、“さかさ吊り”を意味する「ウランバナ」を語源としています。
これは、亡き母が地獄でさかさ吊りの苦しみに逢っていることを知った釈迦の弟子のひとりが、供養をしてその苦しみから母を救ったという話にもとづいている。
しかし、日本では、正月から半年後の旧暦の七月の満月のころ、祖先の霊がたずねてくるという信仰はもともとあったようです。
現在では「旧盆(旧暦の盆)」ではなく新暦の「月遅れ盆」で行っているところが多くなっています。「お盆」にはこの他、秋の豊作を祈る意味があるともいわれ、さらに、麦の収穫を祝って感謝する「麦の正月」という意味もある。
又、“盆踊り”は、大きく二分することができ、「祖霊や亡霊を招いて送り返す意味をもったもの」と、「豊年祈願のためのもの」とがある。前者には、町を ねって歩く群行式のものが多く、踊り手が覆面のようなかぶりものをつけて亡者になって踊るものもある。後者は、そろいの衣装を身につけて踊る派手なもの。
●中元(ちゅうげん)
古代中国では、正月十五日を「上元」、七月十五日を「中元」、十月十五日を「下元」と呼び、合わせて「三元」と称し、贖罪(しょくざい)の日とされた。いずれも満月の日となる。中元の場合、この日には「盂蘭盆(うらぼん)」の行事を行い、先祖を供養する日とされていた。
日本では、時代はハッキリしないが、中元の時期、「盆供」「盆歳暮」といって物品を贈答する風習ができ、それがしだいに広まって、「お中元」として現在に残っている。
●中秋の名月
これだけは旧暦でないと意味がないというのが「十五夜」である。中秋(仲秋)とは旧暦八月のこと。「名月」は十五夜の月のことで、必ずしも満月と一致するわけではなく、十六夜が満月のことや、まれに十七夜が満月のこともある。
「芋名月」ともいわれるように、中秋の名月には里芋を供える。そして、月見だんご、ススキである。その年に閏(うるう)月があったりすると、名月がかなり遅い時期になって、すすきが枯尾花になってしまうこともある。
●重陽の節句
五節句のひとつである。本来は旧暦の九月九日であるが、しだいに太陽暦の九月九日に祝われるようになった。陰陽道で九は陽の極数であり、九月九日はそれが ふたつ重なることから「重陽(ちょうよう)」といわれ、たいへんめでたい日とされた。また、この日は“菊の節供”ともいわれ、平安時代には観菊会を催し、 菊の花びらを浮かせた菊酒を飲んで長寿を願い、菊の花に綿を乗せて朝露を吸わせたものを化粧に使うことも行われた。
●お九日(おくんち)
九月九日の重陽の節句の日、庶民のあいだでは秋祭といっしょに祝うことが多かったが、この日を尊んで、「おくんち」と呼ぶ習慣があった。ちょうど稲の刈り 入れのころなので、“刈り上げ節句”ともいわれた。また、旧暦の九月九日、十九日、二十九日を総称して「みくんち」という場合もある。
●九月十三夜
旧暦の九月十三日の月のこと。十三夜は満月より、二、三日前の月で、とくに九月十三夜は“十五夜”についで美しい月とされ、宮中ではやはり月見の宴が催さ れたという。十五夜にくらべて月の出が少し早い。この日には枝豆や新栗を供えることから、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれている。
●七五三
七も五も三もいずれも奇数で、陰陽道でいう陽の数であり、合計すると十五になる。十五はしたがって、陽を重ねためでたい日ということで、子供の成長を祝い、願う日となった。
地方によって慣習の異なるところもあるが、一般に男児は「三歳と五歳」、女児は「三歳と七歳」に祝う。古くは、男女とも三歳で“髪置きの祝い”、男児五歳 で“袴着(はかまぎ)の祝い”、女児七歳で“帯解きの祝い”を行った。“髪置き”は頭髪をのばす儀式で、綿帽子という白い綿を頭の上にのせ、白髪頭になる まで長生きするようにと祈る。“袴着”は、男児がはじめて袴をはく儀式。“帯解き”は、女児が付け帯を解いて、大人の帯をしめる儀式で、魂を内にしっかり とどめ、身をもちくずさないようにという願いを込める。そうして、産土神や氏神に参詣するもの。
また、十五日のなかでも十一月十五日が選ばれた のは、旧暦ではこの日がいちばんの吉日とされる二十八宿の鬼宿にあたっていたからだといわれている。いまの暦では毎年二十八宿の配当は変わってくるが、貞 享の改暦(1684年)以前は、毎年、十一月一日は斗宿で、十五は鬼宿になるように決まっていたのである。
道開き at 2002/12/03(Tue) 21:15
正月行事
2002/12/03(Tue)
正月は様々な行事が集中して行われるときです。それら「正月行事」の目安と考えられたのが「事八日(ことようか)」と呼ばれる十二月八日と二月八日であ る。この十二月八日から、正月を中心とする特別な「神まつりの時間・空間世界」へと移行し、二月八日をもってそれが終了します。以後は、通常の、農耕を中 心とした「仕事の時間・空間世界」にもどるのである。
十二月八日を過ぎた頃から、一年のケガレを祓い落とす「煤払い」や「道具納め」、松飾り用の「松迎え」、「餅つき」などの一連の正月を迎えるための行事が 行われます。正月行事の基本は、「年神」と呼ばれる神格を家々に迎えまつることにあります。この神の性格は複雑で、農耕を行って来た人びとの間では「農耕 神(穀霊神、田の神)」としての性格が強く、他にも、個々の先祖としての性格が浄化され大いなる神へと高まった「祖霊神」としての性格も見られる。十二月 の大晦日にやって来て、ほぼ半月間家々に滞在し、「小正月」と呼ばれる一月の十五日の朝に、松飾りを焼く「ドント焼き」の煙に乗って、神の世界へと帰って 行くとされました。
人々は餅や若水で作った「おせち」などを供えて年神をもてなした。年神に供えた「鏡餅」には年神の霊が宿り、それを食べることで一年の無病息災が保証されると考えた。「お年玉」も同様に、年神の魂(タマ)を分与してもらうことに由来します。
●松飾り
松飾りには二つの役割があります。一つは、年神の「依代」で、訪れて来る神さまの依る座としての役割。もう一つは、「松飾り」、「注連飾り」を張った内側、つまり、家の中が聖なる空間になることを示す「結界」としての役割です。
●元旦
「旦」とは朝という意味で、「元旦」は年初の日(元日)の朝のこと。
●恵方(えほう)参り
「年 神」の他にも伊勢神宮の大麻(たいま)や様々な神々をまつったりもするようになります。「氏神参り」や「恵方参り」と称する近隣の神社仏閣への「初詣」を 行ったりするようにもなりました。恵方とは、暦の上で正月の神である「歳徳神(としとくじん)」が位置する方角のことです。
●松の内
元日から「松飾り」を取り除く日までをいう。本来は植物のマツではなく、正月の到来を指折り数えて待つ(「日待ち」する)ことにあるという。「注連(しめ)の内」という地方もある。
また、「門松(かどまつ)」の飾り付けは十二月三〇日の夜までとされるしきたりがあるのは、三十一日に飾るのは「一夜飾り(いちやかざり)」 といって嫌われたからです。
●七草粥(ななくさがゆ)
五節句のひとつ一月七日の「人日(じんじつ)」の日に、七種の若菜を入れて煮た粥を食べて邪気を払う。
・【五節句】
「人日」(一月七日)、 「上巳(じょうし)」(三月三日)、「端午(たんご)」(五月五日)、「七夕(しちせき)」(七月七日)、 「重陽(ちょうよう)」(九月九日)
・【七草】
せり、なずな、ごぎょう(母子草)、はこべ、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)
●小正月
旧 暦の一月一日を「大正月」というのに対して、一月十五日を「小正月」という。もともと日本では望(ぼう)、すなわち満月の日(旧暦の十五日)を正月として おり、小正月はその名残です。「女正月」とも呼ばれるのは、大正月、女性は休む間もないほど多忙であり、その代わりに、この日、女性だけが集まって飲食や 娯楽に興じる風習があったから。
年神が神の世界へと帰って行くこの日の夜には、各地で「鬼追い行事」が行われました。「ナマハゲ」に代表される鬼 たちが、なぜに喜びをもって人々に迎え入れられたかというと、彼らが村々、家々のケガレを一身に背負って退散する役目を負って登場する邪悪な存在の象徴で あったからです。
又、この日には「予祝(よしゅく)」といって、五穀豊穣を祈願して行われる占い的要素をもつ前祝い行事も行われた。
【鳥追い】 田畑の害鳥を追い払うという意味で、子供たちがササラや棒を打ちつつ家々を回る行事。
【成り木責め】 実のなる木に、「ならぬか、ならぬか」などと詰問して豊作を約束させる行事。
●節分
季節の変わり目を示す四節気(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、とくに立春の前日をいう。この日はイワシの頭を刺したヒイラギの枝を戸口に立て、 炒った大豆をまいて悪鬼や疫病を退散させる。「儺(な)」というのは悪鬼のことで、昔は節分行事のことを「追儺(ついな)」・「儺やらひ」・「鬼やらひ」 などと呼んだ。「立春正月」を基本とする旧暦においては、「豆まき」は大晦日に行われました。
●旧正月
旧暦の正月のこと。現在の日本では旧暦で正月行事を行う地方はめっきり減ったが、「立春正月」を伝統的に守る中国では、旧正月は「春節」と称され盛大に祝われています。
十二月八日を過ぎた頃から、一年のケガレを祓い落とす「煤払い」や「道具納め」、松飾り用の「松迎え」、「餅つき」などの一連の正月を迎えるための行事が 行われます。正月行事の基本は、「年神」と呼ばれる神格を家々に迎えまつることにあります。この神の性格は複雑で、農耕を行って来た人びとの間では「農耕 神(穀霊神、田の神)」としての性格が強く、他にも、個々の先祖としての性格が浄化され大いなる神へと高まった「祖霊神」としての性格も見られる。十二月 の大晦日にやって来て、ほぼ半月間家々に滞在し、「小正月」と呼ばれる一月の十五日の朝に、松飾りを焼く「ドント焼き」の煙に乗って、神の世界へと帰って 行くとされました。
人々は餅や若水で作った「おせち」などを供えて年神をもてなした。年神に供えた「鏡餅」には年神の霊が宿り、それを食べることで一年の無病息災が保証されると考えた。「お年玉」も同様に、年神の魂(タマ)を分与してもらうことに由来します。
●松飾り
松飾りには二つの役割があります。一つは、年神の「依代」で、訪れて来る神さまの依る座としての役割。もう一つは、「松飾り」、「注連飾り」を張った内側、つまり、家の中が聖なる空間になることを示す「結界」としての役割です。
●元旦
「旦」とは朝という意味で、「元旦」は年初の日(元日)の朝のこと。
●恵方(えほう)参り
「年 神」の他にも伊勢神宮の大麻(たいま)や様々な神々をまつったりもするようになります。「氏神参り」や「恵方参り」と称する近隣の神社仏閣への「初詣」を 行ったりするようにもなりました。恵方とは、暦の上で正月の神である「歳徳神(としとくじん)」が位置する方角のことです。
●松の内
元日から「松飾り」を取り除く日までをいう。本来は植物のマツではなく、正月の到来を指折り数えて待つ(「日待ち」する)ことにあるという。「注連(しめ)の内」という地方もある。
また、「門松(かどまつ)」の飾り付けは十二月三〇日の夜までとされるしきたりがあるのは、三十一日に飾るのは「一夜飾り(いちやかざり)」 といって嫌われたからです。
●七草粥(ななくさがゆ)
五節句のひとつ一月七日の「人日(じんじつ)」の日に、七種の若菜を入れて煮た粥を食べて邪気を払う。
・【五節句】
「人日」(一月七日)、 「上巳(じょうし)」(三月三日)、「端午(たんご)」(五月五日)、「七夕(しちせき)」(七月七日)、 「重陽(ちょうよう)」(九月九日)
・【七草】
せり、なずな、ごぎょう(母子草)、はこべ、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)
●小正月
旧 暦の一月一日を「大正月」というのに対して、一月十五日を「小正月」という。もともと日本では望(ぼう)、すなわち満月の日(旧暦の十五日)を正月として おり、小正月はその名残です。「女正月」とも呼ばれるのは、大正月、女性は休む間もないほど多忙であり、その代わりに、この日、女性だけが集まって飲食や 娯楽に興じる風習があったから。
年神が神の世界へと帰って行くこの日の夜には、各地で「鬼追い行事」が行われました。「ナマハゲ」に代表される鬼 たちが、なぜに喜びをもって人々に迎え入れられたかというと、彼らが村々、家々のケガレを一身に背負って退散する役目を負って登場する邪悪な存在の象徴で あったからです。
又、この日には「予祝(よしゅく)」といって、五穀豊穣を祈願して行われる占い的要素をもつ前祝い行事も行われた。
【鳥追い】 田畑の害鳥を追い払うという意味で、子供たちがササラや棒を打ちつつ家々を回る行事。
【成り木責め】 実のなる木に、「ならぬか、ならぬか」などと詰問して豊作を約束させる行事。
●節分
季節の変わり目を示す四節気(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、とくに立春の前日をいう。この日はイワシの頭を刺したヒイラギの枝を戸口に立て、 炒った大豆をまいて悪鬼や疫病を退散させる。「儺(な)」というのは悪鬼のことで、昔は節分行事のことを「追儺(ついな)」・「儺やらひ」・「鬼やらひ」 などと呼んだ。「立春正月」を基本とする旧暦においては、「豆まき」は大晦日に行われました。
●旧正月
旧暦の正月のこと。現在の日本では旧暦で正月行事を行う地方はめっきり減ったが、「立春正月」を伝統的に守る中国では、旧正月は「春節」と称され盛大に祝われています。
道開き at 2002/12/03(Tue) 21:10
『暦』の成り立ち《概要》
2002/12/03(Tue)
●暦の見方A
-【暦に用いられる用語】-
①暦法
・太陰暦-月の運行、即ち月の満ち欠けを基準として定めた暦。
・太陰太陽暦-太陰暦に季節変化〈二十四節気〉等、太陽暦の要素を取り入れて
作った暦。
・太陽暦-太陽の黄道上の運行周期を元にして作られた暦。
②二十四節気
二十四節気とは、一年の長さを二十四等分して、それぞれの季節にふさわしい名称をつったもの。
◎小寒(しょうかん)
寒気が最高とまではいかないが降雪しきりになり寒気いよいよきびしくなる。
◎大寒(だいかん)
北風も吹き雪もひどくなるところから大寒と呼ばれ、冬も本格的となる。
◎立春(りっしゅん)
春の気が立つという意味で、冬と春の別れ目の日、この日より歳の十干、地支が変わる。
◎雨水(うすい)
冷たい氷も解けて水となり、雪も雨と変わるという意。
◎啓蟄(けいちつ)
冬眠していた虫も目を覚まして地上に這いだしてくるという意。
◎春分(しゅんぶん)
昼と夜の時間が同じで、この日から昼の時間が長くなる。彼岸の中日でもある。
◎清明(せいめい)
草花も咲き始め、万物清新の気に満ちあふれるという意。
◎穀雨(こくう)
この頃の雨は農作物を盛んに成長させるという意。
◎立夏(りっか)
この日から夏の気が立ち始めるという意。
◎小満(しょうまん)
万物成長し、実を付け始め、陽気盛んとなり満つるという意。
◎芒種(ぼうしゅ)
芒(のぎし穂先の固い毛)のある作物の種を蒔く頃という意。
◎夏至(げし)
昼が長く夜が最も短い日で、梅雨期でうっとうしい日が続く。
◎小暑(しょうしょ)
梅雨も明けて本格的に暑くなってくるという意。
◎大暑(たいしょ)
暑気盛んとなり酷暑の季節という意。
◎立秋(りっしゅう)
この日より秋の気が立つという意。
◎処暑(しょしょ)
残暑の厳しさもこの日を境として暑さもおさまるという意
◎白露(はくろ)
秋の陰の気が積もって露を結ぶという意
◎秋分(しゅうぶん)
秋気充分の時で、昼と夜の時間が同じで秋の彼岸の中日。昼時間が短くなる。
◎寒路(かんろ)
冷気次第に深まり、草の葉に宿る露も霜となるころの意。
◎霜降(そうこう)
秋も末となり霜が降りるという意。
◎立冬(りっとう)
冬の気が立ち始め、雪の便りも聞かれるという意。
◎小雪(しょうせつ)
冬といっても寒さも、雪もそれ程でないという意。
◎大雪(たいせつ)
北風も次第に強く雪も多く降るという意。
◎冬至(とうじ)
一年の中で夜が一番長く、昼の最も短い日で、日脚は日毎に延びていく。
③七十二候(こう)
・二十四節気の各節気の一つ一つを更に三等分して、一年間を七十二等分したもの。
④六曜
・六曜星の略で、「りくよう」と呼ぶのが正しい。六輝とも呼ぶ。中国では時刻の吉凶占いに用いられていた。「先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口」
⑤七曜星
・月と日に木、火、土、金、水の五星を加えたもの。七曜は、古くはユダヤ教からキリスト教に伝えられ、それが次第に中央アジアを経由して中国、インド、日本に伝えられた。日の吉凶占いに用いられた。
⑥十二直(ちょく)
・「建(たつ)、除(のぞく)、満(みつ)、平(たいら)、定(さだん)、執(とる)、破(やぶる)、危(あやぶ)、成(なる)、納(おさん)、開(ひらく)、閉(とず)」
の十二語をいう。
中国では古代から北斗七星に関心を持っていて、神格化され、一つ一つの星に万物の運命を支配する力があると考えられていた。その北斗七星の斗柄が示す月ごとの十二支の方位と十二直を日に配当して日の吉凶を占った。
⑦二十八宿(しゅく)
・天の赤道に沿って選び出された二十八の星座をいい、それが月の天球上の位置 を示すために用いられた。それが年、月、日に配当され、吉凶を占うのに用いられた。
※②二十四節気~⑦二十八宿等が総合的に用いられて出来上がったのが、占星術の経典「宿曜経(すくようきょう)」であり、空海によって日本に伝えられた。現在でも密教占星術として用いられている。
⑧雑節(ざっせつ)
・二十四節気を捕捉して、季節の移ろいを伝えるのに用いられた。
“雑節”の中には、「土用」や「社日」のように中国に起源をもつものと、「八十八夜」「二百十日」のように日本独自のものがありますが、いずれも農業や日常生活の目安として暦に定着しています。
●節分
もともと節分は一年に四回あり、現在では立春の前日の「節分」のみが年中行事として残っている。豆をまき鬼を払う「鬼やらい」が行われる。
●彼岸
日 本独自のもの。春、秋の二回あり、先祖の精霊を供養する。春分の日、秋分の日を中日とし、その前後三日間をさす。彼岸のころは、太陽が真東から昇って真西 に没するが、この日没の方向に阿弥陀如来の極楽浄土があるという西方浄土説が信じられ、これが「彼岸」の由来となった。
●社日
彼岸の中日にもっとも近い「戊(つちのえ)」の日のことをいい、一年に二回ある。もともとは古代中国で土地の神さまをまつる日であった。日本に伝わって、産土神をまつる日となる。
●八十八夜
立春から数えて88日目のこと。太陽暦では5月2日ころ。三日後に「立夏」となる。
●入梅
二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」から5日目を「入梅」という。実際にはこの日から梅雨が始まるとは限らない。梅の実が熟する時期ということで名付けられた。
●半夏生
夏至から十一日目をいう。半夏生(はんげしょう)という薬草が生える時期であるころから由来している。
●土用
中 国暦は「陰陽五行説」によって成り立っており、四季も五行に配当される。春は木、夏は火、秋は金、冬は水となる。土が「土用」なのである。つまり、365 日を五等分すると73日ずつとなる。73を4で割ると18日強となりこれを四季のそれぞれの終わりに配当し「土用」とした。土用とは「土のはたらき」とい う意。現在では夏の土用、7月20日ころから立秋までの18日間が一般に「土用」として定着している。
●二百十日
立春から二百十日目の日で、9月1日頃。稲の開花期で台風の季節でもある。
●二百二十日
立春から二百二十日目の日。
⑨選日(せんじつ)
暦注下段(れきちゅうげだん)の中から選ばれた日の吉凶をみるためのもの。
◆八専(はっせん)
六 十干支の中で、四十九番目の壬子(みずのえね)から癸亥(みずのとい)までの十二日間の干支に五行配したときに干と支が同じ五行になる日を云う。次の通り 壬子(水・水)・甲寅(木・木)・乙卯(木・木)・丁巳(火・火)・己未(土・土)・庚申(金・金)・辛酉(金・金)・癸亥(水・水)。この八専は年に六 回あります。仏事・供養・家の造作・嫁取りなどには凶日とされる。
◆十方暮(じっぽうぐれ)
六十干支の中で第二十一番目の甲申(きのえさる)から三十番目の癸巳(みずのとみ)までの十日間を云う。干と支の相性が悪いので凶日とする。十方暗とも書き、十方の気が塞がって何事もうまくいない日とされ、結婚、相談事、移転、開業にすべて凶。
◆不成就日(ふじょうじゅび)
一切の事が成立しないで悪い結果だけを招くという凶日で昔から何事をするにも避けなければならない日としています。別名「不浄日」ともいう。
◆天一天上(てんいちてんじょう)
天一神とも称し、悪い方角を塞いでこれを守る多方角神の一つ。この神が天上に昇っている間を「天一天上」という。どこに出かけても吉とされる。
◆三隣(さんりんぼう)
古くは「三輪宝」とも書かれた。普請、棟上げ、土おこし、修繕などすると後日火災を起こし、そのため三隣(近所)が焼け滅ぶとされている大凶日。
◆三伏(さんぷく)
夏至後、第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後始めての庚の日を末伏という。種まき、結婚、その他和合の事に用いない方がよいとされる。
◆一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
一粒の種を蒔くと万倍にも実が結ぶ意から、開店、種まき、投資は吉とされ、逆に人から物を借りたり借金は凶とされる。
◆大土(おおつち)
犯土の日(つちのひ)の説で、庚午(かのえうま)の日から丙子(ひのえね)の日まで七日間を云う。穴掘り、築土、動土等、土を犯すことを忌む日。
◆小土(こつち)
犯土の日(つちのひ)の説で、戊寅(つちのえとら)の日から甲申(きのえさる)の日までの七日間を云う。穴掘り、築土、動土等、土を犯すことを忌む日。
◆天赦日(てんしゃにち)
何事にも大吉とされている。干支の相性がよく災を除き、天の恩恵に浴し、なんの障りも起こらない日とされる。
◆臘日(ろうじつ)
「小寒」に入って二度目の辰の日。臘(ろう)とは猟のことで狩りをして獲物を捕らえ、先祖の霊に捧げ祭る。「立春」と同じように年の改まる日とされていたので「大晦日」、「おおつごもり」ともいう。
●暦の見方B
-【運勢盤、家相盤、方位盤等を読み解く為に必要な基礎知識】―
①陰陽説〈→八卦(はっけ)〉
森 羅万象、宇宙のありとあらゆるものは、相反する「陰」と「陽」の二気の働きによって消長盛衰するのであり、この二気の働きによって万物の事象を理解し、ま た将来までも予測しようとする世界観。中国の根本思想。易の基本原理。(この区分法は、現代のコンピュ―タ―に用いられている二進法と同じで、非常に論理 的で、明快な区分法である。)
②五行説
紀元前四、五世紀の頃、戦国時代の中国の陰陽家・趨衍(すうえん)の唱えた学説。森羅万象、宇宙の生成変化を「五気(木・火・土・金・水)」の働き「五行」で説明する。漢代に至って、陰陽説と合体して、『陰陽五行説』が生まれた。
①相生(そうしょう)説 五行同士の生み、助け、協力し、育む関係。
②相剋(そうこく)説 五行同士の、剋する、制限する、制圧する関係。
③比和(ひわ) 同じ五行同士の関係。
③十干(じゅっかん)
・ 「干」は木の枝で作った、突き刺す武器の意。一説に盾(たて)の象形とも言われる。起源は中国の殷の時代とされ、もともと十干は、日の順序を示すための符 号(数詞)であった。つまり、一ヶ月を上旬・中旬・下旬と三分し、一旬に含まれる十日間の一日一日を示す数詞であった。十日を一旬として占う卜旬が広く行 われていた。現代の十進法と同じ。
・やがて十二支と組み合わされて十干十二支(六十干支)となり、連綿と打ち続く日(年)を表示するようになった。
・漢代には、陰陽五行説と結合して、兄(え)と弟(と)、つまり干支(えと)を示すようになった。
・「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」(こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)、十干に陰陽と五行が配当されると(木の兄、木の弟、火の兄、火の弟、土の兄、土の弟、金の兄、金の弟、水の兄、水の弟)となる。
④十二支
・十干よりも古く、殷の時代には使われていたともいわれる。はじめ、十二支は十二ヶ月の順序を示すための符号(数詞)であった。やがて、年月日、時刻、方位などを示すのに用いられる。
・もともと十二支は、十二年で天を一周する木星(五惑星のうち最も尊貴とさ れた)の運行からきたといわれる。
・十二支獣― 十二支に覚えやすい動物名を配したのは、紀元前4~5世紀頃 の戦国時代であり、暦を周辺の未開の地方に伝えるためだったという。
・「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」(ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)(し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい)。
⑤六十干支
・十干と十二支が組み合わされて、六十周期で日、年を数えるのに用いた。
・紀元前十四世紀頃の殷時代の甲骨文の発見により、日を記述するための記日法として干支は用いられていたことがわかっている。干支を年に配当した、いわゆる紀年法は紀元前一、二世紀頃が始まりであるといわれている。
・「還暦」とは六十一年目にして六十干支の始めに還ったという意の言葉。
⑥河図(かと)と洛書(らくしょ)
・先天定位盤と後天定位盤の「数理」の元となったもの。
⑧運勢盤
・九星の種類
一白水星(いっぱくすいせい)
二黒土星(じこくどせい)
三碧木星(さんべきもくせい)
四緑木星(しろくもくせい)
五黄土星(ごおうどせい)
六白金星(ろっぱくきんせい)
七赤金星(しちせききんせい)
八白土星(はっぱくどせい)
九紫火星(きゅうしかせい)
・九星の遁甲(とんこう)
「後天定位盤(こうてんていいばん)」の宮位(みやい)を、年毎に、九星が移動する。いわゆる「年回り」のこと。
⑨総合表
・陰陽、五行、八卦、九星、十干、十二支は森羅万象、宇宙の一切を現す。
⑩神殺・方殺
・方位盤に記されている方位の吉凶判断を表す語。
★参考図書 『暦と運命学の事典』平木場泰義 (東京堂出版)
『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗
阿久根末忠 (柏書房)
-【暦に用いられる用語】-
①暦法
・太陰暦-月の運行、即ち月の満ち欠けを基準として定めた暦。
・太陰太陽暦-太陰暦に季節変化〈二十四節気〉等、太陽暦の要素を取り入れて
作った暦。
・太陽暦-太陽の黄道上の運行周期を元にして作られた暦。
②二十四節気
二十四節気とは、一年の長さを二十四等分して、それぞれの季節にふさわしい名称をつったもの。
◎小寒(しょうかん)
寒気が最高とまではいかないが降雪しきりになり寒気いよいよきびしくなる。
◎大寒(だいかん)
北風も吹き雪もひどくなるところから大寒と呼ばれ、冬も本格的となる。
◎立春(りっしゅん)
春の気が立つという意味で、冬と春の別れ目の日、この日より歳の十干、地支が変わる。
◎雨水(うすい)
冷たい氷も解けて水となり、雪も雨と変わるという意。
◎啓蟄(けいちつ)
冬眠していた虫も目を覚まして地上に這いだしてくるという意。
◎春分(しゅんぶん)
昼と夜の時間が同じで、この日から昼の時間が長くなる。彼岸の中日でもある。
◎清明(せいめい)
草花も咲き始め、万物清新の気に満ちあふれるという意。
◎穀雨(こくう)
この頃の雨は農作物を盛んに成長させるという意。
◎立夏(りっか)
この日から夏の気が立ち始めるという意。
◎小満(しょうまん)
万物成長し、実を付け始め、陽気盛んとなり満つるという意。
◎芒種(ぼうしゅ)
芒(のぎし穂先の固い毛)のある作物の種を蒔く頃という意。
◎夏至(げし)
昼が長く夜が最も短い日で、梅雨期でうっとうしい日が続く。
◎小暑(しょうしょ)
梅雨も明けて本格的に暑くなってくるという意。
◎大暑(たいしょ)
暑気盛んとなり酷暑の季節という意。
◎立秋(りっしゅう)
この日より秋の気が立つという意。
◎処暑(しょしょ)
残暑の厳しさもこの日を境として暑さもおさまるという意
◎白露(はくろ)
秋の陰の気が積もって露を結ぶという意
◎秋分(しゅうぶん)
秋気充分の時で、昼と夜の時間が同じで秋の彼岸の中日。昼時間が短くなる。
◎寒路(かんろ)
冷気次第に深まり、草の葉に宿る露も霜となるころの意。
◎霜降(そうこう)
秋も末となり霜が降りるという意。
◎立冬(りっとう)
冬の気が立ち始め、雪の便りも聞かれるという意。
◎小雪(しょうせつ)
冬といっても寒さも、雪もそれ程でないという意。
◎大雪(たいせつ)
北風も次第に強く雪も多く降るという意。
◎冬至(とうじ)
一年の中で夜が一番長く、昼の最も短い日で、日脚は日毎に延びていく。
③七十二候(こう)
・二十四節気の各節気の一つ一つを更に三等分して、一年間を七十二等分したもの。
④六曜
・六曜星の略で、「りくよう」と呼ぶのが正しい。六輝とも呼ぶ。中国では時刻の吉凶占いに用いられていた。「先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口」
⑤七曜星
・月と日に木、火、土、金、水の五星を加えたもの。七曜は、古くはユダヤ教からキリスト教に伝えられ、それが次第に中央アジアを経由して中国、インド、日本に伝えられた。日の吉凶占いに用いられた。
⑥十二直(ちょく)
・「建(たつ)、除(のぞく)、満(みつ)、平(たいら)、定(さだん)、執(とる)、破(やぶる)、危(あやぶ)、成(なる)、納(おさん)、開(ひらく)、閉(とず)」
の十二語をいう。
中国では古代から北斗七星に関心を持っていて、神格化され、一つ一つの星に万物の運命を支配する力があると考えられていた。その北斗七星の斗柄が示す月ごとの十二支の方位と十二直を日に配当して日の吉凶を占った。
⑦二十八宿(しゅく)
・天の赤道に沿って選び出された二十八の星座をいい、それが月の天球上の位置 を示すために用いられた。それが年、月、日に配当され、吉凶を占うのに用いられた。
※②二十四節気~⑦二十八宿等が総合的に用いられて出来上がったのが、占星術の経典「宿曜経(すくようきょう)」であり、空海によって日本に伝えられた。現在でも密教占星術として用いられている。
⑧雑節(ざっせつ)
・二十四節気を捕捉して、季節の移ろいを伝えるのに用いられた。
“雑節”の中には、「土用」や「社日」のように中国に起源をもつものと、「八十八夜」「二百十日」のように日本独自のものがありますが、いずれも農業や日常生活の目安として暦に定着しています。
●節分
もともと節分は一年に四回あり、現在では立春の前日の「節分」のみが年中行事として残っている。豆をまき鬼を払う「鬼やらい」が行われる。
●彼岸
日 本独自のもの。春、秋の二回あり、先祖の精霊を供養する。春分の日、秋分の日を中日とし、その前後三日間をさす。彼岸のころは、太陽が真東から昇って真西 に没するが、この日没の方向に阿弥陀如来の極楽浄土があるという西方浄土説が信じられ、これが「彼岸」の由来となった。
●社日
彼岸の中日にもっとも近い「戊(つちのえ)」の日のことをいい、一年に二回ある。もともとは古代中国で土地の神さまをまつる日であった。日本に伝わって、産土神をまつる日となる。
●八十八夜
立春から数えて88日目のこと。太陽暦では5月2日ころ。三日後に「立夏」となる。
●入梅
二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」から5日目を「入梅」という。実際にはこの日から梅雨が始まるとは限らない。梅の実が熟する時期ということで名付けられた。
●半夏生
夏至から十一日目をいう。半夏生(はんげしょう)という薬草が生える時期であるころから由来している。
●土用
中 国暦は「陰陽五行説」によって成り立っており、四季も五行に配当される。春は木、夏は火、秋は金、冬は水となる。土が「土用」なのである。つまり、365 日を五等分すると73日ずつとなる。73を4で割ると18日強となりこれを四季のそれぞれの終わりに配当し「土用」とした。土用とは「土のはたらき」とい う意。現在では夏の土用、7月20日ころから立秋までの18日間が一般に「土用」として定着している。
●二百十日
立春から二百十日目の日で、9月1日頃。稲の開花期で台風の季節でもある。
●二百二十日
立春から二百二十日目の日。
⑨選日(せんじつ)
暦注下段(れきちゅうげだん)の中から選ばれた日の吉凶をみるためのもの。
◆八専(はっせん)
六 十干支の中で、四十九番目の壬子(みずのえね)から癸亥(みずのとい)までの十二日間の干支に五行配したときに干と支が同じ五行になる日を云う。次の通り 壬子(水・水)・甲寅(木・木)・乙卯(木・木)・丁巳(火・火)・己未(土・土)・庚申(金・金)・辛酉(金・金)・癸亥(水・水)。この八専は年に六 回あります。仏事・供養・家の造作・嫁取りなどには凶日とされる。
◆十方暮(じっぽうぐれ)
六十干支の中で第二十一番目の甲申(きのえさる)から三十番目の癸巳(みずのとみ)までの十日間を云う。干と支の相性が悪いので凶日とする。十方暗とも書き、十方の気が塞がって何事もうまくいない日とされ、結婚、相談事、移転、開業にすべて凶。
◆不成就日(ふじょうじゅび)
一切の事が成立しないで悪い結果だけを招くという凶日で昔から何事をするにも避けなければならない日としています。別名「不浄日」ともいう。
◆天一天上(てんいちてんじょう)
天一神とも称し、悪い方角を塞いでこれを守る多方角神の一つ。この神が天上に昇っている間を「天一天上」という。どこに出かけても吉とされる。
◆三隣(さんりんぼう)
古くは「三輪宝」とも書かれた。普請、棟上げ、土おこし、修繕などすると後日火災を起こし、そのため三隣(近所)が焼け滅ぶとされている大凶日。
◆三伏(さんぷく)
夏至後、第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後始めての庚の日を末伏という。種まき、結婚、その他和合の事に用いない方がよいとされる。
◆一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
一粒の種を蒔くと万倍にも実が結ぶ意から、開店、種まき、投資は吉とされ、逆に人から物を借りたり借金は凶とされる。
◆大土(おおつち)
犯土の日(つちのひ)の説で、庚午(かのえうま)の日から丙子(ひのえね)の日まで七日間を云う。穴掘り、築土、動土等、土を犯すことを忌む日。
◆小土(こつち)
犯土の日(つちのひ)の説で、戊寅(つちのえとら)の日から甲申(きのえさる)の日までの七日間を云う。穴掘り、築土、動土等、土を犯すことを忌む日。
◆天赦日(てんしゃにち)
何事にも大吉とされている。干支の相性がよく災を除き、天の恩恵に浴し、なんの障りも起こらない日とされる。
◆臘日(ろうじつ)
「小寒」に入って二度目の辰の日。臘(ろう)とは猟のことで狩りをして獲物を捕らえ、先祖の霊に捧げ祭る。「立春」と同じように年の改まる日とされていたので「大晦日」、「おおつごもり」ともいう。
●暦の見方B
-【運勢盤、家相盤、方位盤等を読み解く為に必要な基礎知識】―
①陰陽説〈→八卦(はっけ)〉
森 羅万象、宇宙のありとあらゆるものは、相反する「陰」と「陽」の二気の働きによって消長盛衰するのであり、この二気の働きによって万物の事象を理解し、ま た将来までも予測しようとする世界観。中国の根本思想。易の基本原理。(この区分法は、現代のコンピュ―タ―に用いられている二進法と同じで、非常に論理 的で、明快な区分法である。)
②五行説
紀元前四、五世紀の頃、戦国時代の中国の陰陽家・趨衍(すうえん)の唱えた学説。森羅万象、宇宙の生成変化を「五気(木・火・土・金・水)」の働き「五行」で説明する。漢代に至って、陰陽説と合体して、『陰陽五行説』が生まれた。
①相生(そうしょう)説 五行同士の生み、助け、協力し、育む関係。
②相剋(そうこく)説 五行同士の、剋する、制限する、制圧する関係。
③比和(ひわ) 同じ五行同士の関係。
③十干(じゅっかん)
・ 「干」は木の枝で作った、突き刺す武器の意。一説に盾(たて)の象形とも言われる。起源は中国の殷の時代とされ、もともと十干は、日の順序を示すための符 号(数詞)であった。つまり、一ヶ月を上旬・中旬・下旬と三分し、一旬に含まれる十日間の一日一日を示す数詞であった。十日を一旬として占う卜旬が広く行 われていた。現代の十進法と同じ。
・やがて十二支と組み合わされて十干十二支(六十干支)となり、連綿と打ち続く日(年)を表示するようになった。
・漢代には、陰陽五行説と結合して、兄(え)と弟(と)、つまり干支(えと)を示すようになった。
・「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」(こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)、十干に陰陽と五行が配当されると(木の兄、木の弟、火の兄、火の弟、土の兄、土の弟、金の兄、金の弟、水の兄、水の弟)となる。
④十二支
・十干よりも古く、殷の時代には使われていたともいわれる。はじめ、十二支は十二ヶ月の順序を示すための符号(数詞)であった。やがて、年月日、時刻、方位などを示すのに用いられる。
・もともと十二支は、十二年で天を一周する木星(五惑星のうち最も尊貴とさ れた)の運行からきたといわれる。
・十二支獣― 十二支に覚えやすい動物名を配したのは、紀元前4~5世紀頃 の戦国時代であり、暦を周辺の未開の地方に伝えるためだったという。
・「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」(ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)(し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい)。
⑤六十干支
・十干と十二支が組み合わされて、六十周期で日、年を数えるのに用いた。
・紀元前十四世紀頃の殷時代の甲骨文の発見により、日を記述するための記日法として干支は用いられていたことがわかっている。干支を年に配当した、いわゆる紀年法は紀元前一、二世紀頃が始まりであるといわれている。
・「還暦」とは六十一年目にして六十干支の始めに還ったという意の言葉。
⑥河図(かと)と洛書(らくしょ)
・先天定位盤と後天定位盤の「数理」の元となったもの。
⑧運勢盤
・九星の種類
一白水星(いっぱくすいせい)
二黒土星(じこくどせい)
三碧木星(さんべきもくせい)
四緑木星(しろくもくせい)
五黄土星(ごおうどせい)
六白金星(ろっぱくきんせい)
七赤金星(しちせききんせい)
八白土星(はっぱくどせい)
九紫火星(きゅうしかせい)
・九星の遁甲(とんこう)
「後天定位盤(こうてんていいばん)」の宮位(みやい)を、年毎に、九星が移動する。いわゆる「年回り」のこと。
⑨総合表
・陰陽、五行、八卦、九星、十干、十二支は森羅万象、宇宙の一切を現す。
⑩神殺・方殺
・方位盤に記されている方位の吉凶判断を表す語。
★参考図書 『暦と運命学の事典』平木場泰義 (東京堂出版)
『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗
阿久根末忠 (柏書房)
道開き at 2002/12/03(Tue) 21:05
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