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2002/04/05(Fri)
以下の順で書き込みを行っています。
ご利用の方は、どうぞ、コピ-なり、加工なりしてご自由に御活用下さい。

①産土さま(うぶすなさま)
②七福神
③天照大御神(あまてらすおおみかみ、お伊勢さん)
④お稲荷さん(おいなりさん)
⑤八幡さま(はちまんさま)
⑥庚申さま(こうしんさま)
⑦山の神
⑧大国主神(おおくにぬしのかみ)
⑨須佐之男神(すさのおのかみ)
⑩天神さま(てんじんさま)
⑪火の神々
⑫白山神(はくさんさま)
⑬熊野権現(くまのごんげん)
⑭日吉神(ひえさま)
⑮賀茂神(かもさま)
⑯鹿島神(かしまさま)
⑰不動明王(おふどうさま)
⑱蔵王権現(ざおうごんげん)
 道開き at 2002/04/05(Fri) 15:25 

②七福神

2002/04/05(Fri)
●禍神(まががみ)転じて福の神
―禍福はあざなえる縄のごとし―
“善と悪”、“禍と福”といった概念は特定し難く、単純に仕切り をするのはかなり困難ともいえます。一人の人間の人格の中にも善的な一面と悪の一面が同居していますし、台風などの自然は災害ももたらしますが、多大な恩 恵をも与えてもくれます。「人間万事塞翁が馬」の故事の如く、幸福だと思ったことが禍(わざわい)の引き金となっていたり、不幸と思っていたことが幸福を もたらす原因となっていたりということは結構あるものです。
日本神話でお馴染みのスサノオの神は尊き神ではあるが、荒ぶる破壊神の一面も持って いたし、インドのヒンドゥ-教の最高神・シヴァ神なども破壊の神であると同時に再生の神でもあります。日本的、東洋的な信仰形態であり、西洋人には理解し にくいようなのですが、どんな禍神(まががみ)、疫病神(やくびょうがみ)でも丁寧に祀ると、逆に福神に変貌するという信仰もありました。御霊神(ごりょ うしん、“祟り神”のこと)であった“天神さま”などもこの例です。全国各地にある“竜神伝説”なども、水害をもたらす竜神を村人たちが丁重にお祀りして 豊饒を授かったというものがほとんどです。
民俗では、このような現象を“祀り上げ”、そして、その逆を“祀り棄て”と言います。例えば、祟る(たたる)という現象は“祀り棄て”られた後に生ずるもので、御霊(ごりょう)・怨霊(おんりょう)などの“祟り神”の特性と考えられています。
各 家々の先祖霊や氏神は、普段は“祀り上げ”られた結果、守護霊(神)として働く神格です。ところが、“祟り神”も丁重に“祀り上げ”ると、やがては守護し てくれる神格に転化していくという場合もあるというのです。それとは逆に、たとえ先祖霊でも“祀り棄て”た場合(祀ることを怠った場合も含む)、祟りとま では行かなくとも、障り(さわり)の原因となったりすることもあります。

★結局は、人の心の持ち方が、祀るという行為によって、善神にさらなる善の働きをさせたり、強いては悪神に善神の働きもさせ得るというのです。
さらに申せば、正しき神の善なるところに感応するか、邪神の悪なるところに感応するかはその人の心次第ということにもなるといいます。

「有り難(き) また面白(き) 嬉し(き)と 神酒(みき、三き)を備うぞ 誠なりける」

「有り難や かかるめでたき 世にいでて 楽しみ暮らす 身こそ安けれ」

「何事も ただ楽しむに しくはなし ねても起きても 天の心を」

「何事も 心のままに かのうゆえ ねてもさめても 有り難きかな」

江戸期、岡山県の今村宮という神社に、代々神職として仕える家柄に生まれた神人・黒住宗忠の道歌です。天照大御神よりの「天命直授(てんめいじきじゅ)」 の神秘体験により様々な奇跡を現した黒住教の創始者で、京都の旧社格でいう府社の宗忠神社(幕末には孝明天皇の勅願所となり、武士はもとより天皇の侍女や 公卿たちにも信仰され、尊皇の志士たちの運動の拠点ともなった)や岡山の宗忠の生地にある宗忠神社に御祭神として祀られている。


●七福神が寄り集えば有り難さもひとしお
神 道は太古から伝わる自然発生的宗教であり、よって創唱者・教祖もおらず、教義も持たない為、これまでの歴史において、様々な宗教や思想によって説明され、 それらの宗教と絶えず習合を繰り返してきました。よって我が国の歴史には宗教戦争のようなものは見あたらず、そういった古来の宗教感覚が最も顕著に現れて いるのがこの“七福神信仰”です。
様々な異なる宗教の多くの福神の中から、七柱の神さまを選りすぐって、一揃いで信仰するようになったのは室町 時代からとされています。いわゆる「七福神」が信仰され始めたわけです。それからの福神信仰は、もっぱらこの「七福神」が中心となります。ご存じの通り、 掛軸の図柄や、置物などの「七福神」が一つの宝船に乗っている様は、まさに幸せが束になってやってくるといったこの上ない幸福感を我々に与えてくれます。


●にぎやかさ・明るさでは他に類なし「恵比須さま」

★信仰の発祥の地・西宮戎(えびす)神社
「面 白し(おもしろし) うれし楽し 有り難し めでたし」といった、世界の宗教に類のない神道特有の実に明るい神観念、そして人生観でもある単純明快な教え を、そのお姿とお顔の表情によって我々にお伝え下さっているのは、何と言っても「恵比須さま」と「大黒さま」でしょう。よって「エビス・ダイコク」と並び 称され、二神だけで祀られている場合も非常に多いのです。
大黒さまと恵比須さまは、どちらが上位ともいえませんが、賑やかなことでは商人の崇敬 を集めて恵比須さまが、大黒さまを凌いでいるかもしれません。これには西宮戎(えびす)神社の働きが大きい様です。鯛と釣り竿を持った恵比須の神影札(し んえいさつ)の流布によるとされます。古くからこのお札によって恵比須さまのお姿に馴染んだ人はさぞかし多いことでしょう。
しかし、金もうけと いった人間のなす社会活動を欲の顕現として変に歪曲して解釈してしまうことなく、経済といった大きな社会活動の潤滑油として浄化してくださる大きな神さま の心持ちと、これといったタブ-のない神さまのおおらかさを人々が喜んで迎え入れ、まさに“エビス顔”でお祀りしてきたのは当然なことといえるでしょう。

★「商売繁盛で笹もってこい」・今宮戎(えびす)神社
現代の恵比須信仰の一大祭典は、何と言っても毎年一月十日の縁日に行われるエビス祭で、とりわけ関西では「十日戎(とうかえびす)」と呼んで派手に行われる。西宮戎神社はもちろんのこと、大阪の今宮戎神社などが有名です。
今宮戎では、祭りに一役買う「福娘」を選ぶので、その人選も浪速っ子の話題になります。参拝した人は、笹に小判や俵などの縁起物をつけた「福笹」を買って 家路につくから、「商売繁盛で笹もってこい」というかけ声が生まれたと伝えられます。なぜ笹なのかはハッキリしないが昔から笹は清浄な木として尊ばれてき たので、縁起物をつけるのにはぴったりだとして「福笹」が決まりものになったといわれています。

★エビス講
商売の神さまとして恵 比須さまの人気が高まると、商人達が恵比須さまを祀って講を組むようになった。これは互いの利益を守る同業組合の親睦会のような集まりで宗教的色彩はかな り薄い。今では、この「エビス講」という言葉だけは残って、一月に行われる大売り出しをこの名称で呼ぶところが多い。

★漁師の神さま
恵 比須信仰の起こりは、西宮に流れ着いたとされる漂着神とされるから、もともと海とは関係が深い神さまです。海辺の漁村をまわるとよく「エビス」を祀った祠 (ほこら)があります。ご神体は、「エビス石」と呼ばれる石や、イルカ、サメなどの海獣である場合が多く、それらのものが海からきた恵比須神の憑られる“ 依り代”となるわけです。また、恵比須神の由来になぞってか、地方によっては浜に流れ着いた水死体を「エビス」と呼んで祀る習俗もあります。

★恵比須信仰の由来

○事代主(ことしろぬし)説
事 代主命は出雲系の神で、国つ神の主神で、幽世(かくりよ)をつかさどる神・大国主命の子神です。神話の天孫降臨(てんそんこうりん)の段で天の御子に国を お譲りする際に、美保の岬で釣りをなされていたことにより恵比須神と同神と考えられてきました。神名の由来は“事を知る”こと、つまり物事を知り、そして 判断能力に優れている神であるということにあります。又、“言(こと)を知らしめす(統治する、司る)”神であるからと言われています。つまり、言霊をつ かさどる神であるともされています。

○蛭子(ひるこ)説
恵比須は、イザナギ・イザナミ二神の間に生まれた「蛭子尊(ひるこのみ こと)」のことだという説です。女神イザナミが先に求愛の言葉を発した為に、脚が立たなかったとされている。女神から男神に言い寄るのは良くなかったから とされ、「蛭子尊」は葦の船に乗せられ海に流された。その尊が流れ着いたのが摂津国西宮で、そこに祀られて恵比須神となったという。

○外来神(がいらいしん)説
海の彼方から流れ着いた神さまというのは、もしかしたら異郷の神さまを暗示しているのではないかとされる。実際、「エビス」は、「戎、夷」とも書かれ、これは異郷人を意味するから、外来神の可能性も十分にある。


●“打ち出の小槌(こづち)”と大きな袋「大黒さま」
「えびす・大黒」と並び称されている福の神「大黒さま」。古い家の台所には、俵の上に乗って“打ち出の小槌”を持ち、大きな袋を背負って笑う大黒さまが必 ずと言っていい程に祀られてきました。これらの物は、その家がいつまでも食に事欠かず、財宝が尽きないで豊かであることを現しています。大黒さまは、よく 台所に祀られていることからもわかるように、もともとは厨房(ちゅうぼう)の守護神でした。伝教大師・最澄が、中国の寺院の厨房で祀られていたのを日本に 持ってきて寺の庫院(こいん・台所)に祀ったのが始まりとされます。

※大黒さまのお使いは「ねずみ」、甲子(きのえね)の日を大黒さまの縁日としています。一年に六回ある甲子の日を「六甲子」と呼びます。

★神仏習合の大黒さま
仏教の大黒天の起源は、古代インドの破壊神シバァ神で、その名を「マハ-カ-ラ」という。マハ-は「大」、カ-ラは「黒」を意味します。カ-ラには「時 間」という意味もあって、時が経てば死に至ることから、死の神としても畏怖されていました。“破壊”と“死”をもたらす神をなぜインド人が崇拝したかとい うと、それは死の後に来る“再生”を期待しているからです。この大黒天は、初めはその神威により戦闘神として敬われ、やがて仏教の守護神となって、自由自 在な神通力によって世の人々に無量の富と財を与える神さまとして信仰されました。さらに日本に伝わってきた、大黒がダイコク(大国)に音通していること と、その御神徳が不思議な程に似かよっていることから出雲大社の御祭神・大国主命と同一神と見なされました。そして、一気に信仰が広がったのでした。

※江戸期、多くの国学者たちにより、死後の世界の研究が行われました。そして、幽冥(ゆうめい)の主宰神としてとりあげられたのが、大国主命です。


●才色兼備のかみさま「弁財天」
七福神の中でも唯一の女神は、「弁天さま」こと弁財天です。その起源は、インドの聖なる河の神霊であるとされています。“水の神”、“豊饒の神”として尊 ばれてきました。たいていは川や湖、海の近くに祀られているのもこの為です。水神というのは蛇体と信じられていたこともあり、弁天さまの縁日は巳(へび) の日と定められ、又、蛇は弁天さまのお使いともされています。
又、弁天さまのインドの呼称サラスバァティ-は、バァ-チュ(言葉という意味)と いう女神と同一視され、ここから“学問、芸能の神”でもあると考えられました。音楽の神さまというのは、河の水の流れる音に由来しているといわれていま す。よって、「妙音天」、「美音天」、「大弁才功徳天」といった別名があります。奈良時代に日本に伝わり、鎌倉時代に現在の様な琵琶を持つお姿に定着しま した。今日でもインドでは、弁天さまは人気があって、教科書の扉などに載せられているといいます。
そして、弁天さまは須佐之男命(すさのおのみこと)の娘であり、宗像(むなかた)三神の一柱として福岡県の宗像大社に祀られている市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)と同一神と見なされて信仰もされました。

★日本の五大弁財天
・滋賀  竹生島(ちくぶしま) 都久夫須麻神社
・鎌倉  江の島        江島神社
・広島  宮島         厳島神社
・宮城  金華山        黄金山神社
・奈良  天川         天河神社

★役行者(えんのぎょうじゃ)と天河弁天の話
修験道の開祖とされる役行者こと役君小角(えんのきみおづぬ)は、634年、加茂神社を氏神と祀る古代氏族・加茂氏の流れをくむ、加茂神の祭祀をつかさど る役氏の家に生まれました。生駒明神(いこまみょうじん)の導きにより、生駒山での山中修行に入り、3年後、小角22才の春、まことに不思議な光景が現 れ、諸神諸仏の見守る中で龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ・大乗仏教を理論的に整えた2~3世紀のインドの高僧で、インド屈指の大哲学者)より宝珠を授けられ たといいます。
やがて、山に籠もって験力(げんりき)を身につけた小角が、いよいよ修験道の守護神ともいうべき蔵王権現(ざおうごんげん)を祈 り出したのが、小角41才の年です。大峯山々頂にある巨岩に座して、地上で苦しむ人々の災いを取り払うだけの強い験力を持った神仏を祈り出すために、『孔 雀明王経(くじゃくみょうおうきょう)』や『不動明王経』を一心に唱えていた。すると最初に弁財天がお姿を現されたが、破邪の神としては、弁財天はあまり に優美すぎるように思われた。それをお察しになられた弁財天は天河の里に飛び去ったという。これが後の天河弁財天になる。次に小角の祈りによって現れたの が地蔵菩薩であった。しかし、お地蔵様は慈悲の菩薩であったので、さらに一心に祈ると火炎の中から憤怒の形相の不動明王さながらの神が示現した。それが蔵 王権現であった。


●インドの軍神「毘沙門天」

★その抜群の神威で災厄を追い払う
いかめしい甲冑(かっちゅう)を身につけて槍を持ったそのお姿は、七福神としては異色な存在の神さまです。毘沙門天信仰は、中世、武将たちの間に広く信仰されました。

※足利尊氏や上杉謙信は、毘沙門天を“守り本尊”として祀り、謙信に至っては「毘」の字を旗印にし、戦の際には城内にある毘沙門堂に独り籠もって戦勝祈願を行い出陣していたのは余りにも有名な話です。

※忠義の武将として知られる楠公こと楠木正成は、両親が毘沙門天に祈願して授かった子だといわれ、幼名は多聞丸(毘沙門天の別名)といいました。  

※寅の日は毘沙門天の縁日。一月、五月、九月の第一の寅の日は「寅毘沙」(とらびしゃ)と呼び、とりわけ正月の「初寅」を重んじてお参りする習わしがある。

★北方世界の守護神
毘沙門天もインドの神さまで、サンスクリットでは「バイシュラバナ」といい、仏教の守護神として、千年間の苦しい修行の後、北方世界の守りを梵天(ぼんて ん)から命ぜられたといわれています。そして、毘沙門天は、釈尊(お釈迦さま)の言葉を集大成したと伝えられている『阿含経』(あごんきょう)に、四天王 のひとりとして登場します。
◎四天王  持国天(じこくてん・東)
増長天(ぞうちょうてん・南)
広目天(こうもくてん・西)
多聞天(たもんてん〈毘沙門天〉・北)
又、夜叉八大将(やしゃはちだいしょう)という財宝の神の眷属(神の使い)を従えており、『毘沙門天王経』に、この天を信じれば財宝富貴が得られると記さ れていることにより七福神に加えられたとされています。毘沙門天、大黒天、弁財天、帝釈天、梵天など、「天」と名の付く神さまは、仏教の守護神となった古 代インドの神々のことです。

★デ-バァとアスラ(阿修羅)
バラモン教の神々を大きく二つにわけて、デ-バァとアス ラと呼んでいる。デ-バァは正統な神さまたちの集まりで、アスラはいわば本流から外れた神さまたちのことを言います。そして、アスラの中にはデ-バァに敵 対する者がいたため、次第にアスラは魔神として扱われるようになっていきます。しかし、仏教では、デ-バァ、アスラのどちらも仏の教えにふれて荒々しい性 格を捨て、仏教を守るよい神々に変身したとし、如来、菩薩より下位にこれらの天部の神さまを置いている。主だったものに以下の神々が存在する。

・梵天(ぼんてん)  インドでは宇宙の創造神とされる。
・帝釈天(たいしゃくてん)  リグ・ヴェ-ダの中で活躍す                る英雄神。インドラ神のこと。               神々の帝王と呼ばれる。
・ 緯駄天(いだてん)     シバァ神の子。火葬された釈尊               の遺骨の歯を俊足の悪魔が奪っ                て逃げたのを、この韋駄天が追               いかけて取り戻したというのは               有名な話。
・鬼子母神 (きしもじん)   前世の恨みから、人の子をさら               ってきては食べる鬼女となって               いたが、 釈尊の諭しによって子               供の守護神になった。日蓮宗で               は、あらゆる祈願は如来、菩薩                になされるのではなく、総てこ               の鬼子母神に対して行われる。
・水天(すいてん)      天体の運行、社会の正義をつか               さどる神。やがて、海の神、水               の神、そして、安産の守り神と               なった。


●中国からの招福神「布袋(ほてい)」、「福禄寿(ふくろくじゅ)」、「寿老人(じゅろうじん)」

★布袋さま
大きなおなかと大きな袋が特徴の布袋さま。実在した中国の高僧で、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身ともいわれており、世紀末や王朝が交替する時に現れて、 さまざまな予言や託宣を下す聖(ひじり・救世主)とされます。七福神になったのは、仏教の説く悟りの境地を意識し、ひょうひょうとした生き方、心の在り方 にひとつの理想を見たからだとされます。

◎弥勒菩薩(みろくぼさつ)
仏教でいう如来(にょらい)は、すでに悟りを開き、仏と 成っている存在。それに対して菩薩(ぼさつ)は悟りを求めて修行中の身をさします。本来なら如来になれる身なのに、成仏してこの世におられない仏に代わっ て人々を救うという誓いをたてて、いろいろな御利益を授けてくださるという存在。中でも弥勒菩薩はお釈迦さまの後を継ぐと約束されており、現在は釈迦もこ の世に生まれる前にいたという「兜卒天(とそつてん)」というところで修行中で、やがて釈迦がなくなってから五十六億七千万年後に下生(げしょう)する救 世主とされる菩薩。

★福禄寿(ふくろくじゅ)
「南極老人」ともいわれる。北宋の時代に出現した道教の道士だとされます。鶴と亀を従え、長寿と知恵とを約束してくれる神さまです。

★寿老人(じゅろうじん)
中国の道教における星の神さま。鹿を従えている。長寿と知恵とを約束してくれる神さまです


●七福神巡り
七福神は、難しい教えも厳しい行も、信仰上のタブ-もない祀りやすい神さまなので、個人的に祀っている場合も非常に多いようです。“縁日参り”から発展 し、天海僧正が提唱したという「七福神巡り」というのがあります。江戸時代には他の民間信仰の霊場巡りのように、盛んに行われていました。遠方に出かけて いく巡礼と違って、身近で馴染んだ寺や神社七カ所を回ればいいというので、手軽な宗教行事として行われ、願が掛けられました。また、初詣に、その年の吉方 にある七福神にお参りに行くこともよく行われたといいます。宝船に七福神が乗ったお目出度い絵は、お正月にお宝売りが縁起物として売り歩いたもので、これ を買い求めて正月二日に枕の下に入れて寝ると、いい初夢が見られると言われています。
 道開き at 2002/04/05(Fri) 15:20 

①産土さま(うぶすなさま)

2002/03/25(Mon)
●氏神(うじがみ)と産土神(うぶすながみ)
「氏神」の言葉の由来は、「氏(うじ)」と名乗る古代部族の祖先神、または何らかの機縁的ないし地縁 的な守護神を意味します。天皇家の祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)、中臣氏(なかとみし)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)などの例を あげることが出来ます。
中世に入ると、武士団が荘園農民の村落を守護することによって土着していった為、氏族の守護神であった「氏神」が地縁的な 「土地の神」となっていきました。この頃から、出生地およびその鎮守の神を意味する「産土(うぶすな)・産土神(うぶすながみ)」という名が「氏神」と混 同されるようになってきました。
江戸時代には、ムラと呼ばれた集落ごとに「鎮守の神」が祀(まつ)られ、その地域の神と住民との関係として「氏神-氏子」ないし「産土神-産子(うぶこ)」の観念が広く行き渡るようになりました。

●神社 ―その存在する意味-
お伊勢様(おいせさま〈神明さま〉)、八幡様(はちまんさま)、お稲荷さん、天神様など、私たちの周りにある「氏神様・鎮守様」には、多種多様な神々がお祀(まつ)りされています。
神社を大きく分類すると、神道(しんとう)信仰の基本形態ともいうべき、地域ごとの、祀(まつ)る人々も限られた、名もない神々を祀る「氏神型神社」と、 これに対して、平安初期以降、霊威(れいい)のある神々が限られた地域を越えて各地に勧請(かんじょう)された「勧請(かんじょう)型神社」とに分かれま す。
しかし、現在ある氏神様を、はっきりとこの二系統に区別することは無理となっています。今の氏神様は、名も無い地域の神としての性格を基本にしながら、霊威(れいい)ある招かれた神としての性格が重なり合って鎮座なされているのです。
どの様な形であっても、神社がその地域の聖なる場所であることにはかわりなく、幕末の国学者たち、特に六人部是香(むとべよしか)によると、〈産霊(むす び)〉=〈産土(うぶすな)〉であり、産土とは「万物を生産せしむる根本神」であるとし、「産土社」はその御祭神(ごさいじん)にどのような神をお祀(ま つ)りしているかに関わらず、その地域の氏子の顕幽(けんゆう)両面(生まれる時も、生きることに関しても、死に関しても、死後のことについても)に深く 関わってくると説いています。
産土神は、その地域の氏子を守護し、その死後の霊魂を導いて、生前の行動を審判したり、それらの先祖代々の霊魂と協 力して共に、それぞれの家々をも守るという。つまり、幽世(かくりよ〈あの世〉)と現世(うつしよ〈この世〉)との接点となる聖なる場所が「産土様」であ り、それぞれの地域は、「産土様」を通して幽世(かくりよ)からの影響を絶えず受けることになるというのです。
 道開き at 2002/03/25(Mon) 16:10 

初めまして

2001/12/09(Sun)
今後、以下の順で書き込みを行ってゆきます。
ご利用の方は、どうぞ、コピ-して御活用下さい。

①産土さま(うぶすなさま)
②七福神
③天照大御神(あまてらすおおみかみ、お伊勢さん)
④お稲荷さん(おいなりさん)
⑤八幡さま(はちまんさま)
⑥庚申さま(こうしんさま)
⑦山の神
⑧大国主神(おおくにぬしのかみ)
⑨須佐之男神(すさのおのかみ)
⑩天神さま(てんじんさま)
⑪火の神々
⑫白山神(はくさんさま)
⑬熊野権現(くまのごんげん)
⑭日吉神(ひえさま)
⑮賀茂神(かもさま)
⑯鹿島神(かしまさま)
⑰不動明王(おふどうさま)
⑱蔵王権現(ざおうごんげん)
 道開き at 2001/12/09(Sun) 08:45