●白鬚神社・比良(ひら)明神(みょうじん)・新羅神(しらぎがみ)
 滋賀県は琵琶湖(びわこ)の西岸、比良(ひら)山を中心とした比良連峰(れんぽう)のふもとに鎮座する白鬚神社は、湖水に浮かぶ赤い大鳥居で有名です。社伝によると、垂仁天皇二十五年(BC4年)、皇女(こうじょ)・倭姫(やまとひめ)命がこの地に来て社殿を建立(こんりゅう)して創建したとされる。

 御祭神は猿田彦神。この地方の地主神(じぬししん)であるともされ比良(ひら)明神(みょうじん)・白鬚明神(しらひげみょうじん)とも呼ばれている。天智(てんじ)天皇の勅旨(ちょくし)によって比良明神の神号を賜(たまわ)ったとされる。
別説として、白日神(しらひがみ)〔(()筑紫(ちくし)の国神(くにがみ)〕())、または新羅神(しらぎがみ)であるともされている。
“白”の字のつく神社は朝鮮渡来の神を祀(まつ)っているところが多く〔白峯(しらみね)神社、白山(はくさん)神社、白山比(しらやまひめ)神社、白太夫(しらだゆう)社・・・等〕、この明神は、白鬚をたくわえた老翁の姿で現れるとされる。

★天台宗との関わり
 新羅(しらぎ)から招来した神として園城寺(おんじょうじ)(三井寺(みいでら))の伽藍(がらん)鎮守(ちんじゅ)として祀(まつ)られるとともに、広く天台寺門派(てんだいじもんは)における“護法神(ごほうしん)”とされているのが新羅(しんら)明神です。円珍(えんちん)(智証大師(ちしょうだいし))が平安時代初期に求法のために入唐(にゅうとう)したときに招来(しょうらい)させたという。

円珍伝(えんちんでん)によると、円珍が帰国する際に、船中に老翁が現れ、「われは新羅明神なり。
和尚のために仏法を守護し、慈尊(じそん)の出世に至らん」と語り、帰国後に円珍が寺池を開拓したときも再びその姿を顕現(けんげん)させたという。よって、三井寺の北院に社殿を造営し、“護法鎮守(ごほうちんじゅ)”とした。今でも伝法(でんぽう)灌頂(かんじょう)を受けた者以外には礼拝(れいはい)は許されていない。

東京都墨田区向島の鎮守・白鬚神社は、天暦五年(951)、慈覚大師(じかくだいし)が近江(おうみ)の国から勧請(かんじょう)したもの。


※当地野蒜鎮座の白鬚神社の宮司を務める亀廼井家は、代々、本山派(ほんざんは)(園城寺の聖護院(しょうごいん)〈京都〉を拠点とした)の天台修験(てんだいしゅげん)で、「亀海山南光院(きかいざんなんこういん)」を名乗ってきました。
聖護院とは、当時の天台修験の道場のような処で、当地よりの要請(ようせい)を受けて派遣されて来たかたちで土着化し、“里修験(さとしゅげん)”となったようです。 明治維新後は政府の命により神道家となりました。

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